23.旦那時々猫
色々ぶっ飛んでいますが、最終話です。
猫を拾ってから同じ季節が何度も巡り、華里の町は生い茂った緑と咲き誇った花々に溢れている。そして華里大学附属高校に近い住宅地に、ベージュの壁で赤茶色の屋根の一軒屋がよく日の当たる場所にある。玄関にはシルバーの自転車が置かれており、ドアには表札が掛けられている。それはアルファベットで描かれた苗字を取り囲むように、大人の猫2匹、子供の猫2匹の木製のマスコットが貼り付けられたものであった。
祥子は居間のソファに座って読書をしている。窓から差し込む陽気に眠気を感じて欠伸をすると隣の彼に呼ばれた。
「眠い?少し横になる?」
額に手をあてて熱がないか確認する彼に首を横に振る。
「中途半端な時間に昼寝すると夜困るからいいわ。起きてる」
「そう?無理はしないでね。大事な時期なんだから」
そう言って彼は膨らみを帯びたお腹を優しく撫でてくれる。心地良い温もりに手を重ね、彼の肩に頭をもたれさせると
「たっだいまー!」
「笑子、ちゃんと靴は揃えて脱がないと駄目だよ」
軽やかなソプラノと落ち着いた声が玄関の方から聞こえた。
「無事に二人で帰ってこれたみたいね」
「せっかく二人きりだったのに……。そうだ、猫になろう」
思いついたように呟き、立ち上がった彼を見上げる。
「ちょっと、どうして猫になる必要があるのよ」
「俺だって祥子を独り占めしたいんだよ。それに猫になったら色々できるし」
彼は悪戯好きの少年の如く、輝いた目をしていた。騒々しい足音がどんどん近づいてくる。
「色々って。変なことじゃないでしょうね?」
「えー何それ。違うよ」
心外だな、と唇を尖らせた彼がキッチンに姿を消したのと同時に廊下に通じるドアが開いて小さな影が飛び出してきた。
「ただいまっ、ママ!」
「お帰りなさい、笑子。蘭さん達の言うことしっかり聞けた?」
「うんっ」
「そう。いい子ね」
駆け寄ってきた笑子の明るい茶色の頭を撫でてやる。嬉しそうに笑う笑子は保育園の制服を着ている。
「部屋に行って着替えていらっしゃい。お兄ちゃんはもう着替え終わっているんじゃないかしら?笑子ももうすぐお姉ちゃんになるんだから、しっかりしないと。ね?」
「はぁい。ねぇママ、パパはどこかに出かけたの?」
「台所にいるわ。さっき行ったはずだけど」
小さな体がキッチンに向かい、見えなくなる。しばらくしないうちに戻ってきた。
「いないよ。あ、お兄ちゃんパパ知らない?」
部屋着に着替え終えて読みかけの本を手に居間に現れた兄のもとへと笑子は駆け寄る。
「パパ?知らないけど。2階にはいなかったよ」
淡々と告げ、祥子の隣にゆっくりと腰を下ろして本を開いた。
「お帰りなさい、英秋。今日も学校は楽しかった?」
「うん。算数のテストで満点取れたよ」
「すごいじゃない。後でパパもいる時に見せてね。それと笑子のお迎え、ありがとうね」
さらさらの黒髪を撫でてやると英秋は照れくさいのか頬を赤らめた。
「パパお庭の花に水やりしてるのかな。一緒に行こうよ、お兄ちゃん」
キッチンに裏口があって、そこから出ると庭に通じるようになっている。彼はそこから出たのかもしれない。
「どうして僕も…」
妹の誘いに英秋は嫌そうに顔をしかめる。そんなことよりも本を読みたいようだ。
「英秋、転んだら危ないから行ってあげてくれる?」
「…分かったよ。行くよ、笑子」
母の頼みには弱い。渋々と本を閉じてソファから降り、笑子の手を取ってキッチンに向かう。
「パパー。どこに行っちゃったんだろう?」
「いないね。買い物にでも行ったんじゃないの?」
開け放した窓から聞こえてくる二人の声に耳を澄ませていると、ソファに何かが飛び乗った感触がした。
視線をやるとそこにいたのは
「にゃあ」
喉を鳴らしながら擦り寄ってきた茶色の塊。
「英、意地悪はほどほどにしなさい。あの子達が可哀想だわ」
「にゃ」
聞いているのかいないのか、英は膝の上に寝転がって甘えだす。ふさふさのお腹を撫でれば満足げに目を細めた。
もう、どっちが子供なんだか
「ママー、パパいなかった…」
「すぐ帰ってくるよ。そんなに落ち込むことじゃないだろ」
意気消沈としている笑子に英秋は兄なりに気遣い、手は繋いだままでいる。
何とも可愛らしい二人に微笑み、膝の上でくつろいでいる英をのけて立ち上がった。
「二人とも、おやつがあるから食べなさい。今日は“ふじがや”の葛饅頭よ。パパはいないし、3人で食べちゃいましょう」
「“ふじがや”のお菓子!笑子、パパのも食べる!」
打って変わって飛び跳ねて喜びだす笑子に対し、
「にゃっ!?」
若干焦りを見せる猫一匹。
英秋が踏み台を使って冷蔵庫から箱を取り出してソファの前のローテーブルに置き、お茶を入れたグラスも並べ、祥子が小皿に葛饅頭を分けて、着替え終えた笑子は我先にと食べ始める。
その間、落ち着きなく3人を遠巻きに見ていた英はついにキッチンに駆け込んでいった。
どうやら負けたようね
おずおずと伺うように姿を見せた父親に葛饅頭を頬張っていた笑子が気づく。
「パパ、どこにいたの?」
「ちょっと外に出てたんだ。それより笑子、パパの分の葛饅頭は…」
ローテーブルを囲んで座っていた3人に加わった彼は笑子の皿を見る。動きが固まった。
そこに葛饅頭は既に存在しておらず、慌てて他の2人の皿に目をやるが悲しいことに見事な無であった。
「酷い!全部食べちゃうなんて!俺だけ、俺だけ仲間はずれにして……」
がくりと項垂れた彼は僅かに肩を震わせている。鼻を啜る音がするということは、まあそういうことなのだろう。天真爛漫な笑子は容赦なく突く。
「パパ泣いちゃった」
「いつものことだよ」
「ううっ…」
さらに容赦ない英秋の言葉に彼のめそめそ度がピークに達する。
なんか可哀想になってきたわ
「英、そんなことくらいで泣かないで。ちゃんとあなたの分は取っておいてあるわ」
彼の広い背中をさすってやる。ぱっと顔を上げた彼はテーブルに現れた葛饅頭に口元を緩め、
「祥子優しい!もう大好き!」
お腹を潰さない程度に強く抱き締められた。頬にいくつものキスが落とされる。
「ずるいパパ!笑子もママにぎゅってする!」
対抗心を燃やした笑子が仁王立ちで抗議し、腕にしがみついてきた。彼と同じ灰色の瞳が楽しそうに煌く。
「毎回毎回、よくやるよ…」
英秋はそんな2人を呆れた目で眺めている。大人びた対応に思わず笑みが零れ、隠れた本心を察して手を伸ばす。
「おいで、英秋」
自分に良く似た目が大きく見開き、迷うように揺れた。もう一度促すとそろりそろりと近づいて彼が空けたスペースに収まり、祥子に抱きつく。
彼は仲睦まじい光景に目を細めてその全てを愛しむように守るように包み込んだ。
「英、幸せ?」
「勿論。夢に見てたよりずっと、比べ物にならないくらい幸せだよ」
そして新たな幸せをもたらす命の宿り場に4人の手を重ね乗せる。
「祥子」
後ろから囁きかけられた声に振り向くと彼は潤んだ目をして、陽だまりのように穏やかな笑みを浮かべて見つめていた。
「愛してるよ」
ある日、一匹の猫を拾った。
その猫は人間にもなれる不思議な力を持っていて、なぜか一緒に住むことになってしまった。
彼は料理が得意で、我がままで、甘えたがりだった。
彼は孤独で、自由を求め、自分を大切に思ってくれる人を探していた。
長い長い道の果てに、彼は愛すべき人と出会うことができた。
でも彼の歩く道はそこで終わりではない。
共に歩む存在が1人、また1人と増え、その度に見える景色は変わっていく。
道はまだまだ続く。
疲れたら立ち止まればいいし、戻ることは不可能だけれど振り返ることはできる。
彼はもうひとりじゃない。
愛する人たちと笑い合いながら、今日も歩きつづけている。
私と彼だけの秘密。
それは
猫時々彼
fin.
今まで読んで下さってありがとうございました。
どうにかこうにかして書き終えることができ、ひと安心しています。
長男の英秋はツンデレ王子、長女の笑子はパパを泣かせるのが趣味のお転婆さん、など設定はたくさんあるのですが……。
いずれ番外編で書こうかな、と思っています。
miaの戯言にお付き合いくださり、ありがとうございました。




