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くるぶしほどの雪が積もる道路。ひんやりと身体を冷やす冷気は、この北方の大地にいる限りどこでも変わらず。山々に囲まれた北海道の盆地を、誠次たち三人組は歩いていた。空港から出てすぐの市街地や動物園の周辺こそ、都会の様相を見せていたが、今朝方チェックアウトしたホテルからしばらく歩けば景色はがらりと、のどかな風景へ様変わりしたものだ。
まだ開校前の為か、通学用のバスなどの足はなかったので、徒歩での移動だ。そもそも全寮制になると思うので、通るかさえ分からないが。
タクシーと言う手もあったかも知れないが、そこら辺の金銭感覚は慎ましい三人組だった。
「雪が冷たくて、きょうは何だか昨日より冷えそうだね」
ほーっと白い息を吐き、波沢が呟く。
(綺麗な雪)
白いキャンパスに足跡を描くように歩きながら、一番後ろをレヴァテインを持って歩く香月が呟いている。
「あんなに足を出して、寒くないのだろうか……」
交換で香月の荷物と自分の荷物を両肩に掛けて持つ誠次も、白い息を吐きながら振り向く。
「あ、見えたよ」
波沢の声に、誠次と香月は同時に反応し、同じ方を見る。
三人が同時に白い息を吐いた先、その施設は山間部を無理やり切り開く形で、森林の中にひっそりと佇んでいた。まだ大学と言われているおかげで分かるが、前情報がなければではただの人目につかぬ、薄気味悪い研究施設のようである。おおよそ、近寄りたくはない。
大学に至るまでの雪道にはすでに無数の足跡があり、大人数がオーギュスト魔法大学にいるのだろう。
「あれが、オーギュスト魔法大学……」
日本初の、魔法大学。ヴィザリウス、アルゲイル魔法学園とは一味違う重厚な空気に、誠次は生唾を飲む。
周囲の木々の高さを遥かに超えるレンガ造りの外壁に、巨大なアーチ状の正門。その先にはまるで一つの都市のように、無数の建物が建てられていた。白い雪の冷たさもあるだろうが、大学方面からそよぐ風や空気は、やはりしんと冷たいものだ。
入り口である正門では予想通り、特殊魔法治安維持組織と北海道警察署管轄の警備員が、警備を固めていた。大阪の一件があったせいか、ヘルメット下のマスクの姿の警備員たち目線は、どれも鋭く、険しい。
(まるで要塞ね。来る人を、拒んでいるみたい)
香月が高く聳え立つ石垣を見上げ、呟く。学生を迎え入れるはずの大学にはあってはならない表現のはずだが、あながち間違いでもない。石垣の上にも、警備員がまるで最初からそこに建てられた像の如く、微動だにせず立ち尽くしている。その背後では、国際魔法教会の紋章をあしらった旗が不規則な風を受けては、うねるように靡いていた。
「ああ。何て言うか、セレモニーの華やかさとはかけ離れているな……」
「うん……。ちょっとしり込みしちゃうかな……」
波沢もどこか不安な感情を滲ませ、呟いていた。
「おはようございます。君たちは?」
臨時的に受付会場となっている、正門下のテントにて誠次たちはスーツ姿の係の人に迎えられる。
「おはようございます。ヴィザリウス魔法学園から招待を受けて来ました。二学年生の波沢香織、と」
「おはようございます。同校所属、一学年生の天瀬誠次です」
波沢と誠次が招待状の紙を見せつつ、手続きをする。その間も、係の人の背後に立つ二人の武装した警備員にじっと睨まれており、少なくともいい気分ではなかったことは確かだ。
そして、そんな誠次と波沢の姿を見つめる視線は、まだまだあった。――それが例え人ではないもの、或いは、もう人ではないものとなってしまった存在であっても。
※
宙に浮かぶのは、数多の監視カメラ映像。ホログラム化された映像が自分の周囲をぐるりと囲むように回っていれば、まるで自分がその場を掌握したような気分になれる。
白雪が所々残る、オーギュスト魔法大学施設内に設置された、監視カメラ映像。それらが全て、東京の自分の事務所に居座る辻川一郎の前に浮かび上がっている。
「良い眺めだ。さしずめ、パーティ会場へようこそと言ったところでしょうかね」
たるんだ頬で頬杖をつき、しゃがれた声でほくそ笑む。ちょうど今、学生らしき若い二人組の男女が入り口である門に入って来たところだ。それ以外にも、大学内の至る所が手に取るように分かる。能面のような顔で、真剣に警備に当たっている警備員や特殊魔法治安維持組織の姿を見ていると、滑稽すぎて思わず笑いが込み上げてくるものだ。
――なぜなら。
『本当に良いんですよね……これで……』
机の上の別のホログラム画面から、国家保安委員長である大内の心配そうな声が聞こえた。
辻川は黒皮の椅子をぐるりと回転させ、大内を見やる。
「勿論です大内委員長。これでこの国の全ての利益は私たちのもの……」
『私は自分の権限が守れれば……この地位が守れればそれで良いんです。……ようやく、ここまでの権力を持つまで来たんですからっ!』
「全て上手くいきますから。どうか落ち着いて、安心してください」
『本当、でしょうか……』
「ええ、本当ですとも」
『な、なら、言われた通りにします……』
大内は自信なさげな表情のまま、通信を終えていた。
全て自分の手の平の上で踊らされているに過ぎない存在たちに向け、辻川は煽り笑いを抑えることが出来ないでいた。
「それに比べて君たちは、無様だ。実に無様だ」
そして、辻川の座る椅子と机を挟み、両膝をついて立たされているのは、昨日ヴィザリウス魔法学園を襲撃した三人組の男たちだった。辻川から発せられる唾混じりの暴言を、項垂れて聞く事しか、今の三人の魔術師たちは出来ない。
「お前たちがここに居られるのも全て私のお陰だぞ? 危うくメーデイア行だったのだからな?」
「……申し訳ございません……。全て我々の、失態です……」
「謝罪はもう聞き飽きましたよ」
辻川は大袈裟な動きで机を蹴り、大きな音を立てる。任務を失敗した辻川の私兵である三人の男は、微動だにする事もできない。
「まぁ良い。忌々しい本城直正を排除するのは、この後でも良い事だ」
辻川はオーギュスト魔法大学の監視カメラ映像へ、視線を戻す。
「まずは、薺総理……」
辻川が一際注目した映像が、拡大される。
映っていたのは大学の最上階。理事長室となる場所で、そこにいるのは複数の警備員に囲まれた薺紗愛総理だ。きっと若いころは、相当な美人だったのだろう。齢五〇を過ぎている年だが、目立つ老化は目元の小じわぐらいで、綺麗な白い肌を保っている。
「いい気味ですよ総理。私の方が貴女よりも魔法を有用に使うことができることを、証明しましょう」
「あの……辻川、先生……」
「我々は……」
押し黙っていた三人の男が、申し訳なさそうにだが次々と口を開き始める。
「あぁ……。もうすぐ君たちの役目は魔法生が担ってくれる」
「……? どう言う、事でしょうか……?」
「全国の魔法生は、もうすぐ私の私兵となると言う事だよ。私の為だけに戦う、私の為の軍隊さ! 君たちは用済みだ」
辻川が大きな手の平をひらひらと振る。
途端、青ざめる三人組の男たち。
「やっちゃっていいよ」
「――は」
どこからともなく返事がしたかと思えば、三人の男の足元に、青色の魔法式が構築される。慌てて立ち上がり、逃げようとした男たちであったが、怪我をし、満身創痍の身体では反応が遅れてしまうものだ。
「ぎゃああああ!?」
破壊魔法の光が部屋の中で煌めき、ヴィザリウス魔法学園での本城千尋誘拐の任務を失敗した三人の部下が、殺害される。
「ご苦労、部屋の片づけは宜しく頼むよ」
「は」
最後まで冷酷な表情を崩さなかった辻川は、椅子から立ち上がろうと重い腰を上げる。
その直後、再び事務机の上の電子タブレットに、連絡を知らせるランプが灯る。
「昼飯にしようと思ったのに、誰だ?」
悪態をつきながら再び椅子に座り、辻川はタブレットを起動。その直後、その顔色が変わる。
相手は、北海道にいる薺総理であったからだ。リアルタイムであり、慌てて辻川は(少なくとも自分ではそう思っている)人当たりの良い表情を作る。
「こ、これはこれは! 薺総理! 何用ですかな?」
監視カメラ映像をすぐさま前面のみに展開させ、辻川はその二つの薺を交互に見ていた。
『用も何も、先週末に議会に提出された請願の件についてです。あの内容では辻川大臣の意見が必要でしょう。言っていたではありませんか』
なに、もうすぐ貴女の意見は必要なくなり、私が貴女の代わりになりますよ。と、内心でほくそ笑んだ辻川は、少し疲れている様子の薺をじっと見据えていた。
しかし、まさかこのタイミングでわざわざ連絡を入れるとは。辻川は少しだけぎょっとしていたが、要件を言われてしまえば、何ともまあ気の抜けるものだ。
「え、ええ大丈夫ですとも。ちゃんと確認しています……」
『なら良いです。そちらは頼みましたよ。私たちもこの国の、何より国民の為に、今日の式典は成功させるつもりです』
「ごもっともでございます。総理も、お大事に」
薺との会話を終えた辻川は、今度こそようやく安堵の息をつく。一〇月だと言うのに冷房の効いた室内。それでも脂ぎった汗が、額から滲み出ている。
「冷や冷やさせられる……。それに、なにが国民の為だ……」
辻川は自分の右手を、じっと睨みつける。
自分には使えない、魔法を使う若き魔術師たち。そんな異常な奴らがいる事自体、あり得ない事だから。辻川にしてみれば、三〇年前に突如として生まれてきた魔術師たちこそ、今までの文明を築いて来た自分たちのような普通の人間と比べ、異常な存在だった。
「これはこれは。一つ、吹雪が起こりそうですね……」
※
先日の白雪を乗せた緑の木々が、窓の外で激しく揺れ、降り積もった雪を落としていく。どうやら風が強まって来たらしい。
「雪崩で全て飲み込むなんて真似は、勘弁してくれよ?」
自然の驚異には、魔法を用いてもそうそう勝てないものだ。
黒いスーツを身に纏い、また黒いネクタイを締めながら、日向蓮は窓の外に横目を向け、呟く。特殊魔法治安維持組織第一分隊隊長の証である紋章も、右胸に添えている。腰のホルスターには、今や頼りないものではあるが、一丁の拳銃を差し込んでいた。
「? 連絡か?」
机の上に置いておいた特殊魔法治安維持組織専用の通信デバイスに、着信があった。
連絡の相手は、なんと――。
『や、やぁ、日向くん……』
眼鏡を掛けた、白髪交じりの風貌の男、大内国家保安委員長だった。特殊魔法治安維持組織の分隊長ではある日向であったが、大内の姿は本部での演説程度でしか見たことが無かった。普通の学校で言う、生徒と校長の関係のようなものだ。
相変わらずおどおどとしており、自信無さげな声と言葉遣いの大内は、何かの乗り物に乗っているようで、座席に座っているようだ。
「大内委員長……? っ、特殊魔法治安維持組織第一分隊長、日向蓮であります」
よって、少し戸惑ってしまった自分をすぐさま律しつつ、日向は敬礼を返す。
『じ、実は、緊急の要件でね……』
「? 何でしょうか?」
『私がこれを言ったという事は、くれぐれも内密に――』
窓の外の風は、弱まる事を知らない。がたがたと、まるで得体の知れない何かが魔法大学の窓を強く叩く音のようだった。




