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溺愛してくるお兄様から兄離れしようと思います

ファンタジー 恋愛もの 多分分類的にはほのぼの



私のお兄様、クリストフ・モンターニュはとても美しい人だ。弱冠五歳にして自分の美しさを自覚していたらしい。幼い頃は朗らかで天使のような笑顔をよく浮かべていたのが、突然笑わなくなって、両親が心配して尋ねたところ、

「僕が目を合わせて微笑むと皆恋に落ちちゃうから、僕は笑わない方がいいんだ」

と答えたらしい。私が生まれるより前の話だ。

ならば私が兄の笑顔を見た事がないかと言えばそんなことはなく、寧ろお兄様が微笑みかける数少ない人間の一人に私は入っている。他に兄が微笑みかける相手は両親と婚約者になる。なんなら兄は年の離れた妹である私を溺愛している。あくまで兄妹としてであるが、私が我儘を言えば必ず折れてくれる。言わないようにしてるけど。

「我が輝ける星、春の妖精、愛しき妹よ。今日も健やかなようでなによりだ」

「毎度大仰ですわ、お兄様」

「大仰などであるものか。お前が健やかで幸福であればこそ、私も安心できるというもの。お前に何かあれば国が乱れてもおかしくはない」

「それは流石に大袈裟でしてよ、お兄様。伯爵令嬢ひとりどうにかなったくらいで世間はどうにもなりません」

「お前が伯爵令嬢だからではない。お前が他者の心を動かす美しさの持ち主だからだ、我が妹よ」

「お兄様の方が美しいでしょうに」

私の返答にお兄様は、わかっていないな、という顔をした。それはそちらだろう。

私に対しては若干芝居がかった物言いをする兄だが、兄の婚約者は政略によって決まった相手なので常識的な対応をしているようだ。いや、二人きりの時なら口説くような甘い言葉も言うのかもしれない…妹の前では言わないだけで。ただそれが配慮なら婚約者の前で私に大仰な誉め言葉を言うのも止めるべきだと思う。

兄の婚約者である伯爵令嬢と私の関係は悪いものではない。まあ私の主観なので間違っているかもしれないが…兄が家を継ぎ、私はいずれ余所の家へ嫁ぐというのもあるのだろう。家格も大体同格だし。兄が私を過保護に溺愛するのも期間限定だろう、と思ってくれているのだろう多分。

自分で言うのもなんだが、あの兄の妹だけあって私、アイリス・モンターニュもそれなりの美少女ではある。ただ、兄ほどではない。目を合わせて微笑んだくらいで恋に落としたりはできない。たぶん。お兄様もやるなと言っている。ただ、私自身がどうであれ、伯爵令嬢でありあの兄の妹であるというだけで私は利用価値のある人間でもある。兄は私相手だと若干ポンコツになるだけで、優秀で将来有望な次期伯爵だ。縁を作りたい人間はいくらでもいる。

対して私はといえば、そこまで優秀ではない。大抵のことは無難にこなせるけれど、優秀だと讃えられるほどではない。まあ、この王国では女に求められる優秀さは家を良い状態で保ち続けることだ。必ずしも学問や戦いができなくてもいい。マナーや社交について心得ていて、家同士の関係を円滑に出来れば不足はない。

なので、私は対人スキルに全振りすることにした。いずれ私も政略として丁度いい相手の家に嫁入りすることだろう。私自身、恋愛結婚したいとは思っていない。両親は政略結婚だがそれなりにうまくやっている。そもそも私は私のことを好きな人が好きだ。見目の整った人はお兄様で見慣れているし、嫌悪感の湧く容姿でなければ気にならないだろう。態々苦労を買いたくはないので極端に身分の違う相手は避けたい。つまり政略結婚の方がメリットが大きい可能性が高いのだ。

ただ、お兄様が過保護なので婚約者は候補の段階で厳しく調べられているのだろう。早ければ十歳くらいで婚約者が決まることもある貴族社会だが、私はそろそろ15歳になるのに婚約者が決まっていなかった。社交上で口説かれたことはあったが、正式にまとまったことがない。同年代はだいぶ婚約が決まっていて、早ければ16歳で婚姻に至る者もいるので、ちょっと危機感を覚えないではない。空気的には18歳で婚姻予定のない女は行き遅れである。私の行き先が決まらないとお兄様の婚約者も不安だろう。

そんな時に私に天啓下る。国内で見つからないのなら、国外で探したらいいのでは?

両親に提案したところ、賛成してもらい、お兄様も留学していた隣国の学院に一年か二年通うことがトントン拍子で決まった。母方の祖母が隣国の人なので、伝手があったのだ。わざわざ隣国へ行く表向きの理由は、私の数少ない特技の一つである声楽について専門的な学びを得るため、だ。国内で間に合う内容しか学ばないのに留学するなんて言ったら変な勘ぐりをされるかもしれないので。隣国は芸術と魔法に力を入れている。お兄様は魔法を学ぶための留学だった。

まあそんな感じで、私の留学を泣いて嫌がるお兄様の説得は義姉様に任せ、私は私付きのメイドのオリエと従者のエインセルを連れて隣国ジョワムニスに行ったのだった。



名目として声楽を専科にしたし、歌を特技にカウントしていいと思っているが、かといって歌で身を立てようという気持ちは私には毛頭ない。歌うのは好きだけど自由に歌うのがいいのであって、決められた通りに歌うとか人前で歌うとかはあんまり…。実は歌劇とかもあんまり興味がない。流行り物は話の種にある程度押さえておくけど自分のペースで楽しめない感じがあまり好きじゃない。

陸続きの隣国なので隣国と我らが王国でそこまで大きく文化が違うわけではないようだ。しかし、プラナタス王国と隣国ジョワムニスで大きく違うところがある。プラナタス王国もジョワムニスも政治の中心は王と貴族院になるのだが、王国で王族と見做されるのが現王直系+二親等程度までなのに対して、ジョワムニスではこちらなら公家と見做されるあたりも王族のままだということだ。つまり、王族がめっちゃ多い。だからか、王族だからといって取り巻きを引き連れているとは限らないようだ。貴族は割と寄り合いでグループを作りがちなんだけどね。だから、単独行動しがちなのが王族or外国人or特別奨励枠の平民というバグったガチャになっている。まあ私も他人のことは言えないのだが…。勿論、いずれも常にある枠というわけではないのだが、私が留学したタイミングは丁度フルコンボしていた。

教養科目は専科関係なしに必要な人が受講するのだが、それでグループディスカッションで事故が起こった。三人でグループ作ってということだったので、余ってた人を二人回収したら平民出身の子と王族だったんだなこれが。恐縮しまくってまともに発言できない平民の子と、永遠に苦笑してる王族の人。すまない、私が適当に誘っちまったばっかりに…。言い出しっぺなのでフォローに回った。

「アイリス様は、何故平然としていられるんですか…?」

「え?ううん…お兄様の方が美しいから、かしら」

自国の王族でもそこまで緊張したりとかはない。流石に婚約候補対象ではお互いにないし。あまり不興を買ったりしたら拙いけれど、だからといって無能に見られるのもよろしくない。不遜に見られない程度に堂々としているべきだ。

「モンターニュ嬢は度胸のある方ですね」

「故郷でも偶に言われますわ」

しかもそんな大したことしたつもりない時に限って言われる謎。

ディスカッションは無難に終わって、これで一件落着と思ったのだが、そうはいかなかった。何が琴線に触れたのか、王族の人…ヘンドリック様にたびたび話しかけられるようになった。専科が違うので教養科目とか学院内で偶然遭遇した時とかだ。ヘンリーと呼んでいいというのは丁重にお断りした。隣国でも王族はちょっと。

ついでに言えば平民の子、サティさんとも話すようになった。こちらはヘンドリック様がいると近づいてこないけど。


留学先でもそれなりの交友関係自体は築けていて、学内で口説かれることもまああるのだけど、ピンとくる相手がいない。というか、私が口説かれると有能な従者がすぐ身辺調査してくるのでときめけない。大体恋人や婚約者がいるのに粉かけてくる奴ばっかりなのだ。誠実な方はこの国でも大体売約済みらしい。どうやらジョワムニスでは恋愛結婚が良いとされるらしいってのもあるかも。だからそんな家系図がしっちゃかめっちゃかになるんじゃないかな~(棒読み)。まあこの国はそれで回ってるんだから私の口出しすることではないのだが。

「でもお兄様が泣いて嫌がった理由は何となく察しましたわ。お兄様も留学中、大変おモテ(・・)になったのでしょうね」

「お嬢様が留学を取りやめて帰国されるのでしたら手続きいたしますが」

「あら、途中で逃げ帰ったりはしませんわ。他国から来ている方に良い方がいるかもしれませんし」

「然様ですか…」

「私に帰国してほしいの?エインセル」

「…坊ちゃまも人を見る目はあるので、留学中に良さげな相手を見つけていたら見合いを取り付けてきていたと思いますんで」

「お兄様が留学していたのは二年前でしょう。学院の生徒としては大半入れ替わっているのではなくて?流石にデビュー前の子供が自家の主催でないパーティに参加することもないでしょうし」

ちなみに私と兄は母が社交に力を入れてパーティの主催をよくするのでデビュー前から実質的に社交界に顔を出していた。レアケースである。

「坊ちゃまはお嬢様を溺愛してますが、嫁に出したくない訳じゃないんで寧ろ積極的に探してたって兄貴が言ってたんですよ…」

「でもお眼鏡にかなう男はいなかった、と」

我が従者の兄は、兄の執事見習いをしているので、まあ確かな情報といっていいだろう。留学にも同行していたはずだ。

…私は高望みはしてないつもりなのになあ。

「おや、溜息を吐かれてどうされましたか?アイリス嬢」

「カサンドラ伯爵。いえ…少々人生のままならなさを思っていただけですわ」

「私で力になれることなら、いくらでも力を貸して差し上げるのですが…」

「伯爵様の手を煩わせる話題ではありませんわ。お気持ちだけありがたく受け取っておきます」

ヨハネス・カサンドラ伯爵は兄の留学時代の同級生だったそうで、学院に通うために借りているこのタウンハウスにしばしば顔を出しに来る。何かいつの間にか顔パスになっていた。タウンハウスを貸してくれてる家の関係者でもあるらしい。お兄様の友人だから私のことも妹感覚で見ているのだろう。顔パスに関しては、兄も此処から通ってたらしいのでその時からの可能性もある。

伯爵も兄程じゃないが美しい人だ。というか、ジョワムニスは貴族も王族も整った顔の人ばっかりいる。我が国だと貴族にも若干イモい人はいるのだが、この国は全然いない。美しくないと子孫を残せないのかもしれない。ちなみに父様はイモめで母様は華やかな美人だ。誉め言葉かわからないが、足して割った結果が私と言われている。お兄様は母から美貌を受け継ぎ父から有能さを受け継いだので良いとこどりと言われている。すごくわかる。

「そういえば、近々あるサルヴァドラの夜会であなたをエスコートしてくださる方は見つかりましたか?」

「…。…ヘンドリック様に申し込まれましたがお断りしましたわ」

夜会にエスコートとなると、実質交際の申し込みみたいなものだから、身内以外のエスコートで参加したら他の恋人候補は探せない。かといって、私の年でエスコートなしの参加は難しい。自国なら兄や父に頼むことになるわけだが、国外だから、タウンハウスを貸してくれてる家の人に頼む…ことになるだろうか。親戚になるらしいので。

「では、あなたがお嫌でなければ、私がエスコートを申し込んでもよろしいでしょうか」

「えっ」

「お嫌でしたか?」

「いえ…。てっきり、伯爵様は既婚者だと思っていましたから、奥様と参加されるものかと」

「ははは。ご存知の通り、我が国では恋愛結婚が主流ですから20を越えて未婚の者も珍しいというほどではないのです。私も、恋人がいたことはありますが結婚には至っていません」

「そうでしたの…」

…そうなると、伯爵がこの家に出入りしててあまつさえエスコート申し込んできたことに別のニュアンスが出てきちゃうやつだな?いや、ううん…。でも伯爵には兄の妹としか見られてないと思うんだけどな。やらしい目というか、直接的な下心をもって見られた覚えがない。その点は自信がある。伊達に貴族の娘やってないので。

それはそれとして、伯爵が相手としてアリかナシかでいえば…お兄様がどういうかはともかく、私としてはまあ、アリの範疇かも。男の人を見る時に兄を比較対象にしてしまうのが私の悪癖である自覚はある。逆に言うと、年齢差は…少なくとも、兄と同年代なのは嫌じゃないんだよね。積極的に選択肢には入れないけど。我が国だとその年で独身は地雷の可能性あるので…。

今まで接してきた限りにおいて、伯爵は良い方だと思うし、従者から悪い情報が回ってきたこともない。お兄様の評価は気になるところだけれど…まだ本格的に口説かれたわけじゃないしね。

「伯爵様が年下趣味だと揶揄われるのがお嫌でないのでしたら、エスコートをお受けいたしますわ。見聞が広がるのは良いことですし」

「ふふ。光栄です。ですが、連れているのがアイリス嬢であれば揶揄いも嫉妬からのものでしょう。人の隣で微笑む花の妖精のように愛らしい方を見て年の話をするのは野暮ですから」

「まあお上手」

お兄様も私のことを妖精だの星だの言うがお世辞にしても大袈裟だと思うんだよね。いや、お兄様は本気かもしれんが…シスコンだし。言ってる本人のが美しいので白々しく聞こえてしまう。ひがみかもしれない。

「ところで、伯爵様が何故恋人と上手くいかなかったかはお聞きしてもよろしくて?」

「ええ…学生時代のことですが、クリストフの方が私と並んで様になるから、と振られてしまったのです」

「お兄様の苦虫を噛み潰したお顔が目に浮かぶようですわ」

我が従者も似たような話に聞き覚えがあるという顔をしている。兄は老若男女惚れさせるが、本人はあくまでヘテロだ。同性愛者ではない。なのに偶にそういう話が出る。兄自身は婚約者以外と婚姻も交際もするつもりはないはずなのだが。美しいとは罪作りなのだなあ。

「元々、彼女は私の隣で笑って妻をしていける自信がない、と悩んでいらっしゃったのが、それで決定的になってしまったようなのです」

「お気の毒ですね」

伴侶の方が美人っての、大丈夫な人と耐えられない人がいるらしいからなあ。というか、

「その方とは恋愛関係ではなかったのですか?」

「幼い頃に彼女の方から婚約を申し込まれた方でしたよ」

子供の頃は大丈夫だったけど育つにつれてコンプレックスになったタイプか~。あっさり話すあたり伯爵自身はあんまり気にしてないのかな。

「伯爵様はそれでよろしかったんですの?」

「無理強いをするのは私の本意ではありませんから。流石に、十年ほど婚約者として接してきた方に拒まれたことにショックを受けなかったわけではありませんが…平和に婚約解消してお互い経歴の傷にはなりませんでしたし」

「この国ではよくあることなんですの?」

「珍しいこと、ではありませんね」

我が国では政略による婚姻が多いので婚約解消が穏便に終わることは滅多にない。否、そもそも婚約解消が滅多に成立しないという方が正しいかな。それこそ両家の関係が完全に破綻するレベルの事件でもなきゃ起こらない。だから、理由が何であってもかなり不名誉だ。どちらが良いかはその人の価値観によるんじゃないかな。なんにせよ真っ当に婚姻が成立して仲良くできるのがベストなのに変わりなし。

「アイリス嬢はまだ婚約者がいないそうですが、どのような方が良いという理想があるのですか?」

「私としてはそう高い理想を掲げているつもりはありませんわ。対等な関係で婚姻を結べて、私一人を誠実に愛してくださる方が良いというだけですもの。ついでにお兄様に決闘を挑めるくらいの度胸があると尚良いですわね」

兄は私の為ならいくら労力をかけても苦にしないので、義姉様に心労をかけないためにも兄離れできる相手がいい。あと生活水準は今を維持したい。上げるのも下げるのも嫌だから、同格、伯爵位で財政が安定しているところがいい。兄、ひいてはモンターニュ家を当てにするような相手は避けたいので媚びを売りたがる男は駄目。

別に恋で始まった関係でなくともお互いに敬意をもって接していれば愛は生まれるものだということを両親が実証している。私も伴侶とはそのような関係を築きたいと思っている。兄もそうだろう。

「…ああ、理想が高いのはクリストフでしたか」

「…そうかもしれません」

正直なところ、お兄様よりも私を大切に心を砕いてくれる男性とか実在しないんじゃないかって思っているところはある。良くも悪くも。


伯爵のエスコートで参加した夜会には本当に色んな方が参加していた。恋愛重視で成人してもパートナーが決まっていなくても普通だからか、エスコート相手と早々に離れるのもそれほど問題視されないらしい。勿論、睦まじければ傍にいるのだが、一人で会場を回っている方がちらほらいる。私はあえて離れる意味もないから伯爵と同行しているけれど。

兄と同級だっただけあって、伯爵と挨拶する方の半数くらいは兄のことを知っている。この国でも兄の印象は、美しい男、だったようだ。妹として複雑だ。あの兄の妹がこれ?と思われている気がする。被害妄想かもしれないが。それはそれとして、兄を通じて私の存在は知られていたようではある。まあ…留学中も筆まめに手紙をくださったり、小さな肖像画を持っていったりしていたらしい兄だ。シスコンっぷりが一切知られていなかったとは思えない。お兄様も隠さないだろうし。

「出会ったのがもう二年早かったら俺もアイリス嬢にダンスを申し込んでいたのだが」

「ふふ。お兄様を丸め込める方ならお受けしますけど」

「君はそれがどれだけ困難なことか知らないんだろうね!」

「私はプラナタスの女ですから、情だけでは動きませんわ」

まあ近頃は恋愛小説に憧れて迂闊なことをする貴族もいるらしいとも聞くが。貴族の務めを何だと思っているのやら。

「モンターニュ嬢!」

「あら、ヘンドリック様。ご機嫌よろしゅうございます」

「てっきりあなたは参加しないものかと…。…学院であなたをエスコートできるという男がいなかったものですから…」

「僭越ながら、アイリス嬢のエスコートは私が勝ち取りましたからね」

「ヨハネス兄上?!何故あなたが彼女と?」

「…伯爵様?」

そこがそういう関係とは聞いてないが?

「私は彼女の兄と同級でしたからね。以前から交流があったのです」

「そう、なのですか…」

そんな雨に濡れた仔犬のような顔されても私も困る。友人付き合いならともかく、恋人としての交際は結婚前提のものと私は決めている。余計な相手に気を持たせても厄介なことになるだけだろう。色恋沙汰は面倒なものだと兄を見ていればよくわかる。

「…モンターニュ嬢は、ヨハネス兄上のような方が好みなのですか?」

「ん…婚姻は家同士の契約ですもの。対等に、互いに敬意をもって愛し合える方であれば良いと私は考えていますわ。お兄様を納得させられるかやり込められるかですとなお良しですわね」

伯爵のような、が何を指しているかにもよるが、彼が好みかと言われると、どうだろう。本気で口説かれたら頷くかもしれないけど、遊びの関係なんて誰相手でも嫌だし。それに、伯爵は別に私に対して恋愛感情は持ってないと思うのよね。私は、私のことを好きな人が好きだから、相手が私のことを好きかどうかはわかるつもり。好意のニュアンス、方向性がどうあれ。そういう意味では、別に好みではないのかも。

あ、でも伯爵の低い声はセクシーだと思う。

「僕では駄目ですか」

「王族に嫁ぐのはちょっと」

「そ、うですか…」



「成人してカサンドラ伯を継いだ際に、王位継承権は放棄したのです。元々、余程のことがなければ順番の回ってこない王子でしたしね」

「そうなのですか…」

ジョワムニスは割と王位継承権周りが複雑で、次期王、王太子の選定が現王の直系になるとは限らないとは聞いている。ざっくり言うと、善き伴侶を得て次代を紡げることが重視されるらしい。そういう意味では、婚約破棄なんてことになったら、レースからコースアウトしたようなものだろう。ジョワムニスの政治は王が単独で大きな力を得ることを良しとしないので、血を繋ぐことを優先できるというのもあるだろう。王が暗君でさえなければ議会でサポートできる。

「アイリス嬢、私があなたに婚約を申し込んだら、受け入れていただけますか?」

「お兄様と決闘していただけるのなら、よろしくてよ」

「あなた自身の気持ちでは決めていただけないのですね」

「私は、私を愛してくださる方のことなら愛せますもの」

その辺をブレた覚えはない。生理的に無理な相手なら普通に断るし、兄は私が不幸になると見做した相手に私を嫁がせることを良しとするわけがない。兄が太鼓判を押す相手に嫁げば私は幸せになれるだろうし、兄と対等にやり合える相手ならそれはそれで何とかなるだろう。婚姻に恋は必要ない。とはいえ、だ。

「そういう伯爵様は、何故私と婚姻を結ぼうと思われるのですか?」

「それは私があなたに好感を持っていて、あなたの求める婚姻相手に私がなることができると考えるからです」

「あら…」

確かに、彼が浮気しないのであれば、当てはまるのかもしれない。特に何とも思っていない、友人の娘というだけの人間に誠意をもって接することができるわけだし。結局、従者からアウト報告は上がってきていないし。お兄様は多分嫌がるだろうな、という気はするけれど。両親は多分、反対しないんじゃないかな。

「…ふふ。では、私を口説いて留学が終わるまでにその気にさせてくださいませ」

「…手厳しいお方だ」

「私だって幸せになりたいのです」

にっこり笑って返す。私の幸せのために兄に苦労させたくないが、兄の幸せのために自分が犠牲になるつもりもない。そもそも私が不幸になったらお兄様は深く後悔するだろうけど。



本当に熱心に口説かれて婚約がまとまった。彼の領地は当然隣国なので嫁げば国籍が変わるし気軽に実家に帰れなくなる。18で嫁ぐと決まってそれまでは故国の友人たちと別れを済ませたりなんやかんやすることになった。王国の学園に編入して2年過ごす。こちらは普通科だ。ある意味身辺整理みたいなものでもある。婚姻としてまとまりはしなかったとはいえ、私もそれなりのネットワークは作ったので。彼は長期休暇に合わせて会いに来る予定だ。

それはそれとして、私が留学から帰ってきたその日に両親と彼の婚約者としての顔合わせになった。

「アイリス。我が愛しき妹よ、正気か?その男がお前を幸せにすると?」

「まあ、お兄様は祝福してくださいませんの?」

「よりにもよって、その男を選ぶとなれば、お前に見る目がないと思わざるをえない。お前の前では巨大な猫を被っていたのかもしれんが、悪趣味極まりない男だぞ」

友人どころか仲が悪い相手だったらしい。まあ正直、仲良くはなかっただろうな、とは思っていた。仲良しなら、お兄様も何かしら私に話してくれていただろう。

「お兄様はヨハン様のことがお嫌いなのね」

「好きになる要素がない。婚約者と別れるために私を利用した男だぞ。縁切りしたかったところだ」

「あら…元居た婚約者の方にフラれた原因はお兄様だとは仰っていましたけれど」

「…その男は、魔法実験の事故で私が一時的に女になった際に、人前で私を口説くような発言をしたりエスコートしようとしたりしたんだ。事故は己の責任だからとかなんとか言ってな」

「美しいものを美しいと讃えるのは当然のことでしょう?」

「女性になったお兄様が物凄く美人だったのは予想できますわ」

しかしまあ、何の裏もないと取るには怪しいし、兄の口ぶり的にワンチャンそもそも事故自体が故意のものだった可能性があると。どんな意図があればそんなことをするのかわからないけど。

「外見の美しさなど所詮は一時のものだ。真に讃えるべき美は、心根であり魂に宿るもの。寧ろ過剰な美は人の眼を曇らせる害悪だ」

「それは私も否定いたしませんが。クリストフ殿の美しさは魂からの輝きであると私は思いますよ」

「断じて否だ!!俺もお前も所詮は人を惑わせるだけのものに過ぎない。真に美しい魂とは、星の輝きにも等しく、他者を惹きつけその幸福を願わせてやまない…アイリスのようなものを言うのだ!!」

「身内びいきが過ぎますわ、お兄様」

「ええ、アイリスも美しい魂の持ち主です」

「お前が我が妹の名を気安く呼ぶな!!」

「ヨハン様は私の婚約者よ、お兄様」

しかしお兄様がこれだけ取り乱すのも珍しい。よほど相性が悪いのだろう。ヨハン様は何か楽しそうにしているけど。お兄様を揶揄うのが好きなのかもしれない。

「ええ、アイリスの了承は得ましたし、ご両親の許可も出ました」

「今ほどモンターニュ家の現当主が自分でないことを口惜しく思った瞬間はない」

「お兄様ったら…」

まあ、だから母に手紙で相談して婚約をまとめたのだけど。家で一番行動力があるのは母だと思うし。

「…本当に、本気なのかアイリス。その男の何処が気に入ったのだ」

「ふふ。私、私のことが好きで、私の為に動いてくれる人のことはみんな大好きよ?」

何がきっかけか、正確なところはわからないが、今では彼も本気で私に好意を持ってくれている。だから婚約を了承したのだ。お互い相手が本気になるほど本気になっていった気もする。ある意味相性が良かったのだろう。いわゆる恋ではない気もするけれど、私が幸福になるために必要なのは恋ではない。互いを尊重できる愛が芽生えればそれでいい。

「…それだけが理由であれば他にもいただろう」

「お兄様に決闘を申し込むことに躊躇いがなさそうなところも良いと思います」

「…お前は、俺が嫌いになったのか?」

「いいえお兄様。寧ろ逆。お兄様は私の為なら労を厭わないんだもの、私が兄離れをしなくちゃ、義姉様にご迷惑がかかってしまうわ。なら、お兄様に頼る気満々の夫では駄目でしょう」

「アイリス…」

「そういうわけですから、義兄様は精々遠くでアイリスを見守っていてください」

「お前に兄と呼ばれるいわれはない」

今更だけど、お兄様のそのポジション、年が離れているとはいえ、兄というより父なのではないかしら。父は婚約に反対していないけれど。



「…私が言うのもなんですが、故国を離れることに後悔はないのですか、アイリス。異国に嫁ぎ骨を埋めるとなれば、苦労をさせぬわけにはいかないでしょう」

「言葉の通じる場所で、私を本気で愛してくれる人がいるなら何とかなりますわ。それに、別に身一つで乗り込むわけじゃありませんもの。オリエとエインセルも引き続き仕えてくれますし」

「私がいるから、とは仰っていただけないのですね」

「うふふ。私、ヨハン様が最初、私個人には興味なく口説いていらしたの、知っていてよ」

「…。…でも、私の求婚を受け入れてくださいましたね」

「だって今のヨハン様は私のことが好きでしょう」

「…ええ。私の愛しい方、地上で煌めく星の君よ。おそらくあなたが思うより私はあなたを愛していますよ」

「ふふ。知っていますわ」



隣国王族は自分と対等に話せる人にキュンとしがち 美が威圧になってしまう人ばっかりなので美しいけど威圧感ないアイリスは隣国人たちにはカルチャーショックしがち

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