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猫時々彼  作者: mia
本編
35/58

15.その猫、ギャルソン(2)


 男性しか働いていないカフェ“Un chat noir”に新しいギャルソンが雇われた。

 その噂を聞きつけた女性客が続々と来店し、彼が現れるのを今か今かと待つ。



 『結構楽しいよ。制服も格好良いし』

 確かに彼が言うとおり、この店の制服は白いシャツに黒いパンツとベスト、磨き上げられた革靴、膝の下までの長さの黒い腰掛けエプロンとレベルが高い。

 そしてギャルソンである彼は加えて黒いネクタイを締め、その姿は菅野曰く『液晶から飛び出してきた奇跡のイケメン』らしい。

 のどかな町にどうしてこんなカフェがあるのか。甚だ疑問かもしれないが、全てはオーナーの姉の単なる趣味から始まったのだった。

 『美しいもの、可愛いものを愛でて何が悪いの?』

 彼を雇うことに反対していたオーナーに彼女はずばり言い切った。補足するとその観賞対象は男だけだ。

 結局姉に逆らえないオーナーは渋々了承し、彼がギャルソンとしての仕事をこなせるよう指導することに決めた。

 数日間の研修を経て彼は基礎的な所作は勿論、様々な種類のお茶の入れ方をマスターした。彼の飲み込みの速さには周囲も驚いていたようだ。



 彼の料理の腕前を日頃からよく知っている祥子だが、優雅にお茶をカップに注ぐ様をいざ目の前にすると――


 文月の気持ちも分からなくはない


 菅野と言えば彼が研修中の間に祥子を食事に誘って強引に連れてきたことがあった。

 噂のギャルソンを務めている彼を見つけるや否や、菅野は

 『“かしこまりました、お嬢さま”って言ってくれませんか!?』

 鼻息荒く迫る後輩に祥子は二の句もつげなかった。


 ……違う店でしょ、それ


 一方、彼は驚いたように目を見張っていた。いきなりそんな注文をされれば誰でもそうなる。他の従業員達も苦笑していた。

 しかし祥子は気づいた。彼の顔が色を失くしていたことに。

 どうかしたのかと問いかける前に、彼は営業用の笑みを浮かべて

 『申し訳ありません。当店ではそのようなサービスは行なっておりませんので。失礼いたします』

 一礼して厨房に戻っていく彼の背中が僅かに強張っていたのを、意気消沈している菅野を宥めていた祥子は気づかなかった。



 そして現在に戻る。

 遅めの夕食を終え、祥子は店の裏で彼を待っていた。

 『もうすぐで終わるから待ってて。一緒に帰ろ』

 食事を終えた祥子のそばに来た彼は耳もとでそう囁き、返事も聞かずに他の客がいるテーブルに注文を受け付けに行ってしまった。


 全く、勝手なんだから


 空のダンボール箱が積み重ねられているのをぼんやりと眺めていると、制服から私服に着替えた彼が裏の入り口から出てきた。

 灰色のTシャツにスタイリッシュな赤茶色のパンツ、そして薄い水色のカーディガンを羽織っている。

 外出用の服が必要になるだろうと考えた祥子が彼を連れてデパートに行き、買ったものの一部だ。

 窮屈でなく、緩い格好を好む彼だが何を着ても似合ってしまう。

 「祥子。ごめん、待たせちゃって」

 「お疲れ様。別にそんなに待ってないわ。それより今日は片付け手伝わなくてもいいの?」

 「うん。オーナーが…」

 急に口を閉じた彼は嫌そうな顔をする。

 また喧嘩でもしたのだろうかと祥子が不安そうな表情で見ていた。

 「……“仔猫ちゃんを家まで送り届けるのも仕事のうちだよ。君が行かないんだったら僕が行くけれど”って。俺、あの性悪オーナー嫌い」

 むすうっとしたまま彼が歩き出し、祥子は隣に並んで歩く。

 街灯に照らされた彼の横顔を見上げた。

 真っ直ぐに前を見据える彼に、仕事中の彼を重ねる。


 何だろう

 彼の新しい一面を見つける度、妙な胸騒ぎを覚える

 彼との距離が近づけば近づくほど、無性に怖くなる


 「祥子?やけに静かだね。眠くなっちゃった?」

 顔を覗きこむ彼に対し、祥子は我に帰って首を振った。

 「眠くなんかないわ。ちょっと考え事してただけ…」

 視界に陰りが入る。自分の頬に触れる彼の手に意識を逸らした直後、唇に仄かな温もりが宿った。

 触れ合うだけの軽い口づけを交わし、彼は祥子の手を取って指を絡める。

 「残念。おんぶしてあげようかと思ったのに」

 からかうような声に祥子は恥ずかしくなり、少し視線を落として足を進めた。

 「おんぶなんて……子供扱いしないで」

 「あ、お姫さま抱っこの方が良い?」


 そういうことじゃない


 こんな風に、彼と他愛もないことを言い合う日がずっと続くと思っていた。


 けれど私は何も知らなかった。分かっていなかった。


 彼自身の口から無理やりにでも聞けば良かった。

 そうすれば……いや、そうしていたとしても同じだったのかもしれない。


 不穏な影はもうすでに、二人の穏やかな日常を覆い始めていたのだから。



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