私の日常
――王城、カオスだったなぁ。
私はその日、パンを捏ねながら遠い目をしていた。
リアムの暴走も凄かったけど……実はもっとヤバかったの、カイル王子殿下だったと思う。
*
「ミア! 今日から僕のことも、呼び捨てでいいよね!? 僕もミアのこと姉上って――」
「殿下、やめましょう」
「ミア! ギルが止めるー!!」
……あれはもう、暴走というか、嵐。
もう面倒になって”カイル呼び“にしたら、今度はそれを聞いたリアムが
「……どういうことだ?」
って真顔で固まった。その後が最大の地獄だった。
それはもう凄かった。これが“リアムの暴走”か。
この後、カイルの”兄上案件“は十倍になったとか、ならなかったとか。
どうしてそうなった?
*
さらに輪をかけて大変だったのが、第一王子のユリウス王子殿下。
「……ちょっと休ませてほしい……弟たちが騒ぎすぎて……」
と言って、なぜか私の部屋に避難してきた。
「――エルリアムルを、何とかしてくれ……」
と言って倒れた時には、私も倒れたいと切実に思った。
この三兄弟、いつ寝てるの? ほんとに大丈夫?
国王夫妻よ……息子たちを何とかして……っ!
*
そんな国王夫妻。
「ミア嬢、エルリアムルの暴走は、何とかならんかね」
……リアム。国王陛下にも分け隔てないのは、どうかと思うよ。この人にもクマが出来てるよ。
「ミアちゃん、エルリアムルが国王陛下をいじめるのよ。国王陛下とエルリアムルが話をする時は、一緒にいてくれない?」
王妃陛下、間に挟まれて大変そう。……ん? ミア“ちゃん”?
「ミア嬢、ユリウスが落ち込んでいるんだ。慰めてくれないか? 私の話は聞こえないみたいでな……」
国王陛下、国王である前に、一人の父親なんだなー。
「ミアちゃん、急いで来て! エルリアムルとカイルが喧嘩しているのよ!!」
――私パン屋ですけど!? ほんとにいいの!?
この国の王族、大丈夫!?
そしてリアム! 何をした――!?
*
ダリルさんとエリックさんからは、
「エルリアムル王子殿下の暴走に巻き込まれた被害者仲間……ですよね……?」
と仲間認定を受けた。仲間は悩みを共有するものらしい。
……いらんがな。
ギルバートさんはギルバートさんで、
「ミア嬢……私には……王子三人をうまく捌けません……っ!」
うん……私はあなたの味方です。
たぶん、私が関係ない第三者だから気楽なのだろうな。
“害のない人間”ということで。やることもないしね。
一度、図書室でいつも通りに本を読んでいたら、いつの間にか全員集合していた。
いや、何で私の周りに集まったの?
あれ以来、図書官さんにより王族の図書室出禁が決まったらしい。
――この国、大丈夫?
なんというか、王族って……私の想像していた“きらびやかな世界”じゃなかった。
もっとこう、災害……?
――まあ、終わったことだし。
さすがにもう、王族どころかお城に関わる人たちにも関わることなんてない。
今日も、村は平和だ。
*
村に戻ると、みんなが心配してくれた。
リリアには泣かれ、子どもたちには抱きつかれ、何で黙って行ったんだ、怒られた。ディードには長時間諭された。握った両手は、しばらく離してもらえなかった。
リアムによって、私がいなくなったのには理由づけされていた。
私は、実はいいとこころのお嬢さんで、家出したのを見つかって連れ戻された。しばらく家業を手伝っていたが、結婚相手を勝手に決められたため裁判をして勝訴。パン屋は、いつか村に帰ってくるために、密かに手入れをしておいた――だそうだ。実際、パン屋は二ヶ月放っておいたとは思えないくらい整理されていた。
生活ポンコツなのに、仕事だけはできる人だ。
誘拐事件から三年。
私は今日もパンを焼く。
戻った最初の頃は、王都が騒がしいだとか、どこだかの貴族が取り潰されたとか、物騒な噂が村まで流れてきていた。
それも今では落ち着いて、村に来る商人たちも笑顔と活気が戻っている。
結局、私は政治の表舞台なんてものは知らないまま、日々パンをこねて焼いて売ってを繰り返していた。
パン屋の朝は早い。一人で黙々と作業をして、焼きたてのパンの香りがお店いっぱいに広がる頃には、気持ちの良い青空が広がっていた。
リリアが、ランチ用のパンを選びながら唐突に呟いた。
「ミアって、男どものアプローチは全部スルーしてるよね」
「え、リリア、何を見てたの!?」
アプローチなんてされてないよ、ほんとだよ?
「この前、お店に来てたアイビーだよ! ミアと歩きたいって、言ってたじゃない!」
「リリアってば、どこから見てたの? あの時いなかったじゃない!」
「そこの窓よ! で、どうしてスルーしたの?」
リリア、詰め寄られても、困る……
「ちゃんと返事したってばー。散歩に誘われたから、予定を聞いただけだよ」
「……ダメだ、この子……」
「ガックリされる意味って!?」
リリアはトボトボと帰って行った。
結局、何が言いたかったの!?
*
リリアと謎の会話後は数人のお客さんを対応して、もうすぐ夕方。
パンも残り少ない。明日の仕込みも終わった。
今日のご飯はどうしようかな、などと考えながらカウンターから出て片付けをしていると、お店のドアがばーんと開いて、ディードが入ってきた。
走ってきたのか、息を切らせている。
朝も来ていたけど、忘れ物かな?
「ミア……! 今、リリアさんに、会って……っ! 俺、ダメだって、思って……!」
とりあえず、焦って走ってきたことはわかった。でも、リリアと会ったことと焦ることが繋がらない。
ダメってどうした? まさかリリアってば、何かやばいことでもしたの!?
「とりあえず、落ち着いて?」
ディードは両手を膝について息を整えたあと、ふーと深く息を吐いた。
私に近づいてくると、そっと私の両手を握る。
高い位置から見下ろされているが、優しく真剣な眼差しは嫌な感じがしない。根っから“良い人”なんだなーと感心してしまう。
「――ミア、俺と――(ガタンッ)――てください」
ディードの言葉は聞こえなかったが、とりあえず音のした方が気になって振り向いた。
………………は?
「――え、君、確か……」
ディードが絶句するのも仕方がない。
なんで窓?
なんでそこから?
なんで突然?
店の窓枠に片足をかけた、金髪碧眼ポンコツ王子――リアムだ。
真っ青な瞳は、ただ一点――ディードに握られた私の手を見て固まっている。
……あ、これ、あれだ。怒ってるやつ。
こちらも固まって様子を見ていると、リアムはようやく動き出した。ひらりと窓枠から飛び降り、カツカツと足音を立てて近づいてきた。
この状況のどこに、怒るポイントがあるのか、誰か教えてっ!
ちょっと身構えていると、ディードが間に入ってくれた。左手は握られたまま。
こっちもどうした!?
ディードの背中で状況が見えないが、空気が凍りついているのだけはわかる。
え、今って冬じゃないよね!?
「二人とも、落ち着け――っ!」
慌てた声と共に、ダリルさんとギルバートさんがドアから飛び込んできた。
うん、入り口ってドアだよね。
「エルリ――お、お前! お前でいいのか!? 暴走するな!」
「ここは村! ミアさんの村! 荒事はダメです……っ!」
ダリルさん、ギルバートさん、三年ぶりだけど、相変わらず苦労してるのね……。
「と、とにかく! 睨むのやめろ! な? ミアさんも怖がってるからな!?」
ダリルさん言葉で、場の空気が少し緩くなった。
ディードの力も少しだけ緩んだので、背中の影から少し顔を出してみた。
広い広い空の色が見えた。
変わってないなぁ……なんてリアムを見ていると目が合った。
……あ、笑った。無表情だけど、たぶん笑った。
「――帰った」
「うん、戻ったなら、ドアから入ろうね」
「だが、二人でいた」
二人って、ディードと? お客さんだよ!? たまたまだよ!? ″二人で″って、何か問題!?
「ミアが誰といようと、君には関係がないだろう」
ディードって、そんな怖い声も出せる人なの!?
「――なんだと?」
ピピーッ! 危険! 危険です! 護衛騎士さーん、出番ですよー!
「待て待て待て待て!」
「ほ、ほら、二人とも! ミアさんが怯えてます!」
――私をダシにしないで欲しい。
ジト目でダリルさんとギルバートさんを見るが、二人は懇願するような目で私を見ていた。
私だって、怒ったリアムは怖いんだよ!?
「――うん、とりあえず、二人とも落ち着こうね? リアム、何があったの? ディードも、どうしちゃったの?」
「え……ミア、君、状況がわかってなかったの?」
なぜかディードが呆れている。
横でダリルさんとギルバートさんが、ガックリと首を落としていた。
は? 何? だって接客中に乱入してきたリアム、これのどこに状況を把握する情報があるの!?
私がムスッとしていると、ダリルさんが大きなため息をついた。
「とにかく。ディード……さん? 申し訳ないが、今日のところはお帰りいただきたい。この人を落ち着かせますから。勝手を言ってすまないのだが……」
心底申し訳なさそうにするダリルさんに、さすがのディードも言い返せないのだろう。わかりました、と言って私の方を向いた。
「ミア、また今度話そうね」
そう言って、いまだに離してくれない私の左手を持ち上げて微笑み、指にキスして帰って行った。
んー? ディードは、絵本に出てくる王子様かなー?
物腰は柔らかいし、優しいし、穏やかだし、スマートにあんなことされたら、モテるのもわかるよねー。
横ではリアムが、ダリルさんとギルバートさんに取り押さえられていた。




