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進んでる

 この辺りの地域は、雪が深い。

 雪かきをしても、次の日には元通りになっている。だから、村の人は本気では雪かきしない。せいぜい家から出る道を作るのと、煙突などの通気口をきっちり確保するくらいだ。閉じ込められるし、危険だからね。

 去年の冬は、一人気ままに過ごした。村の人たちに教えられるままに冬支度(主に食料と薪と蝋燭)をして冬を迎え、ほとんどの時間を一人で過ごした。人との遭遇は、たまに雪かきを手伝いあうご近所さん。村人みんなが、そんなもんだ。冬って長いな、と思った。

 今年の冬は、短かった。家の中は変わらず静かだったが、去年よりも暖かかった。


 *


 雪が溶けきる頃には、リアムの表情はゆっくりと変わっていった。


 晴れの日には洗濯物を干し、雨の日には店の手伝いをして、薪が上手く割れる日も出てきて、パンの形も「個性品」から「まあ丸いかな?」くらいにはなった。


 町の人も、突然現れた謎の金髪に最初こそ警戒していたが、今では挨拶をするまでになった。

 リアムの眉間に皺はなく、小さい声だが挨拶を返している。

 

 ――うん、進んでる。


 最近の変化を嬉しく思っていると、店のドアがカランカランと音を立てて開いた。


「いらっしゃい、ディード」


 いつものように、お客さんを笑顔でお迎え。接客は笑顔が大事。笑顔はトラブル防止の第一歩。店員さんモードです。


「やあ、ミア」


 優しい笑顔で返してくれるのは、近くの町の商人ディードだ。茶色い髪が目に優しい。この家には輝く金髪と、派手なピンクブロンドしかないからなぁ。


「久しぶりだね。会えて嬉しいよ。冬の間は元気にしていた?」


 雪が深くて、冬は商人がこの村まで来られないのだ。

 ディードは、冬以外はよく村に来る。この地域一体の担当なのだそうだ。村に来ている時は、必ずうちに来てパンを買って行ってくれる。いつも朗らかなお兄さんだ。村の女の子は、ディードが来ると家から出てくる。人気だな。


「ディードこそ。雪解けの道は、馬車が進みにくかったんじゃない? 今日は何がいい? お疲れ様でちょっとだけおまけするね」


 ありがとう、と言いながらパンを選ぶディード。それを袋に詰めて、クルミのパンを一つ追加してからディードに渡した。


「ああ、そうだ。これ、あげるよ」


 茶色い小さな紙袋を渡された。私が反応する前に、ディードはにこやかに手を振って行ってしまった。

 急にどうしたのだろう。首を傾げながら中を見ると、新緑の葉と赤い小さな木の実をモチーフにしたバレッタが入っていた。

 はて? 何かあったっけ?


「――誰だ、あれは」

 

 後ろから、静かな声がした。

 振り返ると、リアムが厨房の入り口でこちらを見ている。

 眉間の皺が、久しぶりに深いな。どうした?


「お客さんだよ。リアムは、今日はお店で過ごすの?」


「店の手伝いがあるかと思って。――ずいぶん親密に見えたが」


「ちょっと待って? あれで“親密”なら、私の知り合いは全員“親密”な関係よ!?」


「いや、しかし……」


 口の中でモゴモゴ言ってる。

 ほんと、あれで“親密”なら、リアムの人間関係ってどれだけドライなの?


 *


 あれから、リアムはちょこちょこ店の手伝いをしてくれるようになった。

 今日もリアムは、真剣な顔でクロワッサンに卵液を塗っていた。

 言っとくけど、あれは本来そんなに集中力を要する作業じゃない。


「ミア、できた。どうだ?」

「いや、なんで刷毛ごと卵液に沈めてるの……?」


 彼は真顔で卵液の湖に沈んだ刷毛を見つめた。


「こうすれば、まんべんなく塗れるかと」

「湯治みたいに言うな」


 私が刷毛を救出している間に、店のドアが開く音がした。


「ミーア! おはよー!」


 村の元気娘リリアの登場である。ちなみに私と同い年。商人ディードが村に来ると、急いで家から出てくる子の一人だ。

 明るくてよくしゃべる子で、パン屋に来るとだいたい私と世間話をしていく。店員さんモード不要だ。


「今日は母さんの差し入れ用のパン、お願いしまーす」

「はーい、いつものね」


 適当に話しながらパンを包んで渡す。

 するとリリアが、ふと思い出したように言った。


「そういえば、この前ね、ミアのこと見てる人いたよ?」

「……は?」


 リアムの手が止まった。

 卵液がテーブルに垂れた。

 リリアは気にせず続ける。


「なんかねー、見たことない人。ミア、ゲン爺ちゃんにパン届けに行ってたでしょ? その時、ずっと遠くから見てたよ? 背が高くて若い男の人だったけど」

「全然気づいてなかった。……私、そんなストーカーされるようなタイプじゃないんだけど」


 私、一応美人(設定)だけど、人生ずっとパン焼いてるし、色気とか皆無だよ?


「いやいやいやいや! ミア、モテモテじゃん?」

「モテモテって何!?」


 というか、今の人生で蜜よりパン粉の方が身体にまとわりついてるくらいだ。


「……誰だ、その男」

 

「いや知らないよ!? 私が聞きたいわ!」


 なんでリアムの方が動揺してるの。

 しかも卵液が足元にぽたぽた落ちてるからね?

 床、黄色くなってるからね?


「ま、ミアは可愛いから! ミアを狙ってるのは、村の男だけじゃないしね!」

 

「え、私、何に巻き込まれてるの!?」


 本当にやめてほしい。

 フラグは回避してここまで生きてきたんだ。

 言いたいことだけ言って、リアムを謎に応援しつつ、リリアは帰って行った。


「……俺が見張ろう」

 

「それはやめて。逆に不審者だから」


 リアムは何か言いたげに口をつぐみ、視線を逸らした。

 卵液でべちゃべちゃのテーブルを片づけながら、ぽつりと何かをつぶやいた。


「ん? なんか言った?」

 

「な、なんでもない!」


 リアムはまた卵液のボウルをひっくり返して、今日二度目の惨事を起こした。


 *


 初夏。

 リアムを拾ってから一年が過ぎた。

 リアムの笑顔は少しずつ増え、「すまない」より「ありがとう」の方が少し多くなり、村の子ども達に遊ばれ、農家のおばちゃんに怒鳴られ、私と並んで村を歩く日も増えた。

 変化は急激ではない。

 でも――ちゃんと進んでる。

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