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怖い噺

拾う人

作者: 齋藤 一明

 途切れることなく続いていた人の波が、ようやく疎らになってきた。それぞれが丁寧にお辞儀をするのにいちいち答礼をして、いったいどれだけ頭を下げたことだろう。もうろうとした眼はそれを逐一判別していないし、頭もそれを咎めようとはしない。ただただ眠りたい、休みたいとしか考えていない。

 最後の客に目礼を返して席に戻ると、無性にタバコがほしくなった。


 式の進行がどうなっているか、すでにどうでもよくなっている。いくら人生の経験を積んだといっても、こんな式典は何度も経験できるものではない。自分と女房のどちらも面倒見たとしても、たった四回しか経験できないのだ。慣れるわけがない。だから進行は業者に任せきり。どう頑張ったところで自分の意思で進行を端折ることもできない。つまり、最後まで我慢するしかなかった。


 朦朧とする中、僧侶が退出するのを見送って、俺はマイクの前に立った。

「本日は足元の悪い中、亡き母の葬儀に参列いただきまして、まことにありがとうございます。旅立つにあたり、こうして皆様に見送っていただけることを……」


 どんな挨拶をしようかと考えはしたのだ。したのだが、いざマイクの前に立つと頭が真っ白になってしまった。七枚の舌をもつ男と揶揄される俺だが、こうまで疲れると何を話したのかすら覚えていない。ただ頭をさげるので精一杯だった。


 席に戻ると葬儀屋が花を毟りだした。

「喪主様……」

 業者が毟った花を盆に載せて持ってきた。それを二つほど取ると、棺に導かれた。


 塑像となった母が横たわっていた。首から先だけを露出した母は、血の気を失った唇を僅かに開けている。そこへ花を手向けるよう促された。俺が花を供えるのをかわきりに、家族や親族が次々に手向ける。好きだった写真や本も添えられ、すぐに棺は花で埋め尽くされた。親族がすむと参列者が同じように花を手にして列を作る。仲の良かった人がそこで泣き崩れるので時間ばかりがすぎてゆく。火葬場の予約時刻のこともあり、葬儀屋は急かすように蓋を手にした。

 薄化粧をしてはもらっても、血の気を失った肌は蝋のようなぬめった光を帯びている。胸の上に両手を組んでまっすぐ正面を向いている。蓋をされる寸前に見た最後の姿だった。



 無機質な色合いのホールだった。最後の読経が流れる中、最後の別れである。踏み台に上がり、小さく開けられたのぞき窓の真下から母が見上げていた。


 音もなくリフトが棺を差し上げ、低いモーター音をたてながら前に進んだ。その先はシャッターを開けた小部屋になっていた。

 目に柔らかいクリーム色をしていただろうか、内部は蛍光灯で明るく照らされていた。

 ステンレスのレールに棺が載ると、リフトがゆっくりと沈んだ。すると、棺がゆっくりと引き込まれる。

 リフトが離れると、内側の扉が閉じた。そして、係員が脱帽して最敬礼をするのにあわせて外側のシャッターが閉じた。



「喪主様、恐れ入りますがこちらへ」

 帽子を被り直した係員が俺を呼んだ。


「こちらが点火スイッチです」

 奥の機械室へ俺を案内した係員が、大きな押しボタンを示した。点火スイッチを押すのは喪主の仕事だと言いたげである。

「これを?」

「押していただくことになっています」


 黒いボタンを押したが、音などなにもしなかった。

「拾骨まで二時間ほどお待ちください。準備ができましたらご案内しますので」

 丁寧だが陰気な声だった。


 それから二時間、元気な者は暇をもてあましていたようだが、俺は我慢しきれずに眠りこんでしまった。


「……さん、お父さん。係の人が呼んでるわよ」

 揺り起こした女房の目も真っ赤になっている。無理をせずに休むよう言ってあったのに、俺につきあって丸二日の徹夜をしたのだ、無理はない。


「焼き上がったのですが、拾骨の前に見ていただきたいことがありまして」

 係員は無表情なままだったが、何故か動揺しているように早口だった。

「なにかありましたか?」

「こちらではちょっと」

 耳元で囁くと、奥の機械室に俺を案内した。


「落ち着いていただきたいのですが……」

 ようやく普通の大きさに戻っている。が、言いにくいように言葉を切ったまま俺の出方を窺っていた。

「なにか、問題でしょうか。高齢だったから骨が崩れたとか」

「……いえ、そういうことでは」

 そして再び口を閉じた。

「高齢でしたし、骨粗しょう症というのですか、それでしたから骨が崩れているのは仕方ないと思います。それより、丸二日の間眠っていないのです。できたら早く家へ連れ帰りたいのですが」

 もう限界だ。これ以上時間をとられると皆が倒れてしまう。そうでなくても、この後すぐに初七日の法要を済ませねばならないのだ。そういった事情は係員も十分に察していたのだろう。

「では、ご覧いただきましょう」

 係員は、気の毒そうに目をしばたいてのぞき窓を指した。


 金属製のプレートの上に、耐火煉瓦の台が載っている。その上に、白くカサカサになった骨が並んでいた。

「これがどうかしましたか?」

 確かに骨格標本のようにはなっていないが、頭から足先まで白い骨になっている。

「仏様は、上……を向いて安置されるのが普通ですが、この仏様はどちらを……向いていましたか?」

 しきりと口ごもった。

「上を向いていました。最後の最後までそのままでした」

 最後の別れ。喪主である俺が、母親の顔を見ないわけにはいかない。そこでは何も妙なことなどなかった。後に続いた親族だって、そんなことに気付いたなら何か言っていただろう。

「仏様の頭を見てください。上を向いていますか?」

 えっ、どういう意味だ。言われてよく見てみると、首が右を向いている。しかも、いくらか仰け反っているようにみえる。


「普通は、胸の上で手を組むのです。すると、肋骨の上に、同じように腕が載るはずですが……」

 右腕は肋骨の脇に落ちていて、もう片方は、肘の関節が背骨より右側にあった。


 すーーーーっと背筋が寒くなった。ようやく係員の言おうとする意味がわかったのだ。

「ど、どうしましょう……」

 係員の声が震えている。

「うーーーーん……。私が最初に拾うということでいけませんか」

 皆が手を出すより早く俺が骨を拾い、少なからず荒らしてしまえば良いのではないか。さもなくば、気を失う者や吐く者も出るだろう。騒ぎ立てる者だって出るだろう。

「ですが、拾骨の様子は記録されていますから」

「カメラの位置を教えてくれたら、なんとか映らないようにしてみますが」


 善後策を相談してはみたものの、なにも考えは浮かんでこない。そうする間に、時間だけが経っていった。


「拾骨の準備が整いましたので、ホールへお集まりください」

 控え室のスピーカーに促され、親族がホールに移動してきた。

 その時、既に俺はできるかぎりの工作をしていた。頭蓋骨をそっと正面に向け、腕の骨をバランスよく胸に載せた。もちろん箸などは使えない、火傷するほど熱い骨を素手で動かしたのだ。おかげで俺の手は白い粉にまみれていた。


 骨の焼け具合を見て係員が病歴を解説する。そして、拾骨が始まった。

 真っ先に係員が喉仏を別に移す。そして、親族が思い思いに箸を使った。


「お婆ちゃん、足が重なっている……」

 弟の娘が素っ頓狂な声を上げた。


「えっ、どういうこと?」

「ちゃんと寝かしていたじゃないの、莫迦なこと言わないでよ」

 弟の嫁が娘の指すところに目をやった。

「えっ、動いてる。うそ……、嘘でしょう?」

 騒然となった。気が動転していて足のことにまで気が回らなかったのだ。しかし、いまさら生き返ったのかもしれないなどと言えるものではない。きっと熱のせいだと強引に言いくるめたのだが、ドサッという音がいくつもした。


 焼死した母が道連れを招いたのでなければ良いが、俺の意識も黒いベールに包まれてしまった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] ヒヤッとしました・・・ 夜に読まなくてよかったです(笑) 実際に起きるんですかね。 こういうことは。
[良い点] 私は祖父の遺骨を拾ってから、行っていません。でも一昨年、葬儀場に見学に行きました。昔は、 決まった焼き場で行われるのですが、最近はその斎場で行われるとか……。 でも、昔だったら埋められて、…
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