顔は勇者の命だが、とりあえず今はそんな事言っている場合ではなかった
カシャーン!
剣は、激しい音を立て、ゴロゴロとした石と石の間に落ちました。
「何をしている? なぜ、剣を捨てる?」
サーザントの奇妙な行動を、ムルグが訝しげに見つめます。
「なんでもない」
サーザントは激しく首をふりました。そして、シーラを抱えて立ち上がり、
「さ、行くぞ」
と言って、マントを翻し、勇ましく一歩を踏み出そうとしました。が、その時…、
「痛い~ン」
間の抜けた声が背後から聞こえてきて、せっかく踏み出されたサーザントの足を踏み止まらせました。そして、ひきつった笑いを浮かべるサーザントの目の前に、頭にたんこぶをこさえた勇者ミリオンが、不釣り合いに神々しい金色の光を纏ってひょろひょろと飛んで来ました。この、光る『剣の精霊』は、あぐらをかいた姿勢で宙に浮かんだまま、口をとがらせ、顔にも、その場の雰囲気にもまったくそぐわないクレームをつけました。
「投げるなんて、ひどいよお」
「きゃっ! 勇者様!」
サーザントに抱きかかえられたシーラが嬉しそうに叫びます。サーザントは慌ててシーラを黙らせました。
「しっ! ムルグに聞かれる」
勇者の存在をムルグに知られる事など、断じてあってはいけません。ただでさえ、トルネーダに掴まっての帰還という汚点をつくった上、勇者に取りつかれたなどという事が知られたら、もはや魔界中の笑い者になるだけでは済まされないでしょう。
「あ…」
シーラは、しまったというように手で口をふさぎました。もっとも、目覚めたばかりの彼女には、今、目の前で何が起きているかを正確に把握する事はできていなかったのですが…。
ミリオンは、そんな2人にお構い無しで、たんこぶを指差し文句を言い続けます。
「どうしてくれるのさ! 顔は、勇者の命だぞ!」
シーラが無言で頷きます。どうやら、勇者の意見に賛成のようです。
「うるさい! さっさと私の前から消えろ!」
サーザントは、ムルグに聞かれないよう小さな声で言いました。すると、ミリオンは、この上なく意地の悪い笑顔を浮かべました。
「無理無理。君の手の中を見てごらん」
「何?」
言われるままにサーザントが自分の手の中を見ると、そこには、先ほど捨てたはずの勇者の剣がしっかりと握りしめられております。
「うわっ!」
サーザントは悲鳴を上げました。
「なんだ?」
ムルグが、驚いてサーザントの顔を見ます。
「なんでもない!」
サーザントは、慌てて大きく首をふると、再びミリオンに向かい、小声で言いました。
「いつの間に、私の手の中に来た?」
「ホラー・サービスさ!」
ミリオンが嬉しそうに答えます。
「ホラー?」
「そう、捨てても、捨てても追いかけて来る呪いの剣。それに取りつかれた者は、夜な夜な血を求めて町をさまよい、最後は自分の首を斬っちゃうぞ。な~んちゃって、あはははは。怖かった~?」
「バカにするな! 私は魔界のプリンスだぞ!」
と、叫びつつ、サーザントの全身に鳥肌が立っています。実は、サーザントは怪談が大嫌いなのです。…いや、そんなことよりも…
「おい。王子、さっきから誰と話している?」
彼らは少し、長くお喋りをしすぎたようです。ついに、ムルグが本格的に怪しみ始めました。
とはいえ、聖なる戦士にしか見る事ができない『剣に宿る精霊…元勇者ミリオネス』の姿を、対極の存在である黒魔導師のムルグが見る事はできません。しかし、魔王が右腕とも頼む程の魔力を持ったこの老魔導師は、すぐにサーザントを包む常ならぬ気配と、彼が帯びている見覚えの無い剣…すなわち勇者の剣に気付いたのです。
彼は、先程のトルネーダとの戦いで傷付いた体を、杖で支えてようやく地上に立ちながら、その二つの瞳をギラギラと激しく燃えたぎらせ、サーザントを覆う不思議を見極めようとしていました。
その、視線に気付き、ミリオンは、ぎくりと肩を動かしました。そして、彼らしくもない青ざめた顔でこうつぶやきました。
「ヤバいよ、アイツ…」
そんなミリオンのあせりを知ってか知らずか、ムルグはずかずかとサーザントに近付き、鼻先がくっつく程顔を寄せました。実は、ちょうとその位置にミリオンが居たので、サーザントには、ムルグとミリオンの2人の顔がセロファンに描い
た絵を重ねたような、おかしな顔に見えました。それで、思わず吹き出すと、
「とうとう、頭がおかしくなったか?」
と、ムルグが眉をしかめます。
一方ミリオンは、自分の中に割り込んで来た、老魔導師の放つ闇の力に耐え切れず、悲鳴を上げて剣の中へと消えていきました。
「!」
ムルグは目に見えぬ何かが、自分の体の中を通り過ぎたのに勘付き、キョロキョロと辺りを見回しました。しかし、もちろん何もある筈がなく、首を傾げつつも彼はサーザントへと視線を戻したのです。とても、納得の行かない顔をして。しかし、サーザントへと視線を戻すや否や、ムルグは何か答を見つけたかのように、ハッと目を見開きました。そして、こんな事を言いました。
「お主…本当に、サーザント王子か?」
今度は、サーザントが眉をしかめるばんでした。
「何を言ってる? 私は私に決まっているだろう?」
…とうとう、ぼけたのか? 冗談混じりに言おうとした言葉を、サーザントは飲み込みました。なぜなら、もしかして、この老魔導師にミリオンの存在を知られたからかもしれない…! ということに思い至ったからです。しかし、その問題について、彼らがそう長く逡巡している暇はありませんでした。
「おい! 捕虜が逃げ出したぞ」
「捕まえろ!」
という、叫び声とともに、あっという間にサーザント達は兵士に囲まれたのです。
「ちくしょう! 下らん事で時間をつぶしていたせいだぞ! ボケ勇者!」
悪態をつきつつも、サーザントは勇者の剣を構えました。




