7.癒してあげる(1)
はい、癒されたいです。癒してください。
もう勘弁してほしい
祥子は苛々していた。
事の始まりは、昼休みに職員室でコーヒーを飲んでいた時のことだった。
祥子が英語の授業を担当しているクラスの女子生徒が「相談したいことがある」と訪ねてきたのだ。
「彼ったら誰にでも優しくて、私もう嫌なんです」
不機嫌そうに言う彼女は、どうやら付き合っている彼氏に不満があるようだ。
不満なのは分かる
でも、なぜそれを私に?
昔からそうだ。
祥子自身は恋愛経験など皆無なのに、友人たちから恋愛相談を受けることが多かった。
幼い頃から大人びた性格の持ち主だった所為もあるだろう。
小学生の時は1人の男子を巡って友人二人が対立し、祥子は板ばさみとなって辛い立場に立たされた。
『しょうこちゃんは私の味方だよね?』
『しょうこちゃん、私どうしたらいいのかな?』
中学生の時はもっと酷い目にあった。
恋愛の話になると『誰が好きなの?』という質問が必ずと言ってはいいほど投げ掛けられ、友人達はこぞって祥子の意中の相手を知りたがった。
『誰でもいいから、気になる人の名前を言って』
誰でもいいって何なの
祥子は心の中で突っ込みを入れた。
そのうち誰かの名前を言わないと仲間外れにされそうな空気になった為、祥子は適当な男子の名前を口にした。
それからが苦難の日々だった。
祥子の友人達は良かれと思ってその男子と祥子の仲を取り持とうと画策し始めたのだ。
祥子は、当然その男子と付き合う気もなかった。
悪ふざけにしか取られないからかいの中、気まずい気持ちで一杯だった当時の祥子は固く決心した。
もう、他人の色恋沙汰には首を突っ込まない
恋愛なんて、私には関係ない
「――阿久津先生?聞いてますか?」
女子生徒の声に我に帰る。
真正面に座っている彼女はまだ不服そうなようだ。
「ああ、ごめんなさい。ちゃんと聞いているわ」
祥子はこめかみを指で押して苛立ちを抑えようと試みる。
そんな話は友人同士でしなさい、とないがしろにも出来ない
自分は教師だ
だが人には得手不得手というものがある。
私に恋愛の相談は…
深いため息をつきかけた祥子の顔の前に、湯気の立つコップが差し出された。
「阿久津先生、まだ昼食を取っていませんよね?そろそろ食べないと」
「…菅野先生」
とうに冷めていたコップを菅野が持って行っていたことに気づかなかった。
新しく入れ直してくれたコップを受け取り、祥子は感謝する。
「ありがとう」
「いえいえ。ほら、あなたも急いで教室に戻らないと」
「はぁい。阿久津先生、聞いてくれてありがとうございました」
「もう大丈夫なの?」
確認する祥子に、その女子生徒は朗らかに笑う。
「誰にでも優しい彼を好きになったのは私だから、頑張ります」
職員室から出て行く彼女の背中を見送る。
…若いわね
今日何回目か分からないため息をついて、事務机の上にある弁当が入った巾着袋を手に取る。
弁当箱の蓋を開けかけた祥子は、隣の菅野に呼ばれて手を止めた。
「祥子先輩は変わっていませんね。恋愛の話になると逃げ腰になるの」
からかうような声に、祥子は憮然とした表情で菅野を見る。
「あなただって色気より食い気の方が勝っていたじゃない」
「あ、そうでしたっけ?私も恋愛には興味が無いというか、男の人が苦手でしたからね」
高校時代の先輩後輩の関係は、今もまだ廃れていない。
気兼ねなく何でも話せる菅野が相手だからこそ、容赦なく毒が吐ける。
「じゃあ何であなたは結婚できたのよ」
そう突っ込むと、菅野は微かに頬を赤らめた。
旦那だけは特別というわけか
「仲が良くていいことだわ」
再びため息をついた祥子に、菅野は照れくさそうに苦笑いしていた。
「へへ、すいません」
しばらく談笑して、次の授業に向かう菅野を見送った祥子は弁当箱の蓋を開けた。
中身を一瞥した祥子は無意識に微笑んでいた。
二段箱の弁当の一段目は白米に鮭のふりかけ。
そして二段目の箱には色とりどりのおかずが入っている。
いつもと変わりないはずだと思っていたのに
二段目の箱の真ん中に鎮座していたのは、猫の顔の型のミニハンバーグ2個。
海苔でヒゲと目と口までつけられている。
英(彼)を飼いはじめてからも、朝食と弁当は祥子が作っていた。
だが昨夜、疲れ気味の祥子を見かねた彼はこう言ったのだ。
『祥子、明日からはゆっくり寝てていいよ。俺が朝ごはんと弁当も作るから』
彼には猫の時にキャットフードと水しか与えていない。
しかもペットに朝昼晩とまで食事の面倒を見てもらうのはさずがに…
そう気後れする祥子に、
『そんなこと気にしなくていいの。早く頷いてくれないと、前言撤回しちゃうよ?』
首を傾げて悪戯っ子のように微笑む彼。
祥子がどちらの選択をしたのかは、言うまでもない。
そう言えば、夜中に何かコソコソやってたわね
『はい。愛情たっぷり込めたから、お仕事頑張ってね』
今朝、誇らしげに弁当箱が入った巾着袋を渡してきた時の彼を思い出す。
「……馬鹿ね」
他の教師達が行き交う職員室の中で、ひとり、祥子は呟いた。
彼の登場があまり無いですね。
次で何かさせようと思います。何か。