魔獣の力
早朝、宿にいた者たちは犬の吠える声に起こされる。
そのときはまだまさかと思うだけだったが、一階から悲鳴とドタバタとした音が聞こえると四人はすぐに部屋を出て一階に下りる。
同じタイミングで宿の主人も駆けつけた。
「……まさかお前たち炎犬をここに連れてきたのか」
ドアの前で座り込んでいた昨日会った採取者三人はロキの言葉には何も返さなかったが、その直後ドアに大きなものがぶつかるような音に必死でドアから離れる。
「……いるんですか? そこに魔獣が?」
「火の魔力は感じる」
ロキがドアの方を見てそう言うので、アズールは思わず少し距離を取った。
「ほ、本当にいるのか!? 炎犬が……」
宿の主人は困惑した顔で、ロキと、男たち、そしてドアの方を見る。
「えっと、すぐに水で冷やした方がよさそうですけど、どうしますか?」
火傷をしている様子の男たちにサクラが控えめな声で言う。
火傷はとにかくすぐ冷やすことが大事だ。
しかしそれどころではないという状況かもしれないのもそうだが、魔法使いであることを隠すつもりならロキに水を出してと頼むわけにもいかない。
「その前に炎犬をどうにかした方がいいな。火魔法を使う魔獣だ。宿が燃えるのも時間の問題だぞ」
「あんな化け物どうにかできるわけない! どうにかして逃げる方法を……」
やっと採取者の一人が言葉を発する。
「そんな化け物だとわかっていてお前たちは怒らせにいったんだろ。C級の魔獣は国が魔導士を派遣して対処するものだ。一般人にどうにかできるものじゃないことがわからなかったのか」
ロキにそう言われ、三人とも顔を逸らす。
「……B級は決してギルドに依頼は出ない。C級は……だから、」
B級はどうにもならないもので、C級はどうにかできるもの、だからギルドに依頼が出る。
そう思っていた。
いや、本当はB級ですらどうにかできると過信していた。
C級までは依頼があってラッキー、その程度の感覚だった。
「嗅覚も走力も犬とたいして変わらない。人間が逃げ切るのはまず無理だ。このまま宿と一緒に灰になるか、外に出て一人ずつ灰になるか」
「……そんな呑気に絶望の選択肢しかない現実突きつけないでくださいよ」
ロキもカイも焦る様子もないのでアズールもその空気に焦りは出てこないが、カイが平然とそんなことを言うのでさすがに表情は強張る。
「宿と一緒に灰になりそうだな」
煙が出はじめたことにロキも平然とそんなことを言う。
「あ、あんたたちも消火を手伝ってくれ!」
宿の主人が桶に水を入れてくる。
「炎犬相手にその程度の水じゃ焼け石に水だ」
「焼け石に水って言葉はこちらにもあるんですね」
「……お前も大概呑気だな」
「あなたを信じてるだけです」
「物は言い様だな」
ロキは宙に水の塊をいくつも出す。
宿の主人と採取者の男たちの目が見開かれた。
「……魔法使いだったのか」
「カイ、どちらがいい」
「ご冗談を。俺に消火や火傷の処置ができるとでも?」
「もっと大事に使えよ」
「惜しまないことにしているので」
カイはあっさりドアを開けて外に出ていってしまう。
あまりにもあっさりだったので止める間もなかった。
「あの、カイさん、大丈夫なんですか?」
アズールが困惑した顔で閉められたドアを見て、ロキを見る。
「大丈夫だからお前は薬を持ってこい」
「……大丈夫じゃないじゃん」
そうこぼしながらもアズールは言われた通り部屋に薬の入った鞄を取りにいく。
「ところでお前たち治療費は払えるのか」
「……へ」
「え?」
浮いた水の塊や閉まったドアの向こうに意識が向いていた男たちはぽかんと座り込んだままロキを見上げる。
「治療費だ。お前たちは運がいい、ちょうどここに医者がいる」
「三人で金貨一枚」
サクラは右手の人差し指を立てて言う。
「すぐに冷やした方がいいらしいがどうする。こんな場所で大量に水は手に入らない。それとも街まで這って神殿で一人金貨十枚払って治療してもらうか?」
「すぐ近くの街には神殿はありませんが」
三人にではなく、サクラはロキに言ったのだが、まるで選択肢はないと言っているかのようになった。
大銀貨が十枚出される。
金貨一枚と同じ価値だ。
ロキはサクラの言う通りに水で三人まとめて患部を冷やす。
「これはどのくらい冷やすんだ?」
「三十分ほどですね。温度はぬるくなっていかないようにしてほしいです」
「……仰せのままに」
ロキだから容易に可能だが、なかなか高度な要求をしている。
「薬持って……っ」
雷が落ちたような轟音に、アズールは思わず持っていた鞄を落として硬直する。
「ガラスの瓶が入っているんだから気を付けろよ」
バッと外の方を見た六人とは対照的に、ロキだけがそんなことを言う。
それからわずか二、三分ほどでドアが再び開く。
「首を落としてしまいましたが構いませんよね。俺に生け捕りなどという器用なことはできないので」
無傷のカイの背後に横たわる頭と胴体が離れた炎犬に、六人の目が見開かれる。
「……そんなバカな」
「……炎犬を一人で」
採取者たちは呆然とカイを見上げる。
「アズール、あれ、街まで運びたいか」
「……引きずっていいなら頑張りますけど」
運びたくはないが雑用係として諸々のお金を出してもらう立場であるため、アズールはそう答える。
「本音は」
「絶対運びたくないですよ」
「すみませんが、炎犬をそちらにお譲りする代わりに宿泊費をタダにしていただくということは可能ですか?」
カイは宿の主人にそんな交渉を持ちかける。
「……は、いや、それは、こちらとしてはもちろん構わないが、しかし、あれをギルドに持っていけば大金貨二十三枚」
まだどこか呆然としたまま、理解できない提案を持ちかけられて余計に混乱する。
「ええ、ですから、ギルドまで運ぶのは大変だと思いますが」
「いや、あんたたちは四人いるんだから、運べないってことは、だいたい尻尾でも切って持っていって証明すれば、一割の分け前でいくらでも運びたいって人は」
「そうですね、彼らに一割で運ばせればいいと思います。あとは宿の修理費にでも」
「修理費って、それもこの魔法使いさんが消火してくれたからたいした被害は。だいたいあんたたちのせいでこうなったわけじゃないんだから」
「はい! ではおつりでジャコウソウが欲しいです」
サクラが挙手して昨日の夕食に使われていたハーブの名前を出してそんな要望を出す。
「では俺は蒸留酒を」
続けてそう言ったロキはアズールに耳打ちをする。
「あ、俺は、塩を」
ぽかんと三人を順に見て、最後にもう一度カイを見たら、柔和な笑顔を向けられる。
「それで構いませんか?」
「……もちろん、こちらは、構わないが」
「……俺結局荷物重くね?」
今までも小さくない瓶がいくつも入っていたのに、酒に塩まで増えてしまった。
「街で買うつもりだったが、荷物持ちもいることだしな」
「……持ちますけど」
金貨一枚要求して街で買えばよかったのではと思わないことはない。
冷やしてから三人の手当てをして薬を渡すと外に出たサクラに、アズールはもう出発するのだと思って鞄を持つが、サクラは炎犬の亡骸の前に膝をつきその隣にカイが行くと何かを話している様子で、ロキはその様子を見守るだけで出発する様子がないので鞄を下ろす。
「カイさんって、強い“剣士”じゃなかったんですか」
「俺はそんなことを言った覚えはないが」
「……あの人魔導士だったんですか?」
「まさか」
「でもC級の魔獣は魔導士が出てくるレベルだって」
「そんなものは基準の話だ」
「……じゃあちなみに王子様とどっちが強いんですか」
「まあ、状況によるだろ」
「……それ言いだしたら」
「お前喧嘩は強いか?」
唐突にそんなことを聞かれ、アズールは怪訝な顔をする。
「そりゃ、めっちゃ弱いですよ。鍛えたことないし、治安いい村でのんびり生きてきたし」
「そうじゃない。その村の中で、ただの喧嘩は強い方だったのかと聞いている」
「……それは、普通?」
「では俺がお前に剣を買い与えたとする。その剣を持ったお前は、その村の中で、強い方か?」
「それは、たぶん、強い方ですね。全然剣なんて扱えなくたって、振り回すだけでも強い方になると思います」
「では、剣を持ったお前は強い存在か?」
「……え」
一瞬同じなのではないかと思い、しかし違うことを聞かれているような気もして、アズールは答えに悩む。
「その剣はもうお前のものだ。そして俺はその村に剣を配ったりはしない。そうだな……一緒に旅をした仲ということで、お前に特別に贈った剣だ。後から返せと言うこともない」
「それは……強いんじゃないですか? だって自分の剣なわけだし、剣士も魔法使いも生身じゃなくて剣や杖持った状態での強さで考えるものでしょ? 戦場に裸で行くわけじゃないし」
「カイはそれを自分が強いわけじゃないと考える人間だ。だから客観的に見ればカイは強い存在だが、主観的には弱い存在になる」
「……カイさん王様に聖剣でももらってるんですか?」
「魔王が渡すのは聖剣じゃないだろ」
そう言ったらアズールは「え」とちょっと身を引く。
「じゃあ命削るのを代償に魔法使えるようになる道具でも持ってるんですか」
ロキは少し考える顔をする。
「ああ、似たようなものかもな」
「……え」
*
「あなたはたまに、医者らしい」
炎犬の亡骸に手を合わせていたら上から降ってきたその言葉に、サクラは目を開けて手を下ろす。
「本当は医者なんかじゃありません。医療者を目指した理由も手に職を付けたかったからです。給料がよかったから。そんな理由です。たいそうな志を持ったこともありません」
「ではあなたは今、どんな思いで魔獣の亡骸に手を合わせたのですか」
「わかりません。心の中でこぼした言葉もない。不快であったのならごめんなさい。でもできるならば殺さないでと願っていたわけでもないんですよ」
言葉通り表情に痛ましさはなく、また悲しさも怒りもなかった。
カイはサクラから自らの手でその命を終わらせた魔獣に視線の先を移す。
「亡骸を前に手を合わせる人が不快であるはずがない」
「私はどちらかと言うと、動物を殺してきた側の人間です。解剖もしましたし、実験もしました。だから、今手を合わせた行為に医者らしいと評されるのは、適当ではありません」
「魔導士は誰より魔獣を殺している者たちです。しかし彼らもまた、今のあなたのように魔獣の亡骸に手を合わせる」
「動物を実験に使うことには批判があります。嫌う人がいます。でも、それが必要な世界でした」
なるべく代替できるなら違う方法で、なるべく苦しまない方法で、なんでもかんでも殺して実験していいというわけではなかった。
その上で、必要だから、行っていた。
批判する者はしかし、動物実験を経由せず人間に薬を投与する世界を受け入れられるのだろうか。
そうやって完成した薬を、発展した医療技術を、自らが怪我をし病になっても、求めないのだろうか。
「安全な場所から、魔導士に、なぜ殺したのだと言う人がいます。殺さない方法があっただろうと。何のための魔導士だと。彼らは、魔導士が最も魔獣を保持している者たちだということをわかっていない」
「年に一度、実験動物の慰霊祭を行います」
みんなその犠牲の上で医療を受益していた。
しかしその犠牲に対して、批判を受けるのは、皮肉なことに……慰霊する者たちだ。
「ではやはり医者……医療者らしい、行動だったのでは」
「……そうかもしれませんね」
「人は慣れる生き物ですが、冷静になってしまうと何度目でも苦しくなる心は残っている気がします」
「確かに慣れますね。でも、矛盾しているかもしれませんが、何度目でも針を刺す瞬間、メスを入れる瞬間には恐怖がありました。何度目でも、触れれば温かさを感じてしまうから」
「……そうか、触れなくてはいけないんですね」
「改めてこんな話をさせてしまってすみません。最後にします」
「いえ、こちらこそ」
「カイさんは、まともに魔法は使えないと言いましたよね。でも魔水竜の鱗を持っていると、魔水竜の魔法が使えるのだと聞きました」
黒焦げになった炎犬、そして牙がいくつかないことにそう言って、サクラはカイを見上げる。
「だから俺は手を合わせる資格はないんですよ」
「死に、手を合わせる資格のない人なんて、いるんでしょうか」
その言葉に、カイは目を見開く。
サクラの隣にしゃがむと、炎犬に手を合わせ、目を閉じた。




