2-3(鈴木3)
[鈴木]
僕らのクラスにおいて、クラスメイトとは、仲間とか友達とかでなくて、いてもいなくても変わらない存在、というのが一番しっくりくる表現だ。
いい意味でも悪い意味でも、クラスメイトに影響を受けることがない。ケンカが起きる事もなければ、特定の人が嫌われている訳でもない。仲の良いグループで行動する事が多く、それ以外のクラスメイトとはほとんど関わっていなかった。
僕は、高校生活を夢見ていただけに、こんなクラスメイトにがっかりしていた。
でも、そうでない人も中にはいる。入学式の日、僕に声をかけてくれた武田などである。
人と話すことが苦手な人も、無口な人も、相手が武田であれば、心を開いているようであった。
武田以外にも、クラス全体をまとめている人物が何人かいる。そのうちの一人が、藤井有紗である。明るい茶色の長い髪を後ろで一本にまとめていて、派手な見た目をしているため、クラスでは目立つ存在の彼女。思った事をそのまま口に出すタイプである。頭で考えるより、行動する事が多い。クラスメイトが何も発言しない時でも、藤井がどんどん思った事を発言し、話しに膨らみを持たせてくれる。だから自然と会話の中心に立つ人物である。その見た目からか、大人しい人からは、あまり関わりたくないように思われていたと思うが、かといって嫌われているような感じでも無かった。
藤井有紗は、小田さゆりと一緒にいつも行動をしていた。
小田も、クラスの中心人物の一人だ。とても可愛い見た目で、人を惹きつける魅力がある女子である。非の打ち所がなく、完璧と言っていいほど全てが優れている。見た目も、運動神経も、学力も、発言力も、リーダーシップも、全てにおいて、トップクラス。しっかりしていて、頼りがいがあり、女子からも男子からも、好かれている。彼女は、まさに高嶺の花というにふさわしい存在であった。
小田も、藤井も、武田も、クラスの中で影響力のある人達であり、みんな一目おいていた。だから藤井がイジメられるなんて、誰も予想していなかっただろう。
きっかけは、夏に行われた中間テストだった。
「このクラスで、カンニングをした人がいました。」
テストの次の日の朝、学年主任が教室に入ってきて、大事な話があります、と言った次の言葉がそれであった。
朝のホームルームの時間。いつもならクラス担任が来ていたのだが、この日は学年主任がやってきた。
それまでガヤガヤしていた教室はすぐに静かになった。学年主任の厳しさは、生徒なら誰もが知っていた。問題を起こした生徒が、学年主任の元へ呼び出され、1時間後くらいに泣きながら教室に戻って来るということが何度かあったからだ。
僕達のクラスでは、学年主任に呼び出された人はまだ誰もいなかったが、他のクラスでは何人かいるようで、それは学年中の噂になっていた。何をされたのか訪ねても、誰も答えなかったという。どうやら学年主任の事を話すのはタブーとされているようであった。
そんな様子だから、生徒達は学年主任に対して、恐怖を抱くようになった。まるで未知の危険生物に怯えているような感じであった。
その学年主任がクラスに入ってきて、クラスメイト全員が、何かあったんだな、と瞬時に悟る。凄まじい威厳のある50代の学年主任は、その目を細めながら、言った。
「他の人が懸命にテスト勉強をする中、こういった不正行為が行われたことは、非常に残念であり、許せない行為であります。」
学年主任は独特な抑揚のある喋り方をしていた。生徒達はただじっと話に耳を傾けていた。
「今回の事を会議で話し合った結果、クラスの連帯責任とし、ペナルティを課すことに決定しました。」
連帯責任、ペナルティという言葉が出た時、みんなが驚いた表情を見せる。ほんの一瞬だけ、ざわっとなったが、直ぐに静かになった。
「クラス全員、来月のカードにチャージする金額を1万円ずつ減らします。毎月5万円でしたが、来月のみ4万円になります。」
カードへのチャージ金額というのは、この学校における生活費にあたる。食費や衣服、日常雑貨などの購入に必要なものであった。僕達はその金額をやりくりしながら、生計を立てていた。
1万円分減るというのは、ギリギリの生活費の中で、かなり大きな打撃である。いやいや、おかしいだろ、と今にも誰かが言ってきそうなくらい酷い内容であったが、学年主任を前にして、反論する者はいなかった。
「真面目にテストを受けた人にとっては、納得いかない事だとは思いますが、これはクラスの問題です。今回不正をした人はしっかりと反省をしていただきたい。また、不正をしていない人でも、このような事を起こさないよう、気を引き締めて下さい。今後このような事がないように、ルールをきちんと守りなさい。以上。」
言い終わってすぐ、学年主任はドアをピシャンっと閉めて、教室を出ていった。
教室内はしばらく静まり返っていた。
「1万も減らされるって、マジかよ……。」
「いくらなんでも、厳しすぎるんじゃないかな。」
みんなが 不安げな声でぽつぽつと話し始めた。
「カンニングした人だけでいいと思うけど。」
「連帯責任にする意味が分からない。」
「でも、学年主任の言う事だし、従うしかないよ……。」
はあ、というため息が聞こえ、そしてまた静寂が訪れた。 みんなが俯き、黙り込む中、誰かがぼそっとつぶやいた。
「誰だよ、カンニングしたの。」
その一言で、まるで一瞬電気が流れたような衝撃がはしる。今までにないくらい、クラスの空気が悪くなった。突然のペナルティに対して、みんながピリピリと怒りを感じていた。
みんなが周りの空気を感じ取り、自分の中の怒りを少しずつ吐き出していく。
初めては小さな声で、ぼそぼそと話していた。
「なんでカンニングなんかしたんだよ。」
「ペナルティ辛すぎるんだけど。」
「私関係ないのになんで連帯責任なのよ。」
一度誰かが一線を超えてしまえば、もう怖くないとでもいうように、みんなが不満を述べていった。
「カンニングなんてしなければ、こんな事にならなかったのに。」
ペナルティに対する不満は、学年主任に言えるはずもなく、収まりきらない怒りは、自然とカンニングした人物へと向けられていった。声もだんだんと大きくなっていく。
「はっきり言って、これってカンニングした人のせいだよね。」
「確かに。」
「許せない。」
「カンニングした人、正直に言った方が思うんだけど。」
僕は何も発言はしなかったが、他の人と同じように、カンニングした人に対して怒りを感じていた。
「やった人は名乗り出て欲しい。」
そうだそうだ、という雰囲気になっていた。
「名乗り出ろよ!」
「ふざけんなよ!」
「誰だよ!」
クラスメイトが声を荒げ始めた時、「ちょっと、みんな!」と誰かが言った。声のした方を向くと、小田さゆりが立ち上がっていた。
煩かった教室が、だんだんと静かになる。自分の方を見ているクラスメイトを見渡し、小田は話し始める。
「みんな、聞いて欲しい。確かにカンニングは悪い事だけど、こうなるって予想してやったわけじゃないと思うの。多分、テストが不安だっただけなんだよ。でも、みんながそうやって責める雰囲気でいると、ますます声を上げにくくなっちゃうと思わない?」
小田はみんなから信頼されている人物だったため、不満はあったものの、小田の言葉をみんな素直に聞いていた。クラスの殺伐とした空気が少し穏やかになったのが感じ取れた。
「だからさ、正直に名乗り出たとして、絶対にその人を責めないって事にしようよ。そうしたら、申告しやすいでしょ? みんなも、ちゃんと本人に名乗り出て欲しいよね? だから、みんなで約束しようよ。」
小田の言葉で、僕ははっとする。周囲の殺伐とした空気に流されていて、冷静じゃなかったと気づかされる。
空気の流れとは恐ろしいもので、流されている時は自分では流されていることに気づかない。流れの外にいるものが静止していることを認識してようやく、自分が流されていることに気づく。おそらく他のクラスメイトも、小田の意見で一度、立ち止まっただろう。今回の件は、確かに反省するべき事だと思うが、クラスメイトが責めるものではない。
確かに、小田の言う通りである。そう思ったけれど、僕はそれを口には出さなかった。いつも通り僕はクラスの雰囲気や流れに身を任せていようと思った。何も責任を負わない、卑怯者だと自分でも自覚している。
僕以外のクラスメイトも、僕と同じように黙ったままで、小田の意見に答えるものはいなかった。先程の不満発言とは違い、クラスの誰も声を上げなかった。1人だけが、空気の流れに逆らったところで、一度立ち止まって振り向きはするけれど、逆方向に歩き始めるまでの影響は及ぼさない。しばらくしたら、みんな前を向き、先程と同じ方向に、歩き出すだろう。一度出来た周囲の雰囲気を変えるのは難しいのだ。けれど1人だけ、小田に賛成する人物がいた。
「いいよ、約束する。」
そう言ったのは、武田であった。みんなが武田に注目する。武田もクラスの中心で、誰からも慕われていたため、武田がそうするなら、と小さく頷く人も出てきた。そしてだんだんと、小さいながらもポツポツと賛成の言葉が出る。
「そうだね。」
「そうしよう。」
小田と武田、2人の発言によって、クラスの流れが変わった。
「みんなそれで良いよね?」
武田が聞くと、ほとんどの人が頷いた。
小田は、ホッと胸を撫で下ろし、また話し始める。
「賛成してくれてありがとう。それじゃあ、カンニングした人は正直に名乗り出てほしい。」