当たりの医者
「アズールお待たせ。ごめんね」
もう剣はとっくに下げられていた。
アズールはなんて言葉をかければいいのかわからずすぐ返事ができなかった。
「手を洗った方がいい」
アルドに促され、サクラは目を丸くして移動する。
馬車から離れたところで止まったアルドの顔を見る。
意図はわからないが手を出すようにという動作をされたので手を出せば、魔法で出してもらった水で手に着いた血を洗い流す。
その状況になんだかちょっと笑えてきた。
横から見ると不思議な状態だ。
「ありがとうございます」
「……礼を言うのか」
渡されたハンカチも有難く借りてサクラは手を拭く。
「ビニール製の布とかってやっぱり高いですかね」
「そんなことはない。こんな場所では手に入りにくいとは思うが」
「こんな状況があると思っていなかったので考えていなかったですが、血は直接触るものじゃないですからね」
「ならなぜ治療を拒否しなかった」
ただの血ではなく、毒に侵された血だ。
「その選択肢は剣を捨てさせてから用意してほしかったです」
「どの口が」
怯えている様子などなかっただろうと。
「魔獣に襲われて逃げた先がヒアリの巣で、ヒアリに噛まれて急いで神殿に向かったら、ミズドクグモに刺されていたことに気付かず手遅れ。ミズドクグモに刺されたのは魔獣によって火傷になった場所の近くで、冷やすためにタオルを当てていたため、青くなっていることに気付きづらい。偶然は無理がありますね」
「そうだな。俺が仕組んだ」
そんなにあっさり認めるのかと、サクラは顔をしかめてアルドを見る。
「あの剣士さん、騎士さん? はグルですか」
それには苦笑をこぼされる。
「騎士だ。まあ、同業者のようなものだ」
その言い方にサクラは仲間ではないのかと少し驚く。
「ミズドクグモに刺されていることに気付かず最悪の事態になるようなことがあれば、当然それを見逃した医者の責任です。あの人はだから、私に鎮痛薬だけをもらって患者を診てほしいとは言わなかったんですね。さすがに未成年をそんな目にはということですか」
「……未成年だったのか」
「年齢通りに見られる見た目だと思っていますが」
「見た目はそうだが中身が」
「まあそうですね、中身は」
一度二十半ばまで生きた人間ですし、と当然それは心の中でだけ返す。
「いったいどこでその医療知識を」
「もう一人の騎士さんは何も知らず私に責任押し付けようとしてたんですか?」
「たぶんそうだろうな」
「……人間不信になりそう」
「まさかこんな村にこんな医者がいるとは思わなかった。きみがヤブではないと判断したときに計画はすぐに中止したんだ。だから手当てできるとわかって治療を求めた」
「いくら足一本分の毒とは言え、放置すれば本当に取り返しのつかないことになっていましたよ」
「なぜ何も言わない」
「もう十分言いました」
「教えてやればいいだろう」
「それで全員仲良くあなたに殺されるんですか?」
「冷静だな。確かに俺はそれが可能だ。それで君は坊ちゃんを見捨てるのか?」
「貴族を殺せばまず間違いなく死刑です」
「だからやめておけと?」
「だからやめてくださいという話です。危うく死刑になるところだったじゃないですか、ふざけないでください。ただの村娘に急なトラップを仕掛けられても困ります」
アルドはぽかんとすると、フッと笑いをこぼす。
「ただの村娘に上手く切り抜けられては恥ずかしくてとうぶんこんなことは考えられないな。坊ちゃんは助かり、君も助かった」
「こんなやり方しなくても、魔導士なんてなんでもできると思いますが」
「どうしてこんなことをとは一切聞かずにあろうことかそんなことを言うのか」
「魔導士になれるほどの人がどうしてこんなことをとは思っていますよ」
「誰もが夢を抱えて魔法を覚えるわけじゃない」
「いえそういうことではなくて、だってこういうやり方なら魔導士にまでなる必要ないじゃないですか」
「……君は実は推奨しているのかな?」
「そんなわけないじゃないですか」
「俺の家族がそうやって死んだからだよ」
それは悲しげでも、ましてや怒りや怨みのこもった声でもなく、ただただ無感情だった。
「殺すだけなら魔導士になる必要はない。魔導士ならもっと簡単に殺せる。どちらもその通りだ。しかし復讐は魔導士にならなければ行えなかった」
「そうですか。でも私にはあなたのために死刑になる義理はないので今回は諦めてください」
「まったくその通りだな。だが別に医者にはそこまで怨みがあったわけではない。それに仲良く一緒に貴族に息子を苦しめた罪を責められるくらいで死刑にまではならなかったさ」
「仲良く責められる義理もないのですが」
「まあ結果的に人生が死ぬ可能性は大いにあるが」
「それも全然よくないです」
「あいつは藁にも縋る思いで医者に少しでも責任を押し付けられないかとあんな意味不明な暴挙に出たのだろうが」
あなたのせいでそんな窮地に立たされたのにと、サクラはちょっと同情する。
それは魔導士様はその存在に大きな価値があるからほどほどの処罰で済んでも、護衛の騎士はそういうわけにはいかないだろうと。
「医者にはそこまで、ですか」
アルドはサクラを見る。
「神殿に積む金貨を持っているような生まれではなくてね。ただそれだけだ。それだけだよ」
「その街にいる医者は外れだったんですね」
アルドはその言葉に目を丸くし、そして声を出して笑う。
こんなに笑ったのはいつ以来かと思うほどに笑った。
「腕のいい医者は高額を請求する。優しさで医者をやっているような者は腕が悪い者が多い。腕がよくて良心的な金額で診てくれる医者は滅多にいない。だから庶民はそういう医者を当たりだと言う。そうか、神殿にいる医者は外れか。なんだか少し胸がスッとしたよ」
「……なんですか?」
つけていた腕輪を一つ外して差し出され、サクラは意図を問う視線をアルドに向ける。
「礼だ」
「それはおかしいのでは?」
「怨んでいるのは父親であって坊ちゃんじゃない。だからこれでよかったのかもしれない。今少しホッとしているよ。復讐はちゃんと当人に対してすることにする」
「……ちゃんと」
何も事情はわからないので止める言葉も出せないが推奨はもちろんするわけもないのでサクラは何も言わないことにした。
「君も魔法を使うのだろう?」
「少しだけですが」
ロキが魔力を意図的に使ったことのある者はわかる、と言っていたのでサクラは言い当てられても驚かなかった。
「こんなところになぜ君のような者がいる」
「小さい火を出すくらいしかできませんが」
「医術に対してもだ」
「あれは対処方法を知っていただけです」
アルドの視線が震える手にあるのを見て、サクラは手を後ろに隠そうとするが、それより先に掴まれる。
サクラは気まずげな顔でアルドを見る。
「普段は軽い熱とか春風病とか転んでできるかすり傷とか、そういうのに薬を渡すだけなんですよ。だからあの程度でも、怖くなってしまって。だから本当は私も外れです」
「当たりだよ。君は俺が魔導士だとわかりながら、俺が坊ちゃんを殺そうとしていることに気付きながら、それでも見捨てなかった。助けた」
「でも私は金貨を求めました」
あまりに真剣な顔で言われてしまって、そんな冗談を言うが空気は崩せなかった。
薬を鞄ごと渡す必要はもうないだろうし、サクラに金貨十一枚も受け取る気はなかった。
「君は村の人に大金貨を求めたことがあるのか?」
「……ないです」
「神殿に金貨を積むことのできない多くの庶民のために、この医者がこの先も無事でありますように」
瞳と同じ青紫色の腕輪を左手首に通し、目を閉じてまるで祈るかのようにそう言った。
「……大袈裟です。言ったように私にそんなたいそうな医術はありません」
「残念だ。とても綺麗な瞳の色をしているのに、君は魔色石を持っていないようだから交換とはいかないな」
わざとらしく話題を変えようとする笑顔に、サクラは微妙な表情になるがそれは笑顔に流される。
「あなたはトリカブトの花のような色の瞳ですね」
「……それは嫌味かな」
トリカブトは有名な毒草だ。
前世でも、今世でも。
「綺麗な花だと有名じゃないですか。毒を持っているとは思えないとか、毒に誘っているとか……あっ」
サクラは嫌味かと言われた意味に気付いて手で口を抑える。
「まあそれもある」
「……薬草でもあるから、パッと浮かんだのがトリカブトで、それだけです」
薬学部時代毒草としても薬草としても散々名前を見たのでサクラにとっては印象が濃い植物だった。
「トリカブトの花言葉は復讐だったかな」
この世界でもそうなんですねとサクラは心の中でだけこぼした。
表情は必死の苦笑だ。
いっそ知らなければ心からの苦笑をこぼせたが、あいにくと植物図鑑の延長で花言葉図鑑を愛読してしまっていた前世の子ども時代のせいで知ってしまっていた。
もちろん花を渡されてこれはと聞かれてもほとんどわからないが、印象の強いいくつかはまだ覚えている。
幸運で有名なクローバーも花言葉に復讐があるというのもついでに頭に出てきた。
ちなみに四つ葉のクローバーはこの世界でもレアでラッキーだ。
「……花の青紫ってなんであんなに綺麗なんでしょうね。色だけでもうなんか勝ってる気がしますよね」
何の勝負だとサクラは心の中で自分で突っ込んだ。
「ちなみに、俺は男なのだが」
「はあ、そう思っていましたが」
「女性の魔色石の色や瞳の色を花にたとえるのは告白に等しい褒め言葉なので気を付けた方がいい」
「……アルドさんは男性だと思っていましたよ」
「男の場合は石だな。宝石と言うべきか」
「…………」
黒曜石なんて漆黒の定番のたとえじゃないかとサクラは思うのだが、それは前世の考え方なわけで。
「手遅れだったか」
「……恥ずかしい。きっと心の中で苦笑いされてたんだ」
「苦笑いならいいんじゃないか? そのまま受け取られて勘違いされていたら大変だ」
「……それは大丈夫なはずです」
サクラは重いため息を吐く。
その場で笑ってくれればよかったのにとそんなことを思ってしまう。
「……親が心配していると思うので帰ります」
馬車のところに戻って薬鞄を回収する。
そういえばお金をもらっていないと、金額を改めて言おうとして、それより前に、脅して連れてきた方の騎士に布に包んで渡される。
目が合わなかったのは脅すように連れてきたからか、ユヴァを守れなかった責任を医者に押し付けようとしていたからか。
サクラはその場で布を開くと三枚をアズールに渡し、一枚を自分に取って、七枚を残して布を閉じるとアルドに渡す。
アズールにもアルドにも意図を問う目をされる。
「迷惑料」
「……いや、でも」
「彼への迷惑料に三枚渡すのはわかりますが、あなたは一枚だけですか?」
「もう鞄ごと薬を買う気はないでしょう?」
「それは、そうですが」
「私に金貨を積み上げる必要はないですよ?」
笑ってそう言ったら、アルドは目を見開いて、そして笑みをこぼす。
「ではあなたも迷惑料を」
アルドはもう一枚をサクラに渡して、六枚を残して布を閉じる。
サクラはそれに、そういえば蹴られたりしたしなと納得する。
「そうですね、じゃあこれももらっておきます」
「もう暗いので家までお送りしますよ」
アルドと同じくらいの歳に見える方の騎士が、笑顔でアズールの背を押してそう言う。
いや早く神殿に向かってあげてよとはサクラもアズールも一応思った。
「いやそんな真っ暗ってほどでもないし、てか自分の村なんだから俺たちの方がよくわかってる……」
尤もな理由で断るアズールに、その人はスルーしてアズールを押していく。
サクラとアルドは顔を見合わせた後、少し空いた距離を急ぎ足で詰めることもなくそのままの距離で二人の後を行く。
前を歩く二人は何か雑談をしているようだが、後ろの二人は特に会話もないまま歩いていたら、視線を感じてサクラは頭一つ分背が高いアルドを見上げる。
「変な気分だ」
「疲労感ですか? それともイライラした感じ?」
「……それは何を聞かれているんだろうか」
ただ心情をこぼしただけなのだが診察のような質問をされてアルドは複雑な表情になる。
「気の量が少ない病態を気虚、気の巡りが停滞した病態を気滞と言いまして」
西洋医学ではなく漢方医学の考え方だ。
天然薬物学の内容であり、成績は決して優秀な方ではなかったサクラの数少ない得意科目の一つである。
「……復讐なんて考える人間は正気ではないと言われてしまえば言い返すのも難しいが」
「私もそんなつもりで言ったわけではないんですが」
「強いて言うなら不眠が」
「不眠ならいい薬が」
サクラは足を止めて鞄を開ける。
木製の丸筒型のケースを出す。
「ナツメの種をメインに調合した薬です。煎じて飲んでください。あ、ちょっと待ってくださいね、煎じ方を」
鞄から紙とペンを出してその場にしゃがむと注意事項などと一緒に服用方法を書く。
「君は、魔導士はなんでもできると言ったな」
日が完全に落ちる少し前、綺麗な夕焼けはもう通り過ぎて、寂しさだけを残した夕方、夜の入り口がすぐそこに見えている暗がりに消えていきそうな静かな声に、サクラは顔を上げる。
「魔法には夢があるじゃないですか」
キラキラした目でそう言うサクラにアルドはいっそ怪訝な顔をした。
「……似合わないな」
「……どういう意味ですか」
「まるで子どもの言葉だ」
「一応まだ子どもです」
「そんな魔力量で、小さな火を出せる程度で、どこに夢があった」
「私は楽しんでますけどね。あなたもせっかく魔導士になったんだからその人生捨てる前にもうちょっと楽しんだらどうですか?」
「……せっかくだから」
「来世も魔法がある世界かはわからないですよ?」
いたずらっ子のような笑顔でそんなことを言うサクラに、アルドは少し呆気に取られたような顔をした。
「それは考えなかった。確かにそう思うと俺はまだ何も楽しんでいないな。せっかく、魔法を使えるようになったのに」
「どうぞ」
薬と紙を差し出すが、受け取ってくれなくて、サクラはアルドの顔を見る。。
「別に痛むわけじゃないが、この傷痕を消すことはできるか?」
服の袖をまくって右腕を出したアルドに、サクラはその焼けたような痕に顔をしかめる。
「今は神殿に行くお金はあると思うんですが」
「こういうものは消えないと言われた」
「……神殿で無理なものを私がどうにかできるとは思えませんが、一応傷痕にはムラサキで作った軟膏が。でもこれはちょっともうそういう話ではない気が……」
「効かなかったからといってわざわざ怒りに来たりはしないさ。どうにもならないものもあることはわかっている。一応試してみてくれないか」
「この傷はどうされたんですか?」
「魔獣の爪痕だ」
魔獣被害で、運が悪かったではなく、明確に復讐したい誰かがいるというのはどういうことだろうか。
野生の魔獣に襲われたなら、恨む対象はその魔獣と治療してくれなかった神殿ではないだろうか。
そうではないというなら……サクラは考えるのはやめておく。
踏み込んではいけない気がした。
「消えれば、解放されるのだろうかと、初めてそんなことを思った」
「私、治癒魔法が使えるんですよ。だから、消えることを祈っておいてください」
ロキに前世の話をしたときと同じように、冗談のようにそう言って笑う。
アルドは冗談だと受け取ったようで少し笑っただけで何も言わなかった。
サクラは魔力を込めて紫色の軟膏を右腕に塗り、その上から包帯を巻く。
「あなたが楽しい夢を見られるようになりますように」
目を閉じて祈った。
息を飲むような気配が夜の静けさの中に溶けて消えた。
「不眠症の薬、よく効きますよ」
笑顔で薬を差し出す。
今度は受け取られた。
暗がりを照らす明かりのための火が灯される。
「今気付いた。君の瞳の色はダイヤモンドリリーに似ているな」
「それは初めて言われました」
「そういえばまだ名前を聞いていなかったな」
「サクラです」
「変わった名前だな」
「それはよく言われます」
「俺はレイだ。レイが本名。アルドは忘れてくれ」
「教えてしまって大丈夫ですか?」
「馬車を追いかけてバラしに来るか?」
「それは難しいですね」
「それにどうせもうクビだろうしな」
「魔導士ならただの異動では?」
「そうとも言う」
「それではまた会うことがあれば、そちらの名で呼ばせていただきます」
「ああ」




