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―― の前日の出来事 15:00

■下士官用自室


「身だしなみ良し!……たぶん」


 全身鏡の中の礼服姿の自分と対峙。すでに十回以上確認をしているコーラなのだが不安に駆られて鏡の前から離れられないでいる。現在、下士官用の一室で落ち着きのない様子で身だしなみを確認している真っ最中。

 広さ六畳ほどの中に備え付けの机、ベッド、引き出し、と質素な作りではあるが訓練学校時代の四人一部屋に比べれば贅沢な環境である。しかも一人部屋だ。

 共同部屋ではプライバシーなんてものは一切無く、我慢できずにヌイてしまおうものなら翌日には訓練校の最新トレンドになる事請け合い無し!教官殿がエロ本ポルノを隠し持っていないかと、部屋の中に点検が入るまでがお約束である。


「うん。かっこいいじゃないか」


 と、自意識過剰ナルシストじみた発言や礼服姿で敬礼する自分を見ながらニマニマと悦に浸る。

 馬子にも衣裳とは言え雰囲気は戦意高揚映画に出てくるような大佐殿の様な出で立ち。礼服姿にコーラが浮かれるのも無理は無い。

 これから行う着任式は入隊式も兼ねている。兵役組がサンデル基地で正式に入隊をする手続きを行う際に下士官であろうと後学のために式典形式で歓迎すると言うのがサンデル基地司令官の意向らしい。

 育成切り上げのため、訓練校時代には式典儀礼を教わった事などは無かったので正直不安はあるのだが……。


「どっちにしてもこれ以上最悪の事は起こらないか」


 これ以上ない最悪の出来事があった。

 今日の昼間の出来事。基地施設内で同期とほかの兵士との喧嘩に巻き込まれ、その場に居合わせた少尉に強く咎められたのだ。

 軍では規律は絶対だ。訓練校時代にも教官殿に文字通り痛いくらいに教え込まれたのだが……まさか、まさかの初日で破ってしまったのだから落ち込むのも無理は無い。絶対である規律を乱した罪は重い。もちろん処罰は免れない。

 とばっちりを受けた身ではあるが、少尉殿からも「今回の処分は追って通達します」と予告されている。

 そんな現実から逃避するかの様、礼服姿にはしゃいでいたコーラだったが、ふとした拍子に思い出して鬱の世界に落ちていく―― が、窓の外から届く音楽に気付き現実に戻ってきた。


「まさか!?」


 慌てて窓の外に顔を出すとそこにあるのは基地内からに外まで続く途切れることの無い大軍団の行軍だった。

 無限軌道キャタピラーの独特なキュラキュラ音を響かせ進む戦車部隊。重厚な鎧を纏った装甲車に先導される軍用トラックの荷台から兵士たちが手を振る。脇を固めるは完全装備に身を包んだ歩兵の集団。

 兵器と人が混ざり合う雑多な集団の行軍は決して綺麗とは言えない。だが、その圧倒的な迫力は男心を熱くするのには十分だった。そして、何より軍楽隊が奏でる音楽。


The Armyりくぐん Goes Rollingすすんでゆく) Along!本物が聞けるなんて……」


 ステイツ王国民ならば一度は聞いたことがある『あの曲』だ!

 行進する者、操縦する者、見送る者、皆が音楽に合わせて歌い進む。その光景は戦意高揚映画で何度も観た出撃シーンよりも現実感リアリティがあり哀愁センチメンタルを帯びていた。

 自室の窓から周りを見渡すと同じように窓から顔を出している者たちがいた。生の行軍と軍歌の組み合わせに興奮をしているのはコーラだけではなかった。行軍中の列に向かい大声で歌を叫んでいる。

 コーラも彼らと同じように歌を口ずさみながら隊列を眺めていた。そして、最後尾のほうに前方と雰囲気が違う歩兵の集団を目にする。

 遠目から見ても分かるくらいに元気よく歌いながら歩く先頭付近の歩兵に対して『のそのそ』っと歩く一団。その様子からは士気を感じられなかった。


有色兵士カラードソルジャーか」


 白人以外の人種をカラードと呼ぶ。黄色人種イエローがほぼ住んでいないこの国では主に黒人ブラックに対しての呼び名であり蔑称だ。

 数百年前にヨーロッパ大陸の大国たちによってもたらされた悲劇。そして、将来に渡りステイツ王国の暗部と呼ばれる事になる元凶。教科書や一般書籍などでは公的に扱われる事の無い禁忌タブー。この国では誰でも知っている常識。

 そんな黒い肌の有色戦士たち。その様子を見ればなんとなくだが軍隊内での立ち位置を理解できてしまう。


「マック軍曹もいるのかな?」


 カラードと呼ばれる彼らはこの国では社会的な地位がとてつもなく低い。かつては奴隷として扱われ『カラードに人権など無い』とまで言われていた。

 現在では奴隷制度は禁止となっているが長く続いた制度を解決できるほどこの国の人間は聡明ではなかった。これが新たな火種になるとも知らずに。

そんな負の歴史を感じながら、昨晩出会った気のいい有色戦士を思い出していた。


「軍曹殿もご武運をグッドラック


 コーラは本人がいるかも分からない有色戦士集団の背に静かに語りかけた。

 軍楽隊が奏でる壮大でいてどことなく軽快なマーチと共に陸軍は進んで行く。新たな戦場を目指して。


■基地内講堂施設


 そこはサンデル基地敷地内の一角に建てられた大きな建物である。

 普段はバスケットボールなどスポーツで遊ぶ兵士たちでにぎわう娯楽施設の体育館だが、今日は多くの若者たちが所狭しと軍帽・礼服に身を包み、言葉少なに緊張の面持ちで気をつけをしている。

 司会進行役の事前説明を拝聴するはコーラの同期、第11区訓練学校所属特務二等兵百五十六名。少年の域を脱していない幼顔も多い中、ネクタイ姿の軍服集団というのも若干閉まらない光景にも見える。

 そして、いよいよ本日の主催者が壇上袖から姿を現した。

 司会進行役の士官が待ってましたとばかりに声量高らかに進行の合図を放つ。


「これより着任式を行う!敬礼!」


 全員、直立不動からの敬礼。一糸乱れぬ形で敬礼する様は教官殿のご指導の賜物である。


「直れ!」


 気を付けも当然一糸乱れずに揃った形。『気をつけ』と『敬礼』は軍人を象徴する最低限の立ち振る舞いだ。誰しもが血の味と共に徹底的に叩き込まれた。

 静まり返った講堂内。壇上袖から『カツカツ』と小気味よい音を響かせて礼服を身にまとった一人の軍人が彼らの前に姿を現した。


「これよりサンタ・アリア・デル・オーリ基地司令官代理!エース特務少尉より訓示がある!各員、清聴せよ!」

「私はステイツ陸軍および南部方面軍エース大隊長、エース特務少尉です。本日は基地司令より諸君ら第11訓練学校訓練部隊に訓示を授けるという名誉を賜りました。諸君らに出会えた事を心よりうれしく思います」


(ん?んん?んんん?あの人はあの時の少尉殿!?)


 と、コーラは突然の再開に混乱し非常に驚いた。

 壇上に立っているのは昼に出会った『あの』少尉だった。あの時と違うのは完全装備の礼装姿と『特務』少尉と言う聞きなれない階級である。


(特務少尉……ってそんな階級あったっけ?いや、それ以前に大隊長とか司令官代理っとかって嘘だろ!?この人いくつなんだ!?)


 『人は見かけによらず』……とは言えさすがに若すぎる。食堂で会った時も少尉にしては若いとは思ったが童顔の二十代と考えれば納得できる範囲だった。

 だが、千人単位で部隊を預かる大隊長、数万単位を預かる方面軍司令の代理を特務少尉『ごとき』が務めるのは不自然に思える。コーラがイメージする司令官や大隊長は理知的な白髪の老将や眼帯と髭が似合う屈強な戦士だ。

 壇上にいるエース特務少尉は戦意高揚映画なら激戦地で「もう家に帰してください!」と泣き叫び、「お、お母さん……愛して…………る」とか言いながら散っていく名もなき青年兵が似合う。観客に悲哀を伝え涙を誘う役どころがピッタリだ。

 コーラ以外も同じ様に感じたのか私語厳禁のはずの会場内で静かなざわめきが起こっていた。


「貴様ら!静粛に!誰が喋ることを許可したか!」

「諸君ら第11は素晴らしい教育を受けたようですね。諸君らを立派に育ててくれた教官殿にお礼の報告をさせていただく…………かもしれませんが?」


 講堂内のざわめきに司会進行役の怒声が響き渡る。

 騒ぎは一瞬で収まり、とどめとばかりの『教官殿にお礼の報告』と言う名の警告により恐怖が入り混じった緊張感が全員に広まる。エース特務少尉にこの場を完全に支配された。

 厳しい眼差しで睨む司会進行役とは対照的に壇上のエース特務少尉は顔色を変えずこちらの様子を伺う。

 食堂での一件でも感じたが静かな物腰と同様、感情の起伏を見せないあたりがエリートたる尉官の成せる技なのだろう。

 一分も経った頃だろう。講堂を静寂が包み込む中、エース特務少尉は穏やかな口調で訓示を始める。


「ご清聴ありがとうございます。さて、訓練兵諸君は我が国の兵役によって招集されたと理解しております。訓練課程を入れての五年間を軍人として過ごすわけです」

「諸君らは第11訓練学校での教練、錬成を受けた偉大なるステイツ王国最強の兵士たちです。わずか五年という短い間ではありますが我々は轡を並べ戦場を駆け抜けることでしょう」

「共に戦える幸運!……諸君らを生み、諸君らをここまで育て上げてくれたご家族に心からの感謝を」

「共に戦う勇者達!……諸君らを教育し錬成してここまで送り出した第11訓練学校に心からの感謝を」

「偉大なるステイツ国民よ!……国家のためにその身を捧げる諸君らに我々は心からの感謝と尊敬を」


 ステイツ王国では十五歳から十八歳までの男子に五年間の兵役が課せられる。多くのステイツ王国民は十五歳の誕生日を迎えた次の月に兵役に就く。王族であろうと大金持ちであろうと例外は無いらしい……本当の所は分からないが。

 もちろん、青春真っ盛りの十代後半ハイティーンの全てを軍に捧げるのは誰だって嫌なのだ。

 法で決められているとは言え、五年間は人生において長すぎる!そんな心情とは正反対に壇上で穏やかに語るエース特務少尉が五年を短いと言い切った。士官である職業軍人と下士官である兵役軍人の差なのだろうか?それとも、本当に短いのだろうか?

 コーラは複雑な気持ちを感じつつも続く言葉に耳を傾ける。


「陸軍南部方面軍司令部たる当基地はシコシコ王国攻略の最前線です。旧シコシコ領土内の基地の中でも最大戦力を抱える当基地は敵から見れば最重要攻略目標です」

「そして、ステイツ軍の未来を担う諸君らはシコシコ王国にとって排除すべき最重要攻撃目標です」

「シコシコ王国は何時如何なる時でも我々の命を狙ってきます。同様に我々もシコシコ王国の命を狙います」

「シコシコ王国との戦争は長きにわたります。ですが、近年になり軍事力差ミリタリーバランスはステイツ王国に大きく傾きつつ、いいえ、大きく傾きました。終局の時が近づいています」


 終局―― つまりは戦争の終わりを意味する言葉なのだろう。

 『現在、我が軍優勢。南進を加速度的に進めている』ラジオや新聞の謳い文句。シコシコ王国との開戦以来の長きに渡り使われてきた世論誘導プロパガンダじみた言葉。

 『我が軍優勢』の十四年目を迎えるにあたり、世間は「本当は劣勢なのでは?」「もしかしたら戦争すらしていないのでは?」と疑惑の目を向けている。

 もちろん、軍や王室に表立って疑惑を主張をするような命知らずはいないのだが……。


「我が軍の侵攻状況を説明します。現在はわが軍は―― 」


 コーラだけではなく、全員がエース特務少尉の次の言葉を待つ……『進行状況』に反応しその実態に注目する。


「―― 首都シコシコシティ周辺十万ヤード地点まで地上の制圧を完了しています」

「制空権の九割を制圧完了。制海権の四割を制圧中。海は拮抗状態です。我が軍優勢に嘘偽りはありません」

「勝利条件となるは首都、いいえ、彼らが王都と呼ぶシコシコシティの完全制圧。我々はこれを半年以内完遂させます」


「「「「うおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」


 講堂内からは驚愕の叫び声が沸き上がる。

 この状況に司会進行も慌ててはいるが止める様子は無い。盛り上がりどころとしては間違ってはいないと判断したのだろう。

 「うおおお」のシュプレヒコールを両手で制すエース特務少尉。ひと段落した所でさらに言葉を投げかける。


「開戦から十四年経ちました。兵器の発達により戦争の形態はここ十四年で大きく変わりました」

「開戦当初は戦車とは名ばかりの荷物持ちラゲージが、塹壕攻略兵器として、対人兵器として、対戦車兵器として進化を遂げました」

「軍用機と呼ばれた伝令メッセンジャーは、対地兵器として、対艦兵器として、対空兵器として、現在では戦闘機と呼ばれています」

「偉大なる我がステイツ王国は世界中のどの国にも引けを取らない兵器開発に取り組んできました。此度の戦争の優位はここにあります……だがしかし!」


 兵器の進化。どんな機械でも新しいほうが使い勝手が良いのは世の常だ。だがコーラは兵器の新旧を語れるほど詳しくない。戦車は戦車であり、戦闘機は戦闘機と認識しており、過去の兵器の性能は全くと言っていいほど知らなかった。

 とは言えステイツ王国の兵器はシコシコ王国よりも優れていると理解はできた。


「兵器はあくまで敵を殺すための武器!決着を決めるのは人!―― つまりは!つまりは!我々がシコシコ王国元首たるシコシコ王と直接対峙し降伏を迫らねばならない!」

「諸君!決着をつけるのだ!決戦の日はすぐそこまで迫っているのだ!そう!首都に突撃する時はすぐそこまで迫っているのだ!」


「「「「「うおおおおおおおおおおおお!!!!!!」」」」」


 再び熱狂する講堂内。語気を強めた言葉に講堂内は先ほどとは比較にならないほどの大歓声が沸き上がる。コーラも周りの勢いに当てられて思わず声を張り上げた。

 今度は止める事もせずにエース特務少尉はこちらの歓声に上乗せるよう、さらに、さらに!強い口調で言葉を放つ。


「サンタ・アリア・デル・オーリ基地は諸君らを歓迎する!」

「我々陸軍は諸君らの健闘に期待する!」

「私は『貴官』らと共に戦えることを心強く思う!」

「勇敢なる百五十六名の『二等兵』に―― 」


Continuedぶうん luckちょう inきゅうthe fortunes of war!……以上です。」

「敬礼!」


 こうして、百五十六名の訓練兵は軍人として着任式を終えた。


■基地内講堂・壇上・舞台袖


「エース閣下。素晴らしい演説でした」

「……気配を消して近づくのは止めてくださいって言っているでしょう。あと閣下も止めてください」


 エースは無事任務を終えて舞台袖の階段を下って行く。そして、下り終えた所で斜め後ろからの声に気付き目線を声の方に移した。

 声の主は軍服を身にまとう青年将校―― ではなく、青年将校姿の長髪を後ろにまとめ上げた端正な顔立ちの『男装』の麗人。その姿は肖像画に描かれる黒髪のフランス人青年将校様。

 耽美、見目麗しき、イケメンなどの美麗用句びれいようくが似合いそうな、容姿端麗ようしたんれい美女子びなんしがそこにいた。

 青年将校姿と美女子の組み合わせ。世が世ならご年配のお姉さま方が黄色い声を上げながら追いかけそうな姿である。


「あらあら?閣下と呼ばれる立場でしょう?」

「サンダースと言い、あなたと言い……まあ、ありがとうございます」


 彼女の見た目は洗練された美しい姿の青年将校なのだが、残念なことに母性が混じるスウィートボイス。外見とは裏腹に強く女性を感じさせてしまう。

 そして、エースの事を『閣下』と呼ぶ数少ない人物でもあった。


「さっそく武運長久ぶうんちょうきゅうを使っていただけるとは教えた甲斐がありましたわ。ありがとうございます」

「幸運を授けるという意味で気に入っているので。まあ、私の英帝語イングリッシュ訳が間違っていなければいいのですが」

「あらあら!心配しなくても十分に心に響いていましたわ。静かな演説が一転、強く雄々しく士気よ上がれといわんばかりに「だがしかし!」……わたくし感動しました」


 だがしかし!と彼女は拳を握り軽く肘を曲げるポーズを取る。どうやら先ほどのエースの真似らいい。

 少年の域から片足を抜け出せないでいるエースよりも様になっているのは見目麗しき青年将校の姿のおかげだろうか?6フィートはありそうな身長も映える一因だ。ちなみにエースの身長はと言うと5.3フィートと同年代の男性と比べればやや小柄。

 自分のものまねを本人以上の完成度で披露され、なんとも言えない気持ちになりつつも平静を保ちながら彼女に問いかける。


「それは……どうもありがとうございます。首尾のほうは?」


 少し不貞腐れた様子のエースからの問いかけに斜め後ろのスウィートボイスの青年将校姿が少し目を細める。緊張した雰囲気で彼からの問いに対し静かな口調で返答を始める。


「現在、対象は二十キロメートル南の旧市街地後で待機。数は約八千。武装は拳銃、散弾銃、小銃、小太刀、散弾銃以外は全て英帝製」

「戦闘車両と軍用機はありましたか?」

FT-ルノー17、三十両。FT-17後期型、五十二両。後はT-1が六両。軍用機は未確認」

「WOW!約九十両とは本気の様ですね。サンダースも上手くやってくれました」


 九十という数字を聞いてエースは声を上げる。それもそのはず。九十両近い戦車が集結した戦場など覚えている限り、片手で数えるほどしかない。非公式には存在しているのかもしれないのだが、この事実にステイツ流のWOW!で大きく肩を竦める。


丑三つ時うしみつどきに仕掛けてくる模様」

「英帝語でお願いできますか?」

「あら!うっかりしておりました。02:00と言えばよろしいでしょうか?」


 おっとりとした声で「これは失敬」と軍隊時間で言い直す。

 一般的に深夜と呼ばれる時間でもっとも睡眠が深いとされる時間帯だ。夜襲を仕掛けるゴールデンタイムである事が情報の強度を感じる。


「寝静まる時間帯ですか?いい時間を選びましたね」

「陣頭指揮をとるのはディアス様です。現地で本人の姿を確認しております」

「むん!……決戦と呼んでも問題ない戦力ですね。では、この辺りで」


 エースは話を切り上げる。彼女からもたらされた情報は有益で満足できる内容だったようだ。


「かしこまりました。それではこちらも準備があるので……閣下に神のご加護を」


 彼女もお役御免と軍帽を軽くつまんで小さな一礼。最後の挨拶をとエースに神のご加護を授けるのだが――


「相変わらず物知りですね。ですが、それは空軍式ですよ。もっとも私は神様は信じておりませんが」


 陸軍所属である事を理由に『神のご加護』を拒否し、皮肉っぽい口調で神を否定した。

 信心深いステイツ文化ではエースの考え方は一般的では無いのだが、特に咎める事も無く彼女は『そうですわね』といった表情でクスッと笑った。


「あらあら?失礼しました……では、私から閣下にご加護を」


 そう言うと、目の前の男装の麗人は胸元のポケットから糸くずの様な『何か』を取り出しエースの胸ポケットにそっと忍ばせ斜め後ろから軽くハグ。そのまま耳元で小さく「君、死にたまうことなかれ」と囁いた。

 彼女の言葉と耳にかかる生暖かい吐息にエースは思わずゾクっとしてしまう。

 軍服姿の美女子×少年から片足を抜け出せない容姿の青年。おね×ショタ、もしくは、おに×ショタ的な組み合わせになるのだろうか?

 世が世なら腐臭漂うお姉さま方が涎を垂らしてハアハアしそうな構図である。


「……………………何ですか?東洋のおまじないですか?」

「タマに当たった事の無い穢れなき乙女の『毛』を軍服に忍ばせると弾に当たらないそうです。遠慮せずに受け取ってください」


 経験した事の無い『ご加護』に戸惑いながらも表情を崩さずに冷静に聞き返すエースだが、あっけらかんとした表情の彼女と返答は彼にとって想像を超える意外すぎるものだった。


「タマに当たった事の無い穢れなき乙女……?それは処女バージンと言う意味ですか?……その…………まさかとは思いますが、姫様のモノですか?これ?」

「わたくしのモノですが?」

「……………」


 舞台袖の空間に何とも言えない空気が漂う。無言で固まるエースに対して「何か?」という雰囲気で続く言葉を待つ彼女。


「毛と言いましたが。どこの……いえ、髪の毛ですよね?」

「穢れなき乙女の口からそんなはしたない事を言わせないでくださいまし」

「…………」


 再びの沈黙。後ろからハグをされているので彼女の表情は見えないが照れている様子が伺える。演技臭くもあるが……毛に関してはどこの部位から収穫してきたのかは考えない方がいいらしい。


「穢れなき乙女?どなたがですか?」

「わたくしが、ですが?」

「……………」


 三度の沈黙。十数秒ほどだろうか?如何ともしがたい表情のエースは沈黙を破り言葉を発した。


「…………これを持っているとハチの巣になりそうな気がします」

「あら?手厳しいですわね。姫様に言いつけてやるんだから!」


 捨て台詞よりも速く斜め後ろにあった青年将校の姿が消えた。どうやって移動したのかは分からないが風のように消え、静寂な世界が訪れた。

 光に照らされた小さな埃が舞い散る舞台袖の小さな一室の中で一人。エースは情報を頭の中で反芻しながらこの後どうするかを静かに考えている。

 考えがまとまったのだろう、周りの状況を確認して講堂から立ち去るために歩みを進めた。そして――


「これ、ちゃんと洗ったものなのでしょうか。ばっちいなあ……」


 右胸のポケットを嫌悪感漂うなんとも情けない表情で見つめ、不快な気持ちを口にしながら講堂を後にした。

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