序章 比叡山
ときは建仁元年
かつて東国の武士が蜂起し、都に戦の火が及んでからおよそ二十余年。
戦乱は平家の都落ちとともに一応の収束を見たが、その代償として朝廷の威信は著しく損なわれた。
戦の傷痕はいまだ癒えず、地方では豪族や宗教勢力が割拠し、乱世の様相を呈していた。
永きに渡る戦の炎が民の暮らしを焼き尽くし、「この世の乱れしは、帝の血脈正しからず。ゆえに帝位、改むべし」と、神仏よりお告げを受けたという者まで現れた。
こうして朝廷の威光は、さらに地に落ちてゆく。
都にほど近い比叡の山に、一人の若き僧がいた。名を暁舟という。
暁舟は、先帝の血を引きながらも政争を避けるために仏門へと送り出され、幼くして山に預けられた身だった。
俗世を捨て、ひたすら修行に励んできた彼だったが、その心の奥底には、捨てられたことへの寂しさと、世の理不尽への怒りが、静かに燻っていた。
その日の山内は賑やかだった。越後の有力者・坂西経信が私財を投じ、大規模な祭事を執り行ったのである。
祭事は順調に進み、今まさに「潅頂」が始まっていた。
潅頂とは、水盤の底に曼荼羅を描き、そこへ蓮の葉を一枚浮かべて落とし、止まった仏と縁を結ぶという、格式ある密教の儀式である。
経信が落とした蓮の葉は静かに水面を進み、やがて大日如来の前でぴたりと止まった。
堂内に緊張が走り、やがてざわめきが湧き起こる。
「御仏の心なり」
僧たちが唱えるなか、経信は満足げに頷き、声高に宣言した。
「我が家は王家の末葉なり。であればこそ、この乱れた天下に安寧をもたらそう」
しかし、暁舟の目は水流のわずかな不自然さを見逃さなかった。
葉の進みは、まるで意志を持ったかのように、ある一点へと導かれていたのだ。
儀式後、彼はこっそりその葉を回収し、密かに調べた。
葉の裏には、小さな鉛の板が仕込まれていた──重みで方向を定めるための細工だった。
夜更け、暁舟は師と仰ぐ僧・澄観のもとへ向かい、証拠の蓮を見せた。
「師よ、これは、仏の声ではありません。細工です。仏門が、このような偽りに手を貸してよいはずがありません」
澄観はしばし黙したのち、静かに言った。
「……綺麗事だけでは、世は救えぬのだよ。お前さんの着る法衣も、口にする食事も……全部、どこから出ていると思う?」
「それでも!」暁舟は声を荒げた。「我らは人を導く者でありましょう? 嘘で導いて、何が仏門ですか!」
「戦は止まらぬ、暁舟。世の流れは変えられぬ。私は……私たちが巻き込まれぬようにしているだけだ」
その言葉に、暁舟は深く打ちのめされた。
澄観の口から出たのは、かつての高潔な言葉ではなく、ただ己と仲間を守るだけの一人の人間の声だった。
もはや仏にすがるだけでは、この末法の世は変えられぬ。
暁舟は、寺を出る決意を固める。
自らの目で、足で、この混沌たる世を歩み、何が正しく、何が偽りかを見極めねばならぬ。
夜の比叡山を、暁舟はただ一人、静かに降りていった。
初投稿になります!
信長の野望が好きで、そこから「歴史がもしこうだったら…」と色々考えていたら、今回の話が浮かびました。
勢いで書いた部分が多く、まだまだ未熟ですが、ご意見・ご感想・ご指摘などありましたら、お気軽にいただけると励みになります。
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