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特別

 朝、起きて、サクラはまず部屋を出ると男部屋をノックする。

 すぐにアズールがドアを開けた。

 表情はどこか険しいように感じた。


「カイさんどうですか?」


 ベッドに腰かけたカイはサクラの方を見て苦笑いをこぼす。


「思っていたより痛いですね」

「薬は」

「一時間ほど前に飲みましたが、正直効いている気はまったくしないです」


 サクラは持ってきていた薬鞄を床に置くと、しゃがんで中から薬を出す。


「虫刺されに塗る軟膏で鎮痛効果もあります」


 黄色い軟膏を取った右手の人差し指の指輪の黒色がスーッと消えたのが、カイとアズールの目に入る。


「……あなたは、本当に素晴らしい医者ですね」


 塗られた瞬間、痛みが消えた。

 サクラは少し困ったように笑う。


「薬が切れるとまた痛みが出てくると思います。今度は魔力を込めたウミスイレンの煎じ薬を飲んでください。それでおそらく鎮痛薬の効果が切れても、痛みはもう出ない」


 煎じ薬が入った小瓶の蓋を開け、魔力を込める。

 小指の指輪が黒から透明に変わる。


「ありがとうございます」

「……いえ、こちらこそ」


 とても有益な情報が手に入った。


「結局治癒魔法使いが使って初めて夢の解毒薬になるってことか?」


 ロキが今回の結果にそう聞く。


「十分とんでもない解毒薬ではあると思いますよ。今までヒアリの毒は聖魔法しか効果がなかったわけですから。それにこれで民間人も安全にヒアリ退治ができると考えれば、結果的にヒアリ被害も減ると思います」

「だが結局材料がほとんどない」

「問題はそこですね。ヘルシリアが国をあげて栽培してくれればいいんですけど」


「漣鳥がいない場所でも育つ、治癒魔法使いではなくても一定の効果はある、となればこの情報は慎重に扱った方がいいですね。大金が動く情報です」


 カイに真剣な顔で言われ、サクラとアズールは今更ながら恐ろしくなる。


「ミレーナに伝えるのが一番よさそうだが。漣鳥を神と祀っていた村の者たちはミレーナを慕っているようだし、復興を援助したという実績もある。ヴェルが漣鳥を持っているなら、ヴェルの立ち位置次第ということにもなりそうだが」

「……どんどん状況がおかしくなっていきますね。ヴェルにもう一度会えたら全部話してさっさとヘルシリアは出た方がいいかもしれません」

「長雨が明けたら魔火竜に会いにいって、すぐにフォルンに行くか」


 フォルンはヘルシリアの南、アマルテアの東に位置する国だ。


「長雨っていえば、ちょうど朝から降ってきましたね」


 カイが窓の外を見て言う。

 三人はカイのことで雨の音に意識が行っていなかったので言われて気付く。

 カステルについて三日目、本当にちょうどよかった。


「サクラ、朝ご飯を食べたら泉に行こう」

「え、雨が降ってるのにですか?」

「ああ」


 不思議に思いながらもサクラは了承する。


「あ、アズールは体調どう?」

「全然なんとも。なんか拍子抜けなくらい」

「それならよかった。ラナも全然大丈夫って」


「そうだお金」


 そういえばそういう話だっけと、ロキから受け取ってお礼を言ったアズールは渡されたそれに目を見開く。


「金貨一枚もくれるんですか!?」

「ヒアリに噛まれてそれは安いくらいだろ」

「……いや俺何かしたって感覚なんもないんですけど」


 ラナは呆然としそうだなとアズールは思う。


 ***


「雨の中出ていくんですか?」


 大降りと言っていいくらいの雨なのに出て行こうとしているロキとサクラに、オルバは驚いたような顔で声をかける。


「ああ、問題ないから気にしないでくれ」


 オルバは首を捻ったが、サクラもフードの下で同じような表情だった。

 ロキは本当に何も問題がないかのように雨の中に出ていく。


「…………え」


 サクラは固まる。

 呆然と空を見上げた。

 目の前の光景に、フードが落ちたことにも気が付かなかった。


「サクラ」


 呼ばれて、手を差し出され、サクラも雨の中に出ていく。


 雨には、濡れない。


「……魔力が桁違いだからと言って、使い方も桁違いすぎませんか?」


 ロキの周囲二メートルほど、ドーム状に雨が避けている現象に、サクラはフードを被り直しながらそう言う。


「別にたいした魔力は消費してない。周囲に展開した魔力で雨を操って、同じ魔力を再利用し続けているから。最高出力がこれをできる魔力量なら、そこからの継続ではほぼ魔力は消費しない」

「……ちなみに難易度的には」

「短時間なら魔力が高ければそう難しいことじゃない」

「再利用し続けることが難しいんですね」


 ロキが歩くとドームも移動して、サクラはカイがロキのことを国一番の魔法使いだと言っていたのを思い出す。


「危ない、ちゃんと前を見て歩け」


 街を出たところで木の根につまずいてつんのめるサクラに、ロキは呆れたように支える。


「……すみません、つい見てしまって」


 雨の中を歩く、不思議で幻想的な光景だ。


「雨は逃げないんだから着いてからにしろ」


 泉に着くと、ロキはしゃがんで地面に手を触れる。

 すると雨に濡れていたのが乾いて、長く伸びていた雑草が短く刈り取られる。


「気にしないだろ?」


 サクラが地面に直接座ることを気にするようなタイプではないことはもうわかっているので、ロキはそこに座ると隣に座るようにポンポンと叩く。


「……この人何ができないんだろ」


 サクラは隣に座る。


「こんなことができても何にもならない」

「いや意味がわからないです。私はそのうちロキがいないと生きていけなくなってしまいそうですよ」


 真顔でそう言ったら、ロキは笑う。


「そうなってくれた方が都合がいい」

「……私はもう少し自分でできることを増やしたいです」


 泉の上に手を出して、水をちょろちょろっと出す。

 ロキがサクラの魔力だけでも水は数滴じゃなくもう少し出せると言ったように、確かに出せるようにはなった。

 なったが、それだけだ。


「水を操りたいのか?」

「空中で留めておきたいです」

「こんな感じか?」


 泉の水がロキの手の上に集まり、球体を作る。


「そんな感じです」

「最初は泉の中に手を入れて、その中で水の塊を作るイメージだ。その塊を泉の上に出す」


 サクラは言われたように泉に手を突っ込む。


「綺麗な球体を意識する必要はない。安定させることだけを考えるんだ。サクラの魔力は5だから扱いは難しくない範囲だし、火を指先に灯したり渦を作ったりできるんだから、コントロールはちゃんとできている」


 サクラは地面に膝をついて両手を泉の中に突っ込むと、泥団子を作るかのように両手で水を捏ねる。

 そしてそのまま手を泉の上に引き抜く。

 水滴が、少し落ちてから、止まる。

 それ以上手から水はこぼれ落ちなかった。

 そーっと手を広げてみる。

 水の塊はまだそこにあった。

 サクラはぱあっと表情を明るくさせるとロキを見る。


「上手い。その形までできるようになればあとは練習すればすぐ簡単に水の塊を作れるようになる」

「ロキ教えるの上手!」


 ロキは泉の方を向く。


「先代賢者が教えてくれたんだ。最強の魔法使いは間違いなくヴォルフだが、俺はあの人以上の魔法使いを知らない」


 ***


「お、どうしたんだ? 今日は晩飯ここで食っていくのか?」


 ギルドの食堂でギルド員たちと話していたギルドマスターのマクエルは、フードを深く被った二人組に、笑顔で話しかける。


「いや、オルバの家で用意してくれているから」

「先生忙しいんじゃないか?」

「そうでもなさそうだが。これから忙しくなってくるとは言っていたな」

「長雨に入ったときと明けたときがどうにもみんな体調崩すんだよな。まあ季節の変わり目なんてどこもそんなもんかもしれないが」

「氷鹿が出たのが長雨前でよかった」

「……それは本当に」


 大雨の中、氷魔法を使う魔獣に暴れられるのを想像してマクエルはゾッとした。


「ハリギの林にヒアリの巣があるだろう?」

「ああ。あ、もしかしてお金払えばなんとかしてもらえたりは」

「いやもう成り行きで焼いてしまった。金はもういい」

「……何から何まで、本当になんと言っていいのか」


「ハリギの病気のことですが、やっぱり言っていたものの可能性が高そうです」


 サクラが図書館で情報をメモしてきた紙をマクエルに渡す。


「わざわざ調べてくれたのか」

「詳しいわけでもないのに適当なことを言ってしまって気になっていたんです」

「ありがとう。でも予想通りだったんだろ? 木のことまですごいな」

「本当に少し知っていただけですから」


 薬学部は環境についても勉強する。

 下級生の頃に世界三大樹木病についてレポートをまとめたことがあったというだけの知識だ。


「それじゃあ」


 ロキがサクラの背に手を置いて食堂を出ていく。


「今の二人が例の?」


 話は聞いていたギルドのメンバーたちが、興味深げにフードの二人の方を見ながら尋ねる。


「ああ」

「すごい若そうだったけど」

「ヒアリの巣を焼いたって」

「……サラッとすごいな」


 それにマクエルは苦笑をこぼす。


「氷鹿を倒したときのことを思うと、ヒアリの巣を焼くくらい余裕だろうなと思うよ」


「長雨の間はいるんだっけ?」

「ああ、オルバ先生のところに」

「いつもさっさと明けてくれって思ってたけど」

「今年だけは長引いてほしいな」

「優秀な魔法使いと医者なんて、ずっといてほしいよ」


 ***


「……カイさんたまに身体強化魔法使いですよね」


 オルバもウィルマも忙しそうだったので薬屋から診療所に運びたい荷というのを代わりに運んでおきますよとカイとアズールとラナで雨が小降りになったタイミングで運んだのだが、診療所に木箱を下ろしたアズールは、木箱二つに大きな紙袋を持ってスタスタ歩いていたカイに、別にムキムキとかでもないのにと思う。

 ラナもちょっと驚いた顔をしていた。


「この程度で何言ってるんだ」


 少し呆れたように言う。


「貴族なのに」

「騎士だ。これでも鍛えてる」


 ラナはさっきまでとは違う驚きでカイを見る。


「俺も鍛えてもらおうかな」

「剣なんて持っていいことはない」

「いや魔色石付いた杖持ってそれで殴ります」


 アズールのそんな言葉に、カイはアズールを見る。


「……いい考えだな」

「剣も魔法もどっちもそんなすぐ上手くなるもんじゃないでしょうし。でも水とか火を出すだけならそんな時間かからないって言ってたので、それで隙ついて杖で殴って逃げます」

「……身の丈に合った発想だ」


「私も殴れる杖にしようかな」


 二人はそんなことをぼそっとこぼした十三歳の少女を見る。


「今度は誘拐されそうになっても返り討ちにするか」

「……子どもなら魔力が7もあるんだから普通に魔法を鍛えた方が確実だと思うが」


「村にいたときは世の中全部平和な気でいたんだけどなー」


 アズールはため息を吐いてダイニングの椅子に座る。


「だが貴族がサクラ様を尋ねてきてお前は剣を向けられたんだろう?」

「……そんなのあのときだけです。でもあのとき、自分は本当に何もできないただの田舎の村人だけど、サクラは違うんだなっていうのを、すごい実感して。貴族や魔導士と対等に言い合えてるサクラは、別世界の人間でした」

「サクラ様はその辺のチンピラくらいなら自分で追い払えるだろうしな」

「……そうなんですよね。だから俺が目指すところは護衛とかじゃなくて本当に荷物持ちと雑用を全うできるようにっていう」


 土砂降りの音が聞こえてきて、三人は思わず窓の方を見る。


「間一髪だったな」

「お二人は大丈夫でしょうか」

「どうせいつものように一滴も濡れずに帰ってくるだろ」


 連日朝から晩まで図書館に行って本を読んでいる二人に、アズールはよく飽きないなと思うばかりだ。

 それでいて早朝は泉まで行って魔法の特訓をして、食事のときにはオルバと医療の話、夜は今日の患者の話と、アズールはサクラのそういう姿を見ていると本当に田舎の小さな村で一生を終えるべきではない人だったのだなと思った。

 図書館に行っているのは、ロキはサクラに付き合って仕方なくかと思ったら、カイの話ではロキも本を読むのは好きだそうで、さすが魂の相性がいい二人だなと、そんなことも思った。


「雨量が多い日が続くと長雨は明けるのが早い傾向があるが、この調子だと今年は早そうだな」

「次どこ行くんですか?」

「ノルダーだ」

「あ、そっち行くんですね」


 王都の方ではなく、また田舎に戻る感じだ。


「魔火竜の山に行くからな」

「……そうでした」


「お前の用事はもういいのか? 長雨が明けたらすぐ出るぞ」

「おつかいは全部終わらせて、ギルドで村に運んでもらうように頼んでもらいました。金貨もらったんでそれ使って」

「勝手に旅に出て大丈夫か?」

「魔法使いになって帰ったら許されます」

「……それはさすがに許されるだろうな」


「ラナはどうするんだ?」

「あ、私は、オルバ先生とウィルマさんが、診療所と薬屋の手伝いをする代わりに置いてくれるという話で、水を出せるようになれば給料もくださると」

「よかったな!」


「まあ、欲がないのならそれが一番幸せだろうな」

「欲、ですか?」

「神殿に行けば魔法を教えてもらえる。魔法使いになれば道も広がる。だがこの国で、庶民が必死に努力して魔法使いになった先が幸せかと言うなら、疑問が残るところだろう」

「……神殿があんなんで、実際に魔導士の人にあんなこと言われたら目指したいとは思いませんよ」

「自分が変えたいと夢を見ないのか」

「あんなすごい人が変えられないのに」

「お前は現実的だな。すごい魔獣に好かれるかもしれないとは思わないのか」

「……いやまったく」

「そうか、俺は子どものときは夢を見たけどな」


 アズールは意外そうにカイを見る。


「魔水竜に選ばれたり?」

「いやそれは思わなかった。S級の魔獣が魔力の低い者を選んだ前例はないからな。だが稀に、魔力の低い者を好む魔獣もいる」

「夢って言う割に現実からかけ離れてもないんですね」

「魔力の相性がいい者が見つかって、それが魔力の高い人だったり、とか」

「運命の相手ってそういうんでしたっけ」

「だから見つからないんだろうなと気付いた。そんな自分の欲望のために求める俺に、見つかるはずもない」

「欲望って」

「だんだん現実を見始めても、せめて低級の魔獣くらいはと些細な望みのつもりでいたのが愚かしいよ」


「サクラと話してたんですが、特別に憧れてたって、でも小さな村で一人魔法を使えるくらいの特別で十分満足で、おう……トールのような存在と話せたことで十分で、だから特別を望んでたはずなのに、トールの運命の相手とか、治癒魔法使いとか、いざそんな存在になると恐ろしくなったって。俺それ聞いて、俺はだから今満足してんだなって。別に元々魔法使いになりたかったわけでもないし、田舎の小さな村で一生を終えることに不満もなかったし、そんなとこに実は魔力が高いんですって言われたら、それはもう十分な特別で」


「……そうか、だから俺は満足できないんだな」


 身体強化魔法使いで、王子の側近で、しかしフランメリーユ家は王族の従者に選ばれることが多い家で、家族はみんな当然のように魔力が高くて、魔法が使えて、魔獣を持つ者もいて……あの環境の中だから、カイは自分の特別性に満足できなかった。

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