再会
帰るのが遅くなってしまったのでサクラは親にとても心配されたが、山に行った帰りに旅人を治療していたと言えば納得され、しかし安心されたのも束の間、翌朝高熱を出してまた心配されることになってしまった。
「みんなサクラがいてくれるから安心って言うけど、サクラを診てくれる人がいないから全然安心じゃないわ」
布団に横になる娘の横に座り、母親はため息を吐く。
「ちょっと熱が出ただけだから大丈夫だよ」
「風邪をこじらせて亡くなる人だっているんだから!」
「薬も飲んだから大丈夫だよ」
自分の体調不良の原因には心当たりがあるので、サクラは苦笑をこぼす。
こちらの世界には医者の不養生という言葉はあるのだろうか、そんなことを考えながら、掛け布団を口元まで上げて目を瞑ったとき、戸を叩く音が聞こえてサクラは母親を見る。
「患者さんなら帰ってもらうわね」
「うん」
起き上がるのも億劫で、今日はどうにも人を診ていられるような状態ではなかった。
寝られそうにはなかったが目を閉じて寝ようとしていたら、母親らしくないドサッと座る音に目を開ける。
母親ではなくアズールの姿があってサクラは目をパチパチとさせる。
「見舞い」
どうしたのと聞く前に答えが出た。
「おばさんはナツミカン剥いてる」
「贅沢」
笑ってそう言ったらそんなに重症ではないと思ったのかアズールは少しホッとした顔をした。
ナツミカンは外の皮を剥いただけでは食べられず、一房ごとに中の薄皮も剥かなくてはいけない。
外皮はごつくて手で剥くのは大変で、父親が剥いてくれることはあったが、中の皮まで親に剥いてもらえるのはこういうときの特権だろう。
「昨日の……」
「巻き込んでごめんね」
「別にそれは、俺は突っ立ってただけだし、というかそもそもお前が悪いわけでもないし。そうじゃなくて、結局あいつら何だったんだよ」
いつもの、怪我や体調不良で困っている旅人、などではなかったことはアズールもわかる。
「貴族のご子息が怪我して、護衛の騎士は十割自分のせいにされたら処罰が怖いから何割か医者に責任押し付けて少しでも自分の罰軽くしたい……って感じ?」
「それ……だけか? あの魔法使いと何話してたんだ?」
「瞳の色を褒め合ってた」
「は?」
意味がわからないというアズールのその反応に、サクラはふふっと笑う。
*
本日二度目の来客を知らせるドアを叩く音に、今度こそ患者かそれともまた娘の見舞い客かとドアを開け、フードを目深に被った二人組に目を丸くする。
「えっと、医者をお探しの旅の方でしょうか。申し訳ありませんが、娘は体調を崩しておりまして」
「以前娘さんに助けていただいた者なのだが、話は聞いていないだろうか」
「あ、トールさん、ですか?」
セミの抜け殻の、とはさすがに口にはしなかったが、心当たりはその人だけだった。
「ああ、それだ」
自分がトールだと名乗らず、人物ではなくあくまで話に対してそれと言っているその言い方には少々違和感があった。
「帰りに立ち寄ってくださったんでしょうか」
旅の内容にもよるが、行きと帰りがある旅ならもう一度この村を通るのはおかしなことではない。
「体調を崩しているということだが、会わせてもらうことはできないだろうか。ロキが来たと言えば通じるはずだ」
トールではなく?と当然そう思ったが、言われた通り娘に伝えにいく。
「サクラ、ロキさん?がいらっしゃったんだけど、ここに来てもらっても大丈夫? サクラに会いたいって言ってるんだけど」
サクラは一瞬理解できずぽかんと母親を見上げた。
「ほら前に言ってた、トールさん?」
アズールもサクラの母を見る。
「あ、え……だ、大丈夫、私も会いたい」
会いたいという言葉を出したサクラに、二人は少し驚いた顔をした。
アズールは何か言いたげな顔になったが、母親は呼びに行き、そしてすぐに連れてきてしまったのでそんなタイミングは失ってしまった。
フードを被っていたのは以前もそうだったので何も思わないが、二人入ってきたことにはアズールは表情が少し怪訝なものになる。
広いと思ったことはない部屋だが、五人も入ってサクラは初めて自分の部屋をすごく狭く感じた。
しかしそんなことは気にならないのか、アズールの向かいに座った人物はフードを取ってサクラだけを見た。
「えっと、お久しぶりです」
言葉に困ってとりあえずそう言えば、短い相槌と一緒に手が伸びてきて、額に触れる。
「タイミングがよかったのか悪かったのか」
「そちらの心配をした方がいいくらい冷たいです」
「氷魔法も使えると言っただろ」
「便利ですね」
「助手にいかがかな?」
そんな冗談にサクラは笑うとその手の温度の気持ちよさに目を細める。
「贅沢な助手ですね」
「自分は治せなかったのか?」
「いえ。でも、魔力がなくて……」
ロキはフッと笑うとペンダントを外す。
「もう忘れたのか? 俺の魔力をお前は使い放題だと」
漆黒に染まった魔色石を持ったままサクラの手を握る。
「好きなだけ使え」
満たされるような心地の次の瞬間、鈍い頭痛がスーッと消え、いっそ……不気味な気分だった。
「本当に、魔女になっちゃった」
笑って言った冗談のはずが、どうやら苦笑いにしかなってくれなかったようだ。
言ってしまったことで、実感してしまっていたら、握ったままだった手を引かれて体を起こされる。
「魔女に会えるとはなんという僥倖、俺の薬医になってはくれないだろうか」
サクラは無意識にその手を握り返す。
笑顔で答えた。
「お断りします」
「……今のは喜んでと言うところだろ」
そう言いながらもその答えは予想通りで、苦笑をこぼすと持っていたペンダントをサクラの首にかける。
「売ったら高く売れそうですね」
漆黒の石にサクラはそんなことを言う。
「……王子の魔色石ですからね」
ぼそっと後ろでカイがこぼした。
「さて、どこから話すべきか」
「ロキ様、まず自己紹介からが基本かと」
「アマルテア王国第三王子ロキ・アマルテアだ」
ただただ意味がわからないという顔をしたアズールとぽかーんとした母親に、サクラはなんと補足しようか頭を悩ませる。
「……言ってしまうんですね」
「得体の知れない男に娘を任せる親はいないだろ」
「王子を名乗るやばい人に任せる親もいないですよ」
「こいつはフランメリーユ伯爵家長男カイ・フランメリーユ」
手で示されたカイがフードを取って頭を下げる。
「……想像以上にすごい人で反応に困ります」
「こちら一応我が国の王子ですが」
「そうでした」
「一応って言ったか?」
「あ、母のバーベナです。父は外出中で。彼は」
「存じております。彼にもお世話になったそうで」
「……俺はまだ全然追い付いてないんだけど」
アズールはまだ何が何やらという状態だ。
「世話になったというか、カエルを食べさせてもらった」
「……それは把握してません」
「まあまあの味だった。今度お前も食べてみろ」
「貴族にカエルなんて食べさせようとしないでくださいよ」
「俺王族な?」
「……つまり俺は王族にカエル食わせた?」
頭を抱える。
サクラは後からその事実を知ってしまったアズールに同情する。
「いや待て、王子がこんなところにいるわけねぇだろ! ましてや前なんて一人で、こんな村に、あり得ねぇよ!」
ロキを指差して、暗に王子を名乗る不審者だと言う。
「まあ、そうだね」
アズールの主張に、サクラは尤もな意見だなと思う。
「……いきなり来て王子や伯爵だと言われましても」
こちらも、まったく話についていけていないバーベナが困惑顔で言う。
「一応家の紋章が入ったものはありますが、それを見せたところでという話でしょうしね」
カイがフランメリーユ家の紋章が入った懐中時計を見せるが、案の定バーベナにもアズールにもわからないという顔をされる。
「王子様今回は王家の紋章が入った剣は持ってないんですか?」
「持ってはいるが、それで信じるのか?」
「さすがに偽物だとは思わないですよ」
そう言われて、ロキは背負っていたリュックを下ろすと中から木箱を出す。
「剣ではないが、ここにアマルテア王家の紋章が」
木箱の蓋を手で示す。
「「…………」」
二人ともその紋章はわかった。
何も言葉が出なくなる。
「アマルテア王家の紋章は月と氷を飲み込んだ太陽。月は妖精の象徴、そして初代賢者だと言われている妖精が氷魔法使いだったことから、妖精の力を手に入れて栄えるアマルテア王家を表している」
「へー」
サクラだけが反応を返す。
真剣な空気のロキにそんな軽い反応ができるサクラに、カイはやっぱり特別だなと思った。
ロキは木箱の蓋を開ける。
「アマルテアの賢者の紋章は水蓮と月。これは将来賢者の席に座ることになる第三王子の魂の片割れへのアマルテア王からの餞別だ」
ロキがそっと箱から中身を取り出す。
王子に丁寧に扱われると、それがとても高価に見えてくる。
「いやそれ絶対受け取っちゃ駄目なやつじゃないですか」
サクラが拒否の手を出す。
「返されても困る」
「私も困りますよそんな高そうなもの」
「治療費だ」
「もうもらいました」
「子どもの命の恩人への父からの感謝の気持ちだ」
「金貨でお願いします」
どう考えてもいろいろ別の感情が乗っかってそうな代物に、サクラはそう返す。
「カイ、次の街で換金してこい」
「大きな街ではないと無理だと思いますので、次の街では」
「駄目ですよ!? 王様に怒られますよ!?」
「お前が金がいいと言うから」
「過分だと言っているんです!」
「こっちも面子というものがあるだろう」
「だったら最初から金貨積み上げてくださいよ! どう考えてもただの感謝の気持ちじゃないじゃないですか! なんですか魂の片割れがどうとかって!」
「俺だって好きでこんなもの持ってきたわけじゃない! とりあえず受け取って金に困ったら好きなときに売れよ! 話が進まないだろ!」
サクラは半ば無理やり握らされる。
「そもそもどうして髪留め……」
会ったことのない相手に贈るならもっと無難なものがいくらでもあるだろう。
それこそ装飾品にしてもネックレスとか。
サクラはアマルテア王の用意したものが髪留めであることに疑問を持つ。
「これは、水蓮と月と氷だ」
透明な水蓮の花が少しピンクに色付いたことでサクラはそれが魔色石であることに気付く。
魔色石の水蓮の花が大きく一輪、そして銀の月と透明な雪の結晶がいくつか。
ロキは雪の結晶に触れる。
黒く染まった。
「アマルテア王家には初代賢者である妖精の血が流れていると言われている。妖精は氷魔法使いだった。だから時々、アマルテア王家には氷魔法使いが生まれる」
ロキの手のうえに氷の水蓮が咲く。
すぐに砕け散ると氷がキラキラと落ちていった。
「今俺が己を証明できるすべてを見せた。これで信じられないならもうどうしようもない」
「すごくそれっぽくて逆に詐欺師相手にしてる気分です」
「……嘘だろ」
アズールにそんなことを言われる。
「サクラはどうしてこの人を信じたの?」
バーベナは娘を見る。
「死にかけで倒れてたから」
サクラは悩むことなくそう答える。
「あの状態で、王子であることを隠す方に嘘をつく理由はあっても、王子であると嘘をつく理由がない。それに準備してこれる今と違って、あのときは死にかけて倒れてたんだから、王家の紋章が入った剣も、身分の高そうな身なりも、本物だと思う」
その理由にロキが笑う。
「俺もお前も運命の相手なんてものに気持ち悪いと言い合ったのに、結局お互いを信じてた理由は全然そんな曖昧な感覚なんかじゃないじゃねぇか」
「本当ですね」
「このまま全員で話して話を進めるのは難しいかと思いますので、一先ずお二人で話されてはどうですか? その間に私が説明しておきます」
カイがそんな提案をする。
「サクラ、もうしんどくないの?」
「うん、大丈夫、ありがとう」
「それじゃあ後で話してね」
「うん」
バーベナはさっさと部屋を出ていく。
カイがドアを開けてアズールに外に出るように促し、二人を残し部屋を出る。
「君は彼女の心配をしているわけではないんだな」
「……は?」
サクラの部屋を見ていたアズールにカイはそんな一言をかけてからバーベナがすすめてくれた椅子に座る。
その対面にバーベナも座るが、アズールはカイの方を向いて壁際に立つ。
「まずはお嬢様に殿下を助けていただいたこと、従者として、アマルテアの国の民として、心より感謝いたします」
伯爵家の人間だという人に頭を下げられて、バーベナはどうすればいいのかわからず慌てる。
「いえ、そんな……」
「そのときに殿下がサクラ様を旅に誘われました。突然で驚かれるかと思いますが、陛下の許可は下りていますので、あとはサクラ様とご家族次第ということに」
「…………陛下」
もう何がなんだかわからなくなってきた。
「サクラ様は魔法を使われるようですが、魔色石というものをご存知でしょうか」
物を見せるように懐中時計をテーブルに置く。
「あ、手当てした礼にとサクラが旅人からブレスレットをもらってきました。それが確か魔色石だと」
「魔色石は所持していると魔力が溜まります。溜まった魔力は本来本人しか使えません。しかし稀に互いに相手の魔色石に溜まった魔力を使える場合があります」
「……さっきの」
懐中時計に付けられた青い石とカイの青い瞳を見て、瞳の色に染まると言っていた娘の言葉を思い出す。
そして娘の首にかけられた漆黒の石のペンダントと、ロキの漆黒の瞳も。
「ええ」
「それは、使えると何か」
「人間は簡単に誰かを呪うことはできません。それは王国一の魔法使いでも。ですが自身を呪うことは可能です。その者の魔力を使えるということは、自身を呪うのと同じように、その者を呪うことも可能だということです」
言い終わるかどうかというところでアズールに胸倉を掴まれる。
カイはただアズールを見返した。
「お前らサクラを見張りたいだけじゃねぇか! 隣国の第三王子は魔力がとんでもないってのは庶民でも知ってる有名な話だ。あいつにサクラの魔力を使えるメリットなんてないだろうが。サクラがいれば王子は危険、アマルテアにとってはそれだけだ。まさかサクラを殺しにきたんじゃないだろうな!」
「だったらもう殺している」
「なってめぇ!」
「別れ際サクラ様はご自身の魔力を溜めた魔色石をロキ様に渡された。だが今も彼女は生きている。ロキ様は自身の魔力を溜めた魔色石をサクラ様に渡された。陛下の許可は下りたと言っただろう。陛下はご子息の恩人の死などお望みではない」
「……意味わかんねぇ。王子を一回治療しただけで、王子を呪い殺せる平民に恩人だからって」
手が離れる。
声と表情には困惑が浮かんだ。
昨日のユヴァたちを思い出す。
彼がどんな家の人間だったとしてもアマルテアの王子より上なんてことはあり得ない。
「サクラは、一緒に行きたいように思います」
「はい、私もそのように思えました」
「この村で魔法を使えるのはあの子だけです。誰が教えたわけでもないのに幼い頃から薬を作りました。本が好きで、プレゼントは何より本を喜びました。あの子はこの村で一生を終えるのはもったいないんじゃないかと夫とも何度か話したことがあります。いつも親バカだと話を終えていました。外に出れば平凡なのかもしれないと」
「魔色石のことがなくとも殿下はサクラ様を薬医にと誘われたでしょう。あなたのお嬢様はそういう方です」
「どれだけ心では応援していてもやっぱり一人では送り出せません。あなた方が一緒にいてくださるなら私も安心です。夫もきっと反対しないでしょう」
「ありがとうございます。お嬢様は私の命に代えてもお守りしますのでご安心ください」
頭を下げてそう言うのでバーベナは焦る。
建前ではなく心からの言葉に聞こえた。
「あの、それは、何かあれば助けてあげてほしいとは思いますが、殿下の従者の方だとはわかっていますので」
「はい、申し訳ありませんが私の最優先はロキ殿下です。それは何があっても変えられません。しかし殿下の次にサクラ様を優先します。騎士としての誓いは王家ではなく殿下個人に対してしており、それは陛下にも家にも許しを得ておりますので。長男とは言いましたが家は弟が継ぎますので、私の命をサクラ様に捧げることになっても問題はありません」
「……どうしてそこまで」
本気で言っているのがわかってバーベナは少し、ゾッとした。
庶民にはわからない生き方だ。
騎士とはそういう生き物なのだろうか。
しかしそれも王子に対してならまだわかるが。
「主の命の恩人であり、きっと、これからも幾度となく救ってくださる方だと思いますので」
「……?」
「それともう一つ、これは建前のような理由なのですが、魔色石の魔力を使える者同士は魔力の相性がいい、ひいては魂の相性がいいと言われ、その立場は同格と言われます」
建前と言った通り、笑って、軽く言う。
しかしその言葉の意味を理解したバーベナは表情が強張った。
「魔力の相性がいい方が見つかることは滅多にないことなので余計にそういう扱いが通るのでしょう。これが普通にみんな見つかっていればそんなことはとてもできませんから。アマルテア王国一の魔法使いの相方は浮浪児だったのですが、その魔法使いの魔色石の魔力が使えたというそれだけで王宮に勤めることを許され、貴族と一緒にパーティーに出席し、下位貴族からは敬語を使われます」
「「…………」」
バーベナはもはや青ざめた。
アズールもその意味を理解して言葉を失う。
「しかしこれはまあ半分廃れた風習のようなもので、あくまで上辺だけですのでご安心ください。さすがにサクラ様が公爵に上から話されると空気が凍るかと」
「……公爵に下から話されたらサクラも凍りつくかと」
「陛下はたいそう喜んでおりますので不快でなければどうか娘へのようにプレゼントを贈られることをお許しください。子どもが全員男ですので、娘が欲しかったそうで。あ、どうぞ、バーベナ様も殿下を息子のように呼び捨てにしてくださっても」
同格というのはつまりサクラ側だけでなくロキ側にも言えることで、しかし笑顔で言われたそれにバーベナは無言で首を横に振った。




