カステルの事件 2
「そんな心配しなくてもあいつ別にドジなタイプじゃないですよ」
ハリギの葉はもう採ったのか、カゴを横に置いて泉のほとりに膝をつき泉を覗き込んでいるサクラから目を離さないロキに、アズールがそう言う。
「滑って泉に落ちる心配はしてないが手を突っ込んでうっかり落ちる心配はしてる」
なんて話をしていたらサクラが本当に泉に手を突っ込んだので、思わず二人は駆け寄りそうになった。
「……あいつ何してるんですか」
「……俺が聞きたい」
カイがそばに行ったことで安心する。
止められたのか、もういいのか、サクラは立ち上がるとカイと一緒に戻ってくる。
「泉の中に何かあったか?」
「それが……あ、やっぱり後で話します。そろそろいいと思うので魔法解いてください。長時間ありがとうございました」
その言葉にすぐに水の塊は力を失って下に落ちる。
ロキは肩が凝ったとばかりに体を動かす。
サクラはすぐにタオルで水を拭くと、患部に紫軟膏を塗る。
「それは火傷のときに使ってなかったか?」
「凍傷にも効きます」
「万能薬だな」
軟膏を塗った上から包帯を巻き、肩にかけていたブランケットで覆う。
「この後オルバ先生のところに行ってください。この紙を見せれば伝わると思いますので。他の方はもう大丈夫です。安静にした方がいいので、できればおぶってもらうか肩を貸してもらってください」
パブロに差し出した紙はエリックが受け取る。
「俺がおぶっていくよ」
「そうですか? でも怪我をされているので誰か呼んでやってもらった方が」
「じゃあ俺が肩貸すんで手伝ってください」
リュックをロキとカイに返して、アズールがそう言う。
「いいのか? ありがとう」
「自分の荷物はどうした?」
「俺のはラナのとこ置いてきました。お二人のは盗まれるのが怖くて、診療所なら大丈夫だとは思ったんですけど」
「たぶん置いてきてたら怒ってたな」
「……危ない」
カイが……という言葉をアズールもそう受け取った上でそうこぼす。
「俺たちはもう少しここにいる」
「わかりました」
「マクエル、魔獣の遺体はそちらで片付けてくれ」
「ああ、わかった。後で人寄越すよ」
六人が見えなくなると、ロキは見習い魔法使いに「お前は戻らないのか」と声をかける。
「あ、あの」
「ん?」
「俺に魔法教えてください!」
意を決して、というふうに言われたそれに、ロキはわかりやすく拒否の表情を浮かべる。
「二日で弟子が三人なんてすごいですね」
サクラは他人事だ。
「あいつらも別に弟子じゃない。お前は見習いだと言ったが俺もまだ修行中だ。すでに魔法使いを名乗るような人間に教えられることなんてない」
「あんな芸当できる人俺は見たことありません!」
泉から伸びた氷の棘が氷鹿に突き刺さっているのを指差す。
「いやあれはそんなにすごいことでは……どちらかというと一定温度で水をキープし続けていた方がよほど」
「神殿の魔法使いには頼めないんですか?」
「あの人たちは医療補助で、すごい高度なコントロールはできるんですけど魔力は並でとても戦闘は」
「お前は魔力が多いというだけで雇われている雑用係もとい水出し係か」
「……その通りです」
「水出し係」
「一人いると便利ですよ」
「……でしょうね」
それも裕福な人間の特権だなとサクラは思う程度にその便利さの想像は容易い。
「まあ、アマルテアの神殿では医療補助の魔法使いの他に必ず一人水出し係兼戦闘員がいるからな。魔獣が出たとき対処する役はお前が担うのが自然ではある」
「じゃあ」
「ところで神殿に早く戻らなくていいのか」
「……あっ」
少し迷うが、頼みますという意味か魔獣を倒してくれた礼か、頭を下げてから走って帰る。
「どうしますか?」
カイは二本の角を二人に見せるように持ち上げる。
「普通の鹿の角とは形も違いますね」
真っ直ぐに伸びた氷の棘から二本の短い棘が生えているような形だった。
サクラは今世まだ鹿は見たことがないが、前世見た鹿の角はこんなに真っすぐではなかった気がする。
「サクラは何に使うんだ?」
「鹿の角は生薬なので少し興味があっただけです。氷鹿の角に薬効があるかもわかりませんし、私ちょっとでいいですよ」
「ならこの枝分かれしている部分をサクラがもらって大きい部分をカイが持っておけばどうだ」
「……氷魔法は扱いが難しいんですが」
「何かあれば治してくれるさ」
「駄目ですよ、もう紫軟膏少ないんですから」
サクラは軟膏瓶の中身を見せる。
「材料は?」
「シコン、トウキ、蜜蠟、豚油、セサミ油です」
「「豚油にセサミ油」」
二人に目を丸くされる。
サクラは家にいるときに親にも目を丸くされたことを思い出す。
「神殿も診療所もある街ですし、いろいろ薬の材料そろえたいですね」
「いっそ一月くらい滞在するか」
「それはお二人の自由に」
成り行きに任せようとその場では決めないでおく。
「ところで泉に手を突っ込んで何をしていたんだ」
「水の中で透明の花が咲いていたんですよ。初めて見たので気になって」
「透明の花がよく見えたな」
嫌味ではなく、単純に疑問に思った。
サクラはさっき泉の中を覗いていた場所に二人を連れていくと、水の中を指差す。
「あの辺りです。花……っぽいのがあるように見えませんか?」
「ああ……ある、な」
「ありますね」
確かに花が見えた。
そして透明という表現が適切に思える色だった。
「水中で咲く花ってすごく少ないんですよね。あんなのあったかな」
植物学者ではなかったので当然なかったとは断言できないが、植物には相当詳しい方だ。
実家や小学校でメダカを飼っていたこともあり水草の本を読んだこともある。
「一つ採ってみるか」
そう言うなりロキは水の中に手を入れる。
すぐに花がかくんと傾き沈んでいきかけたのが浮上してきて、水の塊の中に入った一輪の花が水面から出る。
「スイレンに似てますね」
「確かに。でも透明なスイレンは初めてです」
間近に花を見てのカイの感想にサクラも同意するが、色に関しては二人とも首を捻る。
「王宮の庭にもいろんな種類のスイレンが咲いてるが、こんなものはなかったな」
「アマルテアの賢者の紋章がスイレンと月なんでしたっけ」
「ああ。だから魔導士になったとき太陽を抱える月の杖が渡される。自分の使い勝手のいいものを優先して儀礼時くらいにしか持たない者も多いが」
「私、王家の紋章は月と星を抱える太陽だと思ってました。それで魔法使いと助け合ってって意味だとばかり」
魔法大国らしい紋章、とばかり。
だが家でロキが説明したのはそうじゃなかった。
「あれは月と氷を飲み込んだ太陽だ。月は妖精の象徴、そして初代賢者だと言われている妖精が氷魔法使いだったことから、妖精の力を手に入れて栄えるアマルテア王家を表している」
それを聞いてサクラは少し複雑な顔になる。
「それは、なんだか平和的なイメージではないですね」
妖精と仲良くなって力を授かったという感じではない。
「だからアマルテア家は水の性質だと皮肉られる。太陽の紋章を持って火の性質ではない一族は珍しいからな。長い歴史があれば変化すること自体は珍しくないが、アマルテア家は遡ってもずっと水だ」
「火と氷が交ざって、水になったということですか」
「アマルテア家で特に魔力の高い者は総じて氷属性を持つというのもそういう伝説を信じる者が多い理由だろうな。ネロが氷魔法を使えるかどうかは知らないが」
「……平和的な言い方ではない伝わり方をしているのはそれだけが理由ではありませんが」
カイはぼそっとこぼす。
「それで結局この透明なスイレンはなんだ」
「……なんでしょう? ここに生育しているということはカステルの図書館で調べればわかりそうですが」
とりあえず水の中から出してみれば、途端に花弁が散ってしまって、三人思わず手を出して花弁をキャッチする。
「……なんて特殊な花だ」
「……水から出すと駄目なんですね」
「なんだか魔法の花っぽい!」
サクラだけ楽しそうに笑顔になる。
小瓶を取り出して花弁をそこに入れておく。
「普通のスイレンも咲いているが、あれは要らないのか?」
反対側の辺りにたくさん咲いている定番の濃いピンクのスイレンに、サクラはロキが指差して初めて気付いた。
最初は氷鹿に、次は水の中に気を取られて気付かなかった。
「お酒の酔いを醒ます効果があるんですけど、ロキには必要ないんでしたっけ」
前世でお酒と言うとウコンだったが、この世界ではスイレンらしい。
植物図鑑にも書いていたがそれ以上に前世での火傷にはアロエ並みに一般的によく言われる。
ちなみに火傷にアロエは実はあまりよろしくないらしい。
大学時代教授に聞いて、確かに果肉を貼れば冷えるので無用ではないがそんなことをするくらいなら冷水で冷やした方がいいと言われてサクラは衝撃的だった。
昔から言われていることと言うのは案外バカにできないものである、という民間療法も多いことを知った上でのしかしアロエは微妙、だったからだ。
「あれは迷信じゃないのか」
「え、私が見た本には書いていましたが。この国の本です。むしろ前の国では見たことないです。試したことはないですが」
「……王宮で酔ってスイレンを採ろうとして池に落ちるバカが多発したので王宮の薬医が迷信と笑い話にした、という話を聞いたことがあります」
とても微妙な顔で言ったカイにロキも同じような顔になる。
「……忘れてくれ」
自国の恥ずかしい話をしてしまった。
「酔った人は本当に迷信か試してみようとしてやっぱり採りに行っちゃいません?」
「それでも昔よりは減ったそうで」
「……そうですか」
「それで治癒魔法を試してみればどうだ。酔いが醒めても傷が消えるほどには騒ぎにはならないだろ」
「治癒魔法とは思わなくても、いい薬だとは騒ぎになりそうですが」
「じゃあカイが酔うのが安全か」
カイはあからさまに嫌そうな顔をした。
「誰が主の前で恥を晒したいんですか」
「俺は酔わないしサクラとアズールは未成年なんだから仕方ないだろ」
「そんなことするくらいなら剣で切った方がマシです」
「俺がお前にそれを命令するのは問題だろ。それなら俺が自分で切る」
「俺があなたのそれを黙って見ている方が問題です」
「私がそれを許可する方が問題ですよ!」
医者に怒られたので二人は一先ずその話は横に置いておく。
「ではあれはどうする?」
「暑熱障害に効くので欲しいです」
「雨夏病ですか?」
「はい」
「夏病というのはわかるがなぜ雨夏病なんだ」
「長雨明けに多いというのと、夏の雨が降った時期にも多いからだと思います」
「雨が降った日は涼しいだろ」
「湿度が高いと体の中に熱が溜まるんです。だからアデオナとローランシアはほぼ気温は同じくらいと言われているのにアデオナの方が雨夏病による死者が多いんです。アデオナは湿度が高い国なので」
「王子の名前も知らなかったのに詳しいな」
「王子様の名前には興味がなかったので」
「そういうところもアデオナとローランシアの仲が悪い理由なんでしょうね」
「わかりやすい敵がいれば国民はそこに向かって一致団結しますからね。矛先が内側に向かないためにアデオナの政府はローランシアを悪者にしているのでは」
サクラの言葉に二人は複雑そうな顔になる。
「お前よくそれでただの村娘だと言っていたな。さすがに独学では誤魔化せない教育の跡が見えるぞ」
「でもこの世界識字率高いから本で独学で勉強したって言っても変ではないと思いますが」
「でもお前計算もできるだろ」
「……なるほど」
理系にしては数学が苦手な方だったが、仮にも大学まで行った身である。
正直数学の知識など忘れまくっているが、それでもこの世界では相当に得意な方だろうとはサクラも自分で思う。
「裕福な商人に求婚なんてされるなよ」
「どうしてですか、応援してくださいよ。貧乏な商人ならともかく裕福な商人なんて幸せじゃないですか」
「……そいつはお前と一緒にアマルテアに来るんだろうな」
「そのときはロキとその人とで悩んだ末にその人を選びます」
「おい」
「見えない運命の赤い糸より見えている目の前の恋人でしょう」
「……まだ存在していない恋人に負けたのは納得いかない。だいたいなんだ運命の赤い糸って」
なんだと言われてサクラは初めてちゃんとあれはなんだったのかと考えてみるがよくわからなかった。
いつの間にかそういうものだと知っているというのは不思議だ。
「運命の相手とは小指と小指が見えない赤い糸で繋がっているそうです」
右手の小指を立てて言う。
「運命の相手とは魔色石の魔力を使い合えるというのと同じようなものか」
「見えてちゃ駄目ですよ。都合よく信じられないじゃないですか」
「ああ……運命を信じたい相手ほど試せないと言っていた人がいたな。試さない間は、信じていられるから」
「だからこういうどうとも思ってない私たちみたいなのが判明しちゃうんですね。気軽に試すから」
「そういうことだな」
「見えない運命の赤い糸より、というのはわかりますが、それが見えている運命の相手ならどうなるんですか?」
カイにそう言われ、サクラは漆黒のペンダントを服の上から握り、初めてこれはそういうことなのかと意識した。
「私たちってもしかしていわゆる運命の赤い糸で繋がってる……というやつですか?」
いわゆると言われても、この世界ではそんな話は言われていないのだが、話を聞く限りはそうだろうと二人は思う。
「すごく今更だな」
「なんだか気恥ずかしくなってきました。ちょっと待ってください、急にすごく恥ずかしくなってきた」
「……その急な意識の変化は意味がわからない」
そしてサクラはあることに思い至る。
「もし誰かにプロポーズされたら、でもこの人私の運命の相手じゃないんだよなって思ってしまわないですか?」
「まあ、運命の相手ではないからな」
「いいですか、赤い糸なんてないんです。赤い糸の先の運命の相手なんて存在しないんですよ」
「目の前にいるのにそれは現実逃避が過ぎる」
「大人になったら現実を見ないといけないんです」
「だからお前はむしろ現実逃避している」
「……ところで運命の相手と結婚したら間違いなく幸せになれるんですか?」
不幸になるのなら何が運命の相手だ、と文句を言いたくなる。
そんなことを聞かれ、ロキは初めてそれについて考える。
「試してみるか?」
「…………」
「プロポーズに無言を返されるとは思わなかった」
「王子様からプロポーズされてこんなにときめかないことあります? 逆にすごい」
しかしその表情は感心ではなく真顔だ。
「……どこで俺は育て方を間違ったんだろう」
「二十三で婚約者がいない貴族の子息に言われたくない」
「カイさんなんて選り取り見取りじゃないですか?」
「自分を好きだと言ってた人がロキ様に見惚れるので女性不審に」
「……あぁ」
サクラは同情の眼差しになる。
「俺を好きだと言ってたやつがいつの間にかカイを好きになってることも何度もあったが」
「それは仕方ないです。ロキは超絶美形ですが、カイさんはかっこよくて素敵ですから」
「……悪かったな顔だけで」
「褒めました」
「褒めてない!?」
「私が今まで会った人の中で一番かっこいいです」
「なぜだろう、嬉しくない」
「そんな賛辞聞き飽きたからでは」
「心がこもってないからでは」
「おかしいですね、心からとてもかっこいいと思っているのに」
目の前の花の色をただ答えているだけのように、ただ事実を述べているだけというふうに言われるそれにロキはため息を吐くと、泉に手を入れてスイレンをこちら側に動かす。
「向こうまで回って採ればいいだけなんですからわざわざ魔法使わなくていいですよ」
手招きされて、サクラはロキの隣に膝をつく。
「コップの水に渦を作れると言ったな」
「ええ」
「治癒魔法では俺の魔力がどの程度か実感がないだろう。泉で試してみるといい」
「……ロキの魔力を使ったってそもそも使えない魔法は使えませんよ」
「ただの規模の違いだ」
ロキは桜の指輪を外すとサクラの右手に握らせて腕を掴んで泉に入れる。
「……どうすればいいんですか?」
「俺の魔力を使って同じことをする。それだけだ」
サクラは不安を浮かべながら言われた通りいつものようにやってみる。
コップの中の小さい渦をイメージしたのに直径十メートルほどの渦ができて、サクラは驚いて思わず手を水から抜いてしまう。
「大丈夫だ。ちゃんと同じようにできている」
「……全然、同じじゃないんですが」
ロキは氷で指くらいの太さの棒を作ると、それをサクラに渡す。
サクラは不思議そうにしながらそれを受け取った。
次に電柱くらいの太さの氷の柱を作る。
「サクラは筆を知ってるか?」
「私の国では使ってました」
この辺りの国では筆は使われていないが、使う国もあるとはサクラも聞いたことがあった。
「なら話は早い。サクラは普段そのサイズの筆で書いている。俺はこのサイズで書いている。ただその違いだ。今はこの筆で渦を描いたからいつも通りのつもりでやったのにデカくなった」
サクラは氷柱を見て、それはデカくもなると納得した。
そしてペンではなく筆で例えた意味も。
大きな筆で小さな文字は書けるが大きなペンで小さな文字は書けない。
しかし可能であるということと普通にできるということはイコールではない。
「魔力が高いほど繊細なことは難しいという理由がわかりました」
「だから、相性がいい相手の魔力が5で実はすごくわくわくしている。俺には不可能だと思っていたことが、サクラの魔力を使えば可能かもしれない」
「私にとってあなたがそうであるように、あなたにとって私が価値あるものであるなら、それはとても嬉しいことです」
子どものように笑って言うロキに、サクラも笑って返す。
「完全に戻るまで我慢して待ってたのに別のやつに渡されるとは思わなかった」
「……それはすみませんでした」
その話題を流すようにサクラはもう一度右手を水に浸ける。
「さっきは不安で乱れただけだ。普通に」
深呼吸して、目を瞑り、普通に、ただ水を混ぜるものを細い棒から太い柱に変えただけ、そういうイメージで渦を作る。
目を開けたら、泉全体が渦巻いていて、サクラは目を輝かせる。
「すごい! ロキ、すごい! 魔法使いみたい!」
いつになく無邪気なその反応にロキはふっと笑う。
「みたいじゃなくて、魔法使いだ。何も特別なことはしていない。お前が独学で身につけた技術そのままだ」
サクラはつい魔法を使い続けてしまっていたが、魔力には限りがあるという当然のことを思い出し、ハッとして止める。
指輪の桜はまだ黒いままで、桁違いの魔力量というのを実感した。
そもそもの目的であったスイレンに手を伸ばそうとしたら、止めるように右腕を体の前に出され、ロキが代わりに左手を伸ばしスイレンを採ってサクラに渡す。
「スイレンは棘とかはないですよ?」
「スイレンを折ろうとすると魔獣に水の中に引きずり込まれるという話はヘルシリアにはないのか?」
「それって子どもが水に落ちないようにっていう」
言いかけて、サクラはこの世界だと本当にただの注意喚起の可能性があることに気付く。
前世とは違って本当に魔獣がいる世界だ。
「さっきの酔ったやつが落ちる話と繋がっている気がしてきた」
「…………」
「……そうか、だからスイレンだったのか」
「……なんかちょっと複雑なこの気持ちなんでしょう」
「酔い潰れた大人にも優しくしてやってくれ未成年」
「酷い酔い方をしてる大人ほど子どもに冷たい目で見られるものはないですよ」
「もうすぐお前もそちら側だろ」
「初めてお酒飲むときはロキと二人で飲みますね。それで私の醜態をロキが忘れてくれれば問題ないです」
「初めては親と飲まないのか」
「それは一口二口は。それとは別に自分がどのくらい飲めるのか把握するための最初です」
「俺は今カイが遠い目をしている理由をちゃんと理解しているんだが、それをサクラに言うべきかは迷ってる」
サクラは振り返ってカイを見上げ、首を傾げる。
「王子様をそんなことに付き合わせるのは問題ですか?」
カイが今更そんなことを言うようには正直思えないが。
「ロキ様が気付いてくださっただけで相当な進歩です」
「俺は最初からわかってるつもりだが?」
カイは額を押さえて俯く。
「それで、何か話があるんだろう? いつまでもいるということは」
確かにカイなら二人を残して先に一人戻っているのが自然だったかもしれないと、サクラはそこで氷鹿の角以外に何か話があった可能性に気付く。
カイはため息でも吐きそうだったのを真剣な表情に変えて、二人をハリギの林の方に連れていく。
「魔獣を呼ぶ方法というものがあります。簡単ではありませんが、高確率で任意の場所に何かしらの魔獣は来させることができる。いや、簡単ではないというのは正しくはないですね。手順としては簡単です」
「その呼んだ跡が残っていたんですか?」
「ええ、“残って”いました」
足を止めたカイにサクラはカイの後ろから覗き込み、目を見開き口を手で覆う。
「雪猫だな」
「魔獣を呼ぶ、方法って」
「死体を放置する、それだけだ」
確かに手順としては簡単だ。
しかし魔獣の死体を手に入れるということが簡単ではない。
「でも、それじゃあ、炎犬や氷鹿は」
「魔獣の一部を使えば魔法を使えると言っただろう。あれは魔獣の魔力が宿っているから使える。抜いてしまえばただの珍しい獣の一部だ。魔力が宿った魔獣の一部は個人で使用することは禁止されていないが売ることは禁止されている。まともな魔法使いなら、魔獣を殺したらまず死体から魔力を抜く。炎犬も氷鹿もカイが魔力を抜いてあるから魔獣を呼び寄せることはない」
「魔力が宿ったままの魔獣の一部を持っていたら?」
サクラはカイを見る。
「血と魔力に引き寄せられるそうです。だから魔力だけの魔獣の欠片でも呼ばないし、血だけの魔獣の死体でも呼ばない。立て続けにこういうことは起こりましたが、今まで俺が特別魔獣に襲われたということはありません」
「たまに試してみたくなるバカが現れるが、ただのバカならそう気にすることでもないが」
しゃがみ、手で土を掘るロキに、カイとサクラもそれを手伝う。
「……試してみたくて殺したんですか? それただのバカじゃなくて猟奇的な人ですよ」
「一つ気になるのは一突きで殺していることですね。手練れの……なんですか?」
二人の視線を感じて、カイは怪訝な表情になる。
「寒いな」
「氷と雪のそばですからね」
それにも首を捻ったカイは、少し考えて気付く。意図せずヒトツキで言葉がかかってしまっていたらしい。
「なんで俺が滑ったみたいな空気になってるんですか!?」
「バカな子どもであった方が状況としてはよかったんだが。猟奇的な手練れはもう単語の並びだけで駄目だろう」
「……そうですね」
「残念ですが子どもではないですね」
カイの視線の先を追って、二人は納得する。
「靴跡」
「子どもの大きさではないな。女でもなさそうだ」
「追ってみましょうか」
「……旅のイベントにこんなものは望んでいないんだがな」
「ヘルシリアの旅は早々に切り上げて別の国に行きましょうか。この国は何かありそうです」
「私はヘルシリアにこだわりはありませんよ」
「なら長雨が明けたら魔火竜のところにだけ行ってすぐにヘルシリアを出るか」
雪猫を掘った穴の中に入れ、土を被せようとしたとき、サクラが死体に顔を近づけてじーっと見るので、二人は作業を中断して顔を見合わせる。
「何か気になることでもあったか?」
「この世界って、魔法の剣とかあります? 炎の剣とか氷の剣みたいな」
ロキとカイも覗き込む。
「焼けてるな」
「確かに焼けた痕がありますね」
ロキは短剣を抜くと、それに火を灯す。
「こういうことは難しくはないが、雪猫相手にそうする意味があるかと言われれば普通はない」
「それって、ヴェルさんみたいな感じにするには難しいんですか? 燃えてる剣じゃなくて、焼ける剣みたいな」
二人はハッとしてもう一度雪猫の傷痕を見る。
「ラシード様の剣跡にそっくりです」
「……ああ」
「ラシード様って……アマルテアの第一王子の」
アマルテアの次期国王の名はヘルシリアでも有名だ。
「第一王子は陽狼を持っている。火魔法と光魔法を使う魔獣で、魔色石の剣に入った状態で魔獣の力を借りれば焼ける剣も可能だ」
「これは魔獣の欠片を使うだけの者にはできません」
「つまりこれをやった人は、火魔法を使う魔獣と魔色石の剣を持っている人?」
「そうなるな。ますますイタズラではなさそうになってきた」
「何か見つかるとは思えませんが、一応この足跡辿ってみます。お二人は先に診療所に戻ってください」
「ああ」




