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マジュ 1

 気がつくと、シーラ達は真っ暗な闇の中にいました。

 先程まで、円を描き自分達を守るように吹き上がっていた白い光の噴水は既に消え、足元にちろちろと小さなくすぶりを残すばかりです。それは、ようやく敵の手の届かぬ所に逃れ、ムルグが脱出呪文を解呪した証でした。

 不安定だった足場がずっしりと地面の上に付いたような気がして、(なにしろ、脱出呪文を唱えている間中、ずっと空を飛ぶような気分だったので)シーラは一瞬ほっと安堵の溜め息をつきました。しかし、魔力の光が消えるにつれ残されていくのは、圧倒的な闇の世界だったのでした。

 あまりの暗さに息苦しくなり、シーラは思わず隣にいるはずのサーザントの方へ手を伸ばしました。そして、そこにひやりとした衣の感触を確かめ、シーラは再び安堵の溜め息を漏らしたのです。つまり、それ程近い距離にいる者の姿さえ、彼女には見る事ができなかったのです。ところが、

「なぜ、人のマントをつかむ?」

 隣から怒ったようなサーザントの声が聞こえてきます。

「これは、魔界蜘蛛の糸で織った上等のマントだぞ。汚い手で触れたりして、汚れたらどうする?」

「その小娘はきっと闇が怖いのだろう」

 ムルグの声が聞こえます。すると、心から不思議そうな声が聞こえてきました。

「怖いだと? こいつに怖いものなんてあるのか? トルネーダの手下を一人で片付けるような奴だぞ」

「人間というのは、こういう闇を恐れるものだ」

「何が真っ暗だ? 十分明るいではないか」

「魔族の我らにとってはそうでも、人間には真の闇なのだ。人間というのは、あらゆる意味で我らより劣っている。だから、助けるなと言ったのだ。人間など足手まといにしかならん」

「なるほど…」

 サーザントが納得したように呟きます。そしてさらに、シーラにとって最も許し難い一言を口にしました。

「それにしても、周りが見えないぐらいで怖がるとは、案外、臆病者だな」

「誰が臆病よ!」

 思わずカッとなって、シーラはマントを放してしまいました。

「さっきから黙って聞いていれば言いたい放題。魔族なんかにそこまでけなされるいわれは」

 そして、さらに悪態をつこうと口を開きかけたのですが、ムルグの「しっ!」という声に遮られてしまいました。

「静にしろ。どこで、誰が聞いておるやもしれん」

 それから、彼は歩き始めたのでしょうか? さくさくと草を踏むような音が微かに聞こえてきます。しかし、闇魔導師がどの方角に進んでいるのか、シーラには皆目見当がつきませんでした。途方に暮れかけた時、隣からすっと手が伸びてきて、シーラの腕を強く握りしめました。

「何?」

シーラは思わず、隣にいるはずのサーザントに向かって叫びました。

「目の出来が悪いのだろう? ひっぱって行ってやると言っているのだ」

サーザントが声だけで答えます。

「大丈夫よ!」

シーラは、その手を振り払おうとしました。が、

「好意は素直に受け取れ」

 ムルグのしわがれ声が聞こえます。

「お前が普通の小娘より強いらしいのは分かった。しかし、その程度ではとてもこの森を歩く事などできん」

「森? ここは森の中なの?」

 ムルグの言葉に、シーラは驚きの声を上げました。

「そのとおりだ」

 サーザントが答えます。

「耳を澄ませれば分かる。鳥や獣の声が聞こえるだろう」

 しかし、残念ながら、いくら耳を澄ませても鳥や獣の声は聞こえませんでしたが、かわりに木の葉のざわめきや、ばさばさと何かが羽ばたくような音が聞こえたような気がしました。確かに、ここは森の中なのかもしれません…。いずれにしても、意地をはっても無駄だと観念し、シーラはおとなしくサーザントに手をひかれ進む事にしたのです。


 サク…サク…

 おそらく枯れ葉が落ちているのでしょう。それらを踏みしだく音だけが闇の中に響いていました。長いようでもあり、短くもある、心細い歩みの果てに彼女はやっと光を見る事ができたのです。それは、まるで五等星のように、微かに闇の中に浮かんでいました。その光に近付くにつれ、周りの景色が徐々にあきらかになっていきました。

 星のようなかすかな光は、歩みを進めるにつれて大きくなり、徐々に、徐々に、そこにあるものの存在を明らかにしていきました。そこは、アージャラの言う通り森の中のようで、巨大な老木たちがひしめき合うように、その岩石のような灰色の幹をうねらせ、互いの枝を複雑に絡み合わせておりました。そして、天と地を遮り生い茂る様々な形の葉が(それは、遠い南洋にある様な不思議な形をしたもののようで、シーラが間近で見るのはこれが初めてでした)闇色のアーチを作っておりました。

 それは、確かに森ではあったのだけれど、梟の声や、葉が風に踊る音や、獣たちの呼び合う声などはシーラの耳にまでほとんど届かず、静寂の中にひっそりと横たわっておりました。あまりの寂しさにシーラがサーザントの手を握りしめた時、サーザントが言いました。

「家がある」

 そう言われて前を見ると、遥か遠くに小さな光が見えます。その光のおかげでシーラの目にも寄りかかるように傾いだ木の幹を見る事ができました。

 さらに進むと、確かに、そこには小さな家が…まるで大きな岩盤に掘られた彫刻みたいに浮き上がってるのが見えました。

「あの家に行くの?」

 シーラの言葉にムルグは「そうだ」とこらえました。

「しかし、なぜ、あのような所に家が?」

 サーザントの言葉にムルグが答えます。

「わしの隠れ家だ。あそこに大事な物を隠してある」

「大事な物?」


 やがて、カンテラのある門をくぐった時、ムルグ以外の一行は、なぜ、この家が彫刻みたいに見えたのかすぐに理解する事ができました。それは、その小さな石造りの家が、おそらく森の行き止まりであろう高い絶壁の裾にできたくぼみの中に、すっぽりと行儀良く収まっていたからです。こんな近くに立ってさえ、それは、本当に岩を削って造った家の様に見えるのです。

 その、家の窓から淡い光が漏れていました。おそらく、これが遠くから星のように見えていたのでしょう。その窓から少し離れたところには、半円形の木製の扉がありました。どうやらここが玄関の様です。


 コツコツ


 ムルグが杖で扉を叩きました。

 しばらくすると、ギィッと扉が開き、中から大きな書物を抱えた長い黒髪の少女が出てきました。

「女の子?」

 シーラが驚いて叫びます。

 しかし、その少女は、シーラ達を見ると怯えたように家の中に隠れてしまいました。

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