20.彼のお願い
※ここからR15に該当しますのでご注意ください。
結局夕飯はカレーライスになった。まだ何も食べていないという彼の分も作り、二人で食べた。
会話もそこそこにして祥子は彼に片づけを任せて風呂に入ることにした。
ラベンダーの入浴剤の香りに包まれ、湯船に身体を沈めた祥子はひとり息をつく。
なんか変わり映えしないというか何というか
普通、あの雰囲気で『ご飯食べた?』なんて聞くものなの?
…私が高望みし過ぎたのかしら
釈然としない気持ちを抱きつつ、手っ取り早く髪を乾かして彼を呼ぶ。
「英。お風呂もういいわよ」
居間にいる彼を呼んだはずだったのだが、とことことやって来たのは
「にゃあ」
茶色の塊に瞬きを数回繰り返す。彼は猫になっていたのだ。
「…どうして猫になるの?前は1人で入っていたじゃない。急にあなたがそうしたいって言いだしてからずっと」
なぜなのか理由は分からなかったが、あの時の彼はあまりにも切羽詰った様子だったから、祥子はただ頷くしかなかった。
「に…にゃー」
そ、そうだっけ。とでも言いたげな鳴き淀んだ(?)声と居所が落ち着かない視線。
「まぁ…あなたがそうして欲しいんだったら、別にどっちでも構わないんだけど」
「にゃっ」
語尾を跳ね上げて嬉しそうに鳴いた英は腕を組んで見下ろす祥子の足にじゃれつく。
そんな英を抱き上げた祥子は浴室に行き、桶に湯船の中のお湯を入れておいてから石鹸を自分の手で泡立てる。一方、英は自力で桶に身体を入れ、ちんと待つ。
「そのままじっとしていなさい。目を開けちゃだめよ。染みると痛いんだから」
そう注意してがしがしと茶色の毛を揉み洗う。泡でもこもこになった英は薄目になってされるがままにされている。
「洗い終わったわね。あとは乾かさないと……」
ラベンダーの香りが着ている部屋着にも移った頃、祥子は濡れ鼠状態の英の頭を撫で、膝立ちの体勢のままシャワーヘッドにかけてある彼のバスタオルを取ろうと手を伸ばした。
英から視線を外したのはその一瞬だ。
え
腕を引っ張られたと思ったら茶色ではなく白色が目に飛び込んできた。
さっきまで見下ろしていた灰色の瞳が見上げる立場に変わったと気づくと同時に、顔が熱くなる。
「ちょっ、いきなり何で――」
「帰ってきたら俺のお願い、聞いてくれるって約束したよね?」
タイルの上に座って祥子を抱っこしている彼は髪から水を滴らせながら真剣な表情で呟いた。
誤魔化しようもない気配を滲ませる彼に、祥子は頷く。
「ええ、確かに約束したわ。したけど…あなたの願いって何なの?」
祥子を抱きかかえる腕に力が込められる。白いシャツに彼の濡れた体が張り付き、その逞しい線が露になっていた。
これはこれで目のやり場に困る
服を着たままなのは彼なりの配慮なのだろうが、スーツはクリーニングに出さなければいけないと祥子は無意識に考えていた。
だが、次に彼が発した言葉で一気に頭の中が真っ白になる。
「祥子が欲しい」
視線をあらぬ方向へ向けていた祥子は硬直した。最早湯気の所為ではなく、耳まで真っ赤に染まる。
「駄目?」
答えをくれない祥子に彼は不安そうに尋ねた。まるでお預けをくらわされている大型犬のようだと思った。いや、彼は猫だけれども。
無理に強いろうとはしないらしく、じっと待っている彼。駄目と言えばすんなり受け入れそうではある。
「駄目じゃないわ」
口をついて出たのは了承の言葉。言ってから重大なことを忘れていたと気づいたが、時既に遅し。
「んんっ!」
貪るようなキスに襲われ、一言も発せなくなった。彼の腕が腰に回されたかと思うと股の間に座らされ、更に深くと迫る彼の唇に腰が引ける。
祥子は自分の服が水で濡れていることすら分からないほど焦っていた。彼の胸を押し返そうと試みた手は虚しくも押さえ込まれ、背中には浴室の扉が当たって逃げ場がない。
「ま、待って。明日仕事……って話を聞きなさい!」
耳を甘噛みして更に舌まで差し込んできた彼に祥子は非難の目を向けた。ねっとりした感触に体が震え、取り返した耳を強く擦る。
気を悪くした風でもなく彼は飄々と言ってのける。
「俺も明日から行くけど、もう止められないよ。腰が立たなくなるまではしないから。……多分」
「間を空けて多分って何…!」
抗議しかけた口は再び塞がれ、今度は彼の手も祥子を求めるように動き出す。
痺れる感覚に溺れていく祥子はもう何も考えられなかった。激しくも繊細な愛撫に応えようと、遠慮がちに彼の首に腕を回した。
気がついたらベッドの上に押し倒されていた。着ていた部屋着はいつ脱がされたのか分からないが、床に散らばって落ちているのを視界の隅に捉えた。
軋んだ音とともに、シャツの前のボタンを全て開けた彼が覆い被さってくる。肩を押さえつけられて身を捩じらせてみても、彼には誘っているようにしか見えないとは思いもしない。
不本意ながらこっちも本気で嫌がってはいないと彼も察してくれていた。
「ちょっと待ってて」
身体を離した彼が自分の黒いボストンバッグから何かを取り出し、サイドデスクに無造作に放られたものを確認して唾をごくりと飲み込む。
ほ、本当にするのね
未知の領域に硬直していると目の前に彼の左腕が現れた。右手で左肩を掴まれて仰向かせられ、
「愛してる」
胸の奥を疼かせる囁きのあと、甘い口づけが再開された。
彼は優しかったけれど優しくなかった。矛盾しているかもしれないがそうだったのだ。初めてだったからよく分からなかったからなのかもしれないが。
『声、我慢しないで。俺に聞かせて』
最中に耳元で吐息を伴って囁かれた言葉に歯を食いしばる。淫らな声が漏れてくるのがどうしようもなく恥ずかしくて首を横に振った。
『いやよ。絶対、いや…』
明かりもない部屋ではどんな表情をしているのかはっきりとは分からないはずなのに、彼は表情だけでなく心も見透かしてしまうのか、苦笑されてしまった。
『でも逆に辛いでしょ?声出した方が楽だと思うけど。うーん……あ』
考え込んでいた彼は不意に目を輝かせた。妖しい光を帯びた瞳に嫌な予感がしたのは言うまでもない。
『分かった。キミがもう我慢できないくらい、俺もっと頑張るから。覚悟してね?』
カーテン越しの街灯の明かりに照らされたその笑みは実に清々しく、いっそ清々しすぎて悪魔のようだったと、声にもならない声を上げて意識を失う直前、祥子は思った。
英が暴走するのを止めるのに必死なmiaでした。
……大丈夫、ですかね?すごく不安です。




