8.紫陽花のキミ(4)
「紫陽花の―」はここで終わりです。
そんなこんなのやり取りを終え、祥子はやっと一息ついて屋台を歩き回ることができた。
隣には終始にこやかな彼がいるが。
何が楽しいのか彼は目にするもの一つ一つに目を輝かせて反応する。
例えば、綿あめの屋台の前まで来た時――
「あのピンク色の雲何!?棒が突き刺さってるよ!?」
そんな彼に、すれ違った小学生でさえ引いているようだった。
実を言うと祥子もやや引いていた。
リアクションが大げさ過ぎでないか
まるで初めてお祭りに来た小さな子供じゃない
初めて……?
「ねえ。そうじゃないとは思うけど、もしかしてあなたお祭り初めてなの?」
祥子が買ってやった綿あめを手でちぎって口の中に放り込んでいた彼は動きを止める。
「え…」
灰色の瞳が動揺したように揺れた。祥子は直感的に、聞いてはならないことを聞いてしまったと悟る。
「ご、ごめんなさい。今のは聞かなかったことにして」
表情に陰りを見せた彼に慌ててそう言った。
時々
時々、彼はこんな顔をする
胸をナイフで深くえぐられたみたいに、その傷口をさらに踏みにじられて広げられたみたいに
とても、とても痛々しくて見ていられない
彼の顔を見ようとしないまま、祥子は雑踏の流れに乗って歩き続ける。
「……っ!?」
思わず足を止めかけたのを堪えた。
手を、握られている
頬が焼けるように熱い。顔だけでなく、体全体が熱くなっていく。
異性と手を繋ぐのなんて中学生のフォークダンス以来。
それでもこんなに意識はしなかった。
な、何で…?
ぴくりと祥子の指が動く。するともっと力を込めて握られた。
人ひとり分位あった2人の距離は、いつの間にか肩が触れ合うまでになっている。
「……初めてだよ」
ぽつりと呟いた彼。持っている綿あめをじっと見ている。
「こういうお祭りがあるっていうのは知ってた。餓鬼の時に本で読んだだけ、だけどね」
「何よ、それ…」
信じられない、と言いたげな祥子を横目で見た彼は笑う。
「だからすごく嬉しいんだ。初めての屋台を誰かと…祥子と一緒に楽しめて。本当に、ありがとう」
作られたものではない、心からの笑顔を向けられた。
ぎゅっと胸が締め付けられた気がして、祥子は空いている方の手で押さえる。
何かの病気かしら、これ…
「うん、この綿あめ美味しいね。祥子も食べる?」
いつもの調子に戻った彼はピンク色の雲を差し出す。
祥子はその雲越しの笑顔を見つめ、引き結んでいた口を開く。
精一杯の勇気を持って。
「甘いものも良いけど、たこ焼きとか焼きそばも食べたいわ。こうなったらとことん制覇するわよ」
彼の手を引く。まずはヨーヨー釣りの屋台を指差した。
「私あれがやりたいの。もちろん付き合ってくれるわよね?そもそもあなたが行きたいって言い出したんだから、ちゃんと最後まで責任取りなさいよ」
上から目線で言ってやる。彼を気遣わせないように。
祥子の言葉に彼は目を丸くしていた。
一瞬言い方を間違えたかとうろたえたが、抑え切れなかったのだろう彼の高揚が目に見えて現れ、祥子は無意識に口元を緩めた。
「祥子、俺泣きそう!」
「よそ見してると切れちゃうわよ。集中しなさい、ほら」
ヨーヨーを4個も釣れて感極まる彼を見ているのは面白かった。
横にいた男の子達から羨望の眼差しでもって“師匠”呼ばわりされて、照れながらも技を伝授し、店のおじさんにまでお墨付きをもらった彼は傍観していた私を見上げて「褒められちゃった」と満面の笑みを浮かべていた。
それはもう嬉しくて楽しくてしょうがないといった顔で。
ただ、金魚すくいで舌なめずりしていたのは、猫の本能なのかしら
…まあ、楽しめたから良いとしよう
――誰かと行く祭りは案外捨てたものじゃない。
星が輝く帰り道、繋いだ手から伝わる温もりを意識しながら、祥子は心の中でそう思った。
彼の生い立ちについては色々考えています。
話に出てくるのはまだまだ先ですが。
どうか気長に、彼の謎にお付き合い下さいませ。




