村娘、魚として騎士様の恋人となる
「お前さ、好きな人いねえの?」
「はあ……?」
表情をぴくりとも動かさず、声色だけ器用に変えたお付きの騎士へこの国の皇太子が身を乗り出す。
「ばっか、青春は短いんだぞ」
「いつまで学生気分なんですか。万年発情期ですか」
「真顔で言うなよ……。じゃあお前、俺にどうしてほしいわけ?」
「孤独に静かに穏やかに」
「ええ……鬼畜……」
冗談だよな? の声に首を傾げた騎士。皇太子はこほんと咳払いすると、ずすいともう一度身を乗り出した。
「まーっ俺には婚約者がいるわけだけどぉ。お前にはいねーわけじゃん?」
「そうですね」
「つーわけで、これは俺がお前のためを想っての命令な?」
「承諾しかねます」
ビシッと騎士を指差すと、皇太子は高らかに言い放った。
「お前! 恋人つくってこい!!!!」
♢♢♢♢♢♢
人生、そう上手くはいかないことを知っている。
例えば、六歳のころ。
金持ちの娘と間違われて誘拐された。少ししてから犯人たちがざわざわし始め、無傷のままに家へと帰った。お詫びの菓子折りをもらった母親が「誘拐されてみるものね!」とウインクしたあの顔が忘れられない。
例えば、十三歳のころ。
好きな男の子に告白したら、きのこ以外に興味はないと断られた。それなら仕方ないと納得した次の日、特定の部位が柔らかそうな女の子とマウストゥマウス。男のイチモツがどうかきのこになってほしいと流れ星に祈らせてもらった。
例えば、十五歳のころ。
熊に追いかけられた。死闘の末に意気投合し、村に帰ると私の葬式が挙げられていた。虚無の棺に縋りつく祖母。空を仰ぎ一筋の涙を流す兄。過去の恥ずかしい思い出を感慨深く話し始める幼なじみ。すすり泣きの聞こえる斎場に、熊と登場するのはなかなか勇気が必要だった。
しかし神は越えられない試練を人に与えない。
事実、私はこれまで乗り越えてきた。たとえ私が他の人より、明らかにギャグの神からの試練が多いとしても。目を逸らして、許容してきた。
でも、でもさ。これはおかしくないか?
ビチっ……ビチッ……
空は晴天。雲ひとつない清々しい日。たまには帝都にでも行って遊んでおいで、と祖父から貰った金を握りしめスキップしていた私は
魚になっていた。
妄言ではない。どうか、立ち上がらないで聞いてほしい。帝都へと着いた私はギャグ神からの加護も忘れ、折角だからと皇帝様がお住まいのお城を見にきていた。
そこで登場、一人の盗人。
待てー! と響く声に振り向いたときにはもう遅い。一連の流れは始まっていたのだ。
捕らえようとした魔術師が「姿を変えて捕まえてやる!」と大声で叫ぶ。放たれたきらきらは一直線に盗人へ。お次に現る大きめの石ころ。すってんころりん転んだ盗人、魔法は往来を歩く高貴な女性へ。きゃあっとご令嬢、手鏡を盾に顔を覆った。魔法は手鏡に反射して、あらあらおかしいこちらへと。熊子との競争で鍛えた健脚で回避を試みるも城の庭にて追いつかれ、今の状況に至る。
私が何をしたっていうんだ。
抗議の意味もこめて地面を叩きたいが悲しいかな。
べちっと尾びれが痛むだけだ。
肝心の魔術師はそのまま盗人を追いかけて行ってしまったし、取り残された私である。お城の中に入っちゃった〜! 不法侵入で殺されちゃうかな? と考える余裕はあれど、先ほど言ったように今日は晴天。ギンギラギンの太陽が容赦なく身体の表面の水分を奪っていく。干からびちゃうよぉ。
城の庭と言えど、端っこの端。精一杯、たすけてえ〜っ! と尾びれをピチピチさせてるが誰も気付いてくれない。そりゃそうだよな。庭に魚が落ちてるなど思うまい。正に現実は小説より奇なり。このまま王子様とのキスで元に戻るお姫様へとジョブチェンジできるかもしれない。
暑さと混乱で己の思考が明らかに常人から逸脱している。それはわかってるんだ。でもいきなり魚になってみてよ。冷静でなんていられないよ。
熱い。とにかく熱い。太陽はなおも灼熱の視線を私へと向ける。このまま焼き魚へとなって、村へと私は戻るのか。どうか醤油で食べてほしい。私は焼き魚には塩ではなくて醤油派だ。塩派の兄もその日ばかりは醤油で私を食べて涙するだろう。
ああ、意識が無くなってゆく。
「帝都へとルンルン気分の村娘。魚となって城で死す」
タイトルはこれで決まりだ。そもそも魚が私であると分からないか。そうか。両親は帰らぬ私が魚になったことも知らずに、村で待ち続けるのだ。なんという親不孝な魚。違う。娘。
本当に意識が………………。せめて川でも近くにあれば「私、魚として第二の生を歩みます」と飛び込んだものの、帝都である。ある訳がない。
最後にピチリ、と尾びれが虚しく土を叩いた。誰にも気づかれることのない、音。
「魚?」
つん、とお腹の辺りをつつかれた。薄れていた意識を間一髪取り戻す。ぎょろぎょろと周りを見渡せば、騎士様が目の前でしゃがんでいた。
ぎゃあああああ違うんです。不法侵入じゃないんです。たまたま間違って、故意じゃないんです〜! と訴えたくとも口がパクパクするだけだ。
もごもご。
何故、口に指を入れた。歯が鋭いタイプの魚だったら噛み切られるぞ。
騎士様は一通り私をつついたり、撫でたりして遊ぶと「なぜここに魚が」と呟いた。この騎士、頭がおかしい。目についたもの全てが玩具の幼児なのか。
助けてくれ、とギョロ目で訴えたのが効いたのか騎士様が水筒から水をちょろちょろとかけてくれた。
あっもっと頂戴。もっともっと。
はしたなくおねだり(尾びれをピチピチ)すると、騎士様が一歩あとずさった。ごめん。ちょっと怖かったかな。
恵みの水を頂いて、意識がハッキリした。よく見てみると騎士様は俗に言うイケてるメンズ様だった。スタイルもスッとしていて村ではなかなかお目にかかれないだろう。
精悍な顔つきに見つめられると身体が熱くなる気がする。ぽっと頬を赤らめて、目を逸らしたいところだが魚だもん。まぶたがない。完全にイケメンとのメンチの切り合いが始まってしまった。
騎士様は私を見て、悩んでいるようだった。
煮付けにするか、塩焼きにするか。それともがっつり揚げちゃおっかな〜。なんて考えてるのかもしれない。十七歳にして貞操の危機。どうか川に放流していただけたらありがたい。
「まあ……これでいいか」
騎士様は呟くと、私の尾びれを鷲掴みにした。そこデリケートだからやめてっ痛い痛い痛い。ピチピチすると、眉をしかめたあとに両手で持ってくれた。「臭っ」と聞こえた言葉は無視するとして、初のお姫様抱っこ。相手は騎士様。最高のシチュエーションだ。私が魚じゃなかったらな!
魚を大事そうに抱えて城へと向かう騎士様。周りを通りかかるメイド達にひそひそ話をされている。気づいて騎士様! 貴方の好感度、多分下がってますよ!
騎士様の手が地味に熱い。考えてみれば、私は裸。乙女の柔肌に騎士様は触れてしまっている訳だ。
馬鹿なことを考えていると、城のなかへと騎士様が入っていった。与えられた部屋なのだろう。無機質な扉をあけると桶を出して、私をペイッと投げ入れた。もう少し、女の子には優しくした方がいいですよ。何かを唱えると桶に水が溜まる。おっありがとうございます。魚心のわかるいい男!
そのあと騎士様は念入りに手を洗っていた。何回も己の手をくんくんと嗅いで。乙女の柔肌を触った代償はデカかったらしい。
思う存分手をゴシゴシした騎士様が、こちらをじっと見つめる。
「魚」
はい、なんでしょう。
きゅるんと見つめ返してやれば、騎士様の顔がこちらへと近づく。あっヤメテッヤメテッ。美の暴力。ver.人間の私より美しいですね。
「お前を今日から俺の恋人としたいと思う」
ご乱心〜〜〜〜!!! 美青年がご乱心ですよ〜〜〜〜!!! ギョギョッと目を見張る。何という俺様発言……ではなく、キチガイ宣言。率直に言って、頭がおかしい。歴史に名を刻むどころか歴史の方から首を垂れるレベル。
まあまあ、確かに世界は広い。魚に対して興奮を覚える人がいてもおかしくはない。多分。知らんけど。
特殊性癖騎士様は、至って無表情のまま言葉を続ける。
「交際を始めるにあたって、互いの名前を知るべきだと思う。俺の名前はキース。差し支えなければ、俺がお前に名前をつけてもいいだろうか」
ヤベェ奴だ。やべぇ奴に捕まっちまったよ、お母さん。騎士様の表情には一片たりとも、面白いジョークだろ? の雰囲気がない。ガチである。この男、頭のネジが一本きのこだ。
「ウオティーヌはどうだ」
ネーミングセンスがダサい。抗議の意をこめて、反応を返さない。
「ウオネ」
「ウオッティ」
「ウオザベス」
「ウオサナーン」
ウオから離れろ。段々とゲシュタルト崩壊が始まってきた。それならウオティーヌの方がいい。洗脳だ。洗脳が始まっている。
「不服か」
ピチッと水を跳ねさせる。せめてもう少し、女の子らしい名前にしてください。
「では……クロエでどうだ。巷で流行っていた物語の登場人物にいたような」
えっ、と口がパクつく。クロエ。それは私の本当の名前だ。もちろん、快諾。ビッチビッチに跳ねると「嬉しい……のか?」と騎士様が数歩距離を取った。すみません、濡れちゃいますね。止めます。
「ならば、クロエ。これからよろしく頼む」
ぺこり、と下げられた頭にどうか夢でありますようにと願った。認めたくねえ、このカオスな状況。
予想に反して。大変な困惑を押しとどめた上で。騎士様との生活はそこまで悪いものではなかった。
朝早く出かけて、夜遅く帰ってくる騎士様。それなのに毎日新鮮な水を補充してくれるし、ご飯も忘れない。イケメンは流石、違う。
ただ、一つだけやめてほしいことがある。
「ほら、クロエ。あーんだ。世の中の恋人がやることらしい」
「クロエ、今日も鱗が美しいな」
「くすぐったいか、クロエ」
通報したい。
いや、あの。成人男性が、部屋で、一人で、魚に、甘い言葉を吐いている様子を見てほしい。通報したくなる。しかるべき処置を受けて、社会へと更生してほしい。
しかも、しかもだ。クロエはver.人間だったときの名前でもあるわけで……。とてもむず痒い。じわじわと精神にきている。速やかにやめて欲しい。
最初に言った「恋人」というワードは「鯉人」ではなかったわけだ。その上、無表情に段々と甘ったるい言葉を重ねていくのでトキメキよりも恐怖が勝る。トキメキの歴史に残る大敗北。
「クロエ、恋人同士はデートをするらしい。どこに行きたい?」
水のあるところでおねしゃす。その前に、まず魚は散歩しないと思いますよ。
「公園は楽しかったか? また行こう」
周りの目が痛かったです。もう二度と行きたくないです。騎士様の癖に職質されかけてましたよね?
「恋人同士ならキスをしていなければおかしい、と言われた。味も教えろと」
多分、生臭い魚の味ですよ。
「すまないクロエ。愛が足りないようだ。どうしてもにおいが……恋人に言う言葉ではないな」
いや、いいです。とりあえず自分の頬を思い切り殴ってみてください。
「クロエの好きなところを十個答えろと言われた。澄んだ目、曲線を描くスタイル、滑らかな触り心地、俺の話を聞いてくれるいじらしさ…………あと六個か……」
無理しないでください。
「俺に不満はないか。直せるところがあれば直そう」
真っ当な道を歩んで欲しいなって思います。この前、レストランに連れて行かれた時は驚きました。物理的に喰われるかなって。
どのくらいの月日を騎士様と過ごしたかはわからない。家族や、村のみんなが恋しくなった時もあった。それでも、騎士様が毎日律儀に話しかけてくれるお陰で寂しくはなかった。
騎士様の話を聞くに、どうやら上司に恋人を作れと言われたらしい。どうしようか悩んでいるうちに私(魚)を見つけ、恋人にしようと思ったのだと。やはり、頭どころか色々おかしい。人類のはるか先を行く思考の斬新さ。恋人とのエピソードを定期的に求められるためにデートをしたり、キス(失敗)をしようとしているようだ。律儀なのか、馬鹿なのか。100%の確率で後者だ。間違いない。
女性にモテているようではあるのだが、本人は気付いていない様子。上司の気持ちもわからなくはない。ただお宅の部下、魚を恋人にしています。
そんなある日、騎士様が改まって声をかけてきた。
おっ、なんですか。非日常は日常となる。慣れたくなくとも人は慣れる。悲しい。
「今日はクロエに頼み事がある」
なんですか? 口の中に手を突っ込まれるのは嫌ですよ。恥ずかしいんで。
「俺の上司に会ってくれないか?」
ご乱心〜〜〜〜!!! 美青年がご乱心ですよ〜〜〜〜!!! つい同じクダリをやってしまうほどの衝撃発言。彼氏に言われて嬉しいこの言葉。今、言われても心配しかない。本当に病気なのではないだろうか。それとも、上司もお頭が少々世間ズレされた方なのか。
「どうしても姿が見たいと言われてしまってな」
そうですか、そうですか。考え直してください。
魚の私に拒否権はない。騎士様は何故か私への心配をしているが、その前に自分の頭を疑った方がいい。
「人が沢山いて、クロエにとっては辛い状況だと思う。すまない、俺のせいで」ではない。
「俺の頭がおかしいばかりにクロエにとってはツッコミが追いつかないと思う。すまない、俺のせいで」だろう。言い直してくれ。頼むから。最後に「ドッキリでした」と言ってくれ。
必死の説得虚しく、私はちょっと豪華な水槽に入れられて運ばれている。いつからだろう。騎士様が「似合うと思って」と様々な容れ物を買い始めたのは。いつからだろう。無機質な騎士様の部屋に私に付けるようの色とりどりのリボンが増えたのは。
今も、騎士様お気に入りの赤いリボンをつけられて水の中を漂っている。
ああ、周りの目が私が正常であることを教えてくれる。奇異の目バンザイ。ざわつく廊下、バンザイ。
目的の場所に着いたのか騎士様がノックをする。
「失礼します、殿下」
ん? 殿下?
「おー! やっと来たか! 今まで浮いた噂一つなかったお前に惚気させた噂のマドンナちゃんはどんな子か………………な……?」
沈黙が訪れた。
長い、沈黙だった。私の人生のなかでこんなにも気まずい沈黙は後にも先にもないだろう。
「えっ……? ああ、遅れてくる……のか?」
殿下が、おろおろと騎士様に問いかける。
「いえ、ここにいます」
「えっと、確認していいか?」
「はい」
「魚だよな?」
「はい」
「リボンをつけた魚だよな?」
「はい」
「クロエ嬢は……どこに?」
騎士様がなんの躊躇いもなく答えた。
「ここです」
「嘘だろッ?!?!?!」
まあ、そうですよね。
「魚じゃねえか!!」
「魚魚魚魚連呼しないでください。クロエが傷付いたらどうするんです」
「おい、キース。誰にその冗談仕込まれた。冗談だよな? なあ!」
ガクガクと揺さぶられた騎士様。体幹がしっかりしてるからか水槽が揺れない。すごい。私も現実逃避を始めている。
やっぱり、騎士様は上司____殿下に「クロエ」が魚であることを伝えていなかったらしい。
騎士様が殿下お付きという相当雲の上の方であることにも驚いたが、殿下の取り乱しようがすごくてそれどころではない。
「え? 定番の公園デートは?」
「一緒に夕焼けを見ました」
「レストランでのディナーは?」
「クロエは雑食なので一緒に食べましたよ。おすすめの店の紹介ありがとうございました」
「キスは恥ずかしくて出来なかったって言ってたよな?」
「まだ私たちには早いかと」
「一生早いわ!!!!!!!!!!!!!!」
ゼエッ……ゼエッ……と殿下が息切れをしている。それに対して騎士様、不動。サイボーグ説が浮上した。
「どうしたんですの? 殿下」
ぱたぱたと慌てて駆けつけた特定の部位が柔らかそうな女性。倒れそうな殿下を支えている。
「お、俺は認めないからな!!! 十日後に人型の恋人を連れてこい!!!!!!!!!!!! そしていい加減夜会にでろ!!」
帝都中に響き渡るような素晴らしい声だった。
「すまない……クロエ」
部屋へと戻ると騎士様の声が心なしか暗い。
いや、まあ普通ですよ。これが世間です。当たり前なんですよ。騎士様。もう少し社会に溶け込んでください。
「十日後までに人間の恋人……か」
騎士様の呟いた言葉にハッとする。
つまり、私はこれでお役御免というわけだ。そう思うとなんだか悲しい。これでも騎士様との生活を楽しんでいたようだ。騎士様のことだからきっと食べないで川に流してくれるはずだが、どうかご飯の多そうな川に放流してください。
騎士様、お元気で。
頭のネジ、治るといいですね。
「仕事を辞めるか」
もう多分手遅れだこの人。
それにしたって、仕事の話をしている騎士様は楽しそうだ。私のせいで仕事を辞めるというのはいただけない。99%は私のせいじゃないけどね。普通に。
何故、そこまで人間の恋人をつくりたくないのかは分からない。最近の騎士様を見てると「私(魚)自身」に執着しているようにもとれるが、怖いので見ないフリをしておく。
「俺は他の誰でもないクロエがいいんだ」
だから本名だからやめてください。ちょっ、腰撫でるな! やめなさい!
十日の期限まであと一日となった。辞表を書いている騎士様を見て、悟った。あ、本気だ。
どうにかせねばなるまい。そう、ほかでもない。私が騎士様をお救いするのだ。騎士様が私を救ってくれたように、魚の恩返しだ。
♢♢♢♢♢♢
キースは憂鬱な気分で目が覚めた。そう、他でもない己が忠誠を誓った皇太子が恋人を認めてくれないからだ。
様々な面倒ごとを持ち込んでくるものの、皇太子に生涯仕える覚悟をキースは持っていた。だからこそ恋人をつくれ! との訳の分からない命令も一応考えてみたのだ。
キースは女性が得意ではない。表情の変わらないキースに対して、勝手に期待をして捨て台詞を吐いていく女性たちのどこがいいのかわからなかった。正直、一生独身でいようと思っていたところだ。
そこで、運命の出会いがあった。クロエだった。最初は単純な興味からだったのだ。どうして城に魚がいるのか。哀れに思って水をかけてやれば、ぴちぴち喜ぶので何となく可愛いと思い始め。
部屋へとお持ち帰りしてみれば、ずぶずぶとクロエへとハマっていってしまったのだ。
クロエは可愛い。キースが帰ってくるとぱくぱくと口の開け閉めをする。ちょっと間抜けだ。癒される。
公園デートも、皇太子に言われたから実行してみたもののなかなかだった。クロエはまるで人間の言葉を理解しているように反応を返す。夕焼けを見るとしみじみと、感傷に浸っている様子だった。可愛い。
レストランの食事でもクロエはあざとかった。基本何でも食べるクロエだが、やはり高級レストランの食事は美味しかったらしい。皇太子に初めて心の底から感謝した。
容れ物を見るとクロエが気に入るかもしれない、と手に取るようになった。
リボンは革命だった。思いついて着けてみると、驚いた。胸を締め付けられるような気持ちになったのは初めてだ。
クロエに似合うリボンは数あれど、やはり赤いリボンが銀色の身体とのコントラストで美しい。
この男、重症どころではない。
クロエを手放すことはできない。ましてやクロエを置いて新しい女性との恋をすることなどできるはずもない。もし然るべき場所(川)へと帰した結果、クロエが他の男と家庭を持ったら……。帝国中の川を焼き払ってしまうかもしれない。
クロエの美しいカーブを描いた身体を触って、思う。
これが恋か、と。
皇太子にもう一度、言ってみるつもりだ。己は本気だと。それで無理なら辞表を出して、クロエとどこかに住む。そして皇太子のことは陰から守っていこうと覚悟を決めたその朝。
「クロエ……?」
そこには
手足の生えたクロエがいた。
サイズも子どもくらいに大きくなっている。紛れもなくクロエだった。水槽は手狭になったのだろう。床の上に打ち上げられた格好でこちらをみている。
「クロエ……まさか、俺のために」
手足が生えただけだから発音はできないのだろう。こくり、とクロエがうなずいた。
その瞬間、キースはクロエを抱きしめていた。においなど関係ない。なんと可愛いのだろうか。自分のために進化までしてくれたのだ。キースはクロエを持ち上げると、そのまま皇太子の部屋へと向かった。
♢♢♢♢♢♢
頑張ったら手足が生えた。人間に戻る展開だと疑ってなかったのにこの気持ち、どうしてくれよう。
バケモノ、と罵られても仕方ないフォルムだ。
部屋にコレがいたら私なら発狂する。
だが、流石の騎士様は違ったようだ。
「クロエ……まさか、俺のために」と呟くと抱きしめてきたのだ。魚っても十七歳の女子。ひええぇとあたふたしてる間に持ち上げられ、廊下を移動していた。お姫様抱っこ再び。ただし、抱っこされる側はバケモノである。
早朝のおかげで廊下の人通りは無いに等しい。よかった。本当に、よかった。
パァンッ
開けられた扉に二人だけの時間を楽しんでいたであろう殿下と特定の部位だけ柔らかそうな女性が目を丸くする。決してどこの部位かは言わない。
「うわっ?!?!」
「きゃっ」
バケモノの襲来である。申し訳ない。頑張ってみたが、手足を生やすのが限界だった。
「これなら、人型ですよね?」
「いやいやいやいやむしろバケモノに近付いてるけど?! お前大丈夫か?!」
殿下とは話が合いそうだな、と思った。
「文句ありますか?」
「アリアリだよ!!!」
「どうしても、俺とクロエを認めてくれないんですね」
「マジでどうした?? お前にはその魚が絶世の美女にでも見えてんのか?」
「殿下……どう見ても魚ですよ」
「知ってんだよそんなことは!! ああ、もうわかった! じゃあ、そのバケモノとキスしてみろ! お前の覚悟を見せろ! キース!」
「ちょっ……殿下。落ち着いてくださいな」
売り言葉に買い言葉。殿下だって本気で言ってる訳がない。ただちょっと興奮して、自分でもわけのわからないことを叫んじゃっただけだ。それなのに。
「わかりました」
そう言うと騎士様の綺麗な顔が迫ってきて。え? え? と口をぱくぱくする前に重なった。
嘘でしょ? とか。私のファーストキスが、とか色々言いたいことはある。それよりも、それよりも言わせて欲しい。
何してんの?
魚のバケモノだよ。ねえ、騎士様。魚のバケモノだよ。しかも長い! じっくりキスをするな。こちとらファーストキス勢なんだからもっと優しく……いやそういうことではない。断じて違う。
殿下は顎が外れそうだ。どうしよう。これで皇太子が口の開けすぎで死んだら私のせいだ。いや騎士様のせいである。そして、おおよそ殿下の婚約者の女性。「まあ……」ではない。口を押さえて、頬を染めないで。
ぷはっとやっと唇が離れた。
「っはあ……これで認めてもらえますよね、殿下」
口元をガッと男らしく拭いながら騎士様が言う。殿下のライフはもう0だ。
そ、それにしてもキスをされてしまった。全人類探しても見つからないであろうシチュエーションではあるが。うう、すごく身体が熱い。恥ずかしい。しかも人前で。男の人とお付き合いしたこともないのに────────!
私の意思と呼応するように周りがまばゆく光りだす。
「え?」
「クロエっ!」
「まあ……!」
「えっ」
ちょっと猫っ毛の平凡な髪の毛。とても誇れない胸元。ド・平凡なスタイル。
そして、裸。
「にゃあああああああああああああああっ?!?!」
殿下の婚約者、もとい次期皇太子妃様から服を頂いた私は騎士様と部屋で向かい合っていた。今度は人間の姿で。
「その……すまなかった」
「頬を赤らめながら言わないで貰えます?」
もう、お嫁に行けない。殿下からはまだギリ見えないにしても騎士様からはバッチリ見られてしまった。
「クロエ、で間違いないか」
「はい」
私は起こったことを順に追って話した。その間、騎士様は真剣に聞いてくれていたが、まれに手で顔を覆った。魚に対しての己の対応を恥じているのかと思いきや、「日焼け跡が……」と一言。思い出さないでください。真顔でむっつりですか? 動揺するべきはそこじゃないですよ。
「私の方こそごめんなさい。喋れなかったとはいえ、騎士様を騙したような形に」
「いや、構わない。俺も数々の……女性に対する無礼な仕打ち」
「い、いえ。騎士様が通りがかってくれなければ死んでましたし」
「その魔術師には必ず沙汰を下そう。必ずな」
「えっあっはい」
騎士様がこちらに改めて向き直った。
「キース、とは呼んでくれないのか」
「えっと」
「確かに魚の姿のときも愛らしかったが、人間の姿も非常に愛くるしい」
「あの」
「俺に責任を取らせてくれないか」
すごいグイグイくるこの人。騎士様ってこんなタイプの方じゃないと思うんだけど。常に冷静で、無表情で。てかなんでこんなグイグイ来れるんだ。肝の据わりようが半端じゃない。
責任ってなんだ。「頭のおかしい俺に付き合わせた責任」か。いや絶対、キスと裸の件だよね。ほんと頭おかしいなこの人。
「う……騎士さキース様に責任を取ってもらう必要は……その、身分も違いますし」
「俺が取りたいんだ」
「うう」
近い、大変に近い。私はピュアガールなんだ。てか騎士様だって殿下の話しぶりだと女性経験なさそうなのに。
「好きだ、クロエ。俺と結婚を前提に付き合って欲しい」
真っ直ぐに見つめられて顔が熱い。魚のときは顔色なんて知られなかったのに。やばい。上手いこと乗せられてないか。正気に戻れ、私。
「そ、そもそもキース様が好きなのは魚の時の私で」
「姿なんて関係ない。内面に惚れたんだ」
関係、大アリだろ。そりゃ、姿がクリア出来たら身分なんてチリみたいなものですよね。
「迷惑なら言ってほしい」
反応を返さない私に心なしか騎士様がションボリとした。
絶対こんな出会い方おかしいでしょ、とか身分が違いすぎる、とか色々あるけれど。これだけ長い間一緒にいて、熱烈に口説かれ続けて好きにならないはずもない。ただ、この感情が飼い主に向けてなのか男の人に向けてなのかがわからない。何この二択。
「……わ、私もキース様のことはその……好ましく思って」
頭のなかがぐちゃぐちゃになって、ぽんっと音がした。
あれ? また魚になってる。
疑問に思う前にキース様の顔がとても近くなっていて。
また人間に戻って、もう一回。今度は舌をガッツリ入れられた上に、やっぱり裸になった私は奇声をあげながらキース様を押しのけたのだった。
クロエ「まずはお友達からでお願いします」
★2024.4.10.コミカライズ化しました。皆様の御愛読のおかげです。ありがとうございます。
★2024.8.30.本作品が収録されたアンソロジーが発売されました。併せて単話配信もされます。