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Gâteau d'ange au thé noir~紅茶のシフォンケーキ

注意:フランスではchiffonシフォンというのは、雑巾やボロ布を意味しているそうで、あちらではあまりよろしくない意味があるそうです。

今回のタイトルGâteau d'ange au thé noirは、別名であるエンジェルフードケーキで訳しております。

 季節は夏から秋へと移り変わっていく。


 初めて父が連れてきた我が国の王太子殿下と顔を合わせて以降、私の心は沈んていくばかりだ。


(どうしてこうなっちゃったんだろう……)


 私はただ、好きなスイーツを作って、周りの人が幸せそうに笑ってくれるのを見るだけで良かった。

 隣にルーク君がいて、甘い匂いとお茶の香ばしい匂いに包まれるのが、それだけで十分に幸せだったのに……。


「クロエ嬢?」

「え?」


 ふと、考えに割り込んできた声に、私はそちらへと意識を向ける。

 屋敷の応接間にあるテーブル越し顔を歪めているのは、フランツ殿下だった。


(そういえば、来てたんだっけ……)


 私は「失礼しました」と謝り、内心で溜息を吐いた。




.。*゜+.*.。   ゜+..。*゜+




 フランツ殿下との対面がお見合いだと知ったのは、その日の夜お父様から告げられてからだ。


「お父様、約束したではありませんか! 喫茶室が求められる内は、決して結婚の話は出さないと」


 周囲の人の後押しもあっての喫茶室運営だったのだが、当初はお父様からは反対されていた。

 当然といえば当然だ。公爵令嬢が敷地内とはいえ、商売をしているのだから。

 それでも承諾してくれたのは、喫茶室が長く続かないと高を括っていたからだろう。

 予想外だったのは、お父様の思惑に反して喫茶室が賑わいを見せたから。

 だからと言って表立って言えないのは、王の近侍として貴族社会を円滑に渡るのが仕事だったのも要因のひとつかもしれない。


 でも、だからといって、こんな騙し討ちのような行為を許せる筈もなく。


「フランツ殿下の事は結婚ではないよ。前段階のお見合いだ」

「王族と対面させるということは、結婚前提ではありませんか!」


 しれっと嘯くお父様に対し、私は机を叩きながら叫ぶ。振動でティーカップがカチャンと音を立てたが構うものか。

 王族との結婚は、見合いという段階は存在しない。普通は小さな頃に親同士の思惑によって婚約となる。まれにお見合いではなく、王族主催のお茶会等で決めたりするパターンもあるようだが、基本は当人同士の気持ちなんて考えられないのが通常である。


「そもそも、どうしてこんな急にお話を持ってきたのです? お父様が性急に事を運ぶなんて、しかも騙し討ちな真似までなさるなんて……」

「理由を言えば納得してくれるのかい?」

「まだ言ってもいない内容を納得できるほど、読心術に長けていませんわ」


 腕を組み、唇を尖らせて反撃すれば、お父様はやれやれと肩をすくめつつ、口を開いた。


「まずは、座りなさい。少しばかり話が長くなるだろうから」


 促されるままソファに腰を落とすと、間を置かずルーク君の祖父でもある執事長が温かそうなお茶と、シフォンケーキが乗ったお皿が置かれる。

 少し茶色に染まった生地は、所々粒つぶが混じっているのを見るに、紅茶のシフォンケーキなのだろうか。添えられた生クリームの白と程よい対比で、とても美味しそう。

 でも先に紅茶で喉を潤そうと、カップを傾けていたら、相対するようにお父様が座るのが僅かに見えた。


「それで、クロエとフランツ殿下を会わせた理由だったかな」

「そうです。どうして約束を反故にする行動をされたのですか?」

「んー。反故にしたつもりはないんだけどなあ」

「ですが、お父様がされた事は、どう見ても約束とは違う行動ですわ!」


 のらりくらりと理由を話そうとしないお父様に、私の感情のゲージが次第に高まっていく。

 別に結婚自体はいつかはするって理解している。それが公爵家に生まれた以上、義務として嫁ぐ事は、幼少期から周囲が言い続けていれば、必然なのだと納得もしている。

 だけど、それは『今』ではない。

 せめてあと数年は喫茶室を続けていたかった。なのに、お父様によって、希望が断たれようとしているのだ。これが激高しなくてどうするのだ。


 憤慨を落ち着けようとシフォンケーキに手を伸ばし、小さく切り分けた欠片を口に入れる。

 ふんわりと口の中でほどけていく生地は、卵白をこれでもかと泡立てないと成立しない。失敗すると途端に口溶けが悪く、シフォンの名のように柔らかさを損なうのだ。

 だから喫茶室では、ルーク君の力がなければ作るのは不可能だった。


「そうだなあ、クロエに遠まわしな言い方をしていては、多分更に反抗しちゃうだろうしね。うん、これは直接的言い方で説得するか」

「遠まわしだろうが、直接的だろうが、私は諾とは言いませんよ!」


 お父様はパクパクとシフォンケーキを食べ終えると、普段の呑気な雰囲気が消え、底冷えするような鋭い眼差しをして、口火を切った。


「じゃあ話そう。ルークに現在、王宮魔術士の勧誘が来ている。一度は学校で勉強をしてからの就任になるだろうが。だが、それにはクロエ、お前がフランツ殿下との婚姻が前提としての話になっている。

 お前はルークが王宮魔術士になる夢を持っているのを知っているか? あの子自身、相当量の魔力を持っているにも拘らず、執事見習いのままでいるかを理解しているのか? 

 ルークは今だに夢を諦めていない。

 だから、私はルークに王宮魔術士の勧誘の話をした。あの子は喜んでいたよ。そして、その夢の為にルークはお前とフランツ殿下との対面を黙ってくれたんだ」

「え……」

「理解できないのかい? ルークはお前を自分の夢の為に売ったんだ(・・・・・)


 売った……? 誰が? ルーク君が……私を?


 困惑する私は、お父様が話しているのが耳に入らず、頭が真っ白になる。


 なぜ? どうして? ルーク君は私よりも自分の将来を選んだの?


 どうにも纏まらない思考の中、初めてルーク君と顔合わせした記憶が甦る。


 酷く顔色の悪い少年だった。表情ひとつ崩す事なく、淡々と私のお世話をしてくれた。それが次第に氷が溶けていくようにゆっくりと感情を見せるようになり、私はそれを見るのが幸せだった。


 それから、ルーク君が私の名を呼んでくれると、胸が熱くなって、目の端に彼の姿があると、胸が高鳴って……。


(ああ……そうか。私は……)


「さあ、クロエ決めるがいい。お前を裏切ったルークの夢の為に犠牲になるのか、それともルークを断罪し、結婚から逃げるのか」

「……わた、し、は……私、は……」


 乾いた目を潤すように瞑目する。瞼の裏にこれまでのルーク君との思い出が滲んでいるのを気づき、自分が涙を浮かべていたのだと知る。


 もう、恋なんてしないって、前の生で自覚したのに。

 恋人だろうが、可愛がっていた会社の後輩だろうが、結局は他人。傾いた心を制御なんてできなかったのだろう。恋人は私ではなく後輩を選んだ。

 そして、私は信じられない光景を見ながら、よそ見運転の車によって人生を終えたのだ。

 死の間際、私は決めたのだ。

 恋は人を簡単に裏切る。だから、もう二度と恋はしないって。


(それなのに、私は……)


 ぎゅっと目蓋を固く閉じ、涙を無理やり塞き止めると、ひと呼吸置いて口を開く。


「……フランツ殿下とのお話をお受けいたします」


 喉の奥でシフォンケーキに混ぜられたお茶の香りが、私の決意を責めているようだった。






 私とフランツ王太子殿下との婚約は、瞬く間にシャルパンティエ家中を駆け巡った。


 明るい話題にメイド達だけでなく使用人達も次々に祝福の言葉をくれたけども、私の心は暗く沈んでいくばかりだ。

 それは喫茶室でもそうで、訪れる貴婦人達からも色々詮索されて、終わる頃には精神的にぐったりしていた。

 だからだろうか。


「クロエお嬢様。しばらく家に帰ることになりました。侯爵家を不在となるので、喫茶室のお手伝いができません」


 ある日突然、淡々と私に告げたルーク君。


 確か、彼の家は隣国カルシュ王国のシュネーヴァイスだったか。少なくとも一ヶ月程はかかるだろう。

 私の細腕では多種類のケーキをひとりで作るのは無理だろう。一日二日なら、屋敷の料理人に頼めばいいけど、一ヶ月もだと流石に言い辛い。


「そう。どちらにしても、喫茶室を続けるのも僅かだし、ちょっと早くなっちゃったけど、喫茶室を終わりにしなくちゃ……ね?」


 泣きそうになる顔を歪め、無理やり笑顔をルーク君へと向ければ、私の目に映ったのは黒い影と、初めて至近距離で見る吸い込まれそうなアクアマリンの双眸。


 そして、唇が温かく柔らかい何かによって塞がれた──

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