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この国大丈夫?

 リアム改めエルリアムル王子殿下は、私を助けに来る前に、城内の反王族派に裏から手を回して叩き潰していたらしい。あの短期間でよく……

 私を助けた後は、アレイン公爵たちを連行し、証言を押さえ、公爵家を一掃。反王族派は先に瓦解していたため、ここは早かったようだ。

 ダリルの言葉を借りるなら、なんか人間じゃなかったらしい。主にエルリアムル殿下が。


 やっぱ有能なんだこの人!!

 なんなの!?

 普段の掃除失敗とか薪粉砕は嘘だったの!?


 *


 あの事件の後、私は王城の一室にお泊まりしている。

 怪我の治療だとか、事情聴取だとか、やたら丁寧な保護措置だとか、色々あった。

 ちょっと、場違い感が半端ない。いや、公爵邸でも思っていたけど。私パン屋、あなた貴族。貴族にお世話されるパン屋って、どういうことなの?

 私の出自には誰も触れてこない。赤い瞳を指摘する人もいない。最初は、母が来て怒られるかな、とか、現実離れした話をされるのかな、とかビクビクしていた。けれども、驚くほど何もなかった。そして、私自身も、公爵邸で知ったこと以外は何も知らない。進展なし。それでいい。

 一番問題なのは――


「……エルリアムル王子殿下」


 その名を呼んだ瞬間、目の前の男が、わかりやすく肩を落とした。


「……“殿下”は、やめてほしいのだが」


 いや、もう忘れようとか、聞き間違いとか、不自然だからさ。

 あのポンコツは世を忍ぶ仮の姿でした、とか言われた方が納得する。


「今まで通りでいてほしい」


「けれども、あなたは王族で――」


 エルリアムル王子殿下の青い瞳が、じーっと私を凝視している。


「本来、話すことだって……」

 

 ……怖い。凝視。瞬きして。

 あ、瞬きした。

 エルリアムル殿下は数回瞬いた後、少し目を細めた。

 瞬いた後の殿下の瞳は、晴天の空の色だと思った。

 殿下の口角が、ちょっとだけ、上がる。

 

「リ・ア・ム」


「いやいやいや、リアムって……本名の真ん中くり抜いただけじゃ……って、あ――」


 失敗した! 間違えた!! 思ってたことそのまま言っちゃった! ちょっと瞳に注意がいっていた!

 

「……なぜわかる?」


 わかるわ!!

 なんなんだその安直な偽名!?

 もっとあったでしょ!? せめて工夫とか……いや、工夫してその結果なの!? というか王族ってもっと警戒心あるもんじゃないの!?


「ダメだ……絶対この国の警備、形だけだ……」


「なぜそうなる」


 エルリアムル王子殿下はむすっとした顔でこちらを見る。

 政治の場だと化け物なのに、普段はポンコツって、ほんとなんなの?

 ギャップで脳が忙しい。


「疲れる……」


 ぼそりと呟いた声を、エルリアムル王子殿下は聞き逃さないようだ。


「無理はするな」


 あなたのせいですっ!


 まあ、でも、これがずっと続くのも、確かに疲れる。舌を噛みそうだし。

 私は、諦めのため息一つつくと、ちらりとエルリアムル殿下を見上げる。

 最近ようやく見えてきた、ちょっとした表情。嬉しいとか、楽しいとかいった感情は、果てしなく広がる空の色の瞳が、言葉ではなく語ってくれる。その瞳は、今も晴天を示しているが、その下が少しだけ暗い。

 たぶん、眠っていない。

 そう思ったけど、それは言わないことにした。そして、そっと声に気持ちを乗せた。


「――助けてくれて、ありがとう、リアム」


 リアムはぴたりと動きを止めた。

 ふっと、空気が温かくなった。


「……っ」


 あ、なんか耳の先が赤い。

 この人、怒ると怖いのに、こういう時は信じられないほど弱い。

 リアムは、そのままダリルが迎えに来るまで動かなかった。


 *


 現在、王城の図書室である。図書室の利用者は、今日も私だけだ。

 “リアム呼び事件”から一週間。私誘拐事件から一ヶ月。そろそろ帰ってもいいんじゃないかなと思うんだけど、まだ許可が降りません。

 誰のって、リアムの。

 なぜって、後処理が終わっていないらしい。

 そう言われると、私は大人しくしているしかない。だって私パン屋。

 やることがないから、図書室に通っている。読んでも読んでも読みきれない本。素敵だ。一生分の本を読もう。

 ここでも、客室以外では一人にならない。

 ギルバートさんが護衛としてついているが、公爵邸にいた頃よりも圧迫感がない。

 

 そんなわけでページをめくっていると、図書室の扉が勢いよく開いた。


「ミア! いた! ちょっと聞いてよ……!」


 走り込んできたのはカイル殿下――リアムの弟である。金髪に翠の瞳。色合いは微妙に違うが、リアムを少し幼くしたその顔は、彼とは違いコロコロと表情が変わる。


「こんにちは、カイル王子殿下」


 立ち上がって、母仕込みの慣れないカテーシーを――


「だから、やめてよそれ! 固くて無理! 兄上が拒否した理由がよくわかる! そろそろ僕も限界なんだけど!」


 “リアム呼び事件”が王族の間で広まってるって、どうなの?

 固いって何? 王族に対する一般的な対応が、固いだって?

 何をどうしろと言うんだ、この殿下は――!?


「“殿下”呼びやめないと、ミアのこと”姉上“って呼ぶからね」


 ……いや、脅しの方向性おかしくない!?

 この国の王族って、どうなってるの!?

 こういう時は、トラブル回避の店員モードだ。


「聞こえませんでした」


 にっこり笑顔で全力回避。ついでにちょっと上目遣い。これ、困ったらやってみろと、リリアが教えてくれたやつ。

 私は何も聞いてませんよー。


 カイル王子殿下は、口をあんぐりと開けて固まっている。

 ギルバートさんが片手で口元を覆って、真っ赤になった顔を伏せた。


「――ミア嬢、それはやったらダメなやつです……」

 

 え、何? ちょっと二人とも、失礼がすぎない?


 *


「それでね! 僕、今日だけで“兄上案件”十件だよ!?あの人、もともとおかしい思っていたけど、帰ってくるなり人間やめちゃってるんだ!」


 硬直が解けたカイル王子殿下は、一部の記憶を失くしたらしい。

 テーブルに肘をついて、身を乗り出している。

 カイル殿下、黙っておけ?

 王族の愚痴に付き合わされる庶民の私、危険な気しかしないからね?

 

「聞いてよミア! 兄上、昨日なんか――」

 

「殿下、深呼吸を」


「いやいや、聞いてよギル! 僕だって疲れてるんだよ! 兄上ってば、反王族派の残党を全部――あ、言っちゃダメだったこれ」


(言っちゃダメなんだ……へぇ……)


 学びになった。


「それでね! “赤い瞳”の娘がいるって噂が広まりそうになってさ! 兄上、あれ本気で潰しにかかってるからね! はっきり言って、権力の暴走だよ! 情報管理局の局長が泣いてたからね!? 兄上って何者!?」


「カイル王子殿下!!」


 ギルバートさん、珍しく声を張った。

 でもカイル殿下は止まらない。無駄にメンタル鋼だ。

 とりあえず二人とも、ここ図書室だからね?

 

「だって仕方ないでしょ!? 兄上、寝てないんだよ!? 凄いスピードで物事が動いて、ついでにきっちり着地するんだから! あの人の頭の中、どうなってるの!?」


 それは、周りはついていくのが大変だろうねえ。

 でも、カイル王子殿下もすごく優秀なんだろう。たぶん、リアムのスピードについていける人なんだ。そして、不満の大部分はリアムの働きすぎにあるのだろう。

 横に座って興奮しているカイル王子殿下を、ギルバートさんが必死で静止している。


「あと国の予算を見直して、宰相に説教して、貴族院の連中を解散――」


 ついに、ギルバートさんに物理で口を塞がれた。


「~~~っ!!」


 ――うん。

 情報が多い。落ち着こう。

 私の知っているリアムと、あまりにも乖離しすぎているから混乱する。

 あのポンコツが??

 パンを焦がして「焼き直したらバレるかな……」とか言うあの男が??

 

「あれ、絶対怒ってるよ! マジギレだよ! 兄上が怒ってるの、初めてだよ! 僕怖い! ミア助けてよ!!」


 早くもギルバートさんから自由を奪い返したカイル王子殿下。涙目だ。

 いや、ちょっと待て? そこおかしいよ!?

 リアムと私のどこに“解決策”の共通点があるの!?


 カイル王子殿下が暴走を拗らせているところで文官の方々が駆けつけ、殿下を拝み倒して回収して行った。

 この国大丈夫?


「――なんか、すみません……」


 ギルバートさんが、心底申し訳なさそうに言った。

 彼、苦労人なんだろうな。


「私は、何も聞いていませんから」


 私の言葉に、ギルバートさんは困った顔で頷いた。

 でも、一つだけ、″聞こえた″情報がある。


 ”兄上、寝てないんだよ!?“


「――あの、リアムに会える時間はありますか?」


 ギルバートさんは、ちょっとだけ間を置いてから、すぐににっこりと笑い、もちろんです、と答えてくれた。

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