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猫時々彼  作者: mia
番外編
56/58

枯れない桔梗

お久し振りです。

時期は“21 その猫、確信犯”と“22 阿久津祥子の試み(1)”の間になります。

お時間がありましたらどうぞ。


 木枯らしが剥き出しの顔を、手を、容赦なく襲いにかかる。

 「寒……」

 まだそこまで冷えないだろうと甘く考えていた自分に後悔しつつ、彼は首を竦める。

 灰色の歩道は赤や黄色の落ち葉に覆われ、鮮やかに彩られている。だが、見上げると曇り空に明るさを与えていた葉はもうほとんど枯れているか、地面に落ちてしまっている状態だ。

 また一枚、風に攫われ、茶色と化した葉がひらりと虚しく落ちた。

 「英?急に立ち止まったりなんかして、どうしたの?」

 「あ――」

 我に帰って顔を上げると、前を歩いていた祥子が不思議そうに見ていた。唇から吐き出された息は白く、街灯に照らされた頬と鼻先は赤く染まっていた。

 今日は揃って休日だった祥子と彼。せっかくなので、と久し振りに街へ出かけていた。昼過ぎに映画を観て、レストランで夕食を済ませ、その後は祥子の買い物に彼が付き合う、という流れ。買い物を終えて最寄り駅まで電車に乗り、彼が荷物を持って二人の暮らすアパートへ徒歩で帰る。今はその途中だった。

 「ううん、何でもない。ちょっとぼうっとしてただけ」

 「そう?」

 うん、と頷いて彼は祥子の隣に並ぶ。

 それ以上は問いかけることもなく、祥子は彼の横顔を眺めた。

 いつもは真っ直ぐに正面を見据えて、意思の強さを滲ませる灰色の瞳が、今は少し頼りなさげに伏せられている。いつもと違う彼の様子に、胸が締めつけられた。彼がこんな表情をする理由はすぐに思い当たる。過去を思い返しているのだろう。つられるようにして、祥子も目を伏せた。

 「季節が巡るのはあっという間だわ。秋が終わって、冬が来る。四季の中で、秋が最も短く感じられるのはどうしてなのかしらね?」

 長い沈黙の後、彼は低い声で言う。


 「嫌い。秋なんか大嫌いだ。短くていいんだよ」


 硬く拒絶する言葉に違う意味が込められているような気がして、祥子は息をついた。

 「……自分の名前なのに?」

 「だからだよ。“(しゅう)”っていう、この名前が嫌いだから、この季節も嫌いなんだ。俺には、こんな名前要らない。必要ないんだよ」

 苦しげに言葉を吐く彼に対し、祥子は立ち止まった。彼も歩みを止めたが、どこか気まずそうな顔をしている。

 彼と向かい合うようにして立った祥子が顔を上げて、灰色の瞳をじっと見つめる。向けられた彼女の眼差しはあまりにも穏やかで、凍てついていた心はいとも容易く溶かされていく。そして彼女は、彼が閉ざしてしまった扉に鍵を差し込む――言葉でもって。

 「私は秋が一番好きだわ。それにやっぱり、あなたには秋が似合っていると思うもの。いえ、そうね……似合うというよりは、似ている、の方が正しいかしら」

 「似ている?俺が?」

 目を丸くして驚いた顔をする彼に、祥子は微笑んで首を縦に振った。


 「秋の天気は変わりやすいでしょう?冷たい風が吹いたり、青空が広がって穏やかな日差しに包まれたかと思えば、真っ黒な雲に覆われて雨が降り出す。曇ったかと思えば、また晴れて―――笑ったり泣いたり喜んだり怒ったり、まるで表情をころころ変えるきまぐれなあなたにそっくりよ」


 そう言うと、彼は不満そうに唇を尖らせて俯いた。

 「なんかそれってさ、あんまり良い意味じゃないよね。俺あんまり嬉しくない」

 「どうして?感情表現豊かな人と一緒にいると、飽きなくていいじゃない。私は好きよ、あなたの素直なところ」

 「うっ…それは反則だって……」

 寒さの為でなく頬を赤らめる彼。けれど、落とした視線の先に視界に入った落ち葉に彼の目は再び曇った。

 「……ごめん、祥子。それでも俺は、秋を好きにはなれないよ」

 彼はしゃがみ込み、地面に散らばって積もっている落ち葉の一枚を拾った。紅葉した銀杏の葉。


 「どんなに美しい色になっても、散った後の葉っぱは見向きもされない。どんなに努力しても、結果的には存在しないものとして見放される。…そう考えてみると、俺はこの落ち葉と同じなのかもしれないね」


 銀杏の葉をくるくる回して眺める彼を見下ろしていた祥子は、ゆっくりと腕を上げた。

 俯いたままの明るい茶色の頭に手を添え、宥めるように撫でる。彼の肩が微かに震えたが、祥子は撫でつづけた。


 「私はあなたを見放したりなんかしないわ。あなたが誰よりも優しくて、努力家で、自分よりも他人を優先するほどお人好しで、綺麗な心を持っていることを、私は知っているもの。私だけじゃない。今あなたの周りにいる人達も皆、きっと同じようにあなたのことをそう思っているはずよ」


 そろりと顔を上げた彼と目が合い、祥子は薄く微笑む。肩上で切りそろえた黒髪を揺らし、彼女は腰を屈めて――彼の冷えた頬に軽く口づけた。

 「しょう、こ…」

 大きく見開かれた灰色の瞳を間近で見つめる。口を半開きにさせている彼は最早言葉にもできないようだった。

 泣きそうにくしゃりと顔を歪め、しゃがんだまま、祥子の腰に腕を回して抱きついた。上着を掴む指が震えているのを衣服越しに感じた祥子は、苦笑しながら手触りの良い、彼の髪を撫でた。


 子供みたいね、とは言わない

 優しい彼は自分の弱い所を他人に見せたがらない。迷惑をかけると思って躊躇する。我慢してしまう。ひとりで抱え込んでしまう

 だから


 「好きよ。あなたの名前も、強さも、弱さも、あなたの全てが好きだから――」


 少しでも彼の支えになれるような言葉をあげたい


 「誰に何と言われようと私は、(あき)(しゅう)が、一番好きよ」


 ぎゅっ、と彼の腕に力が込められた。祥子は通り過ぎる人がいないことに安堵して身を任せる。しばらくそうしていて落ち着いたのか、立ち上がった彼は晴れやかな顔つきで笑った。

 「ありがとう、祥子。――すっかり遅くなっちゃったね。帰ろっか」

 そう言って差し出された手を、祥子は握った。じんわりとてのひら越しに彼の体温が感じ取られる。

 「英」

 「ん?なに?」

 内緒話をするみたいに口に手を添えた祥子に、彼は条件反射で少し背中を傾けた。

 白く華奢な手が捕らえたのは、彼の上着。外気に晒された彼の唇を柔らかなものが塞ぐ。触れるだけのキスで終わらせるつもりだったのだろうが、彼が灰色の瞳を愛おしそうに細め、繋いだ手を外すことなく、滑らかな頬に手を添えて離れかけていた唇を追う。


 「そんなにキミが好きなら、俺も好きになれるかもね。(あき)も、(しゅう)も」


 キミが隣にいてくれるのならば、どんな世界でだって俺は生きていける自信があるよ


 だってキミは、俺が一番欲しいものをくれる大切な人だから


 それはまるで永遠に枯れない


 桔梗を


 fin.


桔梗キキョウ


花言葉


『変わらぬ愛』

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