漣鳥と特別なスイレン
「なんかあったのかと思ったじゃないですか」
夕方になってやっと帰ってきた三人に、アズールは開口一番そう言う。
「診療所人多そうだったから」
「やっと落ち着いた」
「アズール手伝ってたの?」
「成り行きで。そうだ、あの人たちからサクラたちの話聞いて、オルバさんがカステルにいる間ここに泊まってくれたらって言ってたけど」
「手伝う代わりに、か?」
ちらっと、患者と話すオルバを見て、ロキが言う。
「長雨の時期は忙しくなるそうなんで、たぶんそういうことじゃないかと」
「季節の変わり目って体調崩す人多いからね」
「水や氷出すくらいなら構わないが、一日中手伝えというなら断る」
「いい経験にはなりそうですが、図書館は行きたいですしね」
患者が全員帰ると、オルバは四人のところに来る。
改まった挨拶と自己紹介をされたので、アズール以外の三人も名乗る。
子どもにいい医者として紹介されたその人は、身長はアズールと同じくらいの百七十あるかないかといったところの少し痩せた優しげな人だった。
「とても優秀な医者なのに、どうして私のところに?」
「カステルの医者を見たかった」
見習いのようなものでとサクラが言うよりも先にロキに答えられてしまう。
「先に神殿に行かれたとか」
「見学したかったんだが、あまりにも医療費が高くてな」
「見学、ですか」
「俺たちは別に旅をしながら医療行為をしているわけじゃない。それで生計を立てているわけでもない。手伝ってほしいなら他を当たってくれ」
「私の手伝いは構いません。その代わり、もしまた魔獣が出たら退治していただけませんか」
「出るわけがない、と思わないか?」
言い切って断らなかったのは、今回の魔獣も珍しくこんなところに現れた、わけではなく誰かによって意図的に呼ばれていたからだ。
「それならただのお礼になった、それだけです」
「礼を受ける理由がないな。アズールが少し手伝ったようだが、五人を何日も泊めるほどのものじゃないだろ」
「金貨十二枚はあまりにも安い」
「俺たちが自分で定めた金額だ。一日泊めてもらうなら礼として受け取るが、十日を超える可能性があるのにそれは礼じゃない。対価は金で十分払われている」
「じゃあ俺手伝いましょうか。俺は二人と違ってカステルにいる間やりたいことも特にないですし。用事はすぐ終わるんで」
「手伝うなら宿から通って給金をもらえ」
オルバは苦笑をこぼす。
「しっかりしていますね。もちろん、給金は払います。その上でタダで泊まってください。その代わり魔獣がもし出たときは、ということで」
魔獣は滅多に出ない。
しかしお金にまったく困っておらず場所がある者なら、まずないだろうもしものために魔獣を倒せる者を泊めるのはそう悪いことでもない。
なんせその滅多に出ない魔獣が出てしまったのだから。
「いいだろう、その話呑もう。ただしB級以下だ。A級以上は俺たちも逃げる」
「……B級の魔獣は倒せるというあなたたちはいったい何者ですか」
「追手はいない」
フードを下げて、こんな格好だが、と言う。
「自分から神殿に行くような人たちですから、その心配はしていませんが」
「俺たちを招けばますます神殿から嫌われるが、それは大丈夫なのか」
「大丈夫であってほしいです」
「普通は大丈夫だな。普通はあんな高額要求しないけどな」
「……そうですね」
「まあ俺たちが原因で何かあるようなら俺たちが対処する」
神殿相手にそれを言えるロキに、オルバはもう一度何者かと問いそうになるが、濁されることはわかっていたのでもう流すことにする。
「二階の二部屋を使ってください。ベッドは部屋に一つですが、入院患者用に布団はたくさんあるので」
話しているうちにまた患者が来たので、四人は邪魔にならないように二階に行く。
「ベッドはロキ様とサクラ様が使ってください」
「私はラナと交代でいいですよ」
「……俺が王子様と交代でベッド使ってたらおかしいだろ。お前もそこはベッド使え」
「俺は別に構わないが」
「俺が構うんですよ!」
「らしいからサクラもベッドを使ってやれ」
それはまあ王子に譲られても困るけど、それ一緒の話だろうかとサクラは首を捻る。
少し広い方の部屋を男性が使い、女性が使う方の部屋をサクラが開けると、その清々しいまでの殺風景さにサクラは思わず入り口で足を止める。
他人の物がない方が気兼ねなく使いやすくはあるが、空の本棚が五つも並んでいるのは今はいない使っていた誰かの影が見えた。
「サクラ、こっちに本が……どうした?」
サクラがロキを振り返るが、ロキはサクラを通り越して部屋の中を見る。
「ここにもたくさん本があったみたいだな」
「そちらの部屋にも?」
「ああ、ほとんど医療関係だが、面白いものがあった」
医療関係の本を見つけたから持ってきてくれた……わけではなく、その中にあった別の本を持ってきたらしいロキは部屋に入るとベッドに腰かけ隣を二度叩くので、サクラは荷物を置いてロキの隣に座る。
「絵本ですか?」
「漣鳥とウミスイレン」
「聞いたことないですね、どちらも」
朱雀を青色にして小さくしたような鳥と白いスイレンが描かれた表紙に、サクラはそう言う。
そんなことより正直高そうだなと思ってしまった。
本は決して安くはないが持っている庶民も普通にいる程度の値段だが、色の付いた絵が描かれているものは初めて見た。
中もカラーの絵本だったので少し恐ろしくなる。
「漣鳥はA級の魔獣だ。俺も見たことはないが」
軽く全体の内容に目を通しながら言う。
「A級」
可愛い小鳥、なんてものとはかけ離れた情報が出てきた。
「この本の内容を要約すると、漣鳥がいる泉に咲くスイレンは特別、泉の近くの村は漣鳥を祀っており、代々その村の巫女は漣鳥から力を貸してもらい村を守ってる」
「特別なスイレンって」
「一番気になるのはそこだ。A級以上の魔獣が神のような扱いを受けているのは珍しいことじゃない。昔は暴れる度に生贄を出していたなんて話もあるしな」
前世にもあったのだから実際に魔獣なんて存在がいるこの世界でそういうことがあっても不思議ではないなとはサクラは思うが、より生贄なんてものが現実味を帯びて顔をしかめる。
「なんで泉なのにウミスイレンなんでしょうか」
「その泉に波があるからだろ」
「あ、なるほど、だから漣鳥」
「毒を浄化するらしいが、このスイレンは白だしな」
「え、そんなすごいスイレンなんですか!?」
サクラはロキの膝の上の本を覗き込む。
確かにそういう記述がある。
「そんなにすごいのか?」
「魔法の花じゃないですか!?」
「火傷、切り傷、凍傷、毒……みたいなことじゃないのか?」
火傷に効く薬があるように毒に効く薬もある、そういうものではないのかと。
「そんな毒消し草ですべての解毒できるのはファンタジーの世界だけですよ! あ、この世界魔法があるんだった」
「毒素を出すみたいなのはよく聞く気がするが」
「それはまた別です。え、そういうこと? なんだ……そういうことか」
サクラはあからさまにがっかりした。
そういうデトックス的なことではなく解毒だと思ったのだ。
「……期待していたものじゃなかったのか?」
「どんな毒でも浄化してくれるのかと思ったんです」
「これだけの情報じゃよくわからないな。そもそも特別なスイレンというのは透明なスイレンのことではないようだし。ただ長雨の時期だけ咲く花というのはこれな気がする」
そう言ってロキが指差す箇所にサクラは視線を向ける。
「長雨の時期だけ水上で咲く?」
「それ以外の時期も咲いてはいるが、長雨の時期だけ水の中から出てきて人目につくから、長雨の時期だけ咲く花となったのかもしれない」
サクラは何かが引っかかり、その本を閉じて表紙を見る。
「雨が降ってないのに水上に出ています」
「いや、雨は降ってるんじゃないか? 漣鳥の力で泉だけ雨が避けているんだ」
そんなことが可能なのかとそこに対しても触れたかったが、サクラは今はそこはいいと一先ず流す。
「でもそれってスイレンには雨は降ってないですよね? 咲いている環境は雨が降ってない環境ってことになりません?」
「この瞬間だけだろ。それまでは降ってた。漣鳥だってずっとそんなことしてない」
サクラは何かがすぐそこまで出かけている気がして、うーんと悩む。
ロキはなんとなく最後のページを開いて作者の名前を見ようとして、そこで驚く。
「この本を描いた人間、ヴァルカンだ」
ヴァルカンと記されたそこを指差す。
「そういえばこの世界で絵本なんて初めて見ました」
「俺も初めて見た」
「前世にはありました。小さい子どもに読んであげる本の定番です」
「つまりカエデの知識か」
「そういうことですね」
「しかしこれがヴァルカンの作なら魔色石が使われてるはずだ」
「鉱物から絵の具を作れるらしいですが、魔色石って透明ですしね」
「透明だから意味がある場合もある」
「……?」
「ヴァルカンがそう言っていた」
ロキは一ページずつ手でなぞっていく。
あるページで、空白の部分に黒い文字が浮かびあがった。
「不可視インク!」
「魔色石のないサクラの前世にもあったのか?」
「加熱すると酸化されて色が変わって見えるようになるのが有名ですけど、他にもいろいろこういうことは可能なんです。私こういう実験好きで、中学のときの自由研究でやりました」
「……後半はまったく意味がわからないが、要するに詳しいんだな」
「今度見せてあげますね」
「ああ、楽しみにしてる」
そんな話をしながら、二人は浮かび上がった文に目を通す。
「漣鳥の保持者にこの場所に埋めたものを届けてほしい? この場所ってこの大木でしょうか」
泉の横の大木がメインに描かれたページだった。
こんな大木あの泉にはなかったのであの泉の話ではなかったらしい。
「これだけわざとらしく描いてあるとそうだろうな」
「端のキンモクセイとヒガンバナはもはや浮いてますけどね。そもそも長雨の時期にはどちらも咲いてませんし。スイレンとはどちらもぎりぎり被る可能性はありますが」
「これキンモクセイか。ヒガンバナ?」
「あー、えっと、スパイダーリリー」
「ああ、それは聞いたことがある」
「薬草でもありますし毒草でもあります。私の国ではすごくたくさん別名があった花なんですが、ほとんどが不吉な名前でした」
「毒草だから?」
「それもありますし、害獣対策としてお墓に植えられていたのもありますね。燃え盛る炎に見えるというのもあります」
「燃え盛る炎といえば、この世界では業火にはそういうような意味しかないと思うんだが」
「……え」
「それともヘルシリアにはそういう話があるのか? アズールは知らなったようだが。ミレーナとお前で話が通じているのもなんだか不思議だな」
「え、じゃあ、あの、紅蓮は」
「紅色の蓮だろ」
「それももちろんありますが、地獄の極寒で皮膚が裂けて血が出て紅蓮の花のようになるっていう」
「……そんな恐ろしい意味はこの世界にはない」
二人は無言で顔を見合わせる。
「まさか王女様が?」
「正直考え難い。そうは見えなかった。カエデはサクラと同じようにどこか浮いている感覚だった。だがミレーナにはそういうものはなかった」
「じゃあ王女様に教えた誰かでしょうか」
「だと思う。もしくはこの世界でもそういう意味があるか」
「その可能性は、ありますよね」
「普通にあるな。オレは言語学者ではない」
「……じゃあもう一先ず置いておきましょうか」
「そういえば、透明なスイレンは初めてと言っていたが、透明な花は他にもあるのか?」
「ああ、前世でも透明な花は」
サクラはハッとすると薬鞄の中から透明なスイレンの花弁を入れていた小瓶を取り出す。
予想通りのそれを、ロキに見せた。
「花の色が、絵と同じ白になっている」
ロキは驚いた様子で、小瓶の中を見る。
「前世の透明な花は普段は白で濡れると透明になったんです」
「そうか、乾いて白に戻ったのか。ということはやはりこのスイレンがこの本のスイレンか」
「ちょっと毒試してみても」
「さすがにやめろ」
「こういうときのマウス……」
「諦めろ」
「だってこれが本当に魔法の解毒薬になったらもし毒を盛られても安心じゃないですか」
「……俺がそんな毒を盛られる可能性があるような空気にするな」
「王子様ですし」
「心配しなくてもそうそうあることじゃない」
「フグが食べたいです」
「それが本音か」
「毒抜きが必要な生薬もこれを混ぜることで気軽に使えます」
「先にそっちを言え」
サクラは言った後にそれがあったかという顔になった。
「これもしかして本当に魔法の花では?」
「でも試せないだろ」
「薬と毒は表裏一体、薬剤師は毒の専門家でもありますから、気を付けて試してみます」
「……本当に大丈夫なんだろうな」
「私今世は天寿を全うするつもりなので」
冗談めいた言い方だったが、はっきり言いきるのでロキは苦笑をこぼす。
「楽しそうだな」
「こんな可能性の塊に嬉々としない医療者がいますか」
「だがそれならもっと研究されているはずだろう」
「……そんな夢のないことを言わないでくださいよ」
価値はないと答えが出てしまっているという可能性も確かにある。
「とりあえず後でオルバに聞くか。絵本のことも含めて」
「そうですね」




