第7話 脱出
そろそろ昼食の時間になろうとした頃、病室のドアが開いた。
「遅くなりました!」
と慌てた様子で息を弾ませながら、海斗という青年が病室にやって来た。
「おお、遅かったじゃないかね」
和夫は待ちくたびれたのと、やっとこれでこの病院から脱出できる期待とが入り混じり、早く脱出作戦を決行することに意識を集中させた。
「あんた、海斗くんだったね」
「ええ、そうです。看護師さんから連絡を受けましたが、何かご用でしたか?」
「ああ、昨日、私に会いに来て、帰り際に困ったことがあったら、連絡しろと言っておったじゃろう」
和夫の発言に、海斗は少し当惑した口調で返事をした。
「ええ、言いましたが・・・」
「それで、あんたに頼みがあるのじゃが」
「頼み事ですか・・・」
海斗は、嫌な予感がしたものの、恐る恐る和夫に聞いた。
「それは、何でしょうか?」
和夫は、病室内に自分と海斗という青年しかいないことを確認して、低い声で話を始めた。
「あのな、この病院を出て、わしの家に今すぐ帰りたいのじゃが。わしを連れ出してくれないかね」
和夫の突飛な頼み事に、海斗は驚いた。
「えっ、この病院から連れ出すんですか?」
「ああ、そうだ。簡単なことじゃよ」
「病院に断りなく、無断で連れ出すんですか」
「ああ、そうだ」
海斗は、和夫の脅迫的な申し入れに、何と答えれば良いのか迷っていた。
もし、病院に断りなく連れ出した後の状況を考えると、和夫の申し入れに即座に応じることはできなかった。
「そんなことしたら、あとで大変なことになりますよ」
「どうしてじゃ」
「それは、患者がいなくなったら、病院が血眼になって捜します。それでも見つからない場合は、警察に捜索願を届け出るかもしれませんよ!」
和夫は、確かに海斗の言っていることに一理あると思った。
「確かに、あんたの言うとおりかもしれん。では、どうしたら良いのじゃ」
海斗は、和夫の無茶な頼み事に困惑の色を隠せずにいた。
「どうしたら良いかと言われましても・・・」
和夫と海斗は、お互いの顔を見合わせながら、しばらくの間、沈黙した。
「あの~」
と海斗が口火を切った。
「病院に一時帰宅したいと申し出たら、どうですか?」
「それが、一番良い方法と思いますが」
海斗の言う事は正論であり、和夫ももっともな方法だと思ったが、あの「極秘文書」に書いてあることが事実であれば、真っ先に自分にその災難が降りかかると考えていた。
「確かに、あんたの言うとおりじゃが。わしは、ここの治療の仕方が気に食わん」
「直ぐにでも、ここの病院を出たいのじゃ」
「分かりました。山本さん。私が病院の方と話をしてみます」
その様子に海斗は業を煮やしながら、病室を出て行った。
和夫は、海斗の態度に不安を思えつつも、直ぐにでも病院から出られるように身支度を整えていた。
二十分程が過ぎた後、病室に看護師と一緒に海斗が戻ってきた。
「おじいさん。この病院を退院したいって聞きましたけれど、本当ですか?」
と看護師は、荒だった口調で和夫に問いただした。
「ああ、そうじゃとも。早く家に帰してくれ!」
「でも、おじいさんのその体では、一人で帰す訳にはいきませんよ。どなたか身内の方を呼ばないといけません」
「わしの女房の花子に連絡したか?」
「ええ、何度も連絡しましたけれど、おじいさんに教えてもらった番号は、今は使われていませんよ。昨日もそのようにお伝えしましたよ!」
「そうじゃったのう」
和夫は昨日、看護師から女房の花子に連絡が取れなかったと言われたことを思い出したが、自分の身元を引き受けてくれる人が直ぐに浮かんでこなかった。
看護師と和夫のやり取りを横で見聞きしていた海斗は、この状況に至った原因は自分が事故を起こしてしまったことに起因しているのではないかと感じ、和夫の身元引受人になることを決めた。
「分かりました! 私が山本さんの身元をお引き受けいたします。看護師さん、今から退院手続きをお願いできますか」
海斗は、揺るぎない決心と気迫で看護師にお願いした。
「承知しました。退院の手続きに少し時間を要しますので、病室でお待ちください」
と看護師は海斗の決心を察して、それに応じた。
「海斗くん、すまんのう」
「いえ、私が事故を起こしてしまった事が原因ですので、これぐらいの事は何でもありません。私が山本さんの家に連れていきますから、ご安心ください」
海斗は、内心やり過ぎではないかと思ったが、事故の被害者である和夫のことを思うと、そのように言いだす他ないのではないかと、自分の取った対応に納得したのだった。
それからしばらくすると、看護師が病室に再び入って来た。
「おじいさん、退院の手続きがすみましたので、支度ができ次第、自宅へ帰って頂いてもよろしいですよ。あと、海斗さんは、こちらの書類にサインをお願いします」
と看護師は「身元引受書」を海斗に手渡した。海斗は、その書類に住所、氏名、生年月日を記入し、サインを記入した。
海斗は、和夫が退院の支度ができたかどうか確認すると、看護師に挨拶して和夫を連れて病室から退室した。
和夫の脱出作戦は、海斗の思わぬ機転により、功を奏した。