第3話 事故
「あなた、あなた」
和夫は、心地よく語りかける声に温かさを感じていた。
「花子か?」
「あなた」
「あなた」
温かな光の中から、包み込まれる様に語りかけてくるその声に、和夫は意識を取り戻した。
ぼんやりと見える景色は、何処かわからない部屋の天井の様であった。
和夫は、自分がベッドに横になっていることに気がついたのだ。
そして、周りを見渡すと点滴が吊るされているのが見え、その点滴に繋がれた管を目で追っていくと、自分の腕に繋がれていることが認識できた。
「何があったのじゃ?」
「どうして、こんな状態になっているのだ?」
和夫は自分に起こっている状況が把握できず、頭の中が真っ白になってしまった。
そこに部屋のドアから看護師らしき女性が入ってきた。
その看護師は、和夫のベッドの脇まで来ると、天井から吊り下げられている点滴の残量をチェックした。
「あら、意識を取り戻しましたか!」
看護師の女性は、和夫に声をかけた。
「おじいさん、丸二日間、眠っていましたよ。車に引かれて救急で、この病院に運ばれて来たのですよ。その時の記憶はありますか?」
和夫は唐突に話しかけられ、自分の身に起こったことが思い出せなかった。
「えっ、わしが車に引かれた・・・?」
「救急車で運ばれた?」
和夫は、自分の身に起きた出来事を思い出そうと必死になってみたが、その時の記憶が残っていなかった。
「あら、事故の時の記憶が無いようね。でも、車に引かれるなんて、最近では珍しい事故ですよ」
和夫は、看護師から発せられた言葉の意味が理解できずに、すぐさま反論した。
「どうして、車に引かれるのが珍しいのじゃ」
「交通事故は、よく起こる事故じゃないのか?」
和夫が反論したその声に、看護師は驚いた表情を浮かべたかと思うと、含み笑いをしながら、さらに言い返した。
「あら、やだぁ、最近では、交通事故は殆ど起こらないことを知らないの」
「十年ほど前は、頻繁に起こっていたけれど、事故予測感知システムが普及して、今では事故を未然に予測して防いでいるから、事故は全くと言っていい程、起こらないのよ」
「そりゃ、ごく稀に事故が起きる事はあるけれど、この病院に救急で運ばれてきた人は、一年ぶりよ」
和夫は、看護師から語られた話の内容が理解できず、口をあんぐりと開けたまま、思考がストップしてしまった。
その時、看護師の腕時計らしきバンドから「ピー、ピー」と音が鳴った。
その腕時計らしきバンドは時計ではなく、映像と文字が映し出されていた。
「おじいさん、話の途中で悪いけど、呼び出しが入ったので、またね」
「あとで、おじいさんの身元確認をするので、それまでゆっくり休んでいてね」
看護師は急いで部屋のドアから出て行った。
和夫は、横になり目を閉じながら、先程の看護師が話したことを思い返していた。
「事故予測感知システム?」
「交通事故は殆ど起こらない?」
「この病院では一年ぶり?」
和夫の頭の中で、この言葉が渦巻き合い、年老いた脳の情報処理能力では到底処理できるはずもなかった。
そして、能力を超えた処理により疲れた脳は、一時停止するかのように和夫を睡眠へといざなった。