19.離さない
『……抱いて』
祥子の口から零れた言葉に思考が停止した。
彼女を安心させられるなら良いんじゃないかと思ったけれど、即座に否定した。
今望みを叶えたとしても、それは不安を紛らわせるための行為に終わる。お互いを縛める鎖になってしまう。
それだけは嫌だった。煩わしい疑念など無しに心から愛し合えるまで大事にしておきたかった。
そう素直に打ち明ければいいのだろうが、祥子は黙り込んでしまい、目を合わせるどころか顔すら見てくれなくなった。
怒らせた、かな
普段の彼女だったら有り得ない言動。思い返せば思い返すほど、一時の気の迷いだったのか、それとも本気でそう思ったのか、どちらなのか分からなくなる。
そうこうしている間に部屋に着いてしまい、まだ昼前なのにも関わらず祥子は着替えもせずにベッドに向かった。
止める隙も与えず、毛布を頭から被って横になってしまう。
俺は取りあえず肩にかけていたトートバッグをソファに置いてからベッドの端に腰を下ろした。
振動を受け、毛布に包まった身体があからさまに自分を避けようと動き出したのを進路方向に手をついて妨げる。
「そのまま寝たらスカート皺になるよ」
忠言するが返答は無い。微動だにもしない。
毛布に手をかけるとかなりの力で拒絶された。
「…ちょっと」
再度試みるが亀よろしく甲羅という毛布に閉じこもり続けている。
このままにはしておけない。色んな意味で
痺れを切らした俺は毛布を剥ぎ取った。目を丸くした祥子の顔の真横に両手をついて動きを封じる。
押し倒す格好になっていることについてはあまり深く考えない。
「ちゃんと俺の顔を見てよ」
不機嫌さを滲ませた声で言っても祥子は目を泳がせ、長い睫毛を震わせて下ろしてしまう。
柄にもなく苛立ちを覚えて強引に顔を自分に向かせた。すると逆に挑むように睨みつけてきた。
「離して」
冷たい口調で突き放され、こっちも逆に燃えてきた。
「離さない」
肩を抑えつけて顔を近づけると祥子は口を引き結んで顎を引く。
その瞳に怯えが混じっていることに気づいた俺は苦いものを感じて、腹の底から息を吐き出した。
どうしてこうなったんだろう
俺は祥子を大切にしたいから今はまだ抱かないと決めている。
これだけは何があっても折れるわけにはいかない。
不意に祥子が小さな声で何かを呟いた。
聞き返すと
「私の事、軽蔑した?嫌いに、なった……?」
震える声が、向けられた視線が、胸を締め付けた。
「嫌いになんかなるわけない。軽蔑もしてないし、むしろそうされて当然なのは俺の方なのに」
ほっと安堵した表情になった祥子がいつもより幼く見えて可愛いと思った。
本当に、手放したくない
「俺を信じて。ここに帰って来てドアを開けて、祥子の笑顔に迎えられる。俺が望んでるのはそれだけなんだ」
赤い唇がわななく。何かを言いかけ、迷うように口を閉じ、そして開く。
「あなたを信じるわ。帰ってくるまで待ってる。ずっと待ってるから」
『あなたが望んでいるのはそれだけなの?』と決して口にはしない彼女が愛おしくて堪らない
それを言われたら理性も自制心も弾け飛んでしまうから
キミはいつだって俺の気持ちを一番に分かってくれる
「ごたごたして連絡も取れなくなるけど3週間もかけない。すぐに帰ってくるから、その時は俺のお願いを聞いてくれる?」
祥子は頷いた。何を願うのかは聞かない。
俺は口元を緩めて女性らしい甘い香りがする髪を梳き、肘をついて顔を寄せる。
赤く染まった目元に触れた指を頬に辿らせると祥子は目を閉じた。
明日が来るまで、こうしていたい
自分で自分の首を絞めているとしても、キミへの気持ちに比べたら何てことない
「ありがとう」
雲の切れ間から覗いた太陽がベランダの窓越しに、ベッドの上で寄り添って眠る二人を照らす。
それは二人だけの時間を邪魔しないように、とても、とても優しいものだった。




