8-7(槇原17)
[槇原]
あれから2か月。
あの日から、私達は長い事情聴取をされ、ようやく家に帰れることが許された。
家に帰ると、そこは以前のような姿とは全く変わり果てていた。アパートのドア、壁、あらゆるところに、私を非難する紙が貼られている。直接スプレーなどで書かれているものもあった。
「死ね」だとか「くたばれ」といった言葉は、ありきたりだな、と思う程度だったが、「それでも教師か」だとか「教師失格」といった言葉は私の心に深く突き刺さった。
覚悟していたつもりだった。私が、自分であの証拠を使うように武田に了承したのだから。
ピンポンが何度も鳴らされる。批判の手紙が大量に届く。着払いの荷物が何度も来る。
外に出れば、ひそひそと陰で話す声が聞こえる。
スーパーにも行くのですら、大変だった。店員にも、「あ、この人、あの見て見ぬ振りした教師だ」という目で見られる。取り繕った笑顔の奥の、批判的な目が怖かった。
人は、集団で何かを批判すれば、自分の声が相手に届かないとでも思っているのだろうか。
私達をヒーロー扱いする人もいたけれど、批判の方が多かった。いや、私が批判に対して敏感になっていただけかもしれないけれど。
私の心が壊れていくのに、時間はかからなかった。
私は家から一歩も出ない生活を続けていた。
自分の親にも申し訳なかった。でも、私の親は私を称賛してくれた。
「さすが、俺の娘だ。よくやった。生徒を守るために、やったことなんだろ? 俺はわかってる。お前は凄い。なかなか出来る事じゃないぞ。だから、負けるな。こんなの、すぐに収まる。」
父は力強く私を励ましてくれた。私は知っている。親の家にもいろいろな手紙やらが届いていることを。
それでも、両親は私を味方してくれた。
父の優しい言葉が、優しい声が、私の救いになった。
家庭とは、温かいものだ。
私は、SSのクラスメイト達に、そのことを教えてあげられなかったな……。
あの子たちは今、何をしているんだろう。
今は幸せに生きれているだろうか。
そんなことを考えている時、ピンポンが鳴った。
2か月たったというのに、しつこいなと私は思いつつ、念のため、外の人物を確認する。
そこにいたのは、武田だった。
私はすぐにガチャガチャとドアを開ける。
「槇原先生、久しぶり。」
そう言ってほほ笑む武田は、急激な変化を遂げたように見えた。
2か月の間に随分と大人びて見えるようになったな、と思う。
「久しぶり。武田。部屋ちょっと汚いけど、中にどうぞ。」
武田は「お邪魔します」と丁寧に言い、部屋の中に入る。
そして、私の部屋をキョロキョロと見渡す。
「先生、ちょっと汚いっていってたけど、汚いっていうか、暗いよこの部屋。」
武田は私の顔を見る。そしていつものように、ふっと笑う。
「先生の顔もね。」
武田は入学当初のような爽やかさで、言った。
「ほら、カーテン開けなよ。先生、部屋にこもりっきりでしょ。ダメだよそんなんじゃ。」
教師である私が、生徒の田中に指摘を受けるとは思っていなかった。
田中はカーテンを開ける。明るい陽射しが部屋に差し込む。
「ねえ、槇原先生。俺さ、一人暮らし始めたんだ。そこでは監視もされないし、自由に出来る。新しい学校でも、俺は上手くやれてるよ。」
SSが崩壊して、帰る場所がなくなった生徒に対しては、仮の住居が与えられた。学費も、当面は国の予算から算出するという。
ただ、生徒達は、他の学校に転入しなければならなかった。
武田も、小田も、藤井も、東も、中嶋も、鈴木も、皆バラバラな学校に転入した。
武田は、仮の住居には入らず、自分で稼いで、自分で学費も生活費も払うという選択をした。
まるで自分のやったことに責任を持つように。だから少し大人びて見えるのかもしれない。
「槇原先生、俺はね、制度崩壊してよかったって思ってるよ。他の人が何と言おうと、俺は、後悔してない。今日はそれを伝えに来たんだ。」
武田は、平気なふりをしているが、きっと今の生は大変だろう。おそらくSSの生徒だったことは、学校中に知れ渡っているだろうし、夜は生活費を稼ぐため、アルバイトをし、空いた時間で学業もやらなければならない。武田はなんでもさらっとこなしているように見えるけれど、私は知っている。彼がどれほど陰で努力しているのかを。私はずっと観察してきたから。
「あともう一つね、大事なものを渡しに来たんだ。」
武田から2つの手紙を受け取った。ピンクの便箋と、青い便箋。
「2人からの手紙だよ。槇原先生モテモテだね。」
武田はにっと笑う。からかうような口ぶりで、少しぎこちなさがあった。
その不思議な顔に、ちょっとだけ笑った。
武田は、私が笑った顔を見ると、嬉しそうにした。
もしかしたら、私を笑わせようとしてくれたのかもしれない。
「お茶入れるからちょっとまってて。」
「ああ、いいよ、俺はもう帰るから。俺の役割は終わったしね。この後バイトあるんだ。」
「そっか。また、いつでも遊びに来てね。」
そう言ったものの、教師が生徒の家に呼ぶのはどうなんだろう、と一瞬思った。けれど、もう彼は、私の生徒じゃないんだと気づき、ちょっと胸が苦しくなる。
「いいの? そんな簡単に男を部屋に入れちゃだめだよ、先生。」
武田が、言わないようなセリフを言ったことに、私は驚く。
やっぱり、この3年で一番変わったのは武田かもしれない。ちょっと小悪魔的なところが、小田に似てきたような気がする。
もしかして、小田のこと、好き? と聞きたかったが、聞かないでおいた。
「大丈夫だよ、武田は、私の信頼してる生徒だから。」
武田はまたふっと笑って、玄関の方へ向かう。
私はその後について行く。
武田は屈みこんで、靴を履く。
そしてドアに手をかけたところで、私の方を見ずに言った。
「槇原先生、俺さ、今の学校も楽しいけど、SSでのこと、一生忘れないよ。槇原先生のことも。俺、変われた気がするんだ。だから、感謝してる。ありがとう、槇原先生。俺にとって、槇原先生は、ずっと先生だよ。」
武田は振り返らないままドアを開ける。外の明るい陽射しが武田を照らす。そして、武田は、外に出ていった。ガチャンとドアの閉まる音が響く。
武田は、私の求めている言葉を言ってくれた。それがとても嬉しかった。
少しだけ、ほんの少しだけ、目頭が熱くなる。
私は、2つの手紙を手にしたまま、しばらくそこに立っていた。




