黒き目醒め
少年が教会裏の扉を勢いよく開け放つ。
礼拝堂から入ると怒られるからだ。
「はぁ、はぁ、はぁ──みんな!!」
居住スペースには誰もいない。
それだけでなく、部屋の中は嵐でも通り過ぎたかのように家具や小物が散乱していた。
「みんな、どこ行ったの!」
叫んでも、返事はない。
少年の声だけが虚しく響く。
胸の奥に広がる不安を押し殺しながら、彼は部屋の奥へと進む。
礼拝堂へ続く廊下に足を踏み入れた瞬間──足元からぬめるような水音がした。
視線を落とすと、血溜まりを踏んでいた。
「何これ……?」
血は一本の線を描きながら、礼拝堂の方へと続いている。
何かがある──そう直感した少年は家族の安否を確かめる為、逃げたい思いを押し殺して礼拝堂へと駆け足で向かった。
血の線の先に扉が見える。
少年の足が止まった。扉の向こうで何が待っているか、考えたくなかった。
でも──。
「みんな……」
胸が苦しくなる程の恐怖に襲われながら礼拝堂の扉を開くと、中は地獄と化した光景が広がる。
「あぁぁぁぁあ! やめろぉぉぉぉ!」
「神父さま、神父さま……!」
礼拝堂の中央で、異形の存在が神父の腹部へと大鎌の刃を突き刺していた。
その姿は死神のようであり、溶けて腐敗した天使のようでもある──そんな異形だった。
恐怖に打ち震えながら神父の最期を見つめていた孤児の子も、背後からの一振で力なく倒れる。
「みんな──」
「おやァ? ここにいたのカイ?」
突然、背後から声が響く。
振り返るよりも早く、背中に衝撃が走った。
少年の体は礼拝堂の中心まで吹き飛ばされる。
悲痛な顔を浮かべながら前を見ると、すでに絶命した神父や子供達が横たわっていた。
「誰も居場所を吐かないカラ、最後の一人に聞いてた所サァ」
振り返ると、他の死神とは一回りも二回りも大きな体躯を持つ老婆のような死神が立っていた。
右手には人よりも大きな鎌を持ち、左手には──自分が父と慕っていた神父が瀕死の姿で持ち上げられていた。
「う……リュウ、ト……」
「おじさん!!」
「そのガキを抑えナ」
少年が神父の元へ駆け寄ろうとした瞬間、うつ伏せに倒され、首元には二振りの鎌が突き付けられる。
後ろを見ると、数体の死神が少年の体を抑え込んでいた。
「にげ……」
神父が言いかけた瞬間、老婆の死神は神父の体を空中へ放り投げる。続けざまに右手の鎌を両手で構えると、神父の体を容赦なく切り払った。
「おじさんッ!!」
神父の体は少年の前に落下し、涙を浮かべる彼と目が合う。
「リュウト……」
少年は過呼吸のように息を荒げながら、神父の瞳を見つめる。
「お前は……つよ、い子……だ」
リュウトは返す言葉が見つからず、ただ首を振ることしかできない。
「みんなを、連れて、ここ……から、逃げ……」
神父は言い切る前に、優しい瞳をリュウトに向けたまま事切れる。
「おじさん──おじさん!」
少年は涙を流しながら、床に顔を埋めた。
「馬鹿だネ。言えば死なずに済んだのニ……お前の事を誰一人言わなかっタ。下等種族は頭も弱いらシイ」
老婆の死神は鎌の血を払い、刃を指でなぞりながら少年に歩み寄る。
「まぁ、すぐに同じ所へ連れてってやルヨ」
骨を鳴らすようにケタケタと笑いながら、大鎌を振り下ろす── 。
だがその刃は少年には届かなかった。
突然、少年の体から濁流のような黒い何かが溢れ出す。
それは彼の体を包み込み、まるでマントのように形を変えた。
「これガ……あいつと同ジ……」
濁流の衝撃で、少年を抑えていた死神たちは吹き飛ぶ。
少年がゆっくりと立ち上がる。
その瞳は、先ほどの弱々しいものではなかった──獲物を捉えた狼のように鋭く光っていた。
「怯むナ! この程度の力、我らにかかれば造作もナイ!」
老婆の死神の声に鼓舞され、死神たちは鎌を構えて少年に向かう。
だが少年は雑兵など気にも留めず、一直線に老婆の死神へと走り出す。
その瞬間、少年の右手に異様な重みが走った。
何かを握っている──自分の体とは違う感触。
視線を向けると、そこには自分の身長とあまり変わらない全長の剣が握られていた。
「クソ、コイツ!」
少年は振り下ろされた大鎌を、枝を切るように真っ二つに斬り下ろす。 その一撃に、老婆の死神は初めて自分の死と言う恐怖を悟った。
「やめロ……やめ──!!」
礼拝堂に響いたのは少年の咆哮──そして黒き刃が刻む誕声だった。