6話
「はじめまして。そしてようこそエクデシアの地へ。遥か異界の彼方より遠路はるばるご足労いただき、誠に感謝します。つきましては、此度の遊戯が終わるまでの間は、僭越ながらこの私イリスがお相手を務めさせていただきますわ。なんなりとお申し付けくださいませ」
そう言い放ち、両の手でスカートの裾を軽くたくし上げながら———まるで貴族の令嬢のように、気品良く挨拶して見せた彼女。それはかつて俺のサポーターであった少女——————イリスだ。
まだどこか幼く映るその面立ちは、日本でいえば中高校生くらいだろうか。
しかし、上品に笑んで見せるその仕草はときおり彼女をそれ以上の年齢に魅せることがある。
そう、初対面で見せた今みたいな表情は特に。
だが、その見る物を魅了するような笑顔の裏に隠されたあの冷酷な表情を俺は知っている。
知ってしまった。
そのせいだろうか。今となっては当時見惚れたその笑みも、どこかうさん臭く映ってしまう。
それでも、そんな表情をここでするわけにはいかない。
「はじめまして。俺の名前は、草野仁。気軽に仁と読んでくれ。まさかサポーターという存在がこんなにも可愛らしい娘だったなんて思っていなかったよ」
「まあ、お上手なんですね」
そういってクスクスと口元に手を当てながら上品に微笑むイリスは、やはり綺麗だった。
まるで、あの出来事がすべて幻であったかのように思えてしまう。
まあ、覚えているのが俺だけだし、それもあながち間違ってはいないのかもしれないけどさ。
「お世辞じゃないさ」
「フフッ。では、ジンさんとお呼びしますね。……それにしても驚きました。いやに冷静といいますか、こう普通はもっと慌てるなり、現状に対しての不満をぶつけたりするものだと思うのですが。今までにない珍しいタイプの方ですね。いえ、とても良い意味でですよ?なかなかできるものではありません」
「…………ああー。それは、どこか現実感がわかないからじゃないかな、たぶん、うん」
危ない。
確かに言われてみればそうだ。ここでの生活に慣れ親しんでいたせい———というかついさっきまでこの場所を当たり前のように使っていたからそこまで気が回っていなかった。
幸いにして、イリスは俺が冷静な人物として映っているらしいから大丈夫だが、それにしても迂闊すぎだろ俺。どこで今みたいなボロが出るかわからないんだ。今以上に気を引き締めろ。
そう自分に言い聞かせ、深呼吸を一つ。
「…なるほど。それは確かに一理ありますね。では立ち話もなんですしこちらへどうぞ」
そう言って歩き出したイリスは、おそらく来客用の応接室へ案内しているのだろう。正面の扉から出るとと廊下を歩き始めた。
場所は分かっているのだが、知っているという訳にもいかないため、黙って後ろをついていく。
いくつかあった扉をスルーしながらほどなくして、彼女は一つの扉を開ける。
「どうぞ」
促され、そのまま中へ足を踏み入れると、そこは予想通りの見慣れた30畳ほどの部屋だった。
正面には、来客用のソファーが一つのテーブルを挟みこむようにして二脚置かれている。
おまけに隅には来客用の簡易キッチンも完備されていた。
シンプルだが、質素には見えない、しかし、ただそれだけの部屋。
テーブルの小瓶に添えられた一輪の紅い花が、静かにこの空間を彩っている。
まあ、そもそも来客なんざそうそう来ないから、必要かと言われたら首を傾げるような場所である。
こうして、俺が招かれている訳だから不要ではないのかもしれないけど。
「おかけくださいな。いま、何かお飲み物をご用意しますわ」
「あ、ああ。ありがとう」
そう告げて楚々とキッチンへ向かうイリスを見やりながら、考える。
俺はこれから行われる契約を回避するよう動かねばならない。
どう切り出そうか。
彼女の人となりはある程度把握している。
何が好きで、何が嫌いで、どういったことで怒り、笑うのか。
「ッ」
ダメだ。こういう事を考えると行き場のないやるせなさが込み上げて来る。
アレは、本心だったのだろうか。
最後に見たあの凍てつくような眼と表情が俺の今までの思い出を壊しにかかって来る。
どっちなんだ——————。
「……さん。ジンさん!」
「——————っ!!」
誰かが呼びかけるその声で我に返る。
どうやら、イリスに話しかけられていたらしい。
「どうかしましたか?どこか体調が優れないとか…」
そんなイリスの表情は俺を本心から心配してくれているように見えた。
「……いや、なんでもない。ちょっと、考え事をしてた」
「……そうですか。ですが、無理はいけませんね。今日は大事を取ってゆっくりお休みください。客間のご用意はしてあります。お話は明日休んでからにしましょう。あ、食欲はございますか?体調のすぐれない方には雑炊が良いでしょうか。後ほどお運びしますね」
そう言って、有無を言わせないようにと手を合わせ『異論は認めません!!』とばかりに俺を客間に促そうとする彼女を俺はじっと見つめた。
やはり、その表情からは俺を心配している様子がよく読み取れる。
そして同時にあの時の彼女がちらつく。
やはり、あれは幻———俺の妄想かなにかで、こっちが本当の彼女なんじゃ———……。
「……うん。ごめん、やっぱり少し具合が悪いみたいだからお言葉に甘えようかな。あと、食欲は無いから大丈夫」
「そうですか。では、こちらへ」
いまだに吹っ切ることができていない自分が情けなかった。
——————○○
客間———というかいままで俺が使っていた部屋に案内され、見慣れた、しかし生活感の全くない部屋のベッドへ寝転がり、ほどなくして。
気がつけば寝ていたようで、頭がぼうっとする。
そのままなんとはなしに天井を見上げ、今までの出来事をゆっくりと反芻していく。
なにはともあれ、こうしてゆっくりと考える時間が出来たのはありがたかった。
この世界にも時計はある。
まあ、真黒な石碑でしか機能はしていない。
外じゃ定期的になる鐘の音を目安にざっくりとしているからな。
秒針なんて物は存在していない。
その便利な現代仕様の時計様は、午後の21時を周ったことを教えてくれた。
「……俺、どうしたいんだろう」
なんとなく呟いたその言葉は、静かに頭の中で反芻されじんわりと染み込んでくる。
確かに俺は殺された。
それも、相手は今まで信じていた相棒であるイリス。
殺すときの視線は親しい相手に向けるものでは無かった。
他のプレイヤーに向けるものと、いや———もしかしたらもっと酷いモノだったかもしれない。
しかし、とそこでついさっき彼女が見せた表情が脳裏を過る。
初対面の———そう、初対面の、少なくとも彼女にとっては初めて出会った俺に対して本気で心配する様なそぶりが嘘だとは思えない。
いや、思いたくなかった。
これは都合の良い解釈だと自覚している。
「———ああくそっ」
答えの出ない、とりとめもない思考は、夜が更けるまで終わることなく続いた。
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