第1話 ボックス(箱)
定年後の余生を過ごす和夫と妻の花子。
夕日が真っ赤に照らすある夕方に起きた大地震。
地震がもとで、家の倉庫で見つけた「奇妙な箱」
その「奇妙な箱」の蓋を開けてしまった和夫の身に起こる出来事とは・・・。
夕日に照らされ赤く染まった一筋の雲が、空に浮かんでいる。太陽は、今にも地平線の彼方へ消えようとしていた。夕日に照らされた家々の屋根が、まるで山脈の様に連なっている。
その一軒家に明かりが灯り、窓に人影が写っていた。
「おばあさん。今日の夕飯は何かね」
と和夫が本を読みながら、花子に聞いた。
「おじいさん。今日の夕飯は、アジの開きですよ。」
花子は、台所で夕食の支度をしながら和夫に返事をした。その後、二人の間に沈黙の時間が流れた。
その沈黙を破って話を始めたのは、花子であった。
「おじいさん。何の本を読んでいるのですか?」
「ああ、この本は超能力入門という本じゃよ。わしが昔に買って少しだけ読んで、そのままにしておいた本じゃよ」
「まあ、物好きなこと」
と花子は和夫に返事をした後、鼻で笑った。
そして、またひと時の間、沈黙が流れた。
それから二十分ぐらい時間が過ぎただろうか、和夫は読書を止め、目の前の机に置いてあった新聞を手に取り、テレビの番組欄に目を向けた。
「今日は、何か面白い番組はあるかな」
と独り言を呟いた。
新聞の日付は、2019年(令和元年)5月21日、火曜日と記載されていた。
「今は6時か。おっと、ニュースが始まる時間じゃないか」
と口ずさみながら、テレビのリモコンを取ろうとした。
その時、少し家が揺れるものを和夫は感じた。
「なんじゃ。目眩か何か、かな?」
と思った途端、もの凄い地響きとともに揺れが襲ってきた。和夫は、椅子に座ったまま成す術がなく、そのまま椅子にしがみついた。二、三分が過ぎただろうか、和夫は我に返り、家が停電になっていることに気がついた。
「おばあさんや。大丈夫か」
「ええ、大丈夫ですよ。凄い地震だったわね。それに停電になってしまいました」
「ああ、今、わしが倉庫から発電機をもってくるよ。まだ、夕飯の支度が終わっておらんじゃろう」
と薄明かりの中、足元に気を配りながら玄関の方へと歩いていった。そして玄関の脇に置いてあった懐中電灯を手に取り、家の裏手の倉庫へと向かった。
既に外は日も沈みかなり暗く、足元を懐中電灯で照らしながら歩いていった。倉庫は農作業用の重機が収まる程の大きさで、和夫の祖父の前の代に建てられたものだ。倉庫は百年以上経過しており、至る所が傷んでいた。
和夫が倉庫に着き、扉を開けようとしたところ、地震のためか開かなかった。
和夫は、扉を開けようと力づくで扉を引いてみた。すると、手が入る程度ではあるが、扉は開いた。
「よし、手を入れることができたぞ」
和夫は、体重を掛けながら扉を引いた。何度か、その動作を繰り返しながら、何とか扉を開けることができた。
「ああ、やっと中へ入れる!」
と安堵した。
倉庫の中へ入ってみると、先程の地震で棚が倒れており、辺り一面に物が散乱していた。
和夫は、懐中電灯で足元を照らしながら、発電機が置いてある所へ歩いていった。
「確か、この辺りに置いてあったはずじゃが」
和夫は、発電機が置いてある場所の記憶を思い出しながら、散らかった物を手で退かしながら発電機を探した。
ふとしたことで懐中電灯の光が倉庫の奥を通り過ぎた。
「なんだ! あの大きな箱は・・・」
和夫は、懐中電灯で倉庫の奥にある大きな箱に光りを向けた。
「こんな大きな箱を閉まった憶えはないのじゃが・・・」
その箱は、大人がひとり入れる程の大きさがあり、かなり古びた感じに見えた。
和夫は、その箱の方へ歩いて行き、懐中電灯でその箱を照らした。
埃が被ったその箱の蓋に目を向けると、何か文字らしき模様があることに気がついた。
蓋に積もった埃を手で払い、その模様をよく見ようと懐中電灯の光を当てた。
その模様は、漢字に似た文字の様であるが、絵文字に近いものであった。
「この模様はなんじゃ? 梵字の様にも見えるのう」
和夫は、その箱を調べ始めた。すると、箱の前の辺りに金庫に取り付けてある様なダイヤル式の鍵があるのを見つけた。そのダイヤルは、横に四つ並んで付いていた。
そして、そのダイヤルの数字に目を向けると、左から順番に「2・0・1・9」となっていた。和夫は、そのダイヤルを触ろうと手を伸ばし、指でダイヤルを摘んで回してみた。
「おおぅ、ダイヤルの数字を変えられる様じゃ」
そのダイヤルの数字は0から9までの数が刻まれており、自由に変えられるようになっていた。
和男は、おもむろにダイヤルの数字を変えてみた。
「2・0・4・5」とダイヤルの数字は変わった。
和夫は、ダイヤルの数字が変わることが分かったためか、次に、箱に何が入っているか気になり始めた。そして、箱の蓋に手をやり開けてみることにした。
和夫は、箱から漂う霊気の様なものを感じ、蓋を開けるのを一瞬躊躇したが、好奇心の方が恐怖心より勝っていた。そして、一気に蓋を開いた。蓋は、思ったよりも重く少し力を要した。蓋を開き切って、箱の中に何が入っているのかを見ようと、懐中電灯の光を向けた。
その途端、箱の中から煙が噴き出してきたかと思うと、次の瞬間、雷にも似たもの凄い光が発せられ、和夫は腕で目を覆った。そして、何か強い力で体が引っ張られるのを感じた、その瞬間、箱の中に和夫は引きずり込まれてしまった。和夫を呑み込んだ箱は、勢いよく蓋を閉じ、雷の様な光りと爆音とともに一瞬にその姿を消した。和夫は、箱の中に引きずり込まれ、深い谷に落ちて行く感じを身に受けながら、気を失ってしまった。
どのくらい時間が経過しただろうか。
和夫は、薄っすらと目の中に入って来る光に起こされる様に瞼を開いた。気がついて辺りを見回してみると、倉庫の中は何もなく綺麗に片づけられていた。ただ、あの大きな箱だけが横たわっていた。和夫は、夢でも見ているかのように何が起こったのか意味が分からず、とにかく、その場所から離れようと立ち上がり倉庫を後にした。
和夫は、よろめきながら花子がいる家へと足を進め、家の扉を開けた。
「おばあさん、おばあさんや」
と和夫は花子を呼んだが、返事がなかった。
花子がいた台所へ向かうと、そこに花子の姿はなく、食卓や食器も綺麗に片づけられて何もない状態になっていた。和夫は、台所以外の部屋も確認しようと見て回ったが、同じく綺麗に片づけられており、まるで引越しでもした後のように、部屋には何も物が置いていない事が分かった。
「一体、どうなっているんだ!」
「確か、地震があって、倉庫に発電機を取りに行ったはずだと思ったのじゃが・・・」
和夫は、目の前に起こっている現実が全く理解できず、ただ部屋の中で呆然と立ち尽していた。
和夫は、放心状態のまま家を出た。外から家を見ると確かに和夫の家であったが、見覚えのある家よりも風化が進んで壁は汚れており、雨戸は塗装が剥がれ落ち、下地の板が所々見えて腐食していた。
そして、玄関の所には、「売り家」と書かれた看板が貼られていることに気がついた。
「売り家? どうして売り家になっているんじゃ?」
和夫は自分の目を疑った。
「どうなっているんじゃ」
和夫は、自分の身に起こっている現実を受け入れる事ができず、その場にひざまずき身体が震えるのを感じた。そして、その場に座り込むと、「売り家」となっている古ぼけた我が家を呆然と眺めていたのだった。