その猫、酔いどれ
「ただいま。遅くなってごめんなさ…」
ドアを開けて中に入った瞬間、祥子は異変に気づいた。
玄関の電気が点いていない。
そして英がいない。
いつもだったら英が出迎えてくれるはず
彼なら「お帰り、寂しかったよ」とか「俺ちゃんと良い子にして待ってたよ。褒めて褒めて」とか言いながら抱きついてくるはずなのに
居間でテレビでも観ているのかと思ったが静かなのでそうではないようだ。
「英?いないの?」
明かりの点いている居間に向かった祥子は目にしたものに一瞬思考を停止させる。
部屋の中央に置かれたローテーブルには、ビールやチューハイなどの缶やおつまみが所狭しと置かれている。彼が仕事の帰りに買ったのだろう。
その中で微かに動くふわふわの猫っ毛。つまり、彼はテーブルに突っ伏して酔い潰れていた。
全く…
祥子はため息をついて彼の隣に膝をついて肩を揺する。
「英、起きて。こんな所で寝たら風邪引くわよ」
「んん…しょう、こ…?」
薄っすらと目を開けた彼は祥子が帰ってきたことに気がついて締りの無い顔をする。
「やっと帰ってきたぁ。しょうこぉ…」
「きゃっ!?」
がばっと勢い良く抱きつかれ、ワインレッドのカーペットを敷いた床に背中から倒れこんだ。
祥子が頭を打たないように腕でカバーする辺りは、酔っていても抜かりない。
…って、感心してる場合じゃないわよ、私
「お酒臭い。飲み過ぎよ、英」
とろんとした瞳の彼に押し倒された格好のまま、祥子はただ呆れる。
「だって、しょうこ遅い。迎えに行くの禁止されてるし、ここで待ってるしかできないんだからさぁ」
だらしない口調で不満を述べる彼の頭を、祥子は優しく撫でてやる。
「しょうがないでしょう?学校にまで迎えに来たら生徒達に何を言われるか分からないわ」
「んん…」
アルコールが回って眠くなったのか瞬きの回数が多い。
「もう寝なさい。片付けは私がやっておくから」
祥子は英の肩を押して就寝を促す、が――
「祥子」
胸の奥を疼かせるような、低くて甘い声。
猫なで声とはまた違う、何かを誘う魔力を持つ響き。
「す…」
英
そう呼ぼうとした口が熱くて柔らかいものに塞がれた。
最後にビールを飲んだのだろうか。苦い味が口内に広がる。啄ばむだけの口付けから彼の舌が割って入って中を行き交う。
「んんっ…」
両手首を床に押さえつけられた祥子は顔を左右に振って逃れようとする。
「逃げたらダメ」
祥子の髪をそっと撫でて深いキスを続ける。
もう頭がおかしくなりそう
「祥子、愛してる…」
そう呟いて彼は祥子の上に、
……え?
倒れこんだ。
何やら健やかな寝息が聞こえてくるのは気のせいか。いや、気のせいではない。
「英?」
重い頭を胸の上に乗せたまま上体を起こしてみる。
「…寝てるわね」
深いため息を吐き、祥子は明るい茶色の髪を撫でた。
またたびで酔ってる猫の方がまだマシね
「むにゃ…しょう、こ…」
幸せそうな笑みを浮かべて眠る彼を見下ろして、祥子は微笑んだ。
――やっぱり、これでいいのかも
「お休みなさい。英」
祥子は無防備な彼の頬に、そっとキスをした。
シリアスになる前に甘いものを書いておきたかったんです。




