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港にて 03

サブタイトル、その時のミメイさん。

空座標儀が光を放つ。磨いた貝石が響きあう。ひゅおん、ひゅおん、と。


《では、読み取れたのか》

《諾であり否》

《歪みが生じている》



ひゅおん、ひゅおん、ひゅおん。



声がする。若い女の。幼い子供の。年老いた女の。



《では、読み取れぬのか》

《否であり諾》

《予定調和の内であろう》



ひゅおん、ひゅおん、ひゅおん。

ひゅおん、ひゅ……おん。



宙に、花束に似た形の紋章が輝いていた。半分に割った球体を、重ね、つないだ形の空座標儀。その上で、ゆっくりと回転している。

貝石からの響きは光の糸となり、紋章に向かう。回転する紋様と共にゆっくりと回りこんでいる。

それは光でできた、奇妙なオブジェのようにも見えた。


回転し、明滅する光のもと、声は互いに論じ合っている。



《揺らぐ》

《世界が揺らぐ》

《世界は動き続けるもの》

《ゆえに揺らぐ》


《その中でも》

《未来が揺らいでいる》

《未来はいつも揺らぐもの》

《然り。揺らぐ》

《道筋はいずこか》


《たぐり寄せ、縒り合わせよ》

《現在を広げよ、読み解け》

《現在は面ではなく点で見るもの》

《断ち切り、手放せ》

《見よ》

《見よ》

《見よ》

《揺らぐ》

《いや、確定している》



ひゅおん、ひゅおん、ひゅ……、



「いずれにせよ、嵐は来る。わたくしも、わたくしの船の長も。すでに巻き込まれているのでしょう」



 ミメイが言った。論じ合っていた声が止まり、一瞬の静寂が落ちた。光が、明滅をくりかえす。



《嵐が来る》

《然り。嵐だ》

《揺らいでいる》

《揺らぐ》

《揺らぐ》

《世界が》

《この島の未来が》



 貝石が響き、音を立て、宙に浮かぶ紋様が光を明滅させるたびに、若い、年老いた、幼い女の声が、その場にひびく。



「ケルニ・カヴーラは、熱狂の竜(ヴェレ・デ・サイア)運命の指し手(ヴィダ・レ・サイワン)に愛されしもの。あの方は、正しく竜の娘です。

 波乱を呼び、まどろみを壊し、偽りの平穏を混沌へと変える。

 あの方は、嵐。歩む道のりもまた、渦となる。平穏とは無縁のお方です」



《波乱の子》

《熱狂の子》

《竜の娘》

《ゆえに、混沌をたいらげる》

《揺らぐ》

《みちびく》

《破壊する》



「そして、新たなる秩序を産む。リラさま。もう、お休みくださいませ。お体が持ちませぬでしょう」



 光が明滅した。いくつかの声がかすかに響いてから消え、やがてひとつの声になる。それは落ち着いた女の声だった。



《夜明けの花たる妹よ》

「はい」



《まだ、見えぬ》

《見えぬのだ、細くつながる糸の先が》



 ひゅおん、と強く貝石が響いた。



《流れる時は淀みに入った》

《そのゆえに》

《流れる先を、われらはさがし、さがし続けた。だと言うのに》

《人の欲の愚かさよ》

《人の欲の愚かさよ……》



「穏やかなる恵みの姉上。わたくしには、時は読めませぬ。

 けれど、わが長はやりとげましょう。それだけはわかります。

 魂のみにて空間を渡る術は、ただでさえ力を使うもの。弱っておられる今は、お命にかかわります。どうぞ、お休みを」



《口惜しい。この身が、いま少し》

《いま、少し……》



 光が明滅を繰り返したのち、声は続けた。



《聞け。蛇の男たちが、鍵となろう。だが、この島の巫女はふ抜けすぎ、その意味すらも読み取れぬ。

 夜明けの花たる妹よ。そなたにも、嵐は振りかかる》


「覚悟しております」


《次代はいまだ、まどろみの中。われらには、家族のきずなは、夢まぼろしのようなもの。だと言うのにあれは、その夢を求めた。今も求め続けている》


「その夢は、わたくしも求めたもの」


《読み解く者はいずれもそうだ。だが、われらには決して、手に入らぬもの。

 求めてはならぬものだ》



 愚かだ、と声は繰り返した。



「その愚かさゆえに、次代さまは重荷をになう。それはすなわち、長にふさわしくなられるということ」


 ミメイの言葉に、《つぶれなければな》と声は返した。


《未来は揺らぐもの。今のままでは、あれは潰れて終わる》


 ミメイは小さく息を呑み、一瞬、言葉を途切れさせた。


「リラさま。次代さまが巫女長となる未来を読まれたのは、リラさまでは」


《わたしだ。だが、この体が弱るは早すぎ、神官たちの欲と愚かさは想像以上に根深かった。

 よもや、サイラを担ぎ出すとは》


 ミメイは目を伏せた。


「どうなりましょうか」


《なるようにしかならぬ》


 声は答えた。


《巫女長は、相応しき者が相応しく在る時になるもの。人の思惑でなるものではない。この地位は、義務と責務を知る者が担う。痛みと罪を知る者が担うのだ。

 ゆえに、地位が人を選ぶ。

 その際には、逃げたくとも逃げられぬ。わたしもそうであった》


「リラさまは、逃げようとなさったのですか」


《まともな読み解くものなら、このような地位を喜ぶはずもない。人との交渉、交渉、そして交渉。時の流れに、世界の流れに、心を預けたいと願いながら、それもかなわず。ただひたすらに、橋渡しを続ける。われらと彼らの間に立って》


 声は疲れたように言った。


《次代は、あれは。ことに苦労するだろう。

 わたしはあれが、不憫でならぬ。読み解くものでありながら、あれは探求よりも、人のぬくもりを求めている。世界を見、流れを見聞きするよりも、人と人の関わりを求めている。己を捨てて伝えるよりも、与えられ、、求められることを願っているのだ。

 あれがただの巫女であったなら、そのように生きても良かった。だが、役目はあれを求めている。逃れられぬ》


「そのような生き方が、できるものなのですか」


《目を封じれば良い。少しばかり風変わりな島ノ人として生きられよう》


「それは……確かに。ですが、わたくしには、そちらの方が耐えがたい」


 流れから切り離され、姉妹たちとの心からも切り離され。ただひたすら一人で在り続ける。それは読み解くものにとって、おそろしく孤独な在り方だ。ミメイはぞっとして、体を震わせた。


《そなたは正しく読み解くものゆえ。だが、夜明けの花よ。人とは本来、そのような生き物だ。そなたの愛する船ノ長も、その孤独の中で生きている》


「はい」


《われらの方が異質なのだ。種として単独では成り立たず、人に寄生し、命をつなぐ。おかしな存在だ。われらの存在自体が、ある種の歪みと言ってもよい》


「はい」


 ミメイは自分たちの生まれ方を思った。確かに、寄生だ。読み解くものは、生まれた時から読み解くもの。だれから生まれようが、だれに育てられようが、それ以外にはなれない。

 母にも、娘にも。なれないのだ。


《そなたとこうして会話をすることは、楽しいな》


 そう思っていると、声がぽつりと言った。


「そうなのですか?」


 驚いて言うと、《話が通じる》と声が返した。


《人はわれらの異質さが、まず、理解できぬ。同胞は読み解くことに励むゆえに、この異質さに悲しみを覚える、わたしの心がわからぬ。

 理解できるそなたには、巫女長の資格がある。

 額に目がありさえすれば、わたしはそなたに後を譲った》


「喜ぶべきでしょうか。悲しむべきでしょうか。

 逃げ出したいほどの義務と責務、痛みと罪を引き受ける地位とお聞きした後で、資格があると言われても」


 小さく笑うと、ミメイは続けた。


「けれども、わたくしの額に目はない。ゆえにそれは、あり得ぬこと。

 ただの戯れ言と、聞いておきましょう」


《残念だ》


「流れる運命に逆らって手を出せば、巻き込まれて終わるだけ。たとえその時は変わったように見えても、やがてもっと強い力で打ち壊され、元に戻ってしまう。

 流れる水は、流れのままに。

 わたくしたちは、読み解くことこそできますが。世のことわりの内にある者にすぎぬのです」


《その通りだ。いま、ひしひしとそれを感じる。この体が、いま少し動けば》



 光がふらり、と弱まった。



「リラさま。おもどりを。これ以上は」


 ミメイの声に、焦りのようなものが混じる。声は言った。



《戻ろう。あとは、任せる》


「はい」


《何よりも口惜しいのは、……おそらく、わたしは立ち会えぬ》


「はい」


《次代の重荷を、……軽くしてやることすらできぬ》


「わたくしが伝えます」


《頼む》



 光は明滅を繰り返すと、はたり、と消えた。紋章が消える。石の響く音もまた。


 ミメイはふ、と息をついた。



「わたくしは、わがカヴーラのもの。たとえ額に目があったとしても、もはや、どの島の姉妹たちとも違うのです。

 そのゆえに、迷うことがない。

 そこが巫女長にふさわしいと言われるとは、皮肉なこと。

 とは言え、……蛇の男たち」


 座っていた椅子の背もたれにもたれかかると、ミメイはため息をついた。椅子には、クッションがいくつも置いてある。どれもが細かな刺繍がはいる、手の込んだ品だ。小さな体は、クッションに埋もれているかのように見えた。


 クッションの刺繍を指でなぞる。その全ては、船員たちからの贈り物だった。


 風読みは、長く空座標儀の前にいる。ある意味、座りっぱなしの仕事だ。動き回るのが当たり前の船員たちからすると、その様は、気の毒なものに見えるらしい。ケルニを筆頭として、船員たちは常から、ミメイが少しでも楽に過ごせるようにと気を配ってくれていた。座りやすい椅子や、体を支えるクッションを、あれこれと探しては贈ってくれる。


 この刺繍もまた、彼女たちが刺してくれたものだった。暇が続いた時の手慰みにやっただけだと言われたが、ていねいな針のあとは、心づかいに満ちていた。素朴な優しさといたわりが伝わってくる。



「時の流れ、運命の渦を見る額の目。それがあれば、読み解ける。

 だが、それを持てば、関わることは禁じられる。

 わたくしがわが長と共にいられるのは、額に目がないゆえ。

 けれど、

 あの方が進む道のりが少しでも平穏であれば。

 そう願い、そのゆえに、額の目があればと思ってしまう」



 指をにぎる。奇妙な感慨を覚えた。自分を産み、三歳まで育ててくれた女は、良く面倒を見てくれた。そう思う。飢えることはなく、寒さに震えることもなかった。


 けれどもどこか突き放されたような、近づけない何かがあった。


 自分とも、夫とも似ていない、明らかに種族の違う娘。彼女はどこかで、自分を恐れていたように思う。


 これは、なに。

 どうしてわたしから、こんなものが産まれたの。


 いつも、自分を見るまなざしの中に、そのような問いかけが潜んでいた。


 三歳になれば神殿に差し出すということもあり、必要以上に関わりたくないとも思ったのだろう。彼女は良く世話をしてくれたが、……それだけだった。


 この船に乗って初めて、親子のきずなや、家族のちょっとしたふれあい、心の交流というものを見た。読み解くもの同士の心のつながりとはまるで違う、荒削りで乱暴な、けれども開けっ広げなそれに、ミメイは驚いた。


 そんなミメイに、ケルニはあれこれと話しかけ、過ごしやすいようにと椅子を手配し、クッションをくれた。


 あの時覚えた感情が何であったのか、今も良くわからない。ただ、ミメイは。あの時以来、ケルニと共に船に乗り続けている。


 騒乱の申し子のような彼女の傍らに、今もいる。



「わたくしもまた、愚かなのです、リラさま」



 つぶやくと、目を閉じた。


 そこへ突然、慌ただしいノックの音がした。返事も待たず、大きな音を立てて扉が開く。



「風読みどの! ミメイさん! 出港準備って言うか、逃げだす準備、始めといて!」



 目を開けてそちらを見ると、扉の外から部屋の中に上半身を突っ込むようにして、エルマが言った。ひどく慌てている。

 古参の船員で、ケルニやテサからの信頼も厚い。度胸も据わっていて、なまじっかな事では動じない。その彼女が慌てている。

 開いた扉の外、彼女の背後からは、うわーっとか、やらかしたーっとかいう悲鳴まじりの声が聞こえてくる。



「やらかした?」

「やらかした。船長が」



 まじめな顔でつぶやくと、まじめな顔でエルマが答えた。まばたいてからミメイは「何を?」とたずねた。



「無許可で上陸。現在、港の警備兵と立ち回りを演じてる」



 告げられた言葉に、思わず目を閉じる。なぜそんな事に。



「船長、この島では、慎重に振る舞うと言われていたのだけれど。わたくしと船長とでは、『慎重』という言葉の意味がちがうのね……。以前から、そうではないかと思ってはいたけれど」



 ミメイの言葉に、「そうなんだ?」とエルマが言った。



「慎重にって、やっぱこの島、なんかある? 蛇の男が港にいたんだけど」

「嵐が来るの。いろいろな厄介ごとが。出港準備に忙しいところになんだけど、逃げだせないと思うわ」

「うっわー……副長、すんごい剣幕で逃げ出す準備してるんだけど。船長をかっさらって、飛び出す気満々なんだけど」

「逃げ出せないと思うわ」



 くり返してからミメイは、びぃん! と甲高い音を立てた貝石に目をやった。きいきいと耳障りな音を立てたそれは、光を放つと宙に緊急連絡用の紋章を映し出した。



《この暴挙はいかなることか、〈疾き風槍〉! 力に任せて海賊行為でも行うつもりかっ!》



 怒鳴り声がその場にひびく。



「うわ。どなたでしょう」

「市長ね。緊急用のラインだわ。最優先で割り込んだみたい」

「うっわー……」



 エルマは天を仰いだのち、「副長呼んでくるっ」と叫んで走り去った。ミメイは宙に輝く紋章に向かうと、それに触れてから言った。



「こちら、〈疾き風槍〉。風読みのミメイ。どちらさまでしょう」


《船長を出せ!》


「船長は、ただいま手が離せません」


《ふざけるな! そちらの船員が、わが島の港で暴力行為を働いているのだぞ。さっさと出せ! 船長がいないのなら、副長でもかまわんっ!》



 ちょ、副長~~っ! とか、ギャー行っちゃダメええええ! とかいう叫びが、開いた扉の向こうから響いた。テサも無許可で上陸したようだ。



「あいにく、副長も手が離せません」


《ふざけてるのか!?》


「まじめです」



 ああ見えて、テサも熱血だ。たぶん、ケルニを攻撃した兵士がいたのだろう。



《うちの港で騒ぎを起こすな!》


「起こしたいわけでは」


《うるさい! 騒ぎを起こした女どもは、全員牢に入れるからな。船長が保釈金を持ってくるまで、船には戻さないからそのつもりでいろ!》



 その船長自身が、騒ぎの中にいるのですが。


 そう言おうとしたミメイだったが、通話は一方的に切れた。消えてしまった紋章のあった辺りを見つめ、ミメイはつぶやいた。



「保釈金を持って行くべき船長が牢屋の中にいるとしたら、どうやって船長を保釈するのかしら。ケルニ・カヴーラはひょっとして、ずっとこの島に住むことになるの?」



 それはない。と、戻ってきたエルマが突っ込みを入れるまでには、少し時間がかかった。



不定期で申し訳ないです。レポートにもどります。

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