5話
目の前に聳え立つ真黒な石碑。それは近づく者にその威容をもたらした。
そんな石碑を見上げながら、俺はどこか懐かしさを感じている。
ここに始めて来た頃を思い出す。
当初は場違いなこの石碑に戸惑いながらそれでも近づいて、その異様な気配に、その言い知れぬ威容に、圧倒された。
最近のことである筈なのに、それがなぜか———ひどくなつかしい。
「ここから、すべてが始まったんだよな」
自分がここで過ごしたそれは、くそったれたひどく忌々しい記憶。
だけど、それだけがすべてではない。当然いい事だってあった。たとえ、それがすべて———傍目に見ればとても些細なことであったとしても、俺にとってはとても大切な、忘れてはならない記憶。
だけど、それは全て”無かったこと”。
存在なんてしていない。
そのことをいま覚えているのは、知っているのはただひとり、俺だけなのだから。
あんな悲劇のような出来事が無かったことになっている——————それは、本来とても喜ばしいことである筈なのに、少し寂しく感じてしまうのは俺が弱いからだろうか。
あの悲劇がまた——————始まろうと……繰り返されようとしている。
もう二度とあんなマネはしたくない。人を殺したくなんてない。
救えた命があった。それと同じように、流す必要のない血を流すあの忌々しい日々は。
どんなに残酷な運命を辿っていようが忘れてはならない。
目を逸らしては、ならない。
それが無かったことになっていたとしても、俺は———俺だけは忘れてはならない。
そしてまた同じ過ちを繰り返さないために。
俺は戦う。
そして———
「このクソみたいな戦争ごっこなんざ終わらせてやる」
手を真黒な石碑へと伸ばす。その手が石碑に触れた瞬間、ズッ———。
奇怪で複雑な幾筋もの線が迸ったかと思うと、それはカシュンッと軽快な音を立てながら横にスライドしていく。やがてそれも治まると、そこには人ひとりがギリギリ通れる様な狭い入口が現れた。
ここは俺たち8人がこれからココで活動するうえで用意された拠点の一つだ。そしてチュートリアルを安全に受けられるように用意された場所でもある。
ここでサポーターと寝食を共にすることになるのだ。
この先に、彼女はいる。
俺がこれからすることはきっと誰もしないであろうことだ。
状況がどう動くかはわからないが———
最悪の事態も想定しておかなければならない。
俺の今回の目的はたったひとつ。
彼女と契約しないこと。
これを達成することだ。
だが、言うのは簡単。行うのは難しだ。
それにこんな前代未聞な事があるだろうか。
ここエクデシアにおいて右も左もわからい駒の一つがそのサポートを拒否なんて———。
少なくとも、最初の段階でそれはありえないし、そもそも断るメリットがない。
そして、彼女はそんなに甘くない。
鋭いアイツのことだから色々と勘づくかもしれない。
そして、下手したら俺は殺されるだろう。
あの時のように。
そう、あの一週目において、俺を殺したのはサポーターだ。
荒み切った世界の中で彼女だけは味方だと思っていたのに、それはただの思い込みで——————。
あの時浮かべた彼女の表情を俺は生涯忘れることはないだろう。
そして、幸か不幸かその時に俺は、このゲームの仕組みを知った。
彼女と最初にかわす契約は、契約者を縛る枷となり鎖となる。
サポーターは契約を通じて契約者がどこにいるのかリアルタイムでわかるようになる。
それは契約者を円滑にサポートするためだと言われて当時は納得していたのだが、契約者はサポーターがどこにいるのかリアルタイムで、それどころか”普段どこで何をしているのか”なんてなに一つわからない。
今にして思えばそこから違和感は積み重なっていたのかもしれない。
そばにいない人がどこで何をしているのかなんて本人に聞かない限り分かる訳がないという固定観念が疑うという発想を抱かせなかった。
ここは俺たちが生まれ育った場所ではないというのに。
そして、なによりも———契約した者にはその証として首元に黒い紋様が浮かび上がるようになる。
これが、最大にして、最大の脅威だ。
『それは契約の証———』
当時、出会った当初そう説明されたその証は。
違反した契約者を殺すための首輪だった。
そしてその生殺与奪を握るのは俺たちの彼女。
その事に気づいた時、それはもうどうすることもできなかった。
ただ言う事に従うしかない。
それに抗う術を探そうにも、基本的に側にいるサポーターに見張られている日常。
つまりこのゲームは、最初のイベントから詰んでいたんだ。
だから、このイベントだけは何としても回避するしかないのだ。
そして、それを回避するために、最悪の場合彼女たちとは殺し合うこととなる。
だが、それも絶望的なのだ。
彼女たちは———強い。強すぎる。
俺達とは地力からして違うんだ。
戦う術を学んだ時にそれは嫌というほど思い知らされた。
だが、この殺し合いのルールとして、彼女たちは戦闘に干渉してはならないという決まりがあるらしく———その他のサポートはすれども、戦いはあくまで俺達だけがメインだった。
そこが唯一の救いではあったのだが———今回はその救いですらたぶん存在していない。
望み薄だ。
だから、本当のことを彼女に知られてはならない。
初対面の振りをしてかつ、この契約を躱す。
なんて無理ゲーだよこれ。
小さくため息を吐く。
彼女たちは、サポーターだがそれは体の良い仮称にすぎない。
俺たちは契約したら最後、彼女たちにずっと監視され続ける。
それは契約者が死ぬまで終わることはない。
続いて行く長くも短い一本道をどうしようかとあれこれ考えながら歩いて行くと出口は直ぐに見えてくる。
そこに彼女はいた。
静々と佇む清涼な蒼いドレスを纏った碧眼の少女は———ドレスにも負けず劣らずの絹の様にサラサラとしたサファイア色の髪をひと房かき上げながら、ニッコリと微笑んで俺を待っていた。
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