鍵のない檻
私を拐った公爵は、アレイン公爵と名乗った。
現当主らしい。
正直、貴族のことはわからない。だって私、ただのパン屋。
でも……小さい時に、母に叩き込まれた知識の中に、アレイン公爵家の名がある。知識のロートス公爵、武のグランツァ公爵、そして策略のアレイン公爵。この三家を三大公爵家といい、他の貴族とは別格としている……らしい。母よ、貴族名鑑を叩き込むなら、私の出自も教えておいてくれ。
――あ、私が家出したんだった。
ごほん。
公爵邸の客間は、豪華さが暴力だった。
ふかふかの絨毯、重そうなカーテン、窓は広いのに妙に静か。
まるで音すら逃げられないみたい。
ものすごく高そうなドレスが隣の小部屋に並んでいて、見なかったことにした。
それを朝、着替えです、と持ってこられた日には、怖くて泣きそうになった。
交渉の末選んだのは、シンプルなワンピース。次の日には、小部屋にワンピースが大量に追加されていた。
もう何も言うまい。
そんな三日目。
今日も私は恐る恐る扉を開ける。
「……あの、少しだけ、外を歩いてきてもいいですか?」
部屋の外に立っていたメイドさんが、優し〜く微笑む。
「もちろんです、ミア様。でも、お一人歩きは危ないです。ご一緒いたしますね?」
――ひえっ。
監視、やんわり開始。
この屋敷、鍵がかかってない。
ほんとに。
部屋を出ようと思えばいつでも出られるし、廊下も庭もどこでも歩ける。他の部屋だって、入っちゃいけないところなんてない。
だけど。
「ミア様、そちらは風が強いので……」
「お庭でしたら、ご一緒いたします」
「その先は少し足元が危険ですわ。お手をどうぞ」
――全部、にっこり笑顔つき。
その“にっこり”が、地味に怖い。
気づけば私は、“鍵がないのに出られない”という、なんかホラーみたいな生活にいた。
*
「ミア。ここでの暮らしには慣れたか?」
アレイン公爵は毎日、必ず一度は顔を出した。
慣れたか、欲しいものはないか、不自由はないか。
まるで親戚か何かのように、親身に接してくれる。
柔らかい声、柔らかい笑顔。
外面は完璧すぎて、逆に裏が透ける。
今日のお話は、庭でお茶をしながらだ。
「……おかげさまで、慣れました。でも、帰りたいです」
「そうか。帰りたいのだな」
公爵は優しく、そして残念そうに微笑む。
演技力が高い。プロか?
「だが、あの村では守れまい。君の瞳は三大公爵家の一つ、ロートス公爵家の血の証。“欲しがる者”は必ず現れる」
怖いことを優しい声で言わないでほしい。
やっぱりそういう設定かー。あのまま家に帰ると、ストーリーが開始したのか、していないのか。
まあ、「あの時こうしていれば」なんて考えても、どうしようもない。だって、私は今ここにいる。リアムだって――
「王族は、そういった事態に対応できないんだ。古い体制に縛られているから。現王家は……そうだな、優しい」
なにか、憂いを帯びた笑顔に見える。
「優しい人間ほど、守りたいものを守れないことがある。王族を責めるつもりはないんだ。彼らは善良だ。しかし、時代の流れに置いて行かれている」
そりゃあ、まあ、王族ってどこの世界でもそんなものではないだろうか。伝統を大切にするというか? そう考えると、確かに変化しにくく、動きずらいと言えるかもしれない。
「君が気にしているのは、第二王子殿下だろう? 彼は確かに優秀だな」
いえ、ポンコツです。
「だが、彼もまた、王家の制約に縛られている。君を守ろうとはしているのだろうけど、彼にも難しい。王族は――そういうものだからね」
守られると言うか……落っこちてた彼を勝手に拾ったのは、私だ。
そういえば、リアムは私の瞳の色のことを、知っていたのだろうか?
「彼は、“赤い瞳”の君を守ろうとしていたんじゃないかな」
やっぱり知ってたよね。王子様だもんね。
「けれど、古い制度がそれを許さない」
守る守られるは知らないけど、なんで“赤い瞳”のことに触れなかったのかな。
「守られなければならない王族と、保護されるべき君の存在」
少しずつ笑顔も出てきたと思ったけど……
もしかしたら、リアムは――
「彼は辛かっただろうね」
*
私の行動は、常にメイドさんと共にある。
話し相手は専らメイドさんだ。
「第二王子殿下は、きっと今ごろ混乱されているでしょうね」
「殿下は冷静さがなくて……そこが素敵でもあるのですが」
「一途なのは理想ですが、周りが見えなくなることもあるようで」
気づけば、“リアム=頼りない”みたいな空気がじわじわ浸透していた。
生活レベルゼロすぎて、唖然としている姿が脳裏をよぎる。
(……あれを見た後だと説得力あるのがつらい……)
モヤモヤする。
*
一週間もすると、
私は屋敷の中に“居場所”ができていた。
美味しい食事。
ふかふかの部屋。
にこやかなメイド。
花が飾られた廊下。
優しい声で話しかけてくる公爵。
穏やかに流れる時間。
誰も怒らない。
誰も乱暴しない。
押し付けもない。
――でも、外に出る道は一つもない。
その上、公爵が優しく囁く。
「君はもう、村に戻れない。いずれ、すべてが分かる日が来る」
甘くて、冷たい声。
その日、公爵は静かに付け加えた。
「……王子殿下より、我々のほうが君を大切にできるよ」
胸が、ざわりと揺れた。




