王朝物語文学の魅力 「源氏物語」を頂点とした膨大な物語文学の魅力的なる世界
中世王朝物語文学の系譜
平安時代に大発展を遂げた物語文学をご存じですよね?
その代表作が「源氏物語」ですが
じつは
そのほかにも
当時膨大な物語が製作されたのです。
ですがその大半は失われて今に伝わっていません。
時代とともに散逸してしまったのです、
だがそのタイトルだけは伝わっているのですね
後で述べますが
「無名草子」という評論書があって
其処には今は失われた物語について、題名と梗概が記載されてるんですよ。
それを読むと
ああ、こんな物語があったんだと感慨ふかいです。
もう、二度と読むことができない、うしなわれた物語は
夢で読む?しかないのでしょうね?
さて
わたしが日本の王朝文学にめざめたきっかけは
『王朝文学の世界』新潮社 1963中村信一郎之この本を読んだことだった
あるひ、ふと何気なく手に取ったこの本から
わたしはすっかり王朝文学のとりこになってしまったのです。
ところで
日本文学の歴史に置いて、9世紀から始まる時代こそもっとも花開いた時代であったといえようか?
詩歌、物語、随筆、旅行記、日記文学、などなど、まさに百花繚乱を呈したのであった。
それ以前、確かに万葉集などの国民文学はあり、日本人の魂の原点ともいえるものであるが、
こと、日本的な物語文学の発祥といえばこの時代から始まるのである。
その一因は、ひらがなの普及であろう。
それまで日本文学では、万葉仮名や当て字で
日本語の発音を「写して」いたが
ひらがなで日本語をそのままダイレクトに表現できるようになったのは画期的だったからである。
さてそのような日本文学開花の王朝時代の、
私が取り上げるのは、物語文学である。
物語とは今の言葉で言えば小説であろう。
紫式部は「物語の出てきた親は竹取物語である」といっている。
たしかにいわゆる物語として最初に知られるのはこの竹取物語であろう。
これは文字通りフィクションである。
メルヒェンといってもいいだろう。
月の世界から来た天女?であるかぐや姫の物語は
深読みすれば、ドイツロマン派のどこぞのメールヒェンにも共通項が見出せそうなおはなしである。
それからというもの、物語文学は隆盛を極めた。
中で傑作は、『源氏物語』であろうが、
それ以外にも、恐らくは、いまはもう永遠に失われてしまった、
数百の物語があったといわれている。無名草紙にはその失われたものがたりが
評論されている、
また今は失われた物語について
そのことは、
13世紀の後半に編纂された「風葉和歌集」という歌集によっても、分かるのである。
この歌集はそもそも、
当時まで伝わっていた物語から歌を抜いて配列した詞華集であるからだ。
出典が記されているから物語のタイトルだけは分かるが
物語本体は今は伝わっていないものばかりだ。
『朝倉』『自ら悔ゆる』など失われた物語も
そのタイトルだけからも、なんか読んで見たくはないだろうか?
この「風葉和歌集」についてはウイキをどうぞ、
以下引用
『源氏』『宇津保』『狭衣』をはじめとする平安中期から鎌倉初期にかけての作り物語から、作中の架空人物の和歌を抄出し、大筋を述べる詞書を付した。選歌対象となった二百余りの物語のうち大半が現存せず、僅かに風葉集の詞書によって大概が知られるのみである。『みかきが原』『あさくら』『海人の藻塩火』『交野の少将』『埋れ木』のごとき散逸物語はいうまでもなく、『寝覚』『みつの浜松』のように不完全な姿で伝来する物語の欠巻を補うのに役立ち、『無名草子』と共に中古作り物語の研究資料として貴重。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E8%91%89%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86
この散逸した物語のタイトルを見ただけでもワクワクしませんか?
さて
もしも『みかきが原』『あさくら』『海人の藻塩火』『交野の少将』『埋れ木』のごとき
魅力的なタイトルの散逸物語が今に伝わっていたとしたら
ぜひ読みたいですよね。
ともうひとつ「無名草子」
以下引用
物語批評では『源氏物語』の各巻や登場人物、印象的な場面に関する短評を先頭に、『狭衣物語』『夜半の寝覚』『みつの浜松(浜松中納言物語)』『とりかへばや物語』ら中古の作り物語についての議論を交わす。本書における「さても この源氏作りいでたることこそ 思へど思へど この世ひとつならず めづらかにおぼゆれ」の評言は広く知られた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%A1%E5%90%8D%E8%8D%89%E5%AD%90
散逸物語の研究資料として重要です。
この2書が王朝物語文学研究の原点である。
この2書によって今は失われた数百の物語の梗概がわかるからである。
物語で原典が今に伝わっているものでは
伊勢物語 業平の歌物語
落窪物語 継子いじめの物語
堤中納言物語 短編小説集
今昔物語 日本のアラビアンナイト?
夜半の寝覚(寝覚物語) 寝覚めの君の恋の行く末は?
浜松中納言物語 中国まで舞台の大ロマン
宇津保物語 日本最古の大長編伝奇小説。
とりかえばや物語 男女取替えのピンク小説?戦前なら発禁です?
狭衣物語 狭衣中将の恋物語
などが有名である。
これらに共通するのは王朝の風俗を色濃く反映した作り物語であるということだ。
主題は恋である。
貴族の男女の恋模様が纏綿たる情緒の中に、あるときは初々しくまたあるときは悲劇的に連綿とつづられていくのである。
そして当時の教養であった歌(和歌)が物語の随所にちりばめられて興趣を誘う。
これって、ドイツロマン派のたとえば、
ティークやアイヒェンドルフの小説と構成が似ていないか?
たとえば「予感と現在」には小説中のいたるところに、
詩が挿入されている、
まさに歌物語の形式になっているのである。
時に幻想的な場面も頻出する。
そこもなにやらドイツロマン派と通じる物がありそうだ?
あるいは、イギリスゴシックロマンスの
あの、因縁劇にも通じるのではないか?
アンラッドクリフの『イタリア人』のあの波乱万丈の物語と、
『宇津保物語』の大ロマンスを引き比べてみるのも面白いかも知れない。
ダフネデュモーリアの情緒劇と引き比べるのも面白いかもしれない。
浅薄なリアリズム小説に飽きたら、こうした大ロマンスに浸ってみましょう。
また、もうひとつ、目がひらけるかもしれませんね?
さて冒頭でも述べたが、、、
私が王朝物語文学に開眼したきっかけは
新潮文庫の、中村真一郎氏の「王朝物語の世界』という本に寄ってである。
これはそれまで源氏物語の亜流で無価値とされていた
その他の王朝物語群に光を与えて、
価値付けしたものとして画期的といえる。
さらに最近、笠間書院からなんと、「中世王朝物語全集」という全22巻という大全集が刊行されつつあり、これは原文と現代語訳が表記されていてこれもまた画期的な全集である。
素晴らしい企画ですね。
https://www.google.com/search?client=firefox-b-d&q=%E4%B8%AD%E4%B8%96%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E7%89%A9%E8%AA%9E%E5%85%A8%E9%9B%86
さて、
王朝物語文学の普遍性という観点では
今現代でも
世界に十分伝わるものがあるという、ことです
特に源氏物語は
アーサーウエイリーによって
夙に英訳されて
「ザテイルオブゲンジ」レイディ・ムラサキ
として今でも読まれて感激を与えていますからね。