第13話 逆流
王宮地下洗濯工房に、急使が駆け込んだのは朝のことだった。
「北部水路で異常が発生しています!」
報告書が机に広げられる。
・北部水路で洗った布が黒ずむ
・通常工程でも戻らない
・魔素濃度に異常上昇
フィオレは目を細めた。
「水質データは?」
「これです」
数値は安定している。
硬度も、温度も、基準内。
だが――波形が乱れている。
不自然な振動。
フィオレは低く呟いた。
「自然現象ではありません」
リリアが息を呑む。
「じゃあ……」
フィオレは静かに言う。
「誰かが、水に感情を混ぜています」
地下に、冷たい沈黙が落ちる。
感情固定は布に施すものだった。
だが水に溶かせば――
白は洗うたびに濁る。
逆流。
洗うほどに、黒くなる。
同じ頃、王子の執務室。
正式通達が届けられる。
王宮洗濯事業への関与を一時停止せよ。
理由は整然と書かれている。
・政治的混乱を避けるため
・王家の中立性維持
だが意味は明白だった。
地下から距離を置け。
王子は文書を静かに畳む。
「……圧力か」
侍従が目を伏せる。
王家の白が社会に広がった今、
それを快く思わぬ者もいる。
王子は窓の外を見る。
地下へ向かう足が、止まる。
地下工房は、静かだった。
王子が来ない。
足音もない。
リリアが乾燥棚を見上げる。
「……乾ききらない感じですね」
洗濯物ではない。
空気の話だ。
フィオレはわずかに微笑む。
「ええ。生乾きです」
湿度が高いと、布は完全に整わない。
今の関係も同じ。
触れれば冷たい。
だが、まだ温度は残っている。
フィオレは北部水のサンプルを取り出す。
透明な水。
見た目は、ただの水。
彼女は魔素測定盤を起動させる。
波形が浮かび上がる。
通常の分解魔素は、ゆるやかな振動。
だがこれは違う。
反転している。
「……逆位相」
リリアが首を傾げる。
「逆?」
「分解とは逆方向に揺れている」
フィオレは静かに説明する。
「白を整える波形ではなく、崩す波形」
水が、布の秩序を乱す。
洗うほどに、繊維が曇る。
「誰かが、理論を知っている」
それは偶然ではない。
地下で築いた理論を理解し、
その逆を作った者がいる。
白を管理する思想に対し、
白を崩す思想が動き始めた。
フィオレは水面を見つめる。
揺らぎは小さい。
だが確実だ。
地下に、かすかな冷気が広がる。
王子は来ない。
北部水は逆流する。
白は、試され始めている。
そしてフィオレは、静かに言う。
「……これは攻撃です」
物語は、外部からの黒へと踏み込む。




