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――ここは、どこだろう……? どうして、ぼんやりとしているんだろう? 身体中が、痛い……。
朦朧とする意識の中、それでも激しい痛みに意識を覚ましたのは、波沢香織だった。横になっていた身体を起こすと、身体の上に乗っていた瓦礫と雪と氷がぱらぱらと落ちていく。
「……っ。私、は……?」
混乱する頭の中で思い出す光景と言えば、総理大臣のスピーチが開始されたその直後に爆発が起き、床が゛斜めにぐにゃりと曲がった´こと。その時自分は咄嗟に立ち上がり、どうにか逃げ出そうとしたはずだった。
やがて、こんがらがった思考と視界がはっきりとし始める。
「え――」
目の前に広がっていた光景に、波沢は言葉を失ってしまった。
視界に飛び込んできたのは、バチバチと電流を発する、損傷して途切れたコード。照明が落ちているのか、薄暗くも不気味に広い室内に積み上がった瓦礫の山。その付近には身体の至る所から痛々しそうに血を流し、うずくまるスーツ姿の人々の姿があった。
つい先ほどまでの華やかなセレモニーが、まるで遠い昔のような出来事となってしまったようだ。記念すべき日に笑顔だったはずの人々の表情は、皆一様に苦し気で、苦悶の表情を浮かべているのだ。
「みん……な……?」
波沢自身も重たい身体をどうにか立たせ、最初の一、二歩をよろめきながらだったが、歩き出せた。
「君は、大丈夫なのか……?」
うす暗闇の中、口で大きく息をする一人の男性に声を掛けられる。折れたのか、こちらに駆け寄って来たのは右手を抑えている黒スーツの男だ。身なりからして、姉と同じ特殊魔法治安維持組織の人だろう。
「は、はい……。何が、起こったんです……?」
「どうやら爆発に巻き込まれて、地下に落ちたようだ。あらかじめ配布された電子タブレットの大学の地図だと、ここは演習場みたいだ」
自分より先に目覚めて状況を把握したのか、幾分か冷静な特殊魔法治安維持組織の男性は、氷の天井を睨むように見上げ、苦しそうに息を吐いていた。
信じられない、と思った。普段の魔法学園の明るい照明がある演習場を見慣れているせいか、電源が完全に落ちているこの暗い室内が、魔法大学の演習場なのだろうか。
「総理大臣の護衛をしていたら、この様だ……。もう一人の特殊魔法治安維持組織の近藤は、両足を折ったらしい……。ここからは動けないな……」
忌々し気に、ぶつぶつと呟く男性。
「? ……氷?」
自分としては、少しだけ見慣れている物だ。しかし、波沢は戸惑っていた。抉るように崩れた天井部に、不自然に真っ青で分厚い氷の天井が出来上がっていたからだ。
「驚くだろう……? 見る限り、誰かがやったとしか思えないけどさ」
片手を抑えたまま、男が言う。
「破壊魔法や炎属性魔法で破壊することは……」
「やるだけ魔素の無駄だ……。傷一つつきやしない。それよりも君のその制服は、魔法生だろう? 治癒魔法で怪我人の治療をお願いしたいんだ……」
「……は、はい。私に出来る事なら……」
そして波沢は、目の前に広がっていた光景に改めて絶句する。自分の身体が無傷に近いのは、おそらく奇跡だったのだろうと思えるほど、凄惨な光景だった。倒れている人の数を見て、どこから手をつけていいかもわからない。治癒魔法の授業はすでに受けているが、いざ本番ともなると、話は別だった。
「目を覚ましてくれたのね、波沢さん。良かったわ……」
そこには怪我をしたのか、血が滲んだスキニーパンツに包まれた足を伸ばしている女性の姿があった。
波沢はその声にぴくりと反応する。
「薺総理! ご無事で、良かったです……」
周りと同じくボロボロのスーツ姿の総理大臣、薺紗愛であった。どうやら、名前を覚えてくれていたらしい。
「佐久間さん。瓦礫の下にいた人の救助はどうですか?」
「はい。おそらくこれで全員かと……。幸いにも全員の息はあり、死者は〇名です。……おかげで俺の魔素はすっからかんでありますが……」
佐久間と呼ばれたのは、最初に波沢に話しかけてきた特殊魔法治安維持組織の男だった。どうにか場を和ませようとか、佐久間ははははと笑っていた。
「ありがとう……。私は比較的軽い怪我で済んだので大丈夫です。波沢さん、まずは重たい怪我の方から、優先して診てあげて頂戴」
「は、はい……」
薺の指示に、波沢は素直に頷く。
やっぱり凄いな、この人は……私だったら、気が動転してこういう時一人じゃどうにもできないや……。と内心でしみじみ感じながらも、波沢は授業で習った応急処置程度の治癒魔法式を展開する。
――ゴ、ゴガッ!
しばらく怪我人を治療していた時だった。悪魔の如き雄叫びが、すぐそこまで迫って来ていたのに、気づいたのは。
※
「……すまない」
「え……」
戦いの直前、身構えていた誠次の横に立つ特殊魔法治安維持組織の美形の男性は、急にそんな謝罪をして来た。
「俺は特殊魔法治安維持組織第一分隊の隊長、日向蓮。上の命とは言え、今回の警備の人員を半数に割いたのは俺だ。言い訳をするわけじゃないが……従うしかなかったんだ」
日向は悔しそうに、下唇を噛み締めていた。
「どうして上層部の人は、ここの警備を半数に……?」
「もう一つのセレモニーが開催されている、イルベスタ魔法学園があるのは知っているか?」
「はい。二人の先輩が、そちらに向かっています」
「そのイルベスタに、言い方はアレだがこちらの偉い人が向かったんだ。その人の警備と言う名目で、増員を送る事になった」
「? 何もここからじゃなくて、他の特殊魔法治安維持組織の分隊から送る事も出来たはずじゃありませんか?」
「メーデイア襲撃事件を思い出せ。いくら小規模な事件だったとしても研修生で当たった事実を鑑みれば、特殊魔法治安維持組織の人手不足は明白だ。誰でも良いってわけでもないし、な……」
日向はそこで一旦、会話を区切る。
「だがこの状況を招いたのは俺のせいだ……! 佐久間、近藤、無事でいろよ……!」
氷の床を睨みつけ、日向は悔し気に叫ぶ。
「……っ。波沢先輩、薺総理……!」
この突如として作られた氷の床の下に、閉じ込められている人がいる。氷のリンクを作ったおそらく張本人――いや、人と言うべきなのか異形の怪物は、誠次の黒い目線の先からゆっくりと、その距離を詰めて来ている。
「来てますっ!」
特殊魔法治安維持組織のもう一人の女性が、敵の接近を知らせる。それを合図としてか、まずは誠次の横に立つ香月が、攻撃魔法を展開する。
動き自体は遅い怪物。よって、先制攻撃は香月の高位攻撃魔法からであった。白い無属性の魔法式から、無数の光弾が怪物に向け、放たれていく。
「今の魔法は……《グランデス》? なんで一学年生がそれを使えるんだ……?」
香月の身体に合わせて揺れる青色のリボンと、右手から放たれていく無数の魔法の弾を見つめ、日向が驚いている。
魔法の散弾は漏れなく怪物の胴体に命中した。しかし、怪物は何事も無かったかのように、悠々と歩き続き、やはりこちらまで接近している。
「!? 効いていない……」
呻いた香月が下がり、誠次がその前に立った。
「ここでこいつに時間を取られるわけには……!」
その誠次の前へ、さらに人影が躍り出る。
「動き自体は遅いです! 私がここに残って時間を稼ぎます! 隊長たちは地下へ行く道を探してください!」
特殊魔法治安維持組織の女性がさらに誠次の前に立ち、攻撃魔法の魔法式を次々と作成していく。
どうするか、と誠次が日向をちらと見ると、
「……分かった。ここは頼む」
「ええ――」
短いやり取りで、日向は背を向けていた。女性は対照的に、歩み寄って来ている怪物に向け足止め用の下位攻撃魔法を放つ。まるで第七分隊の、影塚広と波沢茜のようであり、ふと二人の姿を誠次は思い出していた。
(波沢先輩……っ)
そうすると、波沢香織の姿を思い出し、誠次はレヴァテインを握る左手に力を込めていた。
体育館から出た誠次、香月、日向は魔法大学の広い中庭まで来ていた。本当ならば今頃ここで、大勢の人が魔法大学の開校を祝っているはずだった。だが、今ここに残るのは雪の上を無数に行き交う足跡と、ぐちゃぐちゃに崩れたテント。遠くではまだ男女の悲鳴が聞こえ、惨劇の残滓を感じさせた。
「本部と連絡が繋がらない……。電波に何かが干渉しているのか……?」
自身の端末を見つめ、日向が呟く。
その直後、誠次たちの前方より、轟音と共に白い波が吹き寄せる。吹き飛ばされるかと思うほどの激しい風に、身体を刺すような雪の刃。――季節外れな猛吹雪が、三人に襲い掛かかってきたのだ。
「っ!?」
「香月!」
「きゃっ」
咄嗟に日向が身構え、誠次が背後の香月を庇う。
「一体なんだ!?」
吹き寄せる猛吹雪の中、どうにか誠次が顔を上げる。
「上っ」
猛吹雪が消滅した後、香月が指さした空を見上げる誠次。曇り空の真下、一体の影が、高速でこちらに接近していた。
空気を切り裂く音と共に、それは誠次たち三人の目の前に衝撃と共に着地する。着弾点で雪の飛沫が舞い散ったかと思えば、その中心地にいたのは、やはりあの雪男に似た怪物であった。
「ギガ、ガガギ!」
「お出ましか……!」
日向がすぐさま、炎属性の攻撃魔法の魔法式を展開する。浮かび上がる深紅の魔法式と、その周囲を回転していく魔法文字。日向は慣れた手つきで、それを素早く埋め込んでいく。
「焼却する。《フェルド》!」
途端、日向が展開した魔法式から、火炎が噴き出す。魔法の火炎はたちまち怪物を呑み込んだのだが、どうやら有効打ではないようだ。
「炎属性でもダメなのか……? 化け物め」
「来てます!」
怪物が剛腕を振り下ろしてきたので誠次が叫び、日向と香月と共に急いでその場から逃れる。どうやら、パワーも段違いのようだ。
「レヴァテイン!」
誠次が声を張り上げ、怪物の筋肉質な胴体を斬りつける。
――が。
「っ!? 硬い!」
まるで強靭なゴムにでも弾かれたようだ。素のレヴァテインでは、怪物の胴体を斬り裂くことも出来ない。誠次はいったん雪の地面を滑り、怪物の股下を潜り抜けた。かじかむ冷たさの雪に手をついてすぐさま立ち上がり、怪物に向けレヴァテインを構え直す。
「駄目元で訊く……お前たちは人間か!? どうして魔法が使えるんだ!」
「ギゲ……!」
怪物は返答代わりに、誠次に向けて水色の魔法式を展開する。
しかしそれは、香月の発動した妨害魔法で打ち消された。構築阻止された怪物の魔法式の破片が舞い散る中、誠次は制服の裾を翻し、香月の前に再び立つ。
「一応、答えてる……? けど、人の言葉は話せないみたいね……」
「それなのに魔法は使えるのか?」
香月と日向が言葉を交わす。
「来るぞ……!」
誠次が右手でレヴァテインを握り、再び怪物に切りかかろうとした直後だった。
「――すまない」
突如、横に割って入った日向が、誠次のみぞおちに強烈な掌底を入れてきた。誠次が腹の底から込み上げてきた何かを感じたのもつかの間、
「なん――っ……」
誠次は意識を失い、日向の肩にもたれかかった。右手に握られていたレヴァテインも誠次の手を離れ、雪の上にぐしゃりと音を立てて落ちた。
「!? ……あなた」
香月が眉根を寄せ、敵意をもって日向を睨むが、日向はそちらを見ずに、
「これ以上学生の力は借りない。悪いが彼を連れ、正門から逃げろ。正門は特殊魔法治安維持組織が確保しているはずだ」
「……最初から、そのつもりだったんですか……」
「学生に何が出来ると思っている? 早く行くんだ」
日向はぐったりと動かなくなった誠次を、香月に向け放る。
「……っ!」
香月は身体全身で誠次を受け止めたが、反動で身体をよろめかせ、雪の上に尻餅をついて倒れてしまった。
「騙すような真似をして悪かった。が、今はこうするしかない。……来い、化け物!」
日向は魔法式を展開し、怪物の気をひきつけながら、一人で大学施設の中へと入っていく。
残された香月は、凍える雪の中、意識を失った誠次を自分の膝の上に乗せていた。
「本当にあの人の言う通りなの……? 天瀬くん……私たち、どうすればいいの……?」
眠るように瞼を閉じている誠次の頬をタッチするように撫で、香月は頭を下げていた。
大学の施設の中では、激しい戦闘が行われているのか、魔法の音と人々の怒号がこだましていた。




