深海の魔女 06
「それ、どういう意味よ」
アドリアナは、いぶかしげな顔をしてサーザントを見ます。
「その石を外す事ができたらって、どういう意味?」
「言葉の通りだ。お前がこの石を外せたらお前にこの石をやる。しかし、もし外せなければやるわけにはいかん」
「なんで、そんなおかしな条件をつけるのよ」
「この石は、特別な魔力で埋め込まれている。よって、外せるのも特別な魔力を持ったものだけだ。お前がこれを見事外す事ができたら、その魔力に敬意を表してよろこんでお前にやろう。さあ、どうする?」
「……」
アドリアナが怪しむようにサーザントを見ます。
ミリオンが近づいて来て言いました。
「それ本当なの? あ、心の中で答えて。ちゃんと聞こえるから」
それで、サーザントは視線をアドリアナに据えたまま心の中で答えました。
「この石が特別な魔力で埋め込まれているのは事実だ。しかし、この石を外すには私自身の承認と、……もう一つ、父魔王の許しが必要なのだ。それがなければ、いかな魔女であろうが外す事などできぬわ」
「でもさ、魔界では君は裏切り者になってるんだよ。魔王はとっくに君を見限ってるんじゃないのかな。だとすると、あの石も案外簡単に外れちゃうかもよ」
ミリオンの言葉にサーザントは再び心の中で答えます。
「父上は私をみかぎったりせぬ」
「なんで、そこまで信じられるのかしらないけど……。でも、そこまで信じてるなら、なんでもっと早くその条件を出さなかったのさ?」
「私の承認を与えるのはたやすいが、わたしの父上に対する愛情と忠誠心が、それを是とすることをこばんだ」
「是とするをこばむ…つまり石を外していいという許可を与えるのは、父上に悪いからできなかったって事だね。もう少し、分かりやすい言葉で喋ってくれないかなぁ…」
ミリオンは、しかめっ面をしました。
一方、サーザントはアドリアナに向って言いました。
「さあ。どうする? 挑戦してみるか?」
するとアドリアナは言いました。
「おもしろそうね。いいわよ。のむわ、その条件」
「だめよ! サーザント!」
シーラが叫びました。
「私の事なら、大丈夫だから…」
……と、
ふわり……
ミリオンがシーラの前に舞い降りました。
そして、人さし指を唇に当ててゆっくりと首を振ります。
「でも……」
シーラが口を開こうとすると、ミリオンはもう一度首を振り
「あいつが決めた事なんだから」
と、囁くように言いました。
「なんだか、怪しいんだけど?」
アドリアナが、シーラの方を見ました。
シーラは、思わず視線を逸らしました。しかし、気丈に…
「なんにもないわよ! 年のせいで被害妄想になったんじゃないの?」
…気丈というより、むしろ余計な一言を発しました。アドリアナは『覚えてなさい』というようにシーラを睨み付けると、再びサーザントに視線を戻し
「まあ、いいわ」
と、つぶやいて上半身をぐぐーっとサーザントに近付けました。そして、鼻の頭をサーザントの頭にくっつけると、にやりと笑って、真っ赤な口を大きくぱっくりと開けました。それから、ギザギザと尖った上下の歯で、サーザントの額の石をかちりと噛んで、ぶんっと首を勢いよく右に振りました。
一瞬、サーザントは何が起きたのか理解ができませんでした。
魔女は、口の中からキラキラと紫色に輝く石をプッと吐き出し、それを人さし指と親指でつまんでうっとりと眺めます。
「取れたわよ。見事な輝きね」
それで、サーザントは、やっと大切な石を奪われた事に気付きました。
「あ~あ」
ミリオンが溜め息をもらします。
シーラは両手で口を塞ぎ、事の成りゆきを見守っていました
…そして、サーザントは…
サーザントは、その場にへなへなと腰を降ろすと、両手を床につきました。茫然自失のプリンスに向かい、魔女は誇らし気に石を見せつけて高らかに笑いました。
「じゃあ、約束通りこの宝玉はもらうから」
……なぜだ?
サーザントは心の中でつぶやきました。
……なぜ取れたんだ? 父上が許したとでもいうのか?
しかし、その問いかけに答える声は、ついに聞こえませんでした。
……私のせいだわ…
シーラは泣きそうな顔でサーザントを見つめました。
「ごめんね…」
そういうと、シーラは唇を噛み締めました。
サーザントの受けた傷はといえば、とうていシーラの想像に及ばない程の物だったのですが、彼はこの小さな娘に思わぬ言葉をかけられて少しだけ自分を取り戻したようです。
「安っぽい同情はいらぬ」
と、立ち上がると。
「これは全て、魔界の王子である私の意志で決めた事。しかも、王位継承権が奪われたところで、私が大ゾ-マ帝国の魔王の息子であることは、揺るぎない事実……」
と、すっと胸をはりました。しかしそれが虚勢であったのは、次の瞬間がっくりと肩を落としてしまった事で分かりました。
「ねえ。アドリアナ」
シーラが言いました。
「なによ」
アドリアナが身構えます。
「私を町に返してくれる?」
「あら? あたしになんて助けてもらわなくても良かったんじゃないの?」
「考えが変わったの。あたし……あたし、本当は、この手でヴェロニカ様を助けたかったけど、必死に私を助けてくれようとするサーザントを見て思い直したの。だって、サーザントは自分の命の次に大切な物を犠牲にしてまで私を助けようとしてくれたんだもん」
それから、シーラはサーザントに向って言いました。
「ありがとう、サーザント。私…あなたの事、魔王の息子だから、魔族だからって絶対認めるもんかって思ってたけど、それは間違ってたみたい」
「……」
サーザントは何も答えられません。なぜならサーザントがここに来たのはシーラを助けるため……と、いうよりはむしろ追い払うためであり、ついでにミリオンとの腐れ縁を切るためであったからです。あくまでも、私欲のためなのです。ですから、こんな結末になるとは予想だにしていなかったわけで……。しかし、シーラはそんなサーザントの心を知るわけもなく訥々と語りました。
「あなたなら私の力なんかなくてもヴェロニカ様を救う事ができるわ。…そうよ、今こそ私分かったの。ヴェロニカ様と勇者様のおっしゃった通り、あなたこそ真の優しさを心に秘めた次の勇…」
「しー!!」
ミリオンが、あわててシーラの言葉を遮りました。
「それは、トップシークレット! アドリアナに聞こえるよ」
「あ…!」
シーラは慌てて口を塞ぐと、横目でアドリアナを見ました。幸いアドリアナは例の宝石に夢中で今の話は聞いていなかったようです。
「ちょっと、あんた!」
シーラは上機嫌のアドリアナに向かって叫びました。アドリアナが無言でシーラを睨み付けます。
「そんなわけだから、早く私を地上に戻してよ」
「ふん、全く可愛げのない小娘ね! 本当なら鮫の餌にでもしてやりたいところだけど……、いいわ。宝石も手に入った事だし、特別『ただ』であんたの願いを聞いてあげる」
そういうと。アドリアナは、真珠のテーブルの上に置いてある鏡を手に取ってシーラに向けました。そして、
「さあ、この鏡一杯に自分の顔が映る程近付いて、帰りたい世界を思い浮かべて」
シーラは、言われた通り、自分の顔が鏡一杯に映る程近付くと、懐かしいサンマリーナの風景を思い浮かべました。しばらくすると、鏡に映っていたシーラの顔が消え、かわりに、あのサンマリーナの古い教会と町並みが浮かび上がって来ました。
「じゃあ、呪文を唱えるわよ!」
アドリアナは、そう言って鏡を持っていない方の手をシーラに向けて広げました。それから、目を閉じて
「フー・ウァー・トルァー・フィート・オン!」
と、叫びました。すると、カカッ…! と、鏡が光を放ち、サーザントとミリオンの目の前で、シーラの姿は陽炎のように揺らめき消えていったのです。




