第4話 陰謀
「おじいさん、おじいさん」
和夫の肩を激しく揺さぶる震動と大きな声に、和夫は一時の睡眠から目覚めた。
目に入ってきたのは、先程の看護師の女性だった。
「おじいさん、目を覚ましましたか?」
「先程、少し話をしましたけれど、おじいさんの身元確認をしたいのですが」
寝起き眼の和夫に、看護師は遠慮もなく話しかけた。
和夫は目を擦りながら、看護師に視線を向け、
「身元確認をするのかね」
と看護師の女性の問い掛けに応じた。
「おじいちゃん、私がいくつか質問をするから、それに答えてね」
和夫は、まだ少し眠気を感じながらも看護師の質問に答えようと、ベッドから上半身を起こした。
「おじいさんの名前は、何ですか?」
「わしの名前は、山本 和夫じゃ」
看護師の女性は、和夫の答えに反復するように名前を確認した。
「やまもと かずお さんね」
「かずおの字は、これでいいのかしら」
と看護師の女性は、和夫が答えた名前をクリップホードらしきものに書き込んだ文字を和夫に見せた。
「ああ、その字で合っておる」
看護師が質問の回答を書き込んでいたクリップボードは紙ではなく、タブレット型のコンピューターのようであった。
「次の質問に移るわね」
「おじいさんの生年月日を教えて」
「わしは、昭和29年8月20日生まれじゃ」
看護師は、和夫が答えた生年月日をタブレット端末に入力したかと思うと、和夫に確認する口調で質問した。
「あら、おじいちゃん。歳は91歳なの。ずいぶんと、若く見えるわね!」
と和夫の顔をまじまじと見ながら、なにか腑に落ちない様子で喋った。
和夫は、看護師の女性から発せられた年齢を聞き、即座に言い返した。
「何を言っているんじゃ。わしの歳が91歳なわけがなかろう」
「わしの歳は、65歳じゃ」
「えっ、65歳?」
「そうじゃ、65歳じゃ」
「おじいさん、何を言っているの。生年月日が昭和29年8月20日なら、今年で91歳になるはずですよ。今は、西暦2045年ですもの。おじいさんが生まれた昭和29年は西暦ですと、1954年ですから」
和夫は、看護師が交通事故の後遺症のチェックとして、記憶力や認知力のテストでもしているのかと思い、即座に言い返した。
「何を言っているんじゃ」
「今は、2019年のはずじゃぞ。わしを試そうとしているのか?」
「試してなんかいないわよ。おじいさん」
「今は、2045年ですよ」
看護師の真剣な面持ちから、和夫は、看護師が自分の記憶力や認知力を試しているのではないことが感じ取れた。
「本当に、2045年なのかね」
「ええ、そうよ」
「ほら、この記事を見て」
看護師はタブレット端末からニュース記事の画面を表示させ、その画面に表示された日付を指差した。
「ほら、西暦2045年5月23日って、表示されているでしょう」
和夫は、タブレット端末に映し出された年月日を目で追った。
確かに、西暦2045年5月23日と表示されていた。
「2045年5月23日・・・」
和夫は、タブレット端末に表示された年月日を信じることができず、看護師へ更なる質問を浴びせた。
「こんなのイカサマじゃ。こんな小細工に、わしは騙されんぞ」
「わしを信じさせたかったら、新聞を持ってこい!」
和夫は、看護師に向かって、声を荒立てながら言った。
「はい、はい、分かりました。後で持ってきますよ」
看護師は、このような横柄な患者に対する対応に慣れているのか、軽くあしらって、次の質問に移った。
「おじいさんの身内の人に連絡を取りたいのですが、誰かいますか?」
「ああ、わしの妻の花子に連絡してくれ」
「電話番号は分かりますか?」
「ああ、××―××××―×××× じゃ」
看護師は、タブレット端末に和夫が答えた電話番号を入力して、
「あとで奥さんに連絡をしておきますね」
と和夫に伝えた。そして、思い出したかのように和夫に、
「事故を起こした人が、おじいさんに会いたいって、こちらに来ているけれど、どうされますか?」
和夫は、突然のことで戸惑いながらも、看護師の問い掛けに応じた。
「わしは、構わんよ」
「それじゃ、今からその人を呼んで来るわね」
「その人は、おじいさんの意識が回復するまで毎日、この病棟に来ていたのよ」
看護師は、その様に和夫に伝えると病室から出て行き、事故の当事者を呼びに行った。
しばらくすると、病室のドアが開き、二十代後半の若そうな青年が病室に入ってきた。そして、和夫のベッドの側まで歩み寄った。
「この度は、誠に申し訳ありませんでした。私の不注意で、あなたに怪我を負わせてしまい、何とお詫びして良いか」
その青年は、和夫にただ謝罪するばかりで、体を九十度に曲げながら謝り続けた。
「あんた、名前は、何て言うんだい?」
和夫の問い掛けに、その若い男性はビクッと身体を震わせた。
「私は、やまもと かいと といいます」
「やまもと かいと さんかね」
和夫は、自分の名字と同じことに、少し親近感を感じた。
「わしも山本というんじゃ。同じ名字じゃな」
和夫は、少し微笑みながら、続けて青年に質問を投げかけた。
「かいと という字は、どういう字だね」
「はい、海という字に、北斗七星の斗です」
「そうかね」
和夫は、「海斗」という名前に聞き覚えがあったものの、事故で頭を打ったせいなのか、なぜ聞き思えがあるのか直ぐには、その理由が思い当たらなかった。
和夫とその若い男性は、互いにうつむいたまま沈黙し、薄暗い病室に張りつめた空気が漂った。
その空気が病室全体を覆った頃に、若い男性が口火を切って言った。
「今日は、これで失礼いたします。何か困ったことがありましたら、こちらに連絡してください」
と伝えると、和夫に一枚の名刺を手渡した。
「それでは、失礼します」
と若い男性は和夫に頭を下げると、そそくさと病室から退室して行った。
和夫は、「海斗」と名乗る男性から手渡された名刺に目を向けた。
その名刺には、「ソーシャルジャパン新聞社 ジャーナリスト」という肩書きが印刷されていた。
和夫は、その男性の肩書きよりも「海斗」という名前に関心が注がれ、思い当らなかった記憶の断片をしきりに探していた。
と、そこに看護師の女性が病室に入ってきた。
「おじいさん、先程教えてもらった電話番号に、電話をかけたけれど、不通でしたよ」
「そんなはずはないぞ!」
「いいえ、何度、電話をかけ直しても、この電話番号は使われておりません、というアナウンスが流れましたよ。奥さんの他に、どなたか連絡する方はいますか?」
和夫は、看護師の話に納得がいかず、自ら電話をかけずにはいられない衝動に駆られた。
「もう一度、わしが電話をして確認したいのじゃが・・・」
「おじいさん、ここは病室ですよ。電話は、できませんよ」
看護師の威圧した物言いと、威厳のある態度を感じた和夫は、看護師の言葉に従う他なかった。
「分かった。電話は、できないんじゃな」
「理解してもらえれば、いいのよ」
と先程とは打って変わって、やさしい女性の笑顔を浮かべながら、
「おじいさんには、お子さんは、いますか?」
「あぁ、おる。息子が」
「その息子さんに連絡をしてみましょう。息子さんの電話番号は分かりますか?」
「息子の電話番号・・・。分からん」
「分からないのですか。それは困りましたね」
「何か身分証明証みたいなものは、持っていましたか?」
和夫は、ズボンのポケットに財布が入っていないか確認しようと尻に手を当てた。しかし、自分が着ている服が、病院が用意した着衣であることに気がつき、
「わしが着ていた服は、どうしたのじゃ」
と慌てた口調で看護師に質問した。
「おじいさんの服は、ベッドの横のロッカーに閉まってあります。今、出してあげますからね」
看護婦は、ロッカーからおじいさんが事故の前に着ていた服を取り出し、ベッドの上に置いた。
和夫は、ズボンのポケットに財布が入っていないか、ポケットに手を入れた。
「財布が入っていると思ったのじゃが・・・」
「んっ! なんか紙切れが入っているようじゃ」
和夫は、ポケットの中に入っていた紙切れを取り出すと、皺くちゃに丸まった紙切れを広げた。
「これは、何じゃ!」
その広げた紙に記載された文字を眺めた。
「身分証明書では、なさそうじゃ」
和夫は、その紙に記載された文章を一文字、一文字ゆっくりと頭の中で音読しながら読み始めていった。読み進めてゆくうちに、そこに書かれた内容の異常さと恐ろしさに目を疑った。
その紙は、日本政府が発行した書類の様であり、右肩に「極秘」の文字が印字されていた。
その内容は、「現在の日本は、超高齢化が進み、3人中2人が高齢者という現状に陥っている。そのため、労働者に対する税率は高く、労働者の海外流出は加速し続け、更なる高齢化を生み出している。この様な状態では、日本経済は近い将来、経済破綻し、崩壊しかねない状況である。それに対する対策として、極秘裏に政府が医療機関に金銭的な働きかけを行い、治療を名目に高齢者を毒殺し、安楽死させる」
という計画が記載されていた。
そして、この文書の発行年月日は2045年4月20日と記されていた。
和夫は、文書の発行年月日を目にするや否や、この文書の信憑性に疑問を感ずるとともに、看護師が言っていた今の西暦と一致していることに驚きを隠し切れなかった。
「おじいさん。大丈夫ですか?」
「急に顔色が悪くなりましたけれど」
看護師は、和夫の体調の異変に気がつき、脈を取ろうと和夫の手首を掴もうとした。
和夫は、とっさに看護師の手を払いのけると、手に持っていた文書を素早くズボンのポケットに押し込んだ。
「わしは、大丈夫じゃ」
「少し疲れたから一人にしてくれ!」
と看護師に申し入れた。
「そうね。ごめんなさい」
「意識を取り戻してから、おじいさんに無理をさせてしまいましたね」
「ゆっくり休んで下さい。必要な用事は、その後にします」
と頬笑み、病室から出て行った。
和夫はベッドに横になると、先程の文書の内容と、発行年月日のことが気になり始めた。
「今は一体、西暦何年じゃ」
「2045年のはずがないのじゃが・・・」
と自分に言い聞かせるように目を瞑り、思い巡らせているうちに意識が遠退いていった。