ペーパー薬剤師から治癒魔法使いに
「……おはようございます」
「おはよう」
洞窟に差し込む朝日で目が覚めたサクラは、横になっている自分と座ったままのロキという状況にバッと体を起こすと手で顔を覆う。
「……看病している側が患者を放置して寝るなんて」
「もう看病が必要な人間ではないんだからいいだろう。俺はその前に寝ていたんだから、お前が寝て俺が番をするのが当然だ」
「寝ていたというか倒れて意識を失っていたというか……」
サクラは、掛けてくれていた上着に、礼を言ってロキに返す。
「それでは一旦家に戻ります」
「ああ」
サクラはもう氷の溶けている水桶とあまり摘めなかった薬草の入ったカゴを持って洞窟を出る。
山と言っても村まではたいした距離ではない。
すぐ洞窟に戻れば、ピンクに染まった魔色石のペンダントを持ってそれをじーっと見るロキの横顔に、サクラはなぜだかわからないが入り口で足を止めた。
「早かったな」
気付いたロキが、ペンダントを首にかけながらサクラの方を見る。
「こんなところでは休まるものも休まりません、家に行きましょう」
黒いローブを渡す。
「……魔女に憧れた時期でも?」
立ってローブを広げ、飾りも模様もない黒一色のそれに、ロキはそんなことを言う。
「それプレゼントしてもらったときに私も父に魔女になりたいわけじゃないよ?って言いました」
「魔法使いになることを応援されていたのか?」
「いえ、ただのごっこ遊びの延長ですよ。なれるはずありませんし、言ったように私小さな魔法で十分楽しんでいるので。本を買ってくれたりしたのはすごく感謝していますが、どうにも父が変に喜んでしまって」
「まあただの村娘で魔法を使える者なんて滅多にいないだろうしな。親が自慢したくなるような気持ちになるのもわかる」
「……自慢されても恥ずかしくなるくらいの魔法しか使えないんですが」
ロキはローブを着て、そんなに小さいということもないそれに少し笑みがこぼれる。
大きすぎるローブを引きずる幼いサクラが想像された。
「剣見えないか?」
「大丈夫です」
ローブにちゃんと腰に下げた剣が隠れているのを確認して、フードを深く被る。
二人で早朝の山道を下る。
すごくのどかな時間が流れていて、ロキはなんだか昨日のことが夢のように感じた。
「前世は医者を?」
「いえ、医術の心得はないと言ったのは誤魔化したわけではないので」
「では趣味というのは本当にただの趣味で薬を?」
「前世の職業は一応薬の専門家でした」
「一応?」
サクラは苦笑をこぼす。
「ペーパー薬剤師だったので、専門家と言うのは少々おこがましいですね」
「……なんだ? ペーパー?」
「資格を取って、使うことなく死んだんです」
「……そうか」
「前世で、子どもの頃、薬草を摘んで、煮詰めたりすり潰したり、そうやって薬を作るごっこ遊びが好きだったんです。その辺の草や木の葉でそういうことをする本当にただのごっこ遊びですよ。一応図鑑を見て薬草という分類のものを選んではいましたけど。山に野イチゴや山菜採りにいったり、花を使って水に色を付けたり、そういう遊びが好きでした」
「それを今世でも?」
「はい。そしたら、前世でたくさん勉強したものですから、ただのごっこ遊びのはずが高度になってしまって。学校の実験で植物煮詰めて成分を抽出したりもしたんですよ。天然薬物学は好きでしたし、化学式だけじゃなくて薬学部はニンジンはウコギ科基原植物はオタネニンジン薬用部位は根で薬効は滋養、なんてことも試験に出ますから。代表的な薬用植物の一覧を覚えるの大変だったなー」
ほぼ無意識で、ロキはサクラに手を差し伸べた。
「昨日の楽観的な考え方、嘘ではないだろう。強がりではないだろう。しかし、一度くらい泣いてもいいんじゃないのか。一度くらい、自分の前の生の不幸を嘆いてもいいんじゃないのか。どこかで幸せに暮らしていようと二度と家族に会えないのは悲しいだろう。努力が報われる先がなくなってしまったことは悔しいだろう」
その言葉に戸惑いを浮かべ、しかし縋るようにサクラはその手を取った。
握り返されたその手の温度に、耐えようと思う間もなくボロボロと涙がこぼれた。
どこか、この世界に馴染めていないような感覚があった。
一人、世界から浮いているような。
一人が好きだったわけではないが、気付けば一人でいることが多かった。
繋がれた手の温度と、握られた手の強さに、自然と涙も言葉もこぼれ出た。
「嘘じゃ、ないです」
「ああ」
「でもふと、寂しくなるときがあって」
「ああ」
「それに、あんなに勉強したのに、すごくつらかったのに、国家試験受かったのに、薬剤師になる前に終わったのすごく悔しい!」
自分の運命にというよりどこぞの神にでも文句を言っているような言い方のサクラに、ロキは小さく笑いをこぼす。
「少しも働かずに終わったのか?」
「一日も働かずに私の薬剤師人生は終わりました」
「それは悔しいな」
「ちゃんと親孝行できるはずだったのに!」
顔をバッと上げてそう言うサクラに、その勢いにロキは目を丸くする。
「それは、残念だったな」
そういう方向に行くと思っていなかったので困惑していたら目が合ったサクラが笑って、ロキはもっと困惑する。
「ありがとうございました、スッキリしました。もう大丈夫です」
「それなら、よかった」
離れると、また二人並んで山道を下りる。
「そういうわけで前世の悔いを晴らそうなんて気はないので私は趣味以上で薬剤師をする気はないです」
「そういう流れだっただろ」
「それに薬剤師の看板掲げる自信がありません」
「資格は取ったんだろう」
「異世界で知識と技術を応用して薬剤師ができるほど優秀ではありませんし、私は言ったようにペーパー薬剤師なので」
村に入って、自然とその話は終わる。
ロキはフードを深く被り直す。
小さい村の中心地から少し外れたところの家に入ると、村の中を歩いていたときは特にきょろきょろとするようなこともなかったロキだったが、家に入ると興味深そうに室内を見渡す。
「どうぞ」
椅子をすすめられて、ロキはフードを取るとその椅子に座る。
水が入った桶がテーブルに置かれ、ロキはそれで手を洗うとタオルが渡されるので手を拭く。
サクラが隣の椅子に座ってロキの方を向くので、ロキもサクラの方を向いた。
「この世界、紙がそんなに高くなくて驚いたんです」
突然そんな話をされて、ロキは不思議そうにサクラの顔を見る。
サクラも桶に入った水で手を洗っていた。
「前世では高かったのか?」
「昔は高かったというイメージがあったんです。前世ならこのくらいの発展度合いはどのくらいの時代かなって考えたときの時代とズレがあったというか、時代が混ざっている感覚で。タオルも前世と同じような質のものがありますし」
なぜ急にそんな話をし出したのかロキはそこでわかる。
「異なる世界なのだから同じ発展の仕方じゃないのは当然だろう。お前の前世での新しい技術と昔の技術がこの世界で今並んでいたとしても何もおかしなことじゃない。違う世界なのだから」
言われて、確かにそれはそうだとサクラは納得する。
「この世界は魔法がありますしね。その大きな差は当然違う発展を生みそうです」
「タオルはそれこそ魔法を使っているんじゃなかったか? ヘルシリアの産業だが、あれは他国では相当な値段がするぞ」
「そうなんですか? ヘルシリアだと庶民でも頑張ったら買える値段ですよ。庶民が買うのは質は低いと思いますけど」
「ヘルシリアは国の性質的に魔法産業が盛んになった国だからな」
「国の性質、ですか?」
「国民の魔力が総じて低いそうだ。だから魔法使いの数も少ない。魔色石の産出も少ないと聞いた。まあアマルテアが対照的に魔法に強い国というのもあるが」
「王族がまさに象徴ですね」
「悪いことばかりじゃないがな。だからヘルシリアには魔獣が少ない。当然魔獣による被害も少ない」
「魔獣ってどんなのなんですか? この村では気を付けろとも言われたことないんですが」
「多いと言われてるアマルテアでも庶民にはそんなに身近なものではないからな。ヘルシリアなら一度も見たことがないなんて人の方が多いくらいだろう」
「庶民には?」
一つ引っかかった。その言い方ではまるで貴族には身近のようだ。
「魔獣はSからEまでランク付けされていて、E級の魔獣はまあちょっと変わった生物ってくらいだ。普通の虎や狼の方が危険だな」
「へー」
サクラはその話に貴族は魔獣飼ってたりするのだろうかと思った。
「Dは普通の人でも大勢なら頑張れば倒せるってくらいだな」
「それはもう十分危険なんですが」
「Cは魔導士ならまあ大丈夫だろう程度」
「一般人にはどうあがいても無理に等しい言葉です」
「Bからは各国の保有数を他国が気にする程度だ」
その表現に、サクラは首を捻る。
「魔獣って、そんなに人に馴れる生き物なんですか?」
飼ったり兵力に換算されたり、むしろ普通の虎や狼より人に馴染んでいる気がする。
「魔獣は魔力の溜まった魔色石の中が最高に居心地がいいらしい。だから魔力が気に入れば魔色石の中に入ってくれて、そうなると従う」
「……魔色石の中に、入る?」
「その辺りが特殊な生物だな。魔獣の定義としては魔法を使うかどうからしいが」
「話を聞いているだけだとすごく簡単に飼えそうですが実際は」
「Cから下の魔獣なら持っている魔力が高い者はそんなに珍しくない」
「あ、じゃあ私には可能性ないんですね……」
「たまに変わった趣味のやつもいるが。アマルテアの魔導士に魔力がサクラより低いのにB級の魔獣に好かれたというだけで勧誘されて結果的に魔導士になったやつが一人いる」
「それも一種の才能でしょうか」
「そうだな」
「ちなみに竜は」
「Sだ」
即答だった。
「……いるんだ」
「Sは国どころか世界単位で一体しかいない。これは保有しているという意味で。いるだけならどの国にもいると思うが。竜は温厚で温厚で温厚な魔獣だからな。普通に会いに行けるんだよ」
「とても温厚だということだけはわかりました」
サクラの頭の中にとても大きな翼竜が山のように動かず静かにいる姿でこの世界の竜が想像された。
「あれ、じゃあ魔獣のランクって何で決まっているんですか? 珍しさではなさそうですが」
「危険度だ」
「……とても温厚な竜はSって」
「正しく言うなら本気で暴れたときの危険度だ」
「……この世界の竜にも逆鱗があるんですね」
「なんだそれは?」
「竜は一枚だけ逆さの鱗を持っていてそれに触れると普段は人に危害を加えない竜がそれはもう怒り狂って逆鱗に触れた人を殺してしまうそうです」
「……お前の前世の竜は恐ろしいな。この世界の竜は鱗を引きちぎるくらいのことをしてもまったく怒らないぞ」
「それは温厚すぎでは」
「魔力が高いからもしかしてと子どもの頃にアマルテアにいる魔水竜のところに連れていかれたとき鱗を引っぺがした」
「あなたが引きちぎった張本人ですか!?」
思わず大きな声が出た。
「さすがの父も焦ったそうだ」
「……とんでもなく温厚でよかったです」
ちなみにこれが魔水竜の鱗、と巾着袋から小銭でも出すように竜の鱗を出される。
「その鱗持っていると何かあるんですか?」
「魔水竜の魔法が使える」
「それみんな獲りに行ってないですか? 魔水竜の鱗まだ残ってます?」
「とっくにただの抜け殻だ」
「あ、短い間だけ」
悪意のない子どもの行いだから許してくれたのではないかというのが魔導士の意見だったので、ロキはもうそんなことはしないようにしようと思ってはいる。
「俺は大きくなれば当然のように魔獣を飼えると思っていたんだ。別に竜のようなレベルを夢見ていたわけではなく、単純に魔獣というものを」
「魔力がすごく高いのに気に入られなかったんですか?」
「俺の魔力はそんなに質が悪いのだろうか」
「私がなんだか悪趣味みたいじゃないですか」
「……そこは否定してくれ」
「何事も過剰だとやっぱり質が」
「それをフォローだと思っているのならお前はこれから認識を改めろ」
サクラは軟膏の入った容器を開けて軟膏を指に取る。
ロキが差し出した手に、魔力を込めながら塗る。
「最初に傷口を洗い流してからお腹の傷に薬を塗った後、包帯を巻こうとしたら思っていたより軽傷で、血も止まっていて、気が動転していて見間違えたんだなって思ったんですよ」
一瞬看取る覚悟をしたとまで言ったのに、目を覚ましたときのサクラがそこまで安堵したような様子ではなかったことに、ロキはそこで納得する。
重傷が勘違いだったと思ったときに、すでに安堵していた。
「ありがとう」
「…………」
さっきまで確かにそこにあったはずなのに、火傷などなかったかのように綺麗になった手を見て、ロキは震えるサクラの手を握る。
「ありがとう」
治癒魔法使いになってしまったことが決して幸福ではないことは、自分自身特殊な立場であるロキも十分わかっている。
だがそれで救われた身として、礼を言う以外の言葉がなかった。