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赤い瞳は(リアム視点)

 ミアの姿が見えない。

 ただそれだけで、胸の奥がざわりと揺れた。

 最後に見たのは、夕方になる前。パン屋でリリアと談笑していた。

 邪魔をしてはいけないと思い、住居スペースに戻って食卓周りの片付けをした。といっても、食後にミアが片付けているので、俺は夕食前にテーブルを拭き、清潔なクロスをかけてスプーンとフォークを並べるだけだ。

 ミアとの食事は楽しい。ミアの焼いたパンは美味しい。ミアの作る料理も、心が落ち着く。時々失敗したと悔しがる料理も、暖かくて好きだ。多少苦いが。

 そんなことを思いながら作業を終え、そろそろ店を片付ける時間かとパン屋に回ったが、ミアの姿が見えなかった。

 店の裏にもいない。

 声もしないし、気配もない。

 村の通り――いつも彼女が野菜を買う青果店、広場、雑貨屋ものぞいた。散歩をしていると必ず立ち止まる丘の上も、時折水かさを確認する川べりも、ミアが大好きなトマトがなる畑も見に行った。休みの日に子供達と遊ぶ教会、友人と立ち話に使う大きな木の影、一人で暮らすロナウド老婦人の元にもいなかった。

 ひとつ、ひとつ、確認するごとに、心臓を冷や水で締め付けられていくようだった。


 ……おかしい。


 彼女は気まぐれではない。

 無断で消えるような人間でもない。

 何が起こっている?


 *


 家に帰れば、何事もなかったようにミアが笑ってくれるのではないかと、暗くなった道を全力で走った。


 ――え、私ずっと家にいたよね!? なにがどうした!?


 そうして二人で困った顔をしながら夕食を食べるのだ。


 ――それで、どこに行ってたの?


 そうミアが聞き、俺は「探し回っていた」と答える。回った場所で誰に会って、ミアのことをどう言っていたのか、一つ一つ話すのだ。


 ――リアム、みんなと普通に話してるじゃん!


 ミアなら笑って褒めてくれるはずだ。


「――ミア!」


 家のドアを勢いよく開けて名前を叫んだ。

 家の中は暗く、出てきた時のままだった。

 しんと静まり返っていて、誰の気配も感じない。

 身体が動かない。

 何も考えつかない。


「――殿下!」


 はっとして振り向けば、そこに立っていたのは、見知った顔。

 短い黒髪を後ろに束ね、旅装を羽織った男――ダリル。どうしたのかという表情でこちらを見ている。


「殿下、実は――」


「ミアがいない」


 俺は、ダリルの話を遮った。

 他の話は不要だ。今すべきは、ミアの捜索だ。

 ダリルの顔つきが引き締まる。


「……状況は?」


「痕跡がない。目を離したのは5分程度だろう。直前まで友人と話をしていた。一人になり、死角に入った直後に何かがあった」


「反王族派が、この村まで動いた……ということですね」


 ダリルの言葉に、無意識に拳を握った。


(俺がミアを……巻き込んだ?)


 胸の底にじくじくとした痛みが広がる。


「殿下、ひとつ……気になることがありまして、報告にあがったのです。この事態に関係ないとは思えません」


 ダリルが言うなら、そうなのだろう。彼を家に入れ、施錠した。

 それでもダリルは周囲を確認し、声を潜めて慎重に話した。


「“赤い瞳”が見つかったと、報告がありました」


 ダリルは険しい表情で続ける。


「殿下は先日、私たちが参上した時に、彼女を隠しましたね」


「……そうだ。ミアの瞳は赤い」


「殿下、それは……まずい。三大公爵家のうち、“ロートス公爵家”に連なる者の特徴だと、ご存知ですよね」


「……」


「“赤い瞳”は直系の証。前当主が亡くなり、直系の血が途絶えています。これにより、王族派の勢力が衰退、王都が荒れています」


 脳裏に、ミアの瞳がよぎった。

 いつもパンを見つめるときに輝いていた、赤い光。

 薪割りを失敗した自分を笑っていた、あの色。


「だから、我らは殿下をお探ししたのです。戻っていただきたい。お優しいユリウス殿下は反王族派に抵抗できません。カイル王子も、ご自分が前に出ることをなさらない。王太子がいない王国は、国王と妃殿下になんとか支えられていますが、王族派が衰退した今、非常に厳しい状況です」


 目を瞑った。頭の中を、過去の自分が巡っている。


「……だが、私は……失敗したのだ。敵の術中にまんまと嵌り、お前たちまで危険に晒した」


 そして、今度はミアを巻き込んでいる。

 ミアの出自には気づいていた。本人は知らないようだが、母親か誰かが教育したのだろう。伯爵程度であれば問題ない程度に所作が整っていた。あの瞳も――気づかない方がおかしい。

 庶民の中で暮らしていれば、誰にも気づかれずに過ごせたのだ。

 自分が転がり込んだことで、貴族の視界に入ってしまった。

 彼女は、反王族派にとっては良い駒で、王族派にとっては救世主だ。


 そんな未来を一切想像していなかった自分が、許せなかった。


「殿下」


 ダリルの声が、さらに低くなる。

 俺は薄く目を開き、両掌を見つめた。


「ミア嬢の誘拐犯……黒幕はおそらく――“アレイン公爵”です」


 その名に、空気が歪んだ気がした。

 アレイン公爵――三大公爵の一角。

 王族派の皮をかぶりながら、裏では反王族派を操る男。

 かつて俺の失墜に関わった影。

 自分が足を取られたあの一件。

 多くの罠と洗脳、その背後で笑っていた男。

 気づいた時には、何もかも終わっていた。


「……今度は、彼女を道具にする気か」


 脳裏に浮かぶのは、ミアの姿。

 怒りが鋭く喉を焼いた。

 震える掌を硬く握った。

 それを見て、ダリルが目を細める。


「殿下……落ち着いているようで、全然落ち着いていませんね」


 顔を上げた。

 強く、ダリルを見返す。


「ミアを取り戻す――必ず」


 ダリルは頷いた。


「戻られますね?」


「――当然だ。行くぞ」

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