魔界につきました 02
目の前に黒々と連なる険しい山々が見えます。その東西に横たわる山脈の中心に、猛る溶岩を頂く魔の山が、逆巻く雲を貫きそびえています。今にも襲いかからんとする魔王の巨大な影のごときそれらの姿を眺めながら、シーラは深い溜め息をつきました。
魔王の城まであと1日という距離まで来て夜を迎えた元天界の軍勢は、比較的溶岩の噴出の少な砂地に夜営を組みました。100人ばかりの兵士達は、岩ばかりゴロゴロした陣営の中で、かがり火を焚き、各々酒を酌み交わしたり、歌を歌ったりしています。
イーア リーヤ スーヴィアー スースードゥ
背後にいるサーザントは枯れた木の根元に縄で縛り付けられ、兵士達の不思議な歌声にぼんやりと耳を傾けていました。その側には、シーラがサーザント同様縛られています。そして、2人の周りには、鋭い槍を携えた兵士達が油断なく辺りを窺っています。
そこへ、トルネーダが紺色のマントをひるがえしながらやってきました。トルネーダは、サーザントの真正面に立つと、悠然と見おろし冷笑を浮かべました。
「いよいよ、明日には魔王の城につきますな。お懐かしいでしょう? 王子」
「ああ、懐かしいとも」
サーザントは仏頂面で答えました。
「それに楽しみだ。すべての誤解が明日解けるのだから。そうなったら、お前も無事ですむと思うなよ」
それには答えず、トルネーダは手にしていた銀の盃を背後の兵士に差し出しました。兵士は壷を傾けて、青色の液体を杯に注ぎました。盃が一杯になると、それをサーザントの口元に押し付け、
「御帰還の祝いだ。飲まれよ。トロルの生き血を醸成させて作った酒だ」
と、言いました。ツーンとすえたような匂いが鼻をつきます。思わずサーザントは顔をしかめまて言いました。
「いらぬ!」
サーザントは鼻白んで盃をひっこめると顔の高さでそれを傾け、その中身をサーザントの足下にちろちろとこぼしました。砂の上にじんわりと冷たい感触が広がります。サーザントは汚れぬように両足をっすっと引っ込めました。トルネーダは、盃の中身を全てこぼしてしまうと、壷を持った兵士を伴い向こうのテントに帰ろうとしました。その後ろ姿に向かって、サーザントが叫びます。
「覚えていろ! 明日だ…! 明日になれば、必ず私をこのように扱った事を後悔させてやる」
すると、トルネーダは小馬鹿にしたような笑みを浮かべて、
「そうなる事を、私も楽しみにしている」
と、言い捨て、さっさと歩いて行ってしまいました。
しばらくすると、シーラがサーザントに尋ねました。
「ねえ。どうするの? このままじゃ、明日には殺されてしまうわ。なんとか逃げる方法を考えた方がいいんじゃないかしら?」
「大丈夫だ。殺されたりなどせぬ。父は私を誤解しているだけなのだ。誠心誠意話せばきっと分かってくださる」
「…話すって何を話すのよ? まさか勇者様に問い疲れた事を話すつもりじゃないでしょうね…」
「バカを言え! 誰が奴の事など…!」
サーザントが答えます。自分が勇者の精霊に利用されたなどという事がばれたら、誤解を解くどころか即殺されるのは目に見えています。
「私はただ、父上に邪心がない事をお伝えするだけだ。私は裏切っていないという事を」
「勇者様の事抜きで、あなたの潔白をどう証明する気なの? あなたは味方を殺してしまったのよ」
サーザントのおめでたい思考にシーラの口調がついついきつくなります。
「…もちろん、だからって勇者様の事を話すなんて事があってはいけないのよ。要するに、私が言いたいのは魔王が許してくれるなんて、甘い期待を持たないでという事なの。考えてごらんなさい。あなたの弟のあのロムデルだって、あれだけ恐ろしいのよ。まして父親なんて…想像するだけで気が遠くなりそう!」
お前がその程度で気を失うか…! そう思いつつサーザントは黙っておりました。
彼だとて阿呆ではないのです。シーラの言う理屈が通じぬわけではないのです…。しかし、そこが彼の甘さでしょうか? どうしても彼は父が自分を殺すなどとは思えなかったのでした。いや、信じたくなかったのです。
一方シーラは、ますます絶望的な気分になって来ました。
…このままじゃ、殺されるのを待つだけよ…
それからシーラは目覚めて以来さっぱり姿を見せなくなった彼の人に向かい、心の中で何度も唱えました。
…勇者ミリオネス様、どうかお姿をお見せください。そして、私達をお導きください…
しかし、それに答える声は聞こえず、闇はさらに深くなっていきます。




