2.猫⇔彼
いきなり非現実的な展開になっちゃいます。
鳥の鳴き声が微かに聞こえる。
いつもと同じ時間に、設定された携帯のアラーム音が鳴り響く。
ベッドのサイドデスクに置かれている携帯。
祥子は無意識に手を伸ばして携帯を探る――が、なぜか無い。
…どうして?
疑問に思っているうちに携帯のアラームが独りでに鳴り止んだ。
…アラーム切れるの早くない?
薄っすらと目を開けた祥子がまず目にしたものは、茶色の塊。
手触りの良さそうな毛並みに、寝ぼけながらも触れる。
心地良い感触に満足しつつ視線を落とすと、黒というよりは灰色がかった瞳とかち合う。
更に視線を落とすと形の整った鼻と、口角がきゅっと上がった口元に目が行った。
まだ視界が覚束ないのか、全体的に肌色に見える。
……肌色?
私はまだ夢を見ているのだろうか
いい加減起きないと、遅刻してしまう
眠り続けようとする脳を叩き起こそうと力を込めると、眉間に皺が寄る。
「朝だよ。起きて、祥子」
……今の声は何
明らかに人間のものだった。
そして男の声。
再び薄っすらと目を開けると
「まだ眠いの?…可愛いなあ」
え?
祥子はくわっと目を開けた。何が何でも開けざるを得なかった。
目を開けた瞬間――
「起きて、祥子」
頬に温かくて、柔らかいものが触れた。
はあっ!?
祥子は飛び起きた。
「あ、やっと起きた。おはよ」
可笑しそうにしている男は、馴れ馴れしくも図々しくも祥子の隣で添い寝をしていたようだ。
寝返りを頻繁に打つのでセミダブルのベッドを購入した為、二人で寝る分にはギリギリセーフ、
なわけないに決まってるでしょ!
「あなた誰!?」
上体を起こし、明るい茶色の髪を無造作に掻きながら、男は呑気に欠伸をしている。
その手には祥子の携帯が。
「返して!」
問答無用で携帯を奪い返し、真っ先に最初に(け)がつく機関に電話を――
「どこに電話する気?」
細くて長い指に操作を阻まれた。
あどけない少年を思わせる表情で、男は首を傾げている。
母性本能をくすぐりそうなタイプだ。
だが生憎、今の祥子に母性本能を期待するのは無理だ。
「警察に決まってるでしょ!あなたを住居不法侵入罪で訴えるわ!」
男の鼻先に人差し指を突きつけると、彼は心底不思議そうな顔をする。
「え?祥子が俺をここに連れてきたのに」
「冗談はやめて!」
ベッドの上で後ずさる祥子に、彼は人懐こそうな笑みを浮かべて
「昨日は助けてくれてありがとう。お陰で命拾いしたよ」
更に距離を詰めようとして来る。
祥子は顔を引きつらせて首を振るしかない。
「私はあなたを助けた覚えは無いわ!」
「覚えてないの?」
少し不安げに呟く男を無視し、祥子は周囲を見回してあることに気づいた。
英がいない
「英?英はどこに…?」
「ん?ここにいるよ?」
当然と言わんばかりに右手を上げる彼。
「馬鹿言わないで」
祥子は一蹴してベッドから出る。
警察に届け出るのは後だ
英を探さなければ
「本当だってば。信じてくれないのも無理は無いけどさ」
半ば苦笑しつつ後をついてくる彼に苛立ちを隠せない。
祥子は振り返ってドアを指し示す。
「ここから出て行って!今すぐ!」
最初から何も無かったことにしよう
祥子は軽い頭痛に歯を食いしばり、目の前の男を見据える。
ところが、
「嫌だよ。俺、祥子のこと気に入っちゃったもん」
邪気無く笑う彼に、怒りよりむしろ脱力感を覚える。
期待は裏切られた。
はい分かりました、と素直に出て行く気もなかったようだ。
「…英を返して。どこにやったの」
きっと睨みつける祥子。
彼は困ったように頬を掻いて、
「しょうがないなぁ」
ベッドにある毛布を頭から被った。
何。何を始めるの、この男は
次の瞬間、毛布の中の男が消えた。
音も無く毛布が床に落ちる。
「…え?」
嘘
慌てて毛布をめくり上げると――
「にゃあ」
そこにいるのは確かに英だった。
あの男が、英に…?
「じ、冗談でしょ…」
真っ直ぐに英から見上げられた祥子は毛布を床に落とし、英に背を向ける。
有り得ない
鶴の恩返しならぬ、猫の恩返しというもの?
そういえば昔そんな映画を観たような…
考え込む祥子に、背後から忍び寄る人影。
「ねえ、信じてくれた?」
「きゃあっ!?」
いきなり至近距離で顔を覗きこまれて悲鳴を上げた。
[彼氏いない暦(26年)=年齢]の祥子は、年の近い男性が苦手だ。
この男(英?)は外見からして、背は平均男性よりだいぶ高いが、自分よりも2歳くらい年下といったところだろう。
つまり彼は、祥子の最も苦手とする可愛い後輩的ポジションに位置する男だ。
人。いや、猫か。
違う。人が猫になるなんて、そんなの不可能よ
漫画やアニメではよくある話かもしれないかもしれないけれど
だからといって、人が猫になって、その猫が人になるなんて……
有り得ない
「――ねぇ」
再び考え込み始めた祥子を、彼は甘えるように呼ぶ。
所謂、猫なで声。
嫌な予感を感じながらも、祥子は彼を見る。
彼が続けて放った言葉は、これからの祥子の人生を大きく変える始まりとなる。
否、すでに始まっていたのかもしれない。
彼は妬ましくなるほど麗しくも爽やかな笑みとともに、こう言った。
「俺を飼ってくれるよね?」
と。
果たして英は(け)の名のつく機関に飛ばされてしまうのでしょうか?