雨のあと
「は、くしゅんっ」
手元に置いたティッシュ箱から一枚引き抜き、鼻をかむ。
本格的に風邪を引いたわ
気だるい身体を持て余して息をつく。背中を丸めてじっとしていると
「祥子、ちゃんと寝てないと駄目だって。治るものも治らないよ」
キッチンから現れた彼がまるで母親のような口調でたしなめた。
「だ、だって…」
体操座りでいた祥子は顔を埋めたまま視線だけ上げる。
こちらをおずおずと伺ってくる彼女の仕草に、彼は一瞬動きを止めた。
「…可愛すぎる」
「え?何か言った?」
「……いや、何でもない。お粥作ったんだけど食欲ある?」
彼は気を取り直すようにキッチンに顔を向ける。
その頬がほんのり桜色に染まっていることに祥子は気づいていたが、胸の内に仕舞っておいた。
「ええ。大丈夫よ」
「じゃあ持ってくるね。ちょっと待ってて」
そう言って再びキッチンに姿を消す。
さほど時間をかけずに戻ってきた彼はベッドの端に腰掛け、1人用の土鍋とお椀を載せたお盆を膝の上に置いて器用な手つきでお椀にお粥をよそう。
梅干と細かく刻んだネギが混ぜ合わせられ、美味しそうな匂いに待ち遠しくなる。
「ありがとう」
祥子は受け取ろうと手を出した。だがそのお椀が渡される気配が一向にない。
冷ましてくれてるのかしら?
取りあえず待つことにした祥子が見守る中、彼はお粥をひとさじすくって息を吹きかける。
……この流れはもしかして
先が読めてしまうほど彼の行動に慣れてしまった自分を恨めしく思う。
波風が立たないように事前に阻止すべきだと考えた祥子は口を開いた。
しかし彼は間髪入れずに事を成す。
「はい、あーん」
期待に満ちた眼差しとともに差し出されたスプーン。
祥子は言葉も無く凝視する。
ど、どうしたらいいの
あんなキラキラした目で……断ったら絶対落ち込むわ
「祥子?もう熱くないから食べれるよ?」
不思議そうに尋ねる彼の手は引かない。祥子に自分で食べてもらう、という選択肢がきっと存在しないのだ。
こうなったら、もうどうとでもなれ
半ばやけくそに食らいつく。出だしは好調だ。だが問題はここからだった。
……この後どうすればいいの
口の中にお粥とスプーンが滞在している。咀嚼するにはスプーンが邪魔だ。
…ここは私が動くべき?
ひとまずスプーンをくわえたままで彼の顔を見る。さっきから静か過ぎるからだ。
祥子の目に映ったのは、空いているもう一方の手で口元を覆う彼。
その顔は真っ赤だった。
驚いた拍子に口からスプーンが出て行く。
祥子はお粥を味わいつつ彼の額に手を伸ばした。途端、彼の肩が大きく跳ねる。
予想外の反応が返ってきて動揺した祥子はお粥を飲み下す。
「ご、ごめんなさい。熱があるんじゃないかと思って…」
遠慮がちに、かつ気遣うように、柔らかな茶色の髪に隠された額に手を添えた。
熱は…無いみたいね
ほっと一安心して手を離した祥子は俯いてしまった彼を覗き込む。
「英?どうしたの?」
灰色の瞳とかち合った。その輝きが異様なくらい妖しげで、思わず怯んだ祥子は更に後頭部を押さえ込まれて声を上げかける。
そんな無防備な唇に彼は豪快にかぶりついた。
喰われる
危険信号が体中に鳴り響き、咄嗟に彼の顔を力一杯押しやった。彼の方から呻き声が漏れた。
「………祥子、酷くない?俺泣いちゃうよ」
整った顔が見るも無残に可笑しい事になっているが、祥子は気にしていられない。素早く彼との距離を空ける。
「いきなり何するのよ!こんなの…風邪がうつったらどうするの!」
「だってキスしたかったんだもん。めたらやったら可愛すぎる祥子が悪い」
頬を膨らませて拗ねる彼に、照れるのを通り越して最早ため息しか出ない。
「私のことを可愛いなんて言うのはあなただけよ。明日にでも眼科に行ってきたら?」
皮肉満載の言葉を投げ掛けてやる。これで少しは懲りてくれるだろうと確信した。
確信したはずだったのだが、
「そんなの当たり前だよ。祥子の可愛い所を俺以外の誰かが知るなんて、死んでも嫌だ」
真顔で言わないでよ
もうどうしていいか分からなくなった祥子は、とにかくただ、お粥が冷えないうちに食べきれるかを心配した。
お粥は冷えないうちに美味しく頂きました。
ごちそうさまでした。miaは味塩を摂取しに行ってきます。




