能力行使の難しさ
ハルグミをザルに移す作業をして時間を潰していたロキは、ドアの開く音に顔を上げて……早かったな……と言おうとして、二人の気配にフードを深く被る、
「だから大丈夫だって」
「……どう考えても無理だろ。お前何言ってんだ」
「だから、もうここまでで。家の前に置いておいてくれたらあとは私が」
「はあ? どういう遠慮だよ。ここまで来たら家の中まで運ぶわ」
「あっ……」
サクラの制止に意味がわからないという顔をする青年は家に入って、そこにいたフードを深く被った男に固まる。
「……は?」
「あ、お……ロ、トール! 彼はアズール」
サクラは王子様ともロキとも呼べず、咄嗟に偽名を呼びながら慌てて二人の間に入る。
アズールはなんで自分が紹介されてんだと思った。
どう考えても紹介が必要なのはそっちだろと。
ロキは椅子を立ってアズールに向き直る。
アズールは自分より十センチは高いだろう男に威圧感を感じて顔をしかめる。
背が高いというだけで不審者感が増した。
「驚かせてすみません。旅の者です。怪我をして彼女の世話になったのですが、礼になるようなものを何も持っていなかったので、しばらく彼女の手伝いをと思いまして。顔に火傷の痕があってあまり見られたくないもので、このような恰好で失礼します」
そんな嘘を並べ立てるロキに、サクラはそうなんですというふうに笑顔を作る。
「……へえ、それは大変だったな」
サクラのことは近隣の村にも知られているくらいで、旅人がサクラを訪ねることも何度かあったのでアズールはそれを嘘だとは思わなかった。
不審感は消えなかったが。
「早かったですね」
「あ、はい、やっぱり春風病でした。アズールはその子のお兄さんで、お礼でくれたハルミカンを持ってきてくれて」
ハルミカンがたくさん入った布袋をアズールは床に置く。
薬鞄を持っているサクラが持って帰るのは無茶な量だった。
「ハルミカン」
「食べたことないですか?」
「ない気がします」
「じゃあ後で一緒に食べましょうか」
サクラは敬語のロキになんだかそわそわしてしまう。
沈黙が落ちて、サクラは貼り付けた笑顔で心の中でアズールに帰ってーと念じる。
「あ、あの、トール、ハルグミ採るの手伝ってもらってもいいですか?」
咄嗟に出た言葉だったが、昨日ロキの手当てで中断してしまったため予定より実際に採取量は少なかった。
サクラはカゴを持つとロキの腕を掴んで家を出る。
家の者が出たのだから当然アズールも出ると、サクラはドアを閉める。
「アズール、ハルミカンありがとう」
「いやこちらこそ」
「じゃ、じゃあ私たちこれから山に行くから」
「オレも暇だから手伝うわ」
「……え」
そう言うなり山の方にスタスタ行ってしまうアズールに、サクラは慌てて追いかける。
ロキはゆっくり後をついていく。
「そんな、悪いよ」
「お前どうした? こんなのよくあることだろ」
小さい村で、近所付き合い、手伝い合いはみんな日常茶飯事だ。
結局断りきれず、三人で山に行く。
「……なんだかすみません、こんなことになって」
三人ばらけるがカゴはサクラしか持っていないので、片手を一杯にしたロキがサクラのカゴに入れにきたときに、サクラは小声でそう言う。
「得体の知れない男がいれば普通警戒する。俺が不用意だった。洞窟から出るべきではなかった。こうなった以上今日中に村を出る」
サクラは驚いた顔でロキを見る。
「でも魔力が」
「すぐにはアマルテアに戻らずヘルシリアで隠れているつもりだ」
サクラは渋い顔で納得していないことが表情に出ていて、ロキは少し笑う。
「そんな顔をするな。優秀な医者に拾ってもらったおかげで体はなんともない。それに俺は魔法使いだが剣も扱える」
「私の中では死にかけて倒れていた人です」
「……それを言われたら何も言えない」
何かあったとき対処できない人間だったからこうなっているわけで。
「すみません、私の魔力がもっと高かったら」
「命の恩人に謝られてしまったら俺はどうすればいい」
フードの下で困ったように笑ったロキは、そこでアズールの視線を感じて自然にハルグミを摘む作業に戻ってサクラと距離を取る。
「後ろの木、かぶれますよ」
その声にロキはアズールを見る。
それから後ろをちらっと見て、少し距離を取った。
「ありがとうございます。こういうものに詳しくないもので……」
「いや俺もそんな詳しいわけじゃないですけど。よく見るやつなら親とかから教えられてますけど、その木はなんか鳥にでも種運ばれてきたのかこの辺に一本だけ生えてて」
「へえ、それなのによくご存じで」
「前に村の子どもがかぶれたんですよ。そのときにサクラが原因はそれだろうって」
「さすがですね」
そういう反応のロキに、アズールはロキを見る。
「一人で旅を?」
「心配しなくてもすぐ出ていきますよ」
それは探りを拒絶するような言い方ではなく柔らかい言い方で、アズールは少しばつの悪いような気持ちになる。
二人は採ったものをサクラの持つカゴに入れに行き、まずアズールが入れているとき、ロキはフードを押さえながら少し顔を上げる。
「トール?」
「どうしました?」
二人が不思議そうに見ているのに気づいて、ロキは自分も手の中の実をカゴに入れる。
「いや、なんでも」
「あ!」
ない……と言おうとしたロキはサクラの声に途切れさせる。
「「ん?」」
サクラの大きな声に、二人はサクラが見ている樹上を見る。
「セミの抜け殻!」
サクラが指差す。
「こんな季節に珍しいな」
「夏のイメージですね」
二人ともセミの抜け殻に喜ぶ歳はとうに過ぎた。
「春のセミの抜け殻は春殻と言って特別なんです! 滅多に見つからなくて、普通のセミの抜け殻、生薬としては蝉退とか蝉殻とか言うんですけど、それより効能が強くて、蝉花と樹上白蝉衣と並んで三大高級蝉殻の一つです」
「「……高級」」
二人の目にはただのセミの抜け殻にしか見えない。
「……え、あれ食うの?」
「……外用薬の方かもしれません」
二人はサクラが薬の材料として見ていることに気付いた。
「セミの抜け殻は目に……」
そんな二人にサクラはどういう効果がある生薬か訴えようとするが、ハッとして、言葉が止まる。
「もうたくさん集まりましたし戻りましょうか」
ハルグミは確かにたくさん集まっているが、その不自然さにアズールは違和感を持つ。
「あれいいのか? お前しょっちゅう薬の材料集めて楽しんでんじゃねぇか」
アズールがそんなに集めてどうするんだと言ったら趣味だからと以前サクラは答えた。
医者を職業にしているわけではない趣味だから、こんなものは使わないからいらない、という発想にはならない。
「でもあんなところにあるんじゃ取れないから」
サクラが見上げて言う。
アズールも見上げ、確かにと思った。
「……この木ツルツルしてて登るのも難しいんだよな。でも高級ならいっそ根本で切っちまうってのは」
「残念だけど蝉花と樹上白蝉衣は見ればそうだとわかるけど春殻は見分けるのがすごい難しいから、信用してもらえる立場で持っていかないと信じて買い取ってくれないの。去年の夏の蝉殻かもしれないでしょ?」
「……だから市場に出回らなくて余計に高級なんじゃね?」
「それもあるかも」
「もったいねー」
せっかく高級なものがすぐそこにあるのに。
残念だなーと言いながら三人で山を下りる。
「そういえば、えーっと、トールさん?」
「はい」
「カエル食える?」
「……食える、カエルなら」
その反応に食べたことがないのに言っているなと察してアズールは笑う。
「昨日弟といっぱい捕まえたんで、お昼それお裾分けしますよ」
村の入り口で「また後で」と別れてアズールは自分の家の方に行く。
サクラは隣を見た。
「……本当に食べれます?」
「……たぶん」
この辺りではよく食べられるが、一般的な食材ではないというのはみんな知ってはいる。
「あの、嫌がらせで言っているわけではないので……」
家へ歩きながら、サクラはアズールのフォローをしておく。
「それはわかってる。俺への接し方も軟化しているしな。普通にお前と二人にして離れたところを見ると、悪い人ではないだろうけど、でも得体の知れない旅人だし一応様子はたまに見ておこう、くらいだろう」
ロキに気分を害した様子はまったくない。
「そんなことより本当によかったのか?」
何のことを言っているのかはすぐにわかったが、サクラは曖昧な相槌を打つ。
家に着くまでに二度、サクラは隣の男について声をかけられるが、怪我をして困っていた旅の人、という説明ですぐ納得され、ロキはそれでいいのかとは思った。
たまにあるんですとサクラには言われるが、それに関してはお前それでも医者じゃないと言うのかと心の中で返す。
家に着くと、朝食を食べた席に座って二人は自然とハルグミをザルに分ける作業を始める。
「蝉殻って、目に効くんですけど」
「ああ」
ぽつりとこぼすように言ったサクラの言葉に、ロキは作業を止めずに短い相槌だけをする。
「ふと、怖くなって。目を治すって、どれくらいだろう。本当に治るのなら、私は確かに王子様の言うように小さな村で平凡に生きるのは難しい気がします」
「失明した目を、治せるかもしれない?」
「正直それは、治せない気がします。なんとなくですけど、そんなに万能で奇跡の御業みたいなものではない感覚で。状態と原因にもよるとは思いますし、なんとなくなんですけど」
「そういう特殊な魔法の使い手のなんとなくは他の例を見る限り直感的な理解な気がするな。お前は俺の火傷を治すとき最初から薬を必要とした。手をかざすだけで治すことを試してみようとはしなかった。そういう魔法なんだと思う」
ロキは、こういう非常事態にわざわざ魔力を消費して治してもらうほどではないと思っていた右腕の軽い打撲痕を見せる。
サクラは手をかざして魔力を込めてみた。
撫でてみる。
目を閉じて念じてみた。
治っていなかった。
部屋から軟膏を取ってくると、魔力を込めてロキの腕に塗る。
何もなかったかのように綺麗に治った。
「これは、治癒魔法という名称でいいんでしょうか。薬の効果を上げる魔法?」
「名前を付けるなら治癒魔法だろう。花魔法使いも何もないところから花を出したりはできなかった。そういう魔法は間々ある。俺から見て違和感はない」
魔法大国の王子がそう言うのならそうなのかとサクラは納得する。
「思えば今まで不思議に思うことはいくつかあって」
「定番の流れだな。花魔法使いも探知魔法使いも同じことを言った」
少し笑って言うロキに、サクラも釣られて少し笑う。
「薬とか化粧品が合わなくて塗ったところの肌が赤くなるとか痒くなるみたいなことがあるんですけど、私一回もそういうことが起こらなくて。最初は気を付けてたんです、村の人たちにも伝えて渡していて、でも一切、本当に一切、何もなくて、この世界の人は基本的に丈夫にできてるのかなとか思い始めて、傷の治りも体調の回復も早いですし。それでだんだん気を付けようって意識も薄れてきて」
「お前が作った薬が特別だったんだな」
「……商売しようかな」
「花魔法使いも同じこと言ってたな」
「仲良くなれそうです」
「……それはどうだろう。世界一役に立たない魔法と自分で言っているからな。治癒魔法使いとは対照的だ」
「え、でも冬にも夏の花咲かせられるんですよね? それつまり冬にも夏の薬草手に入るってことでは」
ロキは確かにという顔になる。
「その発想はなかった」
「やっぱり私仲良くなれる気がしますが」
「仲良くなれそうだな。じゃあアマルテアで薬医を」
「白内……白視病って、聖医しか治せない代表的な病気の一つじゃないですか」
「……流すなよ」
「正確に言うと一時的によくするだけで定期的に治療はしてもらわなければいけないようですが、一年くらいは持つそうなので」
「らしいな。俺の祖父も白視病だ」
「この村にもいますが、私は進行速度を緩やかにするくらいしかできなくて……できてるのかもわかってなかったんですが、この感じだとたぶん」
「できてたんだろうな」
サクラは流してしまったが、ロキの祖父ってつまり先代のアマルテア国王ではとふと思って、今更ながら恐ろしくなる。
「蝉殻は白視病に効くらしいんですよ」
ロキはサクラを見る。
サクラはまずそうな顔をしていた。
「……やっぱり一緒にアマルテアに行こう。ヘルシリアで聖医の特権を奪うことになればお前の身に危険が及びかねない。アマルテアでは歓迎される、俺が保証する」
「こんな小さな村のことなんてわかりませんよ」
「お前は一生ここにいるつもりか?」
「……そのつもりですが」
外で生きることなんて考えたことはなかった。
街に行きたいと思うことはあったが、それは買い物に行きたいくらいの気持ちで。
「お前が“薬剤師”の肩書は使えないという理由はわかる。たとえ資格は取っていても真実それに足る能力を発揮できるかはまた別だ。異世界で知識と技術を応用して、というのが難しいのもそうなんだろう。だがお前が今生きているのはこの世界で、俺はこの世界の話をしている」
サクラは……あっ……と思った。
ロキに指摘されてはじめて、自分が前世と今世をごちゃ混ぜにして考えてしまっていたことに気付いた。
「この世界で十分な能力を持っているなら、それがすべてだろ。医術はというが、お前はすでに医者として在るように、俺には見える」
「…………」
「この世界で医者ができる能力と、この世界にも応用できる前世の知識と、治癒魔法。だが別に全部活かさなくたってそんなのはお前の自由だ。自分は救えることをわかりながらそれでも知らない顔をできるなら、今まで通り少し評判のいい薬を売るだけの趣味で留めるのなら、こんな小さな村のことはわからないという言葉もその通りだと思う。だとするなら、俺のアマルテアに来て薬医になってほしいという願望はただの俺の願望でしかない」
「…………」
「だがお前は本当に一生をこの村で過ごしてそれでいいのか? したいことがたくさんあったんじゃないのか」
「……王子様は」
「サクラはどうしたい。今お前の目の前にはいろいろなことを叶えられる人間がいる。俺は手を伸ばすが、お前の意思を無視して攫ったりはしない。お前はどうしたい。一番大事なのはサクラがどうしたいかだ」