母のおもい
お母様が騒いでいる。
「あぁ!どうして!?どうしてレティシアがいないの!?」
レティシアお姉様?お姉様がいないの?
サンドラは母が騒いでいる部屋へと入っていった。
着ているドレスは、ジョエルがレティシアのためにと贈った物だが、いつも通り母がサンドラにくれた。
「お母様?どうなさったの?お姉様がいないの?」
そういえば、ここのところ、姉の姿を見かけない。
首を傾げて聞くと、母が必死の形相でサンドラを抱きしめて。
「えぇ!そうなのよ。数日前から行方知れずになって……!レティシアがいないと、サンドラはどうすればいいのよ!!」
「……お母様、お姉様がいなくなったら、誰が私のモノを用意してくれるの?」
「そうよ!サンドラが使うモノは、全てレティシアが試したモノじゃないと!もしサンドラに何かあったらどうするのよ。レティシアが使って、安全だと確認出来たモノじゃないと!!」
「お姉様は悪い子ね。お姉様は私のために生まれてきたのに」
「先に生まれてきたんだから、それくらいやらないと!!」
レティシアの存在意義はそこにある。
レティシアの食べた物。レティシアが好きになった物。レティシアの手に一度でも渡ったモノ。
レティシアは、いわばサンドラのための毒見役だ。そこにもし本当に毒が入っていたとしても、サンドラの手に渡る前にレティシアが毒に犯される。そうすればサンドラは安全なのだ。
「私の可愛いサンドラ。レティシアもリュシアンもいなくなって……これから先、あなたをどうやって守っていけばいいのよ」
リュシアンにはサンドラが生涯、金銭的に不自由しないようにする義務があったというのに、勝手にバルバ帝国に行って、勝手に死んで!
あの子たちは、サンドラのために育ててやっていたのに。
サンドラがレティシアの真似をしてれば、リュシアンにも大切にされて、それで幸せに暮らしていけたのに。
なのに肝心のレティシアは行方不明。リュシアンは事故死。
これからどうすればいいのか分からなくなり、頭の中がパニック状態になった。
あぁ、全く忌々しい。
「……そうよ、そうだわ。サンドラは、あの子たちと同じようにしなくてはだめなのよ」
狂った頭は、そう結論づけた。
翌朝、サンドラが母の部屋を訪れると、昨日とは打って変わって笑顔の母が出迎えてくれた。
「サンドラ、今日はお出かけしましょう?」
「お出かけ?どちらに?」
「うふふ、秘密よ。レティシアから貰ったあなたの一番お気に入りのドレスを着て、リュシアンとお揃いの懐中時計を持ってきてね?」
「懐中時計?私、そんなの使わないからどこにしまったのかしら?」
懐中時計も、本当はレティシアの物だった。バルバ帝国に行く前にリュシアンが密かに渡したのだが、目ざとく見つけたサンドラがもらったものだ。
「いいから。きちんと持ってくるのよ?」
「はーい」
返事をするサンドラを、母は機嫌良さそうに微笑んで見ていた。その笑顔に嬉しくなり仕度をするために部屋を出て行ったサンドラには、その後の言葉は聞こえなかった。
「……そうよ、あの子たちと同じようにしないと……」
にたりと笑った母の顔を、誰も見ていなかった。
どこに行くのかも教えてもらえず、ただ馬車に乗せられたサンドラは、どんどん森深い道に入って行く馬車から外の景色を見て少し不安に思ったが、それでも気分は良かった。
リュシアンが死んでから、家には何となく重苦しい空気が漂っていた。さらにレティシアまでいなくなってしまったので、使用人たちが「呪われているのでは?」と、ひそひそと噂しているのをサンドラは知っていた。
呪いなんてあるわけないのに。あったらとっくの昔にレティシアが呪われている。
だって、サンドラの姉なのだから、サンドラに危機が及ばないようにするのが彼女の役目だ。
……ひょっとしてレティシアが行方不明なのは、そのせいだろうか?
「ねぇ、お母様」
「何かしら?」
「お姉様は呪われていたの?」
「呪い?さぁ、どうかしらね?でも、もしレティシアが呪われていたのなら、サンドラも呪われないと」
「……え……?」
突然、母が恐ろしいことを言ったので、サンドラは慌てて母の方を見た。
母は慈愛に満ちた顔でサンドラを見ていた。
「だって、サンドラ、あなたはレティシアと同じようにしないとだめなのよ。そうしないと、あなたは生きていけないの。だから、ね?」
「お母様?」
母の笑顔が怖い。急にガタガタと全身に震えがきた。
震えるサンドラの手から、弄んでいた懐中時計がするりと床に落ちた。
カツンという音が馬車の中に響く。
「あらあら、だめよ。サンドラ。これは、あなたが残す証なのだから」
「な、なにをいって……」
口が震えて、うまく言葉が出てこない。
レティシアと同じって何?
それに懐中時計が残す証?
懐中時計を残して死んだのはリュシアンだ。
「お、おかあ、さ、ま」
「ねぇ、サンドラ。あなたはレティシアと同じように行方不明になって、リュシアンと同じように懐中時計を残すのよ。それが正解なの」
生まれて初めて、サンドラは母に恐怖した。
「申し訳ない、ジョエル殿。こちらから呼んでおいて、二人とも不在とは!」
「いいえ、かまいませんよ。どうせ話の内容は分かっていますから」
長椅子に座ったジョエルは、レティシアの父の焦る様子をじっと眺めていた。
「子爵、レティシアが行方不明になったからと言って、サンドラと婚約するつもりはありませんよ」
「し、しかし!」
「レティシアだから申し込んだのです。レティシアでなければ、意味はありませんから」
あの日だって断ったのに、レティシアが行方不明になったと判明したらすぐにサンドラとの婚約を打診された。その前にもっときちんとレティシアを探せと怒鳴りたくなったが、子爵家は行方不明の届けを出すだけで動く気はなさそうだった。
レティシアが無事に、むかつくけれど、リュシアンと一緒に行ったのを知っているからジョエルはあまり心配はしていないが、改めてこの家の異常性が浮き彫りになった。
「もうこれで帰りますが、レティシアのことで何か分かったらご連絡ください」
「ジョエル殿……」
それ以外の連絡など何もいらないという態度で、ジョエルは屋敷から出た。
「全く、確かにこんな家族と一緒に暮らしていたら、死んでも出て行きたくなるな」
クソッと思いながらも、リュシアンがレティシアを連れ出したことは褒めてやりたくなった。
あの二人が、お互いに依存する気持ちが少しだけ分かった。
楔がいなくなったこの家は、そのうち消えてなくなるのだろうな、とジョエルは漠然と思っていた。
数日後、行方不明になっていた子爵家の馬車が、普段あまり人が通らないような深い森の中で発見された。
何らかの理由で車軸が折れて馬車が横転したらしく、馭者はその場で亡くなっており、乗っていたはずの母と娘が行方不明になっていた。
ただ、母親の方は、少し離れた場所で亡くなっているのが発見された。
おそらく、馬車が横転したので助けを求めようとしたが、森の中を彷徨って亡くなったのだろうと推測された。
どこか満ち足りた顔で亡くなっていた母の手には、懐中時計がしっかりと握られていた。
娘の方の行方は、一切分からなかった。
……すみません。熱に浮かされながら思いついたエンドが、ちょっとホラーになりました……。