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傍観者  作者: Amaretto
最終章
55/56

8-7(槇原17)

[槇原]


 あれから2か月。

 あの日から、私達は長い事情聴取をされ、ようやく家に帰れることが許された。

 家に帰ると、そこは以前のような姿とは全く変わり果てていた。アパートのドア、壁、あらゆるところに、私を非難する紙が貼られている。直接スプレーなどで書かれているものもあった。

 「死ね」だとか「くたばれ」といった言葉は、ありきたりだな、と思う程度だったが、「それでも教師か」だとか「教師失格」といった言葉は私の心に深く突き刺さった。

 覚悟していたつもりだった。私が、自分であの証拠を使うように武田に了承したのだから。

 ピンポンが何度も鳴らされる。批判の手紙が大量に届く。着払いの荷物が何度も来る。

 外に出れば、ひそひそと陰で話す声が聞こえる。

 スーパーにも行くのですら、大変だった。店員にも、「あ、この人、あの見て見ぬ振りした教師だ」という目で見られる。取り繕った笑顔の奥の、批判的な目が怖かった。


 人は、集団で何かを批判すれば、自分の声が相手に届かないとでも思っているのだろうか。

 私達をヒーロー扱いする人もいたけれど、批判の方が多かった。いや、私が批判に対して敏感になっていただけかもしれないけれど。

 私の心が壊れていくのに、時間はかからなかった。

 私は家から一歩も出ない生活を続けていた。

 自分の親にも申し訳なかった。でも、私の親は私を称賛してくれた。

「さすが、俺の娘だ。よくやった。生徒を守るために、やったことなんだろ? 俺はわかってる。お前は凄い。なかなか出来る事じゃないぞ。だから、負けるな。こんなの、すぐに収まる。」

 父は力強く私を励ましてくれた。私は知っている。親の家にもいろいろな手紙やらが届いていることを。

 それでも、両親は私を味方してくれた。

 父の優しい言葉が、優しい声が、私の救いになった。


 家庭とは、温かいものだ。

 私は、SSのクラスメイト達に、そのことを教えてあげられなかったな……。

 あの子たちは今、何をしているんだろう。

 今は幸せに生きれているだろうか。


 

 そんなことを考えている時、ピンポンが鳴った。

 2か月たったというのに、しつこいなと私は思いつつ、念のため、外の人物を確認する。


 そこにいたのは、武田だった。

 私はすぐにガチャガチャとドアを開ける。


「槇原先生、久しぶり。」


 そう言ってほほ笑む武田は、急激な変化を遂げたように見えた。

 2か月の間に随分と大人びて見えるようになったな、と思う。


「久しぶり。武田。部屋ちょっと汚いけど、中にどうぞ。」


 武田は「お邪魔します」と丁寧に言い、部屋の中に入る。

 そして、私の部屋をキョロキョロと見渡す。


「先生、ちょっと汚いっていってたけど、汚いっていうか、暗いよこの部屋。」


 武田は私の顔を見る。そしていつものように、ふっと笑う。


「先生の顔もね。」


 武田は入学当初のような爽やかさで、言った。


「ほら、カーテン開けなよ。先生、部屋にこもりっきりでしょ。ダメだよそんなんじゃ。」


 教師である私が、生徒の田中に指摘を受けるとは思っていなかった。

 田中はカーテンを開ける。明るい陽射しが部屋に差し込む。


「ねえ、槇原先生。俺さ、一人暮らし始めたんだ。そこでは監視もされないし、自由に出来る。新しい学校でも、俺は上手くやれてるよ。」


 SSが崩壊して、帰る場所がなくなった生徒に対しては、仮の住居が与えられた。学費も、当面は国の予算から算出するという。

 ただ、生徒達は、他の学校に転入しなければならなかった。

 武田も、小田も、藤井も、東も、中嶋も、鈴木も、皆バラバラな学校に転入した。

 武田は、仮の住居には入らず、自分で稼いで、自分で学費も生活費も払うという選択をした。

 まるで自分のやったことに責任を持つように。だから少し大人びて見えるのかもしれない。


「槇原先生、俺はね、制度崩壊してよかったって思ってるよ。他の人が何と言おうと、俺は、後悔してない。今日はそれを伝えに来たんだ。」


 武田は、平気なふりをしているが、きっと今の生は大変だろう。おそらくSSの生徒だったことは、学校中に知れ渡っているだろうし、夜は生活費を稼ぐため、アルバイトをし、空いた時間で学業もやらなければならない。武田はなんでもさらっとこなしているように見えるけれど、私は知っている。彼がどれほど陰で努力しているのかを。私はずっと観察してきたから。


「あともう一つね、大事なものを渡しに来たんだ。」


 武田から2つの手紙を受け取った。ピンクの便箋と、青い便箋。


「2人からの手紙だよ。槇原先生モテモテだね。」


 武田はにっと笑う。からかうような口ぶりで、少しぎこちなさがあった。

 その不思議な顔に、ちょっとだけ笑った。


 武田は、私が笑った顔を見ると、嬉しそうにした。

 もしかしたら、私を笑わせようとしてくれたのかもしれない。


「お茶入れるからちょっとまってて。」


「ああ、いいよ、俺はもう帰るから。俺の役割は終わったしね。この後バイトあるんだ。」


「そっか。また、いつでも遊びに来てね。」


 そう言ったものの、教師が生徒の家に呼ぶのはどうなんだろう、と一瞬思った。けれど、もう彼は、私の生徒じゃないんだと気づき、ちょっと胸が苦しくなる。


「いいの? そんな簡単に男を部屋に入れちゃだめだよ、先生。」


 武田が、言わないようなセリフを言ったことに、私は驚く。

 やっぱり、この3年で一番変わったのは武田かもしれない。ちょっと小悪魔的なところが、小田に似てきたような気がする。


 もしかして、小田のこと、好き? と聞きたかったが、聞かないでおいた。


「大丈夫だよ、武田は、私の信頼してる生徒だから。」


 武田はまたふっと笑って、玄関の方へ向かう。

 私はその後について行く。


 武田は屈みこんで、靴を履く。

 そしてドアに手をかけたところで、私の方を見ずに言った。


「槇原先生、俺さ、今の学校も楽しいけど、SSでのこと、一生忘れないよ。槇原先生のことも。俺、変われた気がするんだ。だから、感謝してる。ありがとう、槇原先生。俺にとって、槇原先生は、ずっと先生だよ。」


 武田は振り返らないままドアを開ける。外の明るい陽射しが武田を照らす。そして、武田は、外に出ていった。ガチャンとドアの閉まる音が響く。

 武田は、私の求めている言葉を言ってくれた。それがとても嬉しかった。

 少しだけ、ほんの少しだけ、目頭が熱くなる。

 私は、2つの手紙を手にしたまま、しばらくそこに立っていた。


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