元婚約者が助けを求めてきたけれど、私には関係ないので助けません
『良かったな、俺の婚約者になれて』
婚約が決まった後の顔合わせで、婚約者は開口一番そう宣った。
今では元婚約者となった男――ライアンは、第一王子という身分を笠に着て、横暴で傲慢な言動を繰り返す、端的に言えば嫌な男だった。
人を見下し、いつだって自分が正しいと思い、周りが従うのは当然だという態度。
私に対しても「歯向かうな、逆らうな、黙って従え」と言ってくるような暴君。
ライアンが「俺は短い髪が好きだ」と言えば、少しでも王子のお眼鏡に適うよう髪を切った。
胸下まであった髪は、顎あたりまで短くなった。
ライアンが「俺は赤が嫌いだ」と言えば、赤い瞳が少しでも見えにくくなるよう眼鏡を掛けた。
もしも金色が嫌いだと言われたら髪を染めなければいけないのかとも思ったが、彼自身が金髪金眼だったこともあり、髪色に関しては幸い杞憂に終わる。
他にもライアンが「外国語など覚える気にならん」と言えばそれを補えるよう厳しく勉強させられたし、ライアンが「女も剣を握り、俺を守るべきだ」と言えば剣の稽古を余儀なくされた。
家族は私の味方をしてくれて、従う必要はないと言ってくれたけれど、まだ十二歳だった私はライアンの希望を叶えることで、多少は良い関係が築けるのではないかと考えていた。
しかし結局彼が選んだのは、勉強が苦手で、剣なんて握ったこともない、可愛らしいロングヘアーの女だった。
『卒業パーティーは、シャーロットをエスコートする』
この時、ライアンとの婚約解消が決定した。
卒業パーティーを一週間後に控えた日のことだった。
ライアンとの結婚の日取りを発表する予定だった、学園の卒業パーティー。
そんな場で別の女をエスコートするということは、私との婚約を解消することと同義である。
シャーロットはかつて国を救ったと言われている聖女の血を引く女で、ライアンの婚約者候補にも名が上がっていたらしい。
赤を白で薄めた髪色に、垂れ目がちな亜麻色の瞳は、まさに天使のようだと評判だ。
彼女とライアンは学園生活を送る中で親交を深め、特別な仲であることを隠しもしなかった。
私には「贅沢をするな」と言って贈り物の一つもしなかったライアンが、シャーロットにはよくネックレスやドレスを贈っていた。
近い距離で会話をし、時には肩を抱き、腰を抱き、私が横にいようとお構いなしで二人だけの世界を楽しんでいた。
始めこそは苛立ち、苦言を呈していたものの、私の扱いはひどくなるばかりで。
ついには諦め、そのまま二人の仲が進展し、私との婚約は解消してくれることを願うようになった。
なのでライアンがシャーロットをエスコートすると言った時、私は天にも昇る心地だった。
国王陛下は婚約解消を渋っていたみたいだけれど、そこはこれまで我慢してきた分と言わんばかりに父が頑張ってくれた。
おかげで卒業パーティーまでのたった一週間で、ライアンとの婚約は解消することができたのだ。
卒業パーティーには参加しなかった。
父と兄がエスコートを名乗り出てくれたが、わざわざあの二人がいる場に行き、二人を祝福するのも癪だったので断った。
やっと自由の身になれたのだから、もうあの男に割ける時間は一秒たりともない。
そしてライアンや級友達が卒業パーティーを楽しんでいる裏で、私は新たな婚姻届にサインをし、嬉々として隣国の公爵家へと嫁いで行ったのだった。
それが、約一年ほど前の出来事。
急遽決まった結婚だったけれど、嫁ぎ先の公爵家では随分良くしてもらっている。
夫も政略結婚とは思えないほどに優しく、毎日愛を囁いてくれている。
夫――オスカーとの結婚は、ただただ運が良かった。
父に伝手があったこと、そしてなんとオスカーもまた婚約者の浮気によって婚約を解消していたこと。
この二つの要因によって、彼との婚姻は驚くほど早く整った。
オスカーの元婚約者は、自身の浮気が原因で婚約解消になったにも関わらず、その後も彼に未練があったらしい。
他国の王女でもある元婚約者はオスカーを手に入れるため、手段を選ばず、周りの者が巻き込まれて被害が出ることもあったそうだ。
公爵令嬢として、できるだけ早く、できるだけ良い縁談を望んでいた私。
元婚約者の存在に屈することなく、立場的にも問題のない相手を望んでいた夫。
私達の利害は一致していた。
そしてオスカーと私の婚姻が決まった際、予想通り王女は激怒し、私に手を出そうとしてきたが……結果として彼女は捕らえられ、自国で幽閉されることとなった。
私もオスカーも国は違うけれど、それぞれ王族の血を引いている。
私達の婚姻は両国の結び付きを強める意味合いもあり、そこに手を出そうとした王女はあわや処刑される可能性すらあったと言う。
まぁ、そんな感じで大変なこともあったけれど、おかげでオスカーとの絆も深まり、今では順風満帆な日々を送ることができている。
……なんて思っていたところに届いた、元婚約者からの手紙。
中には、戻って来い、と書かれていた。
オスカーは応えなくて良い、無視しろと言ってくれたが、さすがに母国の第一王子を無視するのも気が引けたため丁重に断りの返事をした。
しかしその後もしつこく連絡が来て、終いには了承していないにも関わらず嫁ぎ先の公爵家までやって来た。
またしてもオスカーは対応しなくて良い、無視しろと言ってくれたが、王族を家の前で立ち往生させるのは憚られるし、外聞も悪い。
ただなんとも無礼な行動に苛ついたのも確かだった。
悩んだ末、オスカーがそう言うならと面会はお断りをした。
何やら「俺は王子だぞ!」とか「国際問題になるぞ!」とか言って騒いでいたようだけれど、こちとら夫は大国の王甥ぞ。
借りられる虎の威は積極的にお借りして、騒ぐライアンを追い払う。
かくして、数週間かけてこちらまでやってきたライアンは、なんの目的も達成できぬまま引き返すこととなったのだった。
「会うなと言っておいてなんだが、本当に会わなくて良かったのか?」
「えぇ、別に大した用事じゃなさそうだし」
窓からライアン一行が立ち去る様子を眺めながら、オスカーの肩に寄りかかる。
そっと抱き寄せられれば、ライアンへの不快感も薄れていく。
手に持っていたライアンからの手紙は、無意識のうちにクシャクシャに握り潰してしまっていた。
第一王子でありながら、未だに立太子していないライアン。
国王陛下はライアンのことを大変可愛がっており、彼が王太子になることを望んでいた。
しかし私との婚約を解消し、公爵家の後ろ盾を失った今、王太子には第二王子を推す声が日に日に高まっていると言う。
そこでライアンは私を連れ戻し、再び公爵家の力を得ようと考えたのだ。
事の経緯は母国にいる家族からも聞いていた。
このまま行けばほぼ確実に第二王子が立太子するとのことなので、私達が何かせずとも勝手に自滅してくれることだろう。
「グレース、久しぶりだな」
ライアンを追い返した数日後。
目の前には、約一年ぶりに会うライアンの姿があった。
あのまま母国に帰ったと思っていたライアンは、こちらの国に留まり、公爵家が参加するパーティーを探り、潜り込むことに成功していた。
この動きはオスカーが事前に察知してくれていた。
馬鹿なことを仕出かさないよう、ライアンに見張りをつけていたのだ。
パーティーの参加は見送るかと聞かれたが、仲良くしている侯爵令嬢の誕生パーティーだったため、こうして参加し、ライアンとも久方ぶりの対面を果たすこととなった。
他所様が主催するパーティーで万が一があってはいけないし、こんなことならば公爵家に来た際に会っておけば良かったか。
「お久しぶりです、ライアン様。お変わりないようで安心いたしました」
「ハッ、お前は相変わらず嫌味ったらしい女だな」
テーブルを挟んだ向かい側に座るライアンは、最後に会った時と比べると、随分と痩せこけてしまっていた。
それに気付いてはいるけれど心配するのも面倒なので、にこやかに笑って気付かないふりをする。
痩せてはいるが、久しぶりに見る金髪金眼は相変わらずギラギラとしていて目にうるさい。
私は早くもオスカーの涼やかな銀髪と、私と同じ赤い瞳が恋しくなっていた。
王族に連なる血筋を持つ公爵家は、パーティーでは大抵の場合、専用の控室が準備されている。
今回も例に漏れず準備されていたので、ライアンとの話し合いはそこで行うこととした。
オスカーも同席すると言っていたが、ライアンが二人きりで話したいと強く希望したため、部屋には私とライアンの二人のみ。
ただし二人きりになる条件として、ライアンだけではなく私も帯剣することを許されている。
ライアンの護衛はもちろん猛反対したが、オスカーが嘲笑と共に『男のくせして女に剣を待たれることが怖いのか?』と言えば、ライアンは容易く煽られ、私が帯剣することを受け入れた。
「それでお話とは、手紙に書かれていた件でしょうか?」
「あぁ、そうだ。お前を俺の側室にしてやるから戻って来い。戻って来て、俺に力を貸せ。シャーロットのことも助けてやれ」
「ご冗談を。私はもう結婚していますし、結婚していなかったとしてもライアン様の側室だなんて遠慮いたします」
「結婚していると言っても、まだ仮の状態だろう」
ライアンの言う通り、私と夫の結婚はまだ『仮結婚』の状態だ。
この国の貴族は、最低でも一年の婚約期間がなければ正式に結婚できない。
婚約期間が一年未満の状態で結婚した場合、その結婚は『仮』となり、ほとんど婚約している時と変わらない扱いとなる。
相続権はないし、離婚もどちらかが望めば比較的簡単に行える。
更に仮結婚期間が終わった際には、再度正式な婚姻届を出さなければならないので、婚約期間を一年設けた後に結婚するのと手間は変わらない。
にも関わらず、結婚歴にはしっかり数えられるのだ。
それでもお互いの気持ちを確かめ合うためとか、愛の強さを証明するためだとか言って、この制度を利用する人もいるのだと聞いた。
私達の場合は、夫の元婚約者を牽制するため、あえてこの制度を選んでいた。
そんな私達の仮結婚が終わるまで、あと一ヶ月と少し。
だからこそライアンは焦り、わざわざ時間を掛けてまでこちらへやって来たのだろう。
この仮結婚期間中に、私を母国へと引き戻すために。
だとしても私がライアンのもとに戻るだなんて、そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ない。
「ですから、仮結婚だろうとなんだろうと、ライアン様の側室だなんて遠慮すると言っているのです」
「浅ましいやつめ。そんなにも俺の正妻になりたいのか」
「……はい?」
「困っているシャーロットを助けてやろうとも思わないのだろうな。後任のシャーロットを助けるのは自分の役目だと分からないのか?」
「分かりません。シャーロット様を選んだのはライアン様なのですから、ご自分でなんとかされては? ……それとも他人に頼らなければ何もできないということかしら」
「おい、調子に乗るなよ。お前は黙って俺に従えば良いんだッ!」
ライアンはテーブルに拳を叩きつけ、声を荒げた。
母国にいる家族によると、シャーロットの教育が難航しており、加えてライアンも公務中のミスが目立ってきているとのことだった。
一年前にライアンが選んだ女、シャーロット。
あの時点で彼女の教育に手こずることは分かっていたはずだ。
立太子はされていないものの、第一王子の婚約者ともなれば高水準の教養が求められる。
しかしシャーロットは勉強が苦手で、学園での成績も低かった。
それを承知で彼女を選んだのは、他ならぬライアンだ。
どうせシャーロットが不得手なことは、私や他の人間に押し付けようとでも思っていたのだろう。
もともとライアンが苦手な分野は私が補っていたし、婚約解消後も良いように使うつもりだったに違いない。
あの時、卒業パーティーに出ることなく、すぐに新たな婚姻を結んでいて本当に良かった。
「私にはもう貴方に従う道理はございません。ご自分でなんとかされてください。大体、例の王女の話をご存知ないのですか?」
「例の王女だと?」
「私の夫の元婚約者です。彼女が私達を離縁させようとした結果、今は捕らえられ幽閉されていること、ご存知ないのですか?」
こんなことを言い出せるぐらいなので知らないのかもしれないが、知らなくとも側近が引き止めそうなものだ。
もはや側近にすら見捨てられているのか。
ライアンを始末するため、あえて泳がせているのかもしれない。
ライアンはくいと顎を上げ、馬鹿にしたように鼻で笑う。
「ハッ、そんなことは知っている。だがそいつとは状況が違う」
「状況が違う?」
「俺のことが好きなお前は、どうせ俺を選ぶことになる。その王女は大して好かれていなかったんだろう。だからそんな惨めな結果になったんだ」
「…………?」
一瞬、思考が停止してしまう。
ライアンのことが好きだなんて、これまで生きてきて一度たりとも思ったことはない。
もはや彼と好きという言葉が結びつかないほどだ。
地面を這う虫から突然「俺のことが好きなんだろ?」と言われたような、そんな新鮮な驚きがあった。
「私が、ライアン様を、好き」
「ふんっ、なんだ。俺がお前の気持ちに気付いていないとでも思ったのか?」
「いえ、えっと、それは勘違いですわ。どうしてそんな勘違いを……」
「白々しい。俺に好かれようと髪を切ったり眼鏡を掛けたり、必死だったではないか。眼鏡はやめたようだが、今も髪型はあの頃のまま。未練たらしいやつだな」
「そんなことで……?」
確かに婚約したての頃は、ライアンとの関係が少しでも良くなればと彼の言うことに従っていた。
好かれようとしていたというのは、あながち間違いでもない。
けれど私にとっては髪を切ることも眼鏡を掛けることも、大したことではなかった。
一昔前までは長く美しい髪が良しとされていたけれど、時代は変わっている。
ライアンきっかけではあるが、短い髪は動きやすく快適で、私はこの髪型が気に入っていた。
眼鏡は惰性で掛け続けていたが、こちらに嫁ぐのを機にやめた。
やめてみたら、眼鏡って邪魔だったんだなと気が付いた。
たった、その程度のこと。
その程度のことで好意を抱いていると勘違いされてしまうなんて、誰が思うだろうか。
想像もしていなかった展開に、笑ってしまいそうだった。
「ライアン様、それも勘違いです。私の行動は全て婚約者だったがゆえ。そこに恋愛感情なんてあるはずがないでしょう」
「今更隠そうとしたって無駄だ。シャーロットもお前が可哀想だからと、側室になることを許してくれたんだ。感謝するんだな」
「シャーロット様もそんな勘違いを!?」
まさか二人して勘違いしているとは。
あぁ、駄目だ。
もう我慢できそうにない。
「あの、失礼ながらライアン様は、私に好かれる要素がご自身におありだと思うのですか?」
「何……?」
「だって、ふふっ、駄目だわ、笑ってしまう」
「な、何がおかしい!」
「だってライアン様を好きになる要素なんて、どこにもないでしょう? あはっ、あははは、もう無理だわ、ライアン様ったらこんな面白い一面をお持ちだったのですね」
「お前、俺を馬鹿にしているのか!?」
「やだ、当たり前ではないですか。好かれているだなんて馬鹿な勘違いをして、自らの首を締めているんですもの」
「……!」
「王女の話を知っていて何故こんなことができるのかと思えば、あはは、お、俺のことが好きだから大丈夫だと? そんな勘違いができるなんて幸せな方ね」
はしたないと思いつつ、ここにはもう終わりの決まった男しかいないのだから良いだろうと、声をあげて笑う。
ライアンは顔を真っ赤に染め上げ、鼻の穴を膨らませて憤っていた。
「ふふっ、あなたのような身分しか誇るものがなく、頭も大して良くない、人当たりも良くない、話も面白くない、性格も悪い、口を開けば暴言、おまけに婚約者がいながら堂々と浮気をしてみせる、そんな人間を誰が好きになると言うのです?」
「なっ……」
「あぁ、別に浮気したことに対して嫉妬しているわけではありませんよ。好きでもない人間を相手に嫉妬なんてするはずもないでしょう。シャーロット様はライアン様のどこが良かったのかしら? やっぱり第一王子という身分?」
「っ、いい加減にしろ! 何様のつもりだ? 後悔してももう遅いぞ!」
「もう遅いのはライアン様、あなたですよ」
ライアンは、今まさに王女と同じ道を辿っている。
自ら進んで破滅の道を歩んでいる。
第一王子を溺愛する王のことなので、王女と同様、処刑まではされないだろうけれど。
そんな自身の状況に気付いていないのか、ライアンはニヤリと口端を釣り上げた。
「どんなに泣き喚こうが、許しを乞おうが、決して許さんからな。……捕えろッ!!」
ライアンが叫ぶと同時に、窓から黒装束の男達が飛び込んでくる。
計五名の男達が私目掛けて走り寄り、手を伸ばす。
けれどライアンの声を聞いたのは、彼等だけではない。
控室の扉前に待機していた公爵家の護衛とオスカーが、同じく室内へと雪崩れ込む。
ライアンは一瞬驚き、焦った顔をしていたが「グレースを人質にしろ!」と叫んだ。
護衛やオスカーよりも一歩早く、一人の男が目の前までやって来る。
腰に剣をさしているが、女だからと油断しているのか、使う気はなさそうだった。
伸ばされた手が、眼前へと迫る。
全身を黒で包み、目元だけが見えている男と目が合った。
笑いかければ、男の目が僅かに見開かれ、動揺したのが分かった。
――ドサッ
次の瞬間には、足元に転がっている男。
呻く男の脇腹から、じわじわと血が滲んでいる。
男の喉元に血の滴る剣を突きつけ、顔を上げれば、他の男達も既にオスカーと護衛によって捕えられていた。
その間、僅か数秒。
ライアンは何が起きたのか理解できず、ぽかんと口を開けたまま立ち尽くしている。
「グレース、大丈夫か?」
「えぇ、問題ないわ。傷もなければ、触れられてすらいないから」
「そうか、良かった……」
足元に転がる男をわざと踏んで、私のもとへ来るオスカー。
男は護衛によって回収され、縄でぐるぐる巻きにされていく。
オスカーは私の無事を確認するかのように、頬をつるりと撫でてくる。
「心配した?」
「いや、グレースなら大丈夫だろうと思ってたさ」
当たり前だろう? とでも言いたげに、片眉を上げて不遜に笑うオスカーは、私がそう簡単にやられはしないと知っている。
母国の騎士団長から個別指導を受け、ある程度の相手であれば自分でなんとかできる。
そんな私だからこそ、王女に狙われることが分かりきっている彼のもとへ嫁ぐことができたのだ。
王女が差し向けた暴漢にも、こうして自ら剣を取り、対峙した。
「剣術を習うきっかけをくれたのはライアン様だから、そこだけは感謝しなきゃね」
「そうだな。なんだったか……自分を守るために剣を習わせたんだったか……? 女に守られることを望むとは、とんだ腑抜けがいたものだ」
フンッと鼻で笑うオスカーは、仕草だけはライアンに似ている。
ライアンと同じ尊大な態度に、上から目線な話し方。
けれどそれを不快に思わないのは、彼が理不尽に他者を傷付けたり貶めたりすることはないと知っているからだ。
知り合ってまだ一年ではあるけれど、彼の為人を知るには十分な時間だった。
「グレース!! お前、こんなことをして良いと思っているのか!?」
「思ってます。むしろライアン様こそこんなことをして良いとお思いで?」
「っ、お前は、お前は俺に従っていれば良いんだ!! 俺のもとで俺のために働き、俺のために生きる、それがお前の役目だろう!!」
「んふふっ、ねぇ、面白いでしょう? あれ本気で言ってるのよ」
「あぁ、外で待機してる時、グレースの笑い声が聞こえたから何を笑っているのかと思ったが……これが本当に王子なのか? 何をどうしたらこんな馬鹿に育つ?」
「しかもね、ふふっ、お前は俺のことが好きなんだろうとか言われて、あはははっ、どうしよう、思い出したらまた笑えてきちゃった」
「……冗談だろう? 自分が他人から好かれるような人間ではないと気付いてないのか? いや、気付いてないからこんな態度がとれるのか」
「お、お前らっ……!! 許さん!! 許さんぞ!!」
ライアンは怒りのあまり地団駄を踏みながらも、私達に向かって来ることはなかった。
先ほど黒装束の男達を鎮圧した様子から、さすがに敵わないと分かっているのだろう。
ただでさえオスカーとライアンには結構な体格差がある。
「なぁ、もう黙らせて良いか?」
「うん。ふふっ、私はまだ笑い止まらないから、お願いしても良い?」
「任せろ」
オスカーが笑顔のままライアンに近寄ると、ライアンはサッと顔を青褪めさせる。
「ぁ……グ、グレース、たすけ」
「ハハッ、この状況でグレースに助けを求めるとは。お前にプライドはないのか?」
「グレースは……お、俺の……」
「まさかまだお前のことが好きだと思ってるのか? グレースは面白がってるが、俺としてはその勘違い、不快なんだよな」
「っ……」
「だから二度とそんなことが言えないようにしないと。な?」
「!!」
にっこりと場にそぐわない笑みを浮かべるオスカーとは対照的に、ライアンはガクガクと震え、涙を流し始める。
助けて、とライアンの口が動いたが、その願いが聞き届けられることはなく。
「ガァッ……!!」
顔面にオスカーの拳がめり込み、ライアンは鼻血を流しながら後ろに倒れる。
頭を床に打ちつけ、ゴンッと鈍い音が響いた。
ピクリとも動かなくなったのを見るに、どうやら気を失ったようだった。
そんなライアンを、オスカーは冷めた目で見下ろしていた。
その後は速やかにライアン達の処理をし、僅かに血が飛び散っていたドレスを着替え、オスカーと共にパーティー会場へと戻る。
友人達とお喋りをし、合間にダンスを踊り。
先ほどまでの騒動なんてまるで感じさせない、華やかで心踊る、素晴らしいパーティーを堪能した。
――そしてこの数週間後、ライアンは舌を抜かれた状態で母国へと返された。
母国に着いてからは、念の為にと去勢手術を施され、離宮で幽閉されているそうだ。
生家と、更には婚家の人間が見張っているらしいので、今後彼が表に出てくることはないだろう。
シャーロットは重罪人として、地下牢に投獄されている。
ライアンと共謀し、私を母国へ連れ戻そうとしていたことが明らかになったのだ。
城の人間から多数の証言があったことと、何よりもライアンからの手紙が証拠となった。
手紙にはライアンだけでなくシャーロットの筆跡で「私のために戻って来なさい」といった旨の内容が綴られていた。
第一王子を唆し、国家間に亀裂を入れようとした反逆者。
そんなシャーロットに科せられた罪は重く、禁固刑のみならず鞭打ちの刑も追加されている。
聖女の血を引くとはいえ傍系筋である彼女に、罰を逃れるだけの力はなかったようだ。
彼等の失脚と同時に、母国では第二王子が近々立太子することとなっている。
頼もしいことに彼は、現国王も早々に引きずり下ろしてみせる、と意気込んでいた。
また、これは偶然耳にした噂なのだけれど、ライアンは去勢手術の傷が原因で、感染症を患ってしまったらしい。
新たな国王が即位した後も、果たして面倒をみてもらえるのか……。
「まぁ、もう私には関係ないわね」
隣で一緒に噂を聞いていたオスカーを見れば、彼もまた興味なさそうな顔をしていた。
そんなことよりも今日は、私達が正式に夫婦となる日だ。
長いようであっという間だった仮結婚期間の終わり。
差し出されたオスカーの手を取り、私は一歩足を踏み出した。
私は彼と共に歩んでいく。
元婚約者なんて、もう興味も関係もないのだ。
婚約解消したって、別れたって、相手は自分のことが好きに違いない!
と勘違いしてるお馬鹿さんをけちょんけちょんに笑い飛ばしたかったのですが、貴族令嬢なので大口開けて笑わせるのもなぁと控えめな笑い方になりました。
グレースと一緒にライアンのことを笑い飛ばしていただければなと思いつつ……
ここまで読んでいただきありがとうございました!