1.猫を拾いました
R15指定になっていますが、連載のだいぶ後半で該当するようになるかも、と予想してのことです。一応念のために指定しているだけですので、あまり気になさらないで下さい。
緑と花に囲まれた、自然豊かな場所に立地している華里大学付属高校。
阿久津祥子はそこで英語教師として働いている。
祥子が一人暮らしをしているアパートは、職場から徒歩で15分。
仕事を終えた祥子は、川沿いの桜並木の道を通って自宅に向かう。
今日の晩御飯は何にしよう
冷蔵庫にまだ昨日の残り物があるから、それで何か作ろうかしら
黙々と歩きながら、祥子は思考を巡らす。
考えがまとまる頃には、アパートの前に着くのが日常。
この日も、いつもと同じ帰宅風景が続くはずだった。
が、
「…あれ何かしら」
草の茂みに、くすんだ茶色の塊が見えた祥子は足を止める。
ここは学生達の通学路でもある。
誰かがゴミでも捨てたのだろうか。
「しょうがないわね」
祥子はため息をつき、肩で切り揃えた黒髪を揺らした。
拾って家で処分しよう
そう考えながら、その茶色の塊に近づいた祥子は目を丸くした。
「え?」
それはゴミではなかった。
微かに動いているそれは――
「……猫じゃない」
茂みに埋もれるように、その猫はうずくまっていた。
ぐったりとしている猫は目を開けない。
「だいぶ弱ってる。何とかしないと…」
その猫は全身が泥やすすで汚れていたが、祥子は気にせずに抱き上げた。
「にゃぁ…?」
祥子の体温に気づいたのか、猫は薄っすらと目を開く。
「もう大丈夫よ」
優しい手つきで頭を撫でられて安心したのか、猫は祥子の瞳をじっと見て、目を閉じた。
「動物病院は、確か……」
祥子は鞄から携帯を取り出し、近くにある動物病院の場所を検索し始めた。
拾った猫は、空腹で行き倒れていたようだ。
駆けつけた動物病院で検査と簡単な処置をしてもらい、入院の必要は無いと言われたので、祥子は猫を連れて自宅に戻った。
部屋に入る前にアパートの管理員のもとへ向かい、猫を飼っても良いかと尋ねたところ「いいですよ」と了承を得ることが出来た。
そういえばこのアパート、ペット可だったわね
鍵を開けて部屋の中に入った祥子は鞄と脱いだ上着をソファの上に置き、猫を抱えたまま風呂場に向かった。
プラスチック製の桶にぬるま湯を張り、そこに猫を入れさせる。
「にゃぁ…」
桶のふちの部分に顎を乗せてくつろぐ猫の姿に、祥子は頬を緩める。
実家にいるニャン子達も、元気かしら
祥子はシャツの袖をまくり、黒のパンツの裾も濡れないようにと折り曲げる。
石鹸を泡立て、ぬるま湯を堪能している猫をがしがしと洗う。
「に、にゃぁ…!」
「動かないで。じっとしてなさい」
頭を振って逃れようとする猫を、しっかりと押さえる。
指の腹で丁寧に体を洗ってもらっているうちに、猫は気持ちよさげに体を伸ばし始めた。
ついでに自分の入浴も一緒に済ませようとする祥子だったが、なぜか猫が風呂場のドアしか見なくなったことに疑問を覚える。
「どうしたの?もう上がりたいの?」
「……にゃぁ」
そうだよ、と言わんばかりの相槌。
湯船に浸かっている祥子は苦笑しながら、猫の頭を撫でる。
「まだ体を洗っていないから、もう少し待っててくれる?すぐに済ませるから」
祥子が湯船から上がると、猫の耳がぴくりと動いた。
まさに不動の銅像よろしく、風呂場のドアとお見合いをしている。
もしかして
祥子は猫を後ろから抱き上げ、とある部分を覗き込む。
「にゃあっ!」
抗議の鳴き声を上げる猫に構わず、祥子は納得したように呟いた。
「あなた雄なのね。道理で大人しいと思ったら」
「にゃぁ…」
がっくし、と項垂れる猫の様子に、やけに人間らしいと思いながらも床に下ろしてやる。
とぼとぼと歩く猫は、祥子と一切目を合わせずに桶に足をかけて中に入った。
「良い子にして待ってるのよ」
祥子の忠告を受け、不貞腐れたように
「……にゃぁご」
低い声で返事が帰ってきた。
「綺麗になったわね」
部屋着に着替えた祥子はソファに腰掛け、膝の上に乗せた猫をタオルで包んで乾かしていた。
初めて会ったときはくすんだ茶色だったが、今は明るい茶色だ。
ふわふわの毛並みを撫でると、猫はしっぽを振って目を細める。
しばらくそうしていた祥子は自分の髪を乾かし、夕飯の準備に取り掛かった。
「あなたのご飯はこれよ」
動物病院で購入した猫の餌を適当な皿に入れ、水の入った器と一緒に猫に差し出す。
「にゃぁ」
皿に顔を突っ込んで食べる猫を眺めながら、祥子は晩飯の鮭のムニエルに箸を伸ばした。
夕飯を食べ終えた後、祥子は歯を磨きつつ、考えていた。
あの子の名前、どうしようかしら
ソファの上で呑気に欠伸をしている猫。
その近くに置かれたローテーブルの上にある物を目にした祥子はひらめいた。
歯磨きを済ませた祥子は猫の隣に腰掛ける。
「あなたの名前、英にしましょうか?」
ふと目に入ったのは学校で使っている英語の教科書。
我ながら良い考えだとは思うが、気に入ってくれるだろうか。
すると猫は髭をピンと伸ばし、
「にゃ!」
体をすり寄せてくる行為に、同意したとみる。
「これからよろしくね、英」
楽しそうに微笑む祥子はまだ気づいていなかった。
明日の朝、彼女にどんな騒ぎが起こるのかを。
今目の前にいる猫が、彼女の平穏な生活にとんでもない混乱をもたらすことを――
まだ、知らなかった。
どうも、miaです。
また投稿できて嬉しいです。